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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
シャルロット編

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73. 行ってらっしゃいのキス

 

 最近、私の一日は、エルの「行ってらっしゃい」から始まって、「おかえり」で終わる。


 それが、いつの間にか当たり前になっていた。

 前は、そんな“当たり前”が怖かったはずなのに。

 今は、怖いより先に、胸の奥がふわっと温まる。


 朝、支度をする背中を見ていると、自然と手が伸びる。

 鎧の留め具を直すふりをして、胸元に指を滑らせる。


 ほんの一瞬。


 人が見ていないかを確認してから、首筋に軽く触れる。

 皮膚の上で指先だけが呼吸して、温度を確かめるみたいに。


「……なにしてる」


「確認」


「何の」


「今日もちゃんと、私のだなって」


 言い切ると、エルは少しだけ困った顔をする。

 でも、止めない。否定もしない。


「……朝から、よく言う」


 そう言いながら、歩幅を緩めてくれる。

 私が追いつくのを待つみたいに。

 ほんの少し、肩の線が私の方に寄る。

 その“ほんの少し”が、たまらなく嬉しい。


 私が欲しいのは、派手な言葉じゃない。

 ――戻ってくるって、最初から分かっていること。

 その前提が、日常の端々に増えていくこと。


 ♢


 外を歩くとき、自然と距離が近くなる。


 人が多い場所では、触れない。

 触れたい気持ちを隠すんじゃなくて、守るために。

 でも、人の流れが切れた瞬間に、そっと袖を掴む。

 ほんの指先だけ。

 織り目に指が引っかかって、そこにいるって分かるだけでいい。


「シャル」


 呼ばれる。

 名前で。


 その呼び方が、もう“合図”みたいになっている。


「なに?」


「……離れるなよ」


 低い声。

 命令でも、懇願でもない。

 確認。


 ――私に向けた、たった一言の確認。


 私は笑って、頷く。


「離れないよ。

 だって、エルがいる場所が、私の居場所なんだから」


 言葉にしてしまうと、胸が少し熱くなる。

 重いと分かっている言葉。

 でも、今は隠さない。

 隠して取り落とすくらいなら、最初から見せておきたい。


 エルは、一瞬だけこちらを見る。

 何か言いたそうにして、でも言わない。

 代わりに、手袋越しに、私の指を軽く包む。

 包んで、ほどけない程度に力を入れて、そのまま歩く。


 それだけで、全部が満たされる。


 ♢


 最近、嫉妬する回数も増えた。


 自覚している。

 でも、不思議と苦しくはない。

 胸がざわつくのに、呼吸は乱れない。

 涙も出ない。

 ただ、体が先に動いてしまう。


 エルが誰かと話していると、すぐ分かる。

 女の人だと、特に。


 相手の声が、少し高い。

 距離が、少し近い。

 笑い方が、少し柔らかい。


 それだけで、私は動く。


 自然に、隣へ。

 自然に、腕に触れる。

 鎧の硬い部分じゃなく、隙間に指先を滑らせて、“ここにいる”だけを伝える。


「エル、これどうするんだっけ」


 話の内容なんて、どうでもいい。

 彼の視線が私に戻ることが大事。


 そして――戻る。

 必ず、戻る。


 エルは一瞬だけ驚いて、それから頷く。


「……後で一緒に確認しよう」


「うん」


 その一言で、胸のざわつきがすっと引く。

 まるで、部屋の窓を閉めたみたいに静かになる。


 相手の女性が、少しだけ気まずそうに引くのを、私は見逃さない。

 申し訳ないとは思う。

 だって、その人が悪いわけじゃない。

 でも、後悔もしない。


 ――私は選ばれている。

 それを、エルが態度で示してくれるから。


 ♢


 夜になると、昼間の感情が、ゆっくりほどける。


 部屋に戻ると、私は迷わずエルの近くへ行く。

 ソファでも、ベッドでも、距離を詰める。

 距離を詰めて、やっと一日の最後の息が吐ける。


「……今日、ちょっと妬いた」


 正直に言う。

 隠さない。

 隠すと、勝手に膨らんで変な形になるのを知っているから。


 エルは、少しだけ目を伏せてから答える。


「分かってた」


「……分かってたの?」


「ああ」


 短く。


「近づいてきたから」


 その言い方が、責めでも呆れでもないのが分かる。

 “当たり前の観察”みたいに言うから、逆に胸が締まる。


「嫌だった?」


 即座に聞く。

 ここは誤魔化さない。


「……嫌じゃない」

「むしろ、安心した」


 その言葉に、胸がぎゅっとなる。


「安心?」


「選ばれてるって、分かるから」


 それは、私が感じているのと同じ感覚だった。

 奪い合いじゃない。取り合いじゃない。

 ただ、戻ってくる場所が――私の隣にある、という確認。


 ♢


 私は、エルの首元に顔を寄せる。

 そこには、私が残した痕がいくつもある。


 消えかけたもの。

 新しいもの。

 薄い赤が、時間の層みたいに重なっている。


 それを指でなぞりながら、囁く。