第十七羽【死弊白狐⑤】
嵐竜がその凶暴な口を開けて、グギャアアア!! と不気味な声で吼える。
嵐竜の顎門が、地面をシャーベットみたいに削り取りながら地面を横滑りするようにして襲いかかってくる。
そんな高速道路のトラックよりも危険な代物を、俺は跳び箱でも跨ぐような恰好で軽々と躱している。擦れ違いざまに電撃を浴びせるおまけ付きでだ。
雷撃を受けながらも急速な方向転換を行い、竜は俺へと尻尾を叩き付けようとしてくる。
しかしそんな丸太の如く分厚くて、縄跳びの縄みたいに高速で動くそれを、高飛びみたいにベリーロールでふわりと躱す俺。
体感しているこっちの身としては、ジェットコースターの30倍くらい気持ち悪い。
生憎と、超人的運動神経で攻撃を躱し続けるのは俺の身体を操る別の人格なので、俺はというとそれを見守るくらいしかできない。……というか見守るのも辛いというか。スポーツできない人間は、こういう高速の世界に順応できやしないのだ。ニューロリンカーでも開発されない限りは、そんな世界は永久に訪れないのだ。
まぁ、つまり何が言いたいのかというと、それは明確にして単純。要は、強烈なGと極度の緊張により吐き気を催しているというわけだ。
――なぁ、ツバサさん? そのアクロバティックなヤツはそろそろ終わりにしてくれないかね? お兄さんそろそろ死んでしまうよ? 出発前に食べたおにぎりとか全部喉元まで戻ってきてるんだよ?
「……だいじょうぶ。人間、吐いたくらいじゃ死なないよー」
……そういう問題じゃねえ。吐くから死ぬんじゃねえ。吐きそうなくらい死にそうなんだよ。
「……似たようなもんでしょー?」
駄目だこいつ、早くなんとかしないと……!
というか、コイツひょっとして人間じゃなくて龍だから、人間の常識が通じないんじゃなかろうか。一人目のツバサはアイツはアイツでアレだったけども、それ以外の人格もよっぽどなんじゃあるまいな。
それにアイツもツバサで俺もツバサでコイツもツバサってのもかなりややこしいな。果てしなくメンドクサイ……。
「じゃあ、オイラは〈雷帝〉でいいよー。昔そう呼ばれてたしー」
――格好良すぎるから却下。
「えぇー?! じゃあ〈童帝〉でもいいよー」
――良いのかよッ?! あと、お前が童帝だと、必然的に同一人物の俺まで童帝だと思われるからやっぱり却下。
「事実じゃん」
うるせえ、却下だよ。あと童貞に〈帝〉の字を当てるのやめろ。格好良すぎるし、某歌い手を彷彿とさせるからダメ。
……とまぁ、そんな遣り取りでどうにか気を紛らせているうちに、嵐竜のダメージはいくらか稼げたようだった。
気づけば竜の外皮にはいくらか傷がついている。
とはいえ、それで動きが鈍るかというと、そんなこともない。生物ではない以上、動きさえすればダメージの影響はないものと思われる。
――……どうなんだ、コレ? 倒しきれないんじゃないか?
そんな疑問に雷帝は答える。
「だいじょぶだいじょぶー♪ 灼き切るから」
口調と内容のギャップが怖い。
強烈な雷撃による電熱で灼き殺す。コイツの火力ならそれも可能か。まぁ、なんとかなるなら任せれば良いか。
あとは、雷帝さんの戦いぶりを眺めるだけの簡単なお仕事です。とはいえ、そちらに意識を割くと気分が悪くなるので、他のことを考えるしかない。
……やはり頭をよぎるのは仲間たちのことだ。どう考えても絶望的なシチュエーションだった。嵐竜を誘き寄せることには成功したが、それでもピンチであることに変わりはない。
助かる見込みは、……少ない。
ならば、助けに向かわなければ。
――なぁ、雷帝さんよ?
「え? 何言ってんの、行かないよ?」
雷帝さんはきょとんとした雰囲気で言う。
いやいやいや。
――どう考えても助けは必要だろ。ジェネラル3体は無理ゲーだってアリシアも言ってたぞ?
「けど、オイラには関係ないしー」
あっけらかんと言いやがった。
いやいやいや、いやいやいや。
――お前、見殺しにするつもりかよ。
「んーん。見に行くつもりもないよー」
――コイツ……ッ?!
ひょっとしてコイツ、仲間想いじゃない人格なのか? 人でなしの役割を担うキャラクターなのか?
「そもそもオイラ、人じゃないしー」
……最悪の展開だ。
主人格、と言うとアレだから僕口調のツバサを〈鳳〉と名付けることにするが、鳳みたいな仲間を増やして世界を救おうとする人格ばかりではないってことかよ。
確かに元々は龍だ。人ではない。そして、その役割を果たすうえで仲間は必要とは限らない。むしろ力が満ち足りているならそもそも必要ないのだ。
戦力の拡充が必要なければ、本来一人のほうが役割は果たしやすい。そうだ、そう考えると……。
仲間は必要なくなる。
考えたことなかったな。今までは一人ではどうしようもないことばかりだった。だから仲間が必要だった。一人が怖かった。
俺は仲間に依存していたのだと思う。
けれど、コイツには力が充分にある。一人でどうにかできるだけの戦力がある。
それならば、仲間は不必要。仲間は、要らないってわけか。
そうか。そうだったのか。
風が〈自由〉を求める力ならば、雷は〈孤立〉を求める力なのか。
一人でなんとかできるのなら、仲間なんて要らない。足手纏いになるならば容赦なく見捨てる。……そんな徹底的にシステマティックな思考回路。
そうなのだろうか。……そうかもしれない。
誰かを好いたり、好かれたり。嫌ったり、嫌われたり。
そういうのが煩わしく思っていたのも確かだ。
感情に惑わされて、自らの願う〈自由〉が損なわれるのも嫌だ。
一人のほうがずっと楽で良い。……それは昔から胸の奥にあった感情だ。
だったらいっそ、初めからないほうが良い。手放したほうがずっと楽だ。
――なんとなく分かったよ、仲間なんて要らない。……俺もそう思うよ。
雷の力が、より強く俺に馴染んだ気がした。
一人でどこまでもひた走る力。孤立し、先頭を駆け抜ける力。
雷。俺は今、雷そのものになったのだ。
焼け焦げたような汚臭がする。
煙を上げて嵐竜は尚、吼える。死して尚、戦いを求める。
否、ひょっとしたらそれは違うのかもしれない。
そうだ、コイツは戦わされているだけだ。もう意思も宿ってはいないのだから。
本能ですらない。単純なエネルギー源として生物を欲している。それだけの存在でしかない。
そこに勝つための意思などない。生存本能なんて代物も存在しない。
そんな単純な構造であれば、回路ごと灼き切れる。
〈俺〉は、〈翼白〉を発動する。白い羽が舞い散り、周囲に吹き荒ぶ風を奪う。
風に宿っていた魔力を根こそぎ奪う。
奪えば奪うだけ、俺の力は潤うことになる。満たされた力を右腕に充填させる。
……そうだな、あの〈魔族の娘〉もこんなふうにして雷撃を放っていたんだな。
俺は仲間だった者の名前も思い出さずに、そんなふうに独りごちた。
「〈白雷〉。永久に眠れ、嵐竜の女王……」
一際眩い閃光が迸り、有り余った電圧が周囲へと撒き散らされる。
やがて巨体が倒れるが、もう終わった戦いに意識を向けることもない。
次に倒すべき敵は何処だ。
周囲へ微弱な雷魔法を張り巡らせ、簡易的なレーダー代わりに使う。
倒すべきは敵将だ。
そして、それらしい反応をすぐに見つける。
「……神殿の中央。佳境か」
俺は雷の魔力を足に纏わせ、筋力以上の脚力を発揮して跳んだ。
その背後から、嵐竜の礼を言うような声が聞こえた気がした。
オイラ:雷帝
僕:鳳
上記に決定しました。でも、俺:未定です。
ツバサが雷魔法に覚醒しましたが、ちょっと様子がおかしいですね。