三
モノレールに乗るのも、基本的には地下鉄と同じ要領だ。うまく自動改札を抜けて、プラットホームに向かう。ブザー音が後ろめたさを……などと言うのは初心者の話だ。今やこれなくして生きていけない。そうなればへっちゃらで、よっぽど昨晩の方が後ろめたいほどである。
このモノレールに乗ると、海が一望出来る。普段暮らしている分には、いくら地理的に近くても、やはり意識としては近くない。だがこのモノレールに乗ると話は別だ。列車が吊り下がっている関係上、自分たちの街は見下ろさない限り見えず、普通に眺めた限りでは一面海なのだ。おそらくこのモノレールの計画者もそれを考えてこういった路線にしたのではないだろうか。とにかく絶景なのだ。
「あれ」
ハツミが何かを見つけた。
「どうした」
「ほら、あそこ」
ハツミが指さした先、東京湾沖ヨコハマ港には何かが浮いていた。ボートと言うべきだろうか。しかしボートというのには少し大きく、船というのには少し小さいという、中途半端なものの代表例とも言えるような代物だった。
「物資を運ぶ船か?」
「さあ……でも本当に何でしょうね。外国人が来るとかじゃないでしょうね」
「まさか、ペリーじゃあるまいし」
実はペリーのことはあまり知らない。船うんぬんの関係だったことを、おぼろげに記憶していたので口に出してみただけだった。
コップ一個の買い物だけあって、買い物自体の時間は全然かからなかった。
帰り道僕は、ふと気になったことをハツミに聞いてみた。
「金なんか、どこで手に入れたんだ? 普段の食に困ることはないし、働き口なんかロボットに取られてちっともないだろうし」
「市役所よ。市役所の窓口の端末で、生活保護の申請をすれば受給できるのよ。一応収入はゼロでしょう。少しずるい気もするけど、お金が必要になる場面もなくはないから」
「そうなのか。今度申請してみよう」
今まで、必要な家具だけ自分で作ったりハツミからもらったりしていた。少しハツミから自立しないとと思う気持ちもなくはなかった。これも昨晩のせいだろうか。
帰りのモノレールでもまた、二人して海を見ていた。先ほどのボートだか船だかもあったはあったが、話題に上ることはなかった。所詮、その程度の関心だったのだ。
モノレールは最寄り駅に着き、またいつものように改札を「抜けて」、駅から出た。
「あれ、さっきの船……」
最寄り駅からは、小さくはあるが港が目の前に見える。そこにさっきの船が停泊していたのだ。こうして見るとやはり小さいようだ。人が乗っていたとしても、人数は多くなさそうだ。いずれにしても自分とハツミの家にさえ危害が加わらなければ問題はない。僕とハツミはかまわず家に向かって歩き出した。
目の前に家が見えて来た。ところがハツミの家の扉は開いていた。
「おい、扉が開いてるぞ」
「え」ハツミは不穏な表情を浮かべた。「鍵なら、きちんと閉めたよ?」
それは自分も確かに見た。ということは……。
「じゃあ、もしかして……」もしかするともしかするのかもしれない。考えられる相手はさっきの船だけだ。もしかして外国の盗賊なのだろうか。だとしたら大変だ。危害どころか、命を失うかもしれない。
僕は少し前に歩み出た。するとハツミは「危ないよ!」と強く、それでも目の前の状況に配慮してか、音量は小さめにして言った。僕はハツミの家の中を思いだし、玄関に割と大きめなホウキがあるのを思い出した。
「盗賊だったら、戦うしかないだろ。玄関にホウキだってあるし」
「ホウキなんか何になるのよ」確かに、全くもってその通りである。しかしその時の自分は不思議に勇んでいて、そんなことなど大した問題ではなかった。要は行くか行かないか、それだけの話なのだ。
「大丈夫、死にはしないから」僕は半分なだめるように言って、ハツミを残していった。
そうは言ってもいざ行くとなると怖くなくもない。というか普通に怖い。足取りはゆっくり、慎重に進む……予定だったが、どうも心と体が食い違っており、「慎重に!」と思いながらも、自分の足取りはどんどんどんどん速くなる。あっという間に扉の前に着いてしまった。
こうなっては仕方がない。僕は勢いよく玄関に入ると、イメージ通りの場所にあったホウキを持ち、靴のまま上がった。そこには二組の若いアメリカ人風の男女がおり、女はキッチンを、男はテーブルを物色していた。包丁が来るかもしれない。そう思って僕は、まず男の方にホウキを振りかぶった。だがそれは、いともたやすく掴まれ、手の届かない方向に放り投げられてしまった。武器がない。すると今度は女の方が近寄ってきた。まずい。どうにかしないと。殺される……。
「Oh, I'm sorry. We are not thieves,OK?(あら、ごめんなさい。私たちは泥棒じゃないのよ?)」
