第十五話 そこにあるのは
一年後。
今年も冷夏は続き、秋の収穫にどれほど影響があるのか懸念が広がっていました。
しかし、天候不順は他のところにも大きな影響をもたらし、もうじき七十歳を迎えるラポール伯爵はベッドに伏せる日が多くなっていました。
私は仕事をフィーや顧問団に任せ、ラポール伯爵のそばにいることにしました。傍目には白髪の老人と白に近い金髪の婦人、背後から見れば同年代と勘違いされることさえありました。
ベッドで弱々しく咳き込む老伯爵の姿は、誰の目にも末期を予感させ、予想していたはずなのに私は胸が痛みます。
「大丈夫ですか、伯爵」
すっかり肉の削げた背中をさすり、私はラポール伯爵へ声をかけます。
しばらくして咳が治まってもラポール伯爵は喋る元気もないようで、じっと窓の外の景色を眺めていました。大きな美しい湖に、いくつかの小島が浮かび、石橋がそれらを繋ぐ。きっと、老伯爵が幼少のころから見続けてきた原風景です。
景色を眺めるラポール伯爵の目は、過去を懐かしむような、愛おしむような光が宿っていました。変わらぬ景色と変わってしまった己を比べて、老いを深刻に受け止めすぎはしないかと心配していましたが、老伯爵が弱音を吐くことはありません。
落ち着いたラポール伯爵は、ようやく私へ顔を向け、喋りはじめました。
「もう、君が来て二回目の夏か。バカンスに行く元気さえなくなるとはな」
「秋になったらまた考えましょう。計画を立てるだけでも楽しいでしょうから」
「うむ」
ラポール伯爵はまた小さく咳を繰り返します。
それでも話し足りないのか、喋りつづけました。
「君が息子たちまで懐柔してしまうとは思いもよらなかったよ」
「話せば分かっていただけると思っていました」
「しかも、向こうから対価を差し出してくるとね」
「まあ、人聞きが悪い」
私が大袈裟に驚いてみせると、ラポール伯爵はくくっと小さく笑みを浮かべていました。悪戯が上手くいった子どものように、満足げです。
私とラポール伯爵は一年と少し前に初めて出会い、夫婦となりました。
それは『白い結婚』でした。でも、ラポール伯爵は私を嫌ったり疎んでいたわけではなく、私の未来を真剣に考えてくれており——浮かれた愛だの恋だのといったものは、他人に任せただけなのです。
この一年で、私は確かにラポール伯爵と家族になりました。一緒に食事をして、一緒に家のことを話し、行き詰まったことや悩んでいることを相談しました。ときにはささやかなプレゼントもいただき、エメラルドをあしらった髪飾りは私のお気に入りです。
ただ、それでも。
「本音を言うと」
「本音を言うと」
私たちは顔を見合わせます。二人同時に同じことを言ってしまいました。
こほん、とラポール伯爵が咳払いし、こんな可愛らしい後悔を口にしました。
「……一度くらい、デートをしたほうがよかったかね」
「思い出作りにそうしたかったのは山々ですけれど、忙しかったので」
「お互いにな。やれやれ、年を取っても悠長にはいられぬとは」
「中庭の薔薇でも見に行きますか」
「ああ、それでもいい。明日にでもピクニックだ」
ははっ、とラポール伯爵は楽しげです。どちらも、老伯爵にもうそんな体力も気力も残っていないことは知っていても、想像すれば楽しかったのです。
涙ぐんでしまった私は、つい憎まれ口を叩いてしまいました。
「年甲斐もなくはしゃがないでください。フィーに怒られますよ」
うん、とラポール伯爵は小さく頷きます。
まもなく訪れる別れを、悲しむことは避けられません。
けれど、私は最後に一つ、楽しい思い出をいただいたのです。
次が最終話です。




