第十九羽【碧宝貝蔵】①
ツバサたちが〈碧宝貝蔵〉を目指して南下を進めていた頃、同じく勇者たちも南下を始めていた。
しかし、同じ南下と言えど、ルートは全く別の道筋を辿っていた。
ツバサたちはまっすぐに南下し、大陸を海岸線沿いに進んでいたのだが、勇者たちはというと、隠れ里の南方の町までは同じ道を進んだが、そこからはまっすぐに西へと進路を変えていた。
もちろん西へ向かったのには、理由がある。
ひとつは、ツバサたちが後に出遭すことになる破滅の魔物と遭遇しないように……、というものもあった。
それだけツバサが辿ったルートは非常識だったということなのだが、それ以外にももうひとつ、重要な理由があった。
それは位置的には〈碧宝貝蔵〉と近い位置にあるのだが、ルートとしては正反対の方向から迂回せねば近づけないという山地にあった。
〈碧宝貝蔵〉を内包する山岳地帯、〈碧霊峰〉は切り立った崖で構成された山地である。
それゆえに比較的なだらか(と形容するには些か無理があるのだが)で、登頂がかろうじて可能であるのは、北西方面のルートのみなのだ。
なので仕方なく、勇者たちは回り込むように迂回して、正規ルートを目指していたのだった。
そんな彼らの道中はというと、あまり楽しげな旅程とは言えなかった。
もちろんそれは、世界を救うためという大義名分があるからというのも理由の一つだろう。
彼らの動向如何によって、世界の趨勢が握られているのだから、楽しげに旅をするのはどこか罰当たりという向きもあるだろう。
だがそれ以上に、ムードメイカーとなっていたジェラルドの損失が大きく影を落としていたのだった。
アルスは元々あまり多く話す気質ではない。ジェラルドがいてもいなくても口数に影響は少なかっただろう。
だが、彼が騒ぎすぎたときは注意するのも彼の仕事であり、それがなくなれば言葉を発する機会は更に少なくなる。
キャシーも同様に喋るほうではない。だが、積極的に絡みに来るジェラルドがいなくなれば、突っ込みを入れる機会もなくなる。
そんな二人の沈黙に焦り始めてしまうのがアシュレイだった。
とはいえ、人が一人いなくなったという現実に、いまだ上手く向き合えないアシュレイは、空気も読めずに空回りするばかりだった。
「な、なかなか着かないですね……」と冷や汗混じりに呟いたら、「当然でしょ。次の宿までは1週間掛かるんだから」と当たり前すぎる事実をキャシーから淡々と告げられる羽目になった。
ロサーナはそんな様子に苦笑を浮かべ、アシュレイは肩を落として歩く。そんな三文芝居が言葉を換えながら三回ほど披露された頃には、アシュレイは疲れ果てて場を繋ぐなどという考えすら浮かばなくなっていた。
大陸の南側は旧魔族領があった場所だ。
魔族封印のせいで多くの町や施設は消滅し、荒野ばかりが広がっており、いまだに開発は進んでいない。
それは、魔族を忌避する人族の習性や風潮がいまだ根強く残っているからで、それは魔族差別という形でいまだに世界に色濃く刻まれている。
アルスたちが進む道は、ダンジョンが発見されたことで冒険者が増え、僅かな民家が多少できたくらいのものだ。
村と呼ぶにも抵抗があるような2~3軒程度の家屋群を宿として貸してもらいながらのささやかな旅路が続く。
それは何度目かの休息地で過ごした夜のことだった。
キャシーは焚き火の明かりを頼りに矢を作っていた。
今までの冒険では鍛冶作業はジェラルドの専売特許だった。
ジェラルドのアイテムボックスには大掛かりな鍛冶道具一式が保管されていて、鎧の修復・剣の補修など整備全般を彼が行っていた。
ジェラルドがいなくなったことで、そのアイテムボックス内のアイテムは取り出し不可能となり鍛冶全般は各々に配分されることになった。
とはいえ、それは予期されたことではあった。
だからキャシーのアイテムボックス内には弓矢やナイフを整備するための鍛冶道具くらいは揃っている。
矢の作成にジェラルドが使うような大掛かりな(ジェラルドが両手で抱えなきゃ持てないくらいの大釜や作業台を含めた本物の鍛冶師が使うような本格的な代物だ)鍛冶道具は必要ない。
小規模な炉と弓矢がおける程度の作業台があればいい。
久し振りの出番となった鍛冶道具は埃も被っていない。アイテムボックス内では経年劣化が起こらないのだから。
