#0001 [学園](1)
同作品の改稿版です
同じところまで投稿したら前作を消す予定です
学園七不思議――そんなことを考えた。
ゴールデンウィーク明けのことだ。
入学してからまだ一ヶ月も経っていない私とすれば、まだ学園七不思議の一つも知らない、浅学の身の上であって、そんな私が学園七不思議に容喙する不遜を行うわけにはいかないのであるが、この学園キャンバスが忍者屋敷のようなギミックに富んだ場所でないとするならば、その光景はまさに学園七不思議に値するに相応しいと思えた。
それは、早くも新入生達の「嫌いな教師No,1」に認定された世界史教師に因縁をつけられ、学園寮のルームメイトである美帆と共に、授業で使用したプロジェクターを第二美術準備室へ運び終えた帰り道のことだった。
始めは世界史教師に対して愚痴を言っていた美帆も、すぐに語録が尽いて話題を転換した。
確かに三白眼なところは怖いし、冷淡に非難を浴びせてくる様は恐ろしい。けれど根は優しいはずだと、訳もなく考えていた私は心なし安堵した。
それから美帆は、今日の放課後に約束している駅前センター街での食べ歩きに思いを馳せて、何処の新作が美味しかっただとか、何処の商品がオススメだとか、のべつまくなしに口を動かし、私は終始それに圧倒されるばかりだった。
私も一般の女子程度には甘いものが好きだし、得た栄養の半分以上が胸に利用されているような美帆とは違い、体に脂肪がつきにくい体質である。それについて既に半ば諦めはついているが、それとこれとは別問題なのだ。
両親の猛反対を受けながらもこの学園への進学を希望し、中学の教師陣からのランクを落とせコールにもめげず、猛勉強の末に臨んだ受験戦争に勝利した経緯を持つからして、親からの過度の支援を期待できぬ身。最低限の仕送りを受け取っている以上、支援の上乗せを頼んでしまえば「ほらみたことか」と返ってくるのは目に見えている。本来なら自分の趣味趣向のためにアルバイトでもするべきなのだろうが、あいにく今現在は帰宅部の身に甘んじている。
要するに、私は金欠なのだ。
いくら美味しいものが目の前にあっても無い袖は振れない。
そんな訳で、大はしゃぎの美帆と対照的に、私は心ここに在らずの心境で、あまり来ることのない実習棟を観察しながら歩いていたのだ。
そして、それを見た。
実習棟はその名の通り、多くの実習室と実習準備室が交互に配されている棟だ。もちろんそれ以外にも教室はあるが、少なくとも今いる一階にはそれ以外ないはず、だった。
だが事実、それらに挟まれた通路を見つけてしまったのだ。
広さはそれほどでもなく、奥に黒い扉が付随していた。艶のない漆黒は鈍く、重そうで、一人二人が体当たりしてもびくともしそうにないほど重厚な迫力を持っている。
それだけなら見かけても素通りしていただろう。
私は無意識のうちに足を止め、同時に左手で隣を歩く美帆の裾を掴んだ。
「ねえ美帆、こんなとこにこんな通路、あったっけ?」
急停止させられた美帆は若干の不満を滲ませながらも、私が指差した方向を見た。そして、怪訝そうに眉目を寄せ「いや……ちょっと記憶に無い」と言った。
教室の入り口に必ず添えられているプレートも扉には存在しないし、一見して何の部屋になっているか想像がつかない。それよりも不思議だったのは、先ほど通ったときには気づかなかったということだ。
それ故にふと、学園七不思議などという言葉が浮かんだのである。
「ねぇ、これ……」
「うん、これって」
怪しい。
怪奇現象というのは夜限定でしか発生しないものだと思っていた。
顔を見合せ、頷きあって近くに寄ってみる。
それとなく周囲を警戒するのも忘れない。
おずおずと扉に触れてみると、鋼鉄のような冷ややかさは感じるものの、皮膚のような柔らかな感触を指に伝えてくる。真下には鎖とゴツイ南京錠が転がっていて、誰かが開けっ放しにしていることがモロバレだ。
――怪しい。
かなり怪しいけど――かなり知的好奇心を刺激される。
「ねぇ、美帆――」
「だめ」
「まだ何にも言ってないし……」
大げさに項垂れて見せると「まぁ加奈だし。なんとなくわかる」とツッコミが返ってくる。
「だってこんな怪しいとこ滅多にないよ? アドベンチャーだよ? 山があれば登るのが男でしょ!?」
「山じゃないし、男でもないよ。第一、南京錠付とか、明らかに立ち入り禁止の場所じゃん。もしバレたら、最悪退学になるかもだよ?」
美帆から放たれた退学の二文字は、私に多大なダメージを与えた。
ヒットポイントが百ポイント減少する。
しかし、私は私を裏切れない。好奇心には敵わなかった。