いきなり飛んできた言葉に混乱した。だが最初の文でまずは敵ではないことを、脳が認識した。次の文を飲み込むのには、少し時間がかかった。ウィー、アー、ノット、シーヴス……NHKの英語講座がこのような時に役立つとは思わなかった。女は手をさしのべて来た。握手をしようということなのだろう。意味をくんで、僕も手を差し出し握手した。なるほど、アメリカ人の手という物はこういうものなのか、ということを学んだ。
「ナンテネ」
と僕には聞こえた。女が言ったのだ。アメリカ人が日本語を話してくるなどという予測が出来るほど、心に余裕は持ち合わせていなかった。ましてやファースト・コンタクトが英語だったのに、次に発したのは日本語。僕は、なおさら訳がわからなくなった。
「日本に渡ってくるのに、何も勉強しないで来るのはまずいでしょう。ペリーの時代じゃないんだから」
どうやら女は僕よりペリーのことを知っているらしかった。
「まあ、まずは私たちの話を聞いていただけないかしら?」
「オ、オーケー」
まだ僕の方の頭は日本語に切り替わっておらず、おかしく思ったのか二人は笑った。
後ろを見やると、扉からハツミが顔をのぞかせていたので、手招きした。状況を空気で読み取ると、ハツミは自分の家にようやく入ることが出来た。
「私の名前はジェーン。彼はマックス。年は十七よ」
マックスは僕の方を見て、ほほえみながら「ヨロシク」と言った。マックスは少々日本語が不慣れなようだ。それともジェーンの日本語の習得がすごいのだろうか。
「最初に聞くけど、あなたたちはアメリカってどういう国ってイメージがある?」
そう聞かれて僕は「経済大国」、ハツミは「食べ物の量が多い」と答えた。
「食べ物の量が多いってのは相対論だから少し難しいけど、経済大国ってのは予想していたわ。別におごりでもなんでもなくてね。まあでも、こっちからしたら日本も大国なのよ」
ジェーンは一気にしゃべると、一息ついた。この間にまた次の言葉を考えているのだろうか。そしてまた口を開いた。
「ただし、結果から言うとそれは間違いね。少なくとも今のアメリカはそうね」
「何故そう言えるんですか?」と僕は質問した。すると、「答えは簡単よ」と彼女は言った。
「人間がいないのよ」
なかなか面白い答えが返ってきたな、と思った瞬間である。
「日本で言う……国勢調査だっけ? それをしないと正確な数字はもちろん分からないわ。でも確かに言えることは、国勢調査をする人がいないほど人間がいないのよ」
「どれくらい少ないんだい?」僕は話をどんどん進めたくなってきた。
「生まれてこのかた、マックス以外の人間を見たことがないわ。まああなたたちが初めてね。だから私の調査だとアメリカの今の人口は二人だわ」
話がどんどん面白くなってきた。
「でまあ、十七ともなれば旅を少ししてもいいかなと思って、日本に来たの」
「初めての旅にしては、規模が大きすぎやしませんでした? 太平洋横断してきたんでしょう」
「確かに途中何回も後悔したわ」
「で」方向性が面白いので、僕は話を戻した。「日本のこの状況に驚きましたか?」
「うーん」彼女は少し困ったような顔をした。「そうでもないわね」
「それは何故?」予想外の答えが返ってきて、ハツミをさしおいて僕の興味は深まるばかりだ。
「科学の実験は、実験をする前に仮説を立てるわね。実験というのは仮説の証明をするもの。少なくとも私たちはそう考えているわ。だからまず仮説を立てて実験をして、その結果を元に仮説が正しいか間違っているかを考察・判断するのね」
「はい」
「私たちの場合は『先進国の国々では、アメリカと同様な極限状況下ともいえるような過疎現象が起きている』と立てたわけ。間違っていたら、仮説の立て直しだからまた試行錯誤は続くんだけど、仮説は日本の場合は合っていたことになるから、むしろがっかりかもね」
一通り話した後、ジェーンは「ごめんなさいね。別に日本にがっかりしたわけじゃないのよ。あなたたちとは仲良くやっていきたいと考えているわ」と付け足した。
「ええ、もちろんですよ」
「食料も一応持ってきたけど、お互い過不足あるだろうから、交換しましょ」
それにしてもジェーン、日本語が綺麗だ。自分の独学英語とは大違いである。
突然ですが、外国人が出てきました。
ここから先は彼らも重要な登場人物となります。
その中でこの物語の中の「僕」は、彼らの一部の行動に対してアメリカ人の国民性・文化などと判断します。これは実際の国民性などをどうこう言っているわけではなく、あくまで「僕」の考えと、いずれ振り回される自分たちとジェーンたちのギャップとして描かれるだけのものです。ご了承ください。
次回も早めに投稿いたします。(既に出来てはいるので)
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