第二羽⑦
結局、戻ってきてしまった。
あの村だ。最初に訪れた、小さな集落。
街道沿いに家が転々と並ぶだけの寒々とした荒れ地。
その中にのれんを下げた一軒の小屋があった。
それが俺たちが今回探していた店だ。
――そして、菊花がグイグイと引っ張って連れてきたこの男の実家でもある。
「これは……珍妙な客が来たものだ」
件のジジイは相変わらず格好いい所作をスローモーに演出している。
あの時はふざけたジジイだと少しムカつきもしたが、それが奇病の所為だと聞いた後だとそんな気は途端に失せてしまう。
それがどうしようもない現実なのだと思うと、少し可哀相にさえ感じてしまう。
とはいえ、ジジイのほうはどうなんだろうな。一体この病状をどう感じているのだろうか。
菊花が状況を説明すると、ジジイは顎髭をさすり、う~ん……と唸った。
「なるほど……。世話を掛けたな、旅の方」
「いえ、私たちは別に……」
男はというと、情けない顔で押し黙っている。まぁ、気まずいのは分かるけど。
「わ、私は父上のことを思って……」
「儂に罪を被せようと言うのか、息子よ」
「いえ、そういうわけでは……」
微妙な空気だ。はっきり言って逃げ出したい。当事者じゃなくてもこれだけ嫌な気分なんだ。この男のほうはさぞ苦痛だろう。
「自然とは、あるがままの姿のことを言う。人の手が加わればそれは姿形を変え、別の性質を持つ。人の意思が加わればその根本すら歪みかねない。その責任は誰にも負うことはできない。お前のしたことはそういうことなのだ」
「……申し訳ありません」
「それは誰に対しての非礼だ。儂に謝ったところで何も変わらん。祈りも贖いも効果はない。相手は人ではないのだから」
なんだか、話が凄く壮大だ。だが、それが鍛冶師としての矜持なのだろう。高いプライドが高い技量を育むのだろう。
それは職人の言葉だった。
「……やはりお前には継がせなくて正解だった。弟とは違い、お前の打った武具には魂がない。鉄と向き合う心がない。お前の打つ槌には何の想いも宿りはしない。お前は金輪際、槌を持つな」
「……そんな……」
なんか空気が重い。帰りたい。早く家に帰って寝たい。あ、でも家とかないや。いっけね、忘れてた。何なら過去のこと全部忘れてるけども。
そして、ジジイは俺たちのほうへ視線を移した。
「済まぬな、旅の方。みっともないところをお見せした」
「いえ、そんな……。それより、良いんですか? 息子さんはあなたのために行動していたようなのに……」
「いやいや、これは愚息が勝手にやったこと。それに実のところ、儂は困ってはおらんのだ」
「はぁ……」
ジジイは少し恥ずかしがるように頬を掻きながら、
「名物ジジイとして『腕利きの耄碌者』などと呼ばれ、見に来る物好きも少なくない。以前よりも客足は多いくらいだ。生き急ぐわけでもなし、困ることなどありはせんよ」
「そう……なんですか?」
「ああ、ちっとも困ってはおらん。こいつが気にしすぎなのだ、まったく……」
ジジイはそう言うと笑った。なんだか凄みのある笑いだったけど、それでも楽しそうに、笑った。
普通に生きられない身体でも、幸せにはなれるんだな。なんというか意外だった。
物珍しそうに見られて、それでも幸せだなんて、あるいは器がデカイだけなのかもしれないけど。
それでも、その瞳は嘘は吐いていない。それだけは俺にだって理解できた。
「迷惑を掛けたな、旅の方。良ければこれを持って行ってくれ」
「良いんですか?」
「構わんよ。愚息の悪事を見つけてくれた礼だ。むしろ、頼みたいくらいだ、是非ともこれを使ってくれ」
「ええ、分かりました。……ツバサ様」
俺は菊花からそれを受け取った。見れば旅に必要そうな服……みたいだな。何着かあるので着回しが利きそうだ。
さすがにいつまでもTシャツとジーパンじゃ辛いからな。ありがたい限りだ。
「じゃあ、お返しというわけじゃないですけど、こちらを」
そう言って、菊花が差し出したのはラビット・イーターの牙だ。ドロップ品が偶然とはいえ手に入っていたんだ。
ホントにこれで万能薬が作れるかは分からないけど。
「ほう……。なるほど、こいつが探していたのはこれだったか……」
ジジイは途端に目を細めて検分を始める。その目は鷲のように鋭くなった。
「どう……ですか? 薬にはなりそうですか?」
「……これは、生憎と違うだろうな。そういった効果は見込めないだろう。だが……」
ジジイはそれを、菊花へ返した。きょとんとしたまま菊花はそれを再度受け取る。
「薬にはならんが、鍛冶には使えるだろう。王都に行くことがあれば、儂の弟子を訪ねてみろ。きっと力になってくれる」
「……何から何までありがとうございます」
「それはこちらの台詞だ。世話を掛けた。お前たちならばいつでも助けになろう。この老骨の手で良ければいつでも頼ってくれ」
「……ありがとな、爺さん」
こうして俺たちは名物ジジイの店を出た。
行って戻って、という結構な遠回りになったが、無駄ではなかった。
あの爺さんと出会えて良かった。なんだかそんなふうに思えた。その息子は……まぁ置いとくとして。
「付き合ってくれてありがとうございました、ツバサ様」
菊花は朗らかな顔でそう言った。
俺もそれにつられて、何となく笑ってしまう。
「いや、俺でもそうしたと思うし、気にしなくて良いよ」
「……そう言ってもらえると、助かります。……それと、一つ謝らせてください」
謝る……? 何を?
付き合わせたことをか? そんな何度も謝られても恐縮するばかりなんだが……。
「いえ、そのこともありますが、それだけではなく……」
菊花は慌てたように髪を揺らしてぺこぺことするが……。
俺は、困ってしまう。
「いえ、ホントはもっと早く謝るべきでした。いえ、もっと早く気づくべきだったんです。私はツバサ様を何度も傷つけてしまっていました……」
菊花はそういうと、目をしばたたかせた。
その瞳にはじんわりと涙が浮かんでいる。
「申し訳ありません。ツバサ様は記憶があってもなくても、〈ツバサ様〉なのに、何度も過去の話をしてしまって……。まるで今の〈ツバサ様〉を否定しているようでしたよね……? ううん、否定していた。ツバサ様はそう捉えていたはずです。そんなつもりはありませんでした。けれど、間違いなく傷つけていたはずなんです。だから、……申し訳ありません!」
それは、確かにそうだった。
俺は〈ツバサ様〉ではない。過去を思い出せない俺は菊花が言う〈ツバサ様〉ではないのだ。
菊花が俺を持て囃す度に俺は傷ついていた。だって、それは俺の否定そのものだから。
俺の〈今〉には、過去の〈ツバサ様〉は一切関与していない。もはや別物なのだ。
だから過去の肯定は、現在の否定に他ならない。俺はそう感じていた。
……そして、菊花もそれに気づいてくれた。
「傷つけたうえでこんなことを言うのは図々しいとは思いますが、それでも私は信じて欲しいんです。私は〈ツバサ様〉という存在そのものに付き従っているのであって、過去とか、現在とかそういうことは関係ないんです。私はいつでもツバサ様の味方です。これだけは信じて欲しいんです」
それは、俺の誤解だった、ってことなんだろうか。記憶のない俺でも菊花は受け入れてくれるんだろうか。俺は菊花の知る〈ツバサ様〉でなくてもいいんだろうか。俺のままでいいんだろうか。
「だいじょうぶです。どんな〈ツバサ様〉でもそれは〈ツバサ様〉です。過去の〈ツバサ様〉は素晴らしい方でしたけど、今の〈ツバサ様〉だって素敵です! だって私のご主人様ですから!」
この世界のことも、自分のことも、菊花のことも分からないことだらけだけど。それでも気分は意外と悪くないもんだ。
それはきっと一人じゃないからだろう。信じてくれる誰かが傍にいるからだろう。
菊花が隣にいてくれれば、これからどんなことだってやり遂げられる気がする。
心強いパートナーが、隣にいてくれる。それはどれだけ幸せなことなのだろう。
その幸せを噛み締めて、今日を生きていこう。俺はそんな風に思ったのだった。
「これからも、よろしく。……菊花」
俺が差し出したその右手を……。
菊花が優しく掴んで――。
「はぅ……やっぱりウサギさん、可愛いですぅ……」
――掴めよ。通りがかったまるうさぎに目移りすんなっての。
……ホントにこいつを信じてだいじょうぶなのかなぁ……。
まるうさぎはぴょんこぴょんこと飛び跳ねていて、菊花はそれをうっとりと眺めている。
それを見つめる俺さえも、なんだか見とれてしまう。ウサギさん、かわゆす。
……まぁ、なるようになるか。きっと。
スローモー爺の話は一応完結だな。
結局病気は治ってないけど、最初から困ってないっていうのは予想外っぽくて、でもリアルに考えるとあながちありえるのかもしれないよな。
「そうですね。それにしても身体が動かなくなる病気って何なんでしょう? ゆっくりなら動かせるという症状はあまり聞きませんけど……」
メタ的な話をすると、そのへんは第三翔まで進めば分かるらしいんだがが、まだ一翔の序盤だからな。
分かるのはだいぶ先なんだと。
「いや、ホントそれ、どこ情報なんですか?」
そう言われても俺にもわからん。
あとがきスペースだからな。多少のおふざけは許してほしい。
「はぁ、まぁいつものことですし、良いんですけど」
いつものことで流されるのもなんだな。まぁいいか。
それと今回はわりと真面目な話が多かったのも印象的なんだよな。
俺が失った記憶を気にしていた描写も解消されたし、気づいてもらえたっていうのもツバサ的にポイント高い。
「そのポイント貯める意味あるんですか?」
なんかそこはかとなく辛辣だな。
貯める意味があるのかって?
ないに決まってるだろ!
それでも貯めることに意味があるんだろうが!
それが男のロマンってもんだろうが!
「……はぁ」
あれ?
なんか菊花の反応が冷たい。
はっ! これが倦怠期……?
「……う~ん、このままこういうノリが癖になっちゃったらわりとまずいかもしれませんね。どうしましょうか……」