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秘密の花園

作者: たいちうみ

 その少女がやってきたのは、ある春の日、日差しの明るい午後だった。

 通称『懺悔室』と呼ばれる私の仕事部屋。軽い足音を響かせて椅子に腰掛け、彼女は口を開いた。

「ねぇ、先生。私のお話を聞いてくださる?」

「ええ、もちろん」

 仕切り越しの会話なので顔は見えない。けれども、やけに弾んだ声だ。

 彼女は何を『懺悔』しにきたのだろう。私は耳を傾ける。

「先生は、この学園にある言い伝えをご存知?」

「言い伝え?」

 可憐な少女たちが集うこの学び舎に臨時で赴任して、まだ二月も経っていない。ようやく、教職員や一部の生徒の顔と名前が一致した頃だった。

 いいや、と答えると、彼女は微かに笑い声を漏らした。

「聖堂の裏側のお庭に、薔薇の垣根があるでしょう。棘が痛そうな」

「あるね」

 そこは、この部屋の窓からよく見える場所だ。

 絵画のような美しい庭を縁取る薔薇の垣根。それは、まるで少女たちの隠れ家を守る城壁のように見えた。

 何種類もの枝が複雑に絡み合っているそれは、異なる花を順番に咲かせる。どうやら春から秋まで長く楽しませてくれるようだ。今は、ピンク色の花が、垣の主として権勢を誇っている。

「あそこにはね、ひとつだけ、棘のない株があるのよ。しかも、その薔薇に願いをかけると、何でも叶えてくれるの。生徒は、マリア様の薔薇と呼んでいるわ」

 次の瞬間、彼女の声が一気に重くなる。

「でも、決まりがあるの。ひとつは、心から祈ること。もうひとつは、他人の望みを代わりに言いに来てもいいということ。それと最後に、同じ人の同じ願い事は受け付けないということ」

 ありがちな学園伝説だ。

 しかし、彼女はそんな噂話をするためだけにここに来たのだろうか。首を傾げていると、彼女はさらに続きを語る。

「それにまつわるお話をお聞かせしたくて。この学校にはね、薔薇のあだ名で呼ばれた女の子が二人いたの」



 二人は、下級生の頃から親友だったのだという。

 一方は怜悧で涼やか、もう一方は社交的で華やか。異なる魅力を持った美少女たちだった。

 学園中が見とれた彼女たちはそれぞれ、白薔薇の君、紅薔薇の君と呼ばれていた。この学園において最も大切な存在である薔薇を通り名に用いられること。それは、生徒にとって何よりも名誉であった。

 年に一度、学園は、翌年最高学年に上がる生徒から一人、『薔薇の女神』を選ぶ。要は、学校の顔となる存在だ。

 創立祭などの公式行事で、生徒代表として登壇する、来賓の相手をするなど、あらゆる生徒の憧れの的となる役目だ。

 女神を決める手段は、教職員と生徒による投票だった。

 白薔薇と紅薔薇が入学してからは、いったいどちらが女神になるのか注目を集めていた。白薔薇派と紅薔薇派が言い争うこともあり、見かねた本人たちが止めることもしばしばだったという。

