第六話 歩み寄りたい気持ちはある
数時間後。
驚くべきことに、フィーのくれたヘアオイルはあっという間に効き目が現れたのです。
ドレッサーの三面鏡の中で、私の腰まである白い髪はふわっふわになり、さりとて野放図にはならずまとまっていました。
「すごい……一滴伸ばして髪に付けただけなのに!?」
これは大発見です。
フィーの髪の美しさはこうやって保たれていると実感できた私は、これをぜひ誰かに伝えたい気持ちに駆られました。
しかし、今の私はラポール伯爵夫人。となると、最初に綺麗にまとまった髪を見せるべき相手は伯爵でしょう。
私は本のことはすっかり忘れ、髪を緩くまとめ上げてから、ラポール伯爵を探しにいきます。
屋敷は一階のみとはいえ、廊下だけでもそれなりに長く、あちこちに部屋があります。一人一室ではなく、当主であるラポール伯爵には寝室をはじめ応接間、書斎、読書室、そのほか趣味の部屋など複数設けられているので、そのときどこにいるのかは誰かに聞かないと分かりようがありません。
しかし、こんなときに限って執事の誰かと遭遇しないものです。メイドや使用人はさすがにラポール伯爵の現在地までは把握していないので、聞いても首を横に振るだけでした。
あちらこちら、ふらふら、扉の閉まっている部屋を探し、私はさまよいます。
概ね、誰も使用していない部屋の扉は開かれており、使用中は閉じられているものです。なので、私は扉を求めてうろちょろと、しかしベルナール氏あたりと鉢合わせると気まずいので慎重に進んでいきます。
だというのに、扉が閉まり切らず、隙間のある部屋があったのです。
いるのかいないのか、私は忍び足で扉の前を通り過ぎつつ、様子を窺います。
傍から見て怪しくないよう心がけていたのに、私は聞き覚えのあるハスキーな声を耳にしてしまいました。
あの声は、間違いなくフィーです。
(あら、中からフィーの声が)
隙間は狭く、中は覗けません。なので、私は自然と扉の横に立ち、聞こえてくる会話に耳を傾けていました。
「そういうことか。それならいい、アルビナと仲良くしてやってくれ」
どうやら、フィーの会話相手はラポール伯爵のようです。私もちょうど探していたので、ここで中に入ってもいいのですが——。
「承知いたしました。差し出がましいかとは存じますが、奥様の同世代の友人としても新しい侍女を雇ってはどうでしょう?」
「探してはいたが、適任の人材がいない。大抵、良家の子女はすでに富豪へあてがわれているし、どこでも夫人は夫の影響を受けてあの子へよからぬことを吹き込むことさえ考えられる。今後を考えれば、余計な心配事を残しておきたくなくてな」
「なるほど、難しいですね……」
「息子たちの妻もそうだ。年長の立場を利用して、私の死後あの子に不利な立場を呑むよう迫る可能性も十分にある」
ついさっきまで私が悩んでいたことくらい、ラポール伯爵が今まで考えていないはずもなかった、ということでした。
しかし、ラポール伯爵がその話をフィーと共有する理由は何でしょうか。
将来を見据えて私の味方を残すために? そこまで心配してくださっていたなんて。
何となく、私は子どもっぽい反抗心が消しきれなくて、ラポール伯爵へ素直に感謝する気持ちにはなれませんでした。
(……余計なお節介です、なんて言えたら気が楽なんだけれど)
分かってはいるのです。私は、施される側でしかないのだから、ラポール伯爵には感謝してもし足りないのだと。でも、何か納得できなくて、ささやかながら反抗してしまう。
この正体の分からないもやもやをどうにかしたくても、上手くいきません。
それさえも見透かしているのか、ラポール伯爵はフィーへ、私を託そうとしていました。
「だから、お前にあの子の友人役を任せたい。騎士の役目を果たしつつだ、頼めるか?」
「もちろんです。我が主人の命令とあらば、喜んで」
「助かるよ。この家で過ごす短い期間の思い出が、不幸ばかりでは可哀想だからな。それはそうと——」
「騎士団の運営に関しては——」
私は、扉のそばから離れ、自室への道のりを戻りはじめました。
(これ以上、聞き耳を立てるのもはしたないし、帰ろう。迷惑はかけたくないわ)
こんなにも他人同然の私へ心を砕いてくれている伯爵に、いつまでもつまらない意地を張っていてもいけません。どうにか伯爵に対して素直になれるよう、感謝の気持ちを伝えられるよう、努力してみるしかないでしょう。
しかし、どうやって?
悩みは尽きません。




