#0006 [知らぬ者](2)
――だけど今、私の左手には暖かな温もりがある。
歩きながら、そっと隣を窺ってみる。
汚れた布を羽織った少女は、その琥珀色の瞳を柔らかく細めて飴を舐めている。すっと通った鼻梁に赤い唇。整ったその顔は、むしろ人形的に見える。
玲二は魔物だと言った。そうなのだろうか。人間にしか見えないこの少女が、あの凶暴な四足獣と同類? そんな馬鹿な。
「ねぇ、あなたって、魔物なの?」
問いかけられた少女はこちらを見上げ、それから視線を逸らした。
ぽつり。
「ごめんなさい……」
「せ、責めてるわけじゃ! ない、んだけど……」
自分はどうしてしまったんだろう。なんだか気持ちの浮き沈みが激しい。
「あ、そうだ。名前。名前聞いていい?」
そう聞くと、少女は首を傾げた。
「名前ってなに?」
「え?」
そう来るとは考えてなかった。
「え、さっき飴あげたあと聞いたでしょ?」
すると少女は思い出そうとして中空を見つめ、はっとした。
「モショボ!」
「モショボ? っていう名前なのね?」
「名前?」
「あぁ、うん、いいよ。それじゃあなたの名前はモショボね」
少女の笑顔が弾けた。
「モショボ! あたしお姉さんのこと嫌いじゃないよ!」
「あ、ありがと。私もモショボ好きよ」
モショボは笑って、繋いだ手を揺らした。
しかし、玲二に追いつくとモショボは急に静かになって私の後ろに隠れた。
「……昨日アイツに」
そこまで言って黙り込んでしまった。
続きが気にはなったけど、落ちている宝玉を拾って皮袋に入れる。
なかなかの量になってきた。
そういえば、宝玉と魔獣の大きさは比例してる。大きな体格の魔獣はその分、出てくる宝玉が大きいのだ。どのような基準で宝玉がお金に変えられているのかはわからないけど、大きいほど値段は高そうに思う。
って私、考えること金銭面に偏りすぎかも。
とかなんとか思いつつ玲二の後を追う。
その後、一匹の魔獣を倒して入り口に到着した。
荷物を片付け、皮袋を玲二に手渡す。
すると、袋の中から宝玉を一つ取り出して渡してくれる。
「え、これは?」
「そこの魔物にくれてやれ。その代わり”上”には絶対来させるな。上がってきた魔物は全て殺す」
言い捨てて玲二は階段を登っていく。
――――なにあれ?
そろそろテンプレ呼ばわりされるようになったツンデレ?
いや、どちらかというとクーデレ?
どっちでもいいけど。ダメだ、顔がにやける。
「だってさ! えっと、これ。はい」
モショボはポカンと大口を空けてこちらを見ていた。
口の中に、細く長いピンク色した舌が見えた。
宝玉を受け取ると、モショボはそれを口に運んだ。
モゴモゴ。
ゴクン。
食べた。食べた。
「え、食べちゃっていいの!?」
首を傾げるモショボ。私が首を傾げたい。
「アイツ嫌い。だけど珠くれたから約束守る。上、行かない」
モショボはそう言うと、両手を使って扉を開けた。
「何処行くの?」
「帰るの。またね」
「あ、うん。明日も来るから」
にっこりと笑って。
「……頑張る」
何を頑張るんだろう。
不思議の思った私の前で、モショボは頭を布から出した。
毛先に向かって色素の落ちた菖蒲色の髪が羽みたいに広がった。と思ったら、その髪の羽は自律的に動いて、モショボの体を浮き上がらせた。
「お姉さんばいばい」
笑顔で手を振るモショボに、私は呆然と立ち尽くしながらも手を振りかえした。
◇ ◇
私がやっとの思いで階段を登りきれば、小部屋の壁に寄りかかった玲二がいた。
玲二が鍵を持ってるから、待っててくれたんだ。
「ごめん、待った?」
「……いや」
……あれ、なんかデートの待ち合わせみた――。
「ま、まぁ、それはともかく!」
ごほんと咳払い。
した私に玲二が何かを投げてきた。
咄嗟に掴み取って見たら鍵だ。
「ここの鍵だ。明日も来るなら使え」
「あ、うん」
そうだ、明日は土曜日で休みなのだ。
鍵がなければ防空壕には行けない。
「そだ、モショボに宝玉あげたら食べちゃったんだけど、それでいいの?」
「モーショボーだ」
寄りかかったまま、玲二。
「はい?」
再び硬直する私。意味が不明です隊長。解説を求めます。
しかし口にする前に玲二が勝手に喋り始めた。
「人の姿に化けた鳥だ。油断してると口を嘴に戻して頭に穴を開けて殺される」
ぽかーんと数秒口を開いたあと、引き結ぶ。
「モショボはそんなことしません。私はあの子を信じます!」
「そうだろうな。宝玉はいい栄養になる。しばらくは大人しくするだろうが、また腹を減らしたら、どうなるかはわからんな」
宝玉って食べるものだったんだ……。でもその出自からして口に入れたいと思えないな。
「それなら、少しだけ宝玉分けてください。それなら安心なんでしょ?」
私が言うと、玲二は鼻であしらった。
「自分の分は自分で手に入れろ」
踵を返して部屋を出て行く玲二を、私は追いかける。
「そ、そんなの無茶です!」
「銃があるだろ」
「先輩が引き金引くなって……」
「俺が前にいて、絶対当てない自信があるのか?」