 あまりに両者が拮抗しているので、今年は同票かもしれない。そんな噂が流れた。その場合は、くじ引きだ。

 用意されたふたつの小箱のうち、ひとつは空っぽ。開けて、薔薇があったほうが女神様になれるというわけだ。

 それまで、女神の投票で同点になった例など一度もなかった。けれども、今回ばかりはその可能性を多くの人間が考えていた。

「もしそうなったら、どうしましょうね?」

 結果が判明する数日前、紅薔薇は期待感に胸を膨らませながら言った。白薔薇は、そんな友に苦笑する。

「くじなのだから、恨みっこなしでいいじゃない」

「緊張するわ。なんだかね、今年は本当にあなたと私が同点になるのではないかと思うのよ」

「気が早くってよ」

 紅薔薇は、ふと手を叩く。

「ねぇ、あの薔薇に願いをかけてみない? ほら、昔、お姉様方からお聞きしたでしょう?」

 聖堂の裏庭の薔薇にまつわる噂は、口伝えで先輩から後輩へと受け継がれてきた。彼女たちも、下級生のときに上級生から教わった。

「何を願うのよ」

「二人が同じように『自分を女神に』ってお願いしたら、どうなるかしらね」

 女神は一人だけ。それが決まりだ。だから、首位が二人になった場合に、くじ引きという手段が取られる。

 白薔薇は眉をわずかにひそめる。

「どちらかが外れてしまったら、有り難みがなくなってしまうわ。それに、お願いは一回だけなのでしょう? もったいないわよ」

「ひとつの願い事につき、一回よ。恋のお願いはまた別の機会に取っておけばいいのだわ。二人同時に頼んだらどうなるか、ぜひ試したいの! お願い、付き合って」

 紅薔薇は浮かれた様子で、白薔薇を聖堂の裏まで引っ張っていった。

「最初はあなたから祈って。もしかしたら、先着かもしれないから」

「だったら、言い出したあなたの方が最初に祈るべきではなくて?」

「そうするくらいなら、初めから一人で来るわよ」

 ほら、と紅薔薇は友を促して、薔薇の前に立たせ、自分は離れたところにあるベンチに腰掛けた。そして、白薔薇が願いをかけたあと、今度は自分が薔薇に願いを託した。

 そして、開票の日が訪れた。

 紅薔薇が言ったとおり、彼女と白薔薇の二人は、まったく同じ票数を獲得した。

 発表が行われた講堂内は、大いに盛り上がった。

 学園中が見守るなか、壇上の二人の前に白い箱がふたつ運ばれる。

「今度はあなたが先よ」

 白薔薇はそう声をかけ、友がひとつを選んだのを確認し、自分は残った箱を手にとった。

 二人同時に開ける。すると――。

「私だわ!」

 そう興奮しながら声をあげたのは、紅薔薇。箱に収められたピンク色の薔薇を、証拠として周囲に見せる。

 そんな彼女を、白薔薇は真っ先に拍手と涼しげな笑顔で祝福した。



「美談だね」

 言いながら、陳腐な友情物語だと内心笑う。小さな世界だけで盛り上がった、滑稽なエピソードだと。

 この学校は全てがそうだ。たった一ヶ月と少しで、私は理解した。この学校に通う少女たちの悩みは、実に卑小なものであると。

 たかが一年間、生徒の代表になるだけ。それを女神だの投票だので盛り上がる神経は理解できなかった。

 薔薇の願い事伝説も、下らないにも程がある。どうせ祈るなら、聖堂の中にいるマリア像にでも祈っておけばよいものを。

 そんな私の心の声が聞こえたのか、彼女は忍び笑いする。

「まだ話は終わっていないわ。続きがあるのよ」

 紅薔薇は確かに、薔薇の女神となった。

 ただし、たった一日だけ。

 その晩、彼女の姿が忽然と消えた。両親は必死に探し、近くの池に浮かんで息絶えている娘を発見した。その周囲には、散った薔薇の花弁が美しく月に照らされていたのだという。

「なぜ」

 私が呟くと、鈴のような声が仕切りの向こうから転がってくる。

「裏庭の薔薇は、紅薔薇の君の願いを叶えてくれたのに。そう思うでしょ? ええ、ちゃんと願いは聞いていたのよ。二人分の」

 二人分。私は思わず、あ、と声を出した。

「つまり、紅薔薇と白薔薇の両方を女神にするために、紅薔薇を死なせて白薔薇も女神にしたというのかい?」

「惜しいわ。ねぇ、白薔薇は何を願ったと思う?」

 何、と言われても。

「自分も女神になりたい、とではく?」

 しかし、違う、と彼女はきっぱりと言う。

「じゃあ、いったい何を」

「最初に私が話した決まりを覚えていらっしゃる?」

 ひとつ、心から祈ること。

 ふたつ、他人の望みを代わりに言いに来てもいい。

 みっつ、同じ人の同じ願い事は受け付けない。

「そこからどんな答えが導かれるかしらね」

 まさか……。

「白薔薇は、紅薔薇が女神になるよう願ったのかい?」

「正解。先に白薔薇が、友達が女神になるように祈った。次に紅薔薇が、自分が女神になりますようにとお祈りした。結果、紅薔薇の願いは重複してしまった」

 私は無意識に身を乗り出しかける。

「そもそも、なぜ同じ願いをしてはいけないんだい?」

「何度も同じ願いを言うなんて、強欲すぎて烏滸がましい。薔薇の力を信じていない証拠である。だから、罰を与えた、と言えるのかしら?」

 その声は、とても無邪気に聞こえるが、どこか無機質だった。

「しかし、いくらなんでもそれは、呪いじゃないか」

「かもしれないわね。その後、白薔薇は無事一年間、亡き友のために薔薇の女神を勤め上げ、次代にその座を譲り渡した」

「それから?」

「おしまい。いかが? 退屈しのぎにはなりまして?」

「え」

「先生、いつもつまらないって顔をしていらっしゃるわ。どうして、こんな小娘たちの下らない悩み事を聞かなければならないのかって」

「それがお仕事なんだよ」

 そうね、と彼女が同意したところで、時計塔の鐘が鳴る。もう下校の時間だ。

「それでは失礼」

 立ち上がる気配がして、足音がひとつ。しかし、そこで途切れる。

 訝しんでいると、ぼそりと彼女が言う。

「あの子はきっと、自分でなく私が女神になれるようにって祈っていたら、命を落とさなかったのよ」

 その瞬間、室内の空気がすべて凍った。強くなった西日の鋭さが、氷柱のように感じるほどに。

 窓を背にした私の長い影だけが、仕切りを越える。それを踏んでいる彼女は、どんな顔をしているのだろう。

「では、今度こそ、ごきげんよう」

 涼しげな笑い声とともに、扉が閉まる。残されたのは、私だけだった。

 今の言葉の意味は何だ?

 白薔薇は、純粋に友の望みを叶えたかったのか。それとも、自分が女神になりたかったのか。すべてわかった上で、薔薇に願いをかけたのか……。

 ふと窓の外を見やると、制服を着た少女が一人、生垣の前に跪いていた。

 聖堂の祭壇ではなく、ただの庭の花に祈るなど、馬鹿らしい。子供の戯れだ。ほんの一時間前の私なら、そう思っただろう。

 しかし、今は、斜陽に輝く薔薇が、とても恐ろしく不気味なものに思えて仕方なかった。

 そもそも、彼女の話は真実と言えるか。生徒を小馬鹿にしきった私をからかっただけではないか。

 あの薔薇には、本当に人の命まで左右する力があるのか、まったくわからない。

 いずれにせよ、この話は私の心に秘めておこう。誰にも語るまい。そう決めた。




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