だから、さしたる問題はない。キャシーは自分に言い聞かせるように何度も頭の中で繰り返していた。
問題ない。問題ない。問題ない。
そうやって無心になって矢のストックを作り続けていた。
そんな作業が一段落する頃、ふいに思い返してしまうのが、今はテントで休息を取っているロサーナのことだった。
アルスは何故か彼女を全く警戒していない。
怪しむポイントはあるはずなのに、アルスであれば本来は気づけるはずなのに、警戒をしているようには見えない。
アシュレイに至っては以ての外だった。
人が良い少年は、彼女の口車に簡単に乗せられる。本人はキチンと警戒しているつもりなのだろうが、ロサーナは言動が巧みだ。それが誘導された回答であるとも気づかずに、熟慮した結果『誘導された回答』を選んでしまう。
つまり二人はロサーナを警戒しない。
自分だけだ。自分こそが気をつけなければ。
……最悪、アルスと対立することになったとしても。
狩人たる少女は、三日月の下で徐々に決意を固めていった。
――
時はしばらく遡る。
〈死者〉と〈勇者〉の戦いが終わり、〈死者〉が〈戦士〉を殺したという報せが魔王城に届いた頃。
旧トータス領。現魔王城、謁見の間――。
「あーあ、倒されちゃったのね。……〈死者〉ともあろう者が」
魔王の前だというのに、畏れも敬意もなく、少女は不遜に肩を竦めていた。
「〈死者〉は殺されても死なぬ。封印が進んだことは由々しき自体だがな」
「由々しき……、だなんて今更ね。そんな建前、わざわざ気にする貴方じゃないでしょう?」
魔王は、不遜な少女に目くじらを立てるようなこともない。
旧来の知り合いであり、貴族の一人である少女には、それだけの態度を取る資格があるのだから。
魔王は玉座で腕を組むと「ふむ……」と唸った。
「最近は我が魔族領も賑わってきた。建前というものは重要なものなのだぞ?」
そんな回答を、少女シャルロッテは――嗤う。
「……建前、ね。貴方が一番苦手そうじゃない」
そんな軽薄な返しに、魔王は頷く。
「……違いない」
シャルロッテはガクッと肩を落とすと、頭を振って気持ちを切り替えた。
切り替えなきゃやってられない、とでも言いたげに。
「とにかくそれで? 次の封印はどうするの? 指をくわえて見ていたいとしても、立場上それは許されないんでしょう?」
「見物など、我の望むところではない。しかし、〈死者〉は一度回復に努めねばならんだろうし、他の〈三者〉はまだ封印が解けていない。動ける者がいるとすれば……〈三使〉どもくらいか」
魔族の〈三者〉のうち、〈死者〉と魔王以外は封印が解けていない。こちらの解放にはもう少しばかり時間が掛かるだろうが、遠くないうちに復帰することだろう。
だが、間に合う者で選ぶのであれば、残りは〈三使〉しかいない。
「〈三使〉って、まだ全員は復活してないんでしょう? 動けるのは誰? ちゃんと使い物になるの?」
「うむ。彼奴らは全てが封印に落ちたわけでもないのでな。動かすわけにいかない者もいるが、そうだな……、シンとルイスが適当か」
それを聞いて、シャルロッテは一歩退いた。
「貴方、それ本気で言ってるの?」
「無論、本気だが」
魔王は当然のことのように首を傾げているが、シャルロッテは溜息を吐いて痛む眉間を抑えていた。
「はぁ~。貴方、馬鹿よね。いえ、訊くまでもないことだったわ。忘れて頂戴」
「ふむ、心得た」
愚直に返す魔王。シャルロッテは踵を返して謁見の間を辞退した。
赤い絨毯を踏み付けたまま、シャルロッテはシャンデリアに視線を移す。
「〈気狂い〉のルイスか……。やり過ぎなければいいけど」
そんな杞憂が胸をよぎってしまう。
もしルイスが蹂躙の限りを尽くしたら、彼女の目論見も魔族の悲願も潰れてしまう。
『封印の儀式は進めてもらわねばならない』。
とはいえ、それを魔族たちにおおっぴらに伝えることもできない。
だからこそ秘密裏に、それらしく負けた振りをしつつ、封印を進めてもらう。
だが、そのためには理性的な判断が必要だ。
その理性がルイスには圧倒的に足りない。無論、魔王にもだが。
「ワタシも行くしかないのかしら。……あまり、本当にちっとも気は進まないけれど」
そんな気持ちを落ち着けようと、彼女はノースフィーレンなどの高級茶が飲める貴賓室へと足を向けるのだった。