「ちょ、ちょっと見るだけ! この扉をちょこっと開けてみるだけでいいのよ! ね、いいでしょ?」
「……でも」
好奇心の堤防から開放されている私は、美帆の気持ちが揺れているのを察知して、無敵の気分で美帆を説得にかかった。
「大体、開いてるのがいけないんじゃん。私たちのせいじゃないし、ちょっと覗くくらいで退学なんてオーバーすぎだよ。美帆も気になるでしょ?」
「気には、なるけど……」
「ならちょっと見るだけ見てみようよ。それから考えよ」
美帆はまだ少し悩んでいる様子だったが、それでも恐る恐る扉を見て、こちらを見て「ちょっとだけね?」と言った。
私は施錠されてないノブを捻り、扉を押し開いていく。
暗闇を、光が切り裂いた。追い立てられ、散り散りになって逃げていく闇の先が、少しずつ暴かれていく。
ホラー映画を見ているときのような興奮と緊張感。高揚感が、扉を開く手を後押しする。
扉の先にあったのは小部屋だった。山積みされた木箱とそれに囲まれるようにして地下へと続く階段が伸びている。部屋には電灯がなく、階段がなければただの物置だったろう。しかしその階段が違和感の元だった。私は好奇心に釣られるまま、奥に足を踏み入れる。
階段の奥を覗き込んで見るが、入り口から差し込んだ真昼の陽光をもってしても、階段の先が照らし出されることはなかった。
かなり、深そうだ。
私は迷わず階段を降り始めた。
「ちょ、ちょっと!」
僅かに逡巡し、美帆が後をついてきた。
「ねぇ、加奈。これマズいよ。帰ろう」
美帆は窘めるようにそう言った。
私はそんなことをお構いなしにどんどん下へ降りていった。溌剌とした声で「平気平気」と口ずさみながら。
パコ、パコというサンダルシューズの立てる音だけが、狭い通路に乱反射して吹き抜けていく。しばらく降りると、ついには入り口の光が届かなくなってしまい、携帯のフラッシュ機能で足元を照らさなければならなくなった。
降りるにつれて、次第にひんやりとした空気に変わっていくのがわかる。
この先に何があるか、という話が出来たのは最初のうちだけだった。
終点が見えない。
次第に時間の感覚がなくなってくる。
十分ほど降りたところで、このまま階段が永遠に続くのではないかと、益体もない想像が頭をよぎり始めた。
気づけば、無意識のうちにお互いの手を握り合っていた。好奇心の裏に潜んだ恐怖心がそうさせたのだと思い至ったが、心細さを温もりが遠ざけてくれる。
時間にして十分か、十五分か、それより多くの時間階段を下ると、とうとうその終わりが現れた。
「おー……やっとついた……」
「長かったぁ……」
着いた先は小部屋だった。
小部屋の両端には、何が入っているかわからない木箱が山のように積み上げられ、古びた樽に瓶、ランプなどが雑多に置かれている。
確保されている足場らしきものを辿ると、先ほどの扉と瓜二つの扉が壁にくっついているのが確認できた。
思わず嘆息し、
「もう階段は勘弁……」
「……同感」
手を煽ぐようにひらひらと泳がせた。
しかし、そのまま帰ることはしなかった。
もし同じように扉を開けてまた降り階段が続いているなら、そのときこそ帰ればいい。
そのような気持ちで、私は些か無用心なほどの素早さで扉に手を掛ける。
そうして、その鍵のついていない黒い扉を押し開くと、雰囲気が一変した。
先程までは壁も床もコンクリートで、白く清潔な塗装もされていたし、所謂学校の一部だった。だからこそ現実味があった。
しかし、扉を境にして、向こう側は学校ではなかった。
剥き出しの土が押し固められた通路を、木製の枠組みで支えている。
柱同士に渡されたケーブルにはランタンのようなものが吊るされている。そのいくつかは火が入っており、遥か先まで広々と続く通路を浮き彫りにさせ、先に入っていたであろう人間の存在を感じさせた。
原爆資料館で見た防空壕とよく似ている。
顔を見合せ、どうする? とアイコンタクトを送ってみるが、美帆に通じる気配はない。
不思議そうに小首をかしげ、見つめ返してくるだけだった。
ため息を鼻息に変えて、目線を逸らすと通路を眺め見た。
通路は数人が横並びに歩けるほどに広い。その奥がどうなっているのかはわからないが、幸いランタンに明かりが灯っているため光源の心配はいらなそうだ。
仄暗い防空壕の奥から、風の抜けてくる薄気味悪い音が聞こえてくる。
洞穴などとは違う、人工的な作りのおかげで恐怖感は薄いものの、吹いてくる冷涼な風のせいで心の奥底まで冷えきってしまいそうだ。
ランタンの明かりがゆらゆらと揺れ、まるで防空壕自体が蠕動しているかのような錯覚を齎している。
私は繋いだままの美帆の右手を引いて、息を殺し、ひっそりと足を踏み入れた。