そう言われれば黙り込むしかない。
むしろまだ使ったことさえ無いのだ。
玲二が溜息を吐いた。
「手を出せ」
慌てて両手を出した私に、玲二が小さな宝玉を乗せた。
「これは?」
「両手で握りこんでみろ」
言われたとおり両手でぎゅっとする。
数秒そのままでいると、突然手のひら同士がくっついた。
驚いて手を開いてみれば、そこに宝玉はなかった。
「こっ! これどういうことですか! 何処に消えたんです!?」
「宝玉は、こうやって使うもんだ」
「ちゃんと答えてくださいよ!」
玲二は小部屋の鍵を閉めつつ。
「少しは自分で考えろ」
言い残し、歩み去っていった。
私はそれを呆然と見送って「天才一組野郎め……」と呟いた。
◇ ◇
バイトが終了後、私は少女先輩と一緒にセンター街にある文化堂という和菓子のお店にいた。
もちろん《北条玲二真人間化計画》の相談のためである。
目の前には栗水羊羹とお茶。
店内に三つ用意された長テーブル席には私たちしかいない。
ちなみにお茶はタダで飲み放題だ。
私はお茶を啜って、切り出した。
「さて、あれから私考えたんですけどね」
「……何よ?」
「バイトをするってことは、お金が必要ってことですよね。掛け持ちするくらいだから、それも相当な額の」
「そうね。玲二君かっこいいし、お店でも結構人気あったらしいから、それなりの収入にはなったでしょうけど……」
私は一つ頷いて。
「そう考えると、借金っていう線は消えると思うんです。額にもよりますけど、バイトの掛け持ちをしないと返せない借金っていうのは、すごい額になるんじゃないですかね」
「それはどうかしら? 闇金みたいに利率が高いだけかもしれないわよ?」
「あの頭のいい先輩が闇金なんかに頼りますかね……?」
少女先輩が頤に手を当てて「それはなさそうね」と呟く。
思わずにやけそうになる頬を引き締めて、私は続ける。
「借金は返してしまえばおしまいです。利子が高くても、きちんと返していけばその分負担は減るはず。私は良く知りませんけど、今の仕事で先輩は、少なくとも以前のバイトと釣り合いがとれるほどには収入があるはずですよね」
「――そういえば」
話の途中で少女先輩が割って入る。私はしぶしぶお口にチャックして聞く姿勢に移行した。
「あなたたち、何の仕事してるの? 確か、玲二君のサポートとか言ってたわよね?」
「あー、はい。えぇっとー……」
こ、これはまずい予感がする。
「私たちも後を追ったことがあるんですけど、いつも実習棟で見失ってしまうし。あんなところで何のバイトをしているのかしら?」
――――やっべぇぇ!!
そういえばそういうことを気にしていなかった。
今度から気をつけないと、私のことだからついうっかりやっちゃいそうだ。
「え、えっとぉ…・・・か、体を張った仕事で、す」
うん、間違ってはない。
しかしそれを聞いた少女先輩の視線に剣呑な光が宿った。
「ふぅん、私にそういう話を持ちかけておきながら、自分は玲二君と体を使ったお仕事しちゃってるのね……」
「ちょ! 何言っちゃってるんですか、違いますよ! ほら、土方とかそういう、体力がいるお仕事っていうだけですよ!」
「具体的にはどういうなの?」
「さぁキリキリ答えなさい!」と言わんばかりの少女先輩。
冷や汗をかきながら、私はたまらず視線を逸らした。
「そ、そそそれは社外秘密っていうか企業秘密っていうか守秘義務がありましてですね?」
「それで? なに?」
鬼だ! 鬼がいる!
「うう、わ、わかりましたよ」
「早く言いなさい」
私は携帯を取り出した。
「そんなに聞きたいならご自分で聞いてください!」
学園長のメモリーを開いて少女先輩に押し付ける。
少女先輩はその画面を見て、引きつった笑みを浮かべた。
「――そ、そうね。知らないほうが幸せってことも、あるわよね。ほほほ」
「で、ですよね。あははは」
ほほほ。
あはは。
と乾いた笑いで場を流してしまう。
羊羹を一つ、口に運んでお茶を飲み干す。
「さ、さて。続きですけど」
「そ……そうね、続きをどうぞ?」
「もう一つの可能性としては、病気説ですね。本人は至って元気そうなので、ご家族の誰か」
「玲二君、母子家庭で兄弟はいなかったはずよ」
「……じゃお母さんが?」
「うーん……そこらへんの詳しい話は良く知らないのよ」
私からすれば両親はうっとおしいばっかりだったけど、玲二は違うんだろうな。
母子家庭。
玲二にとって頼れる人は母親だけ。
それと同時に、母親にとって頼れるのは玲二だけ。
「……やめよ。やめやめ!」
人の家の事情に踏み込むなんて、やっぱりよくない。
不満があるなら直接言えばいい。
――本人の知らないところで繊細な問題に首を突っ込むなんて、あの男みたいなこと……。
少女先輩が突然立ち上がった私を呆然とした様子で見上げる。
「私が直接聞けばいいのよ!」
そうだ!
パートナーなんだから、少しくらい相談してくれたり頼ってくれてもいいはずだ。
私は鼻息荒く決意すると、栗水羊羹に竹串を突き立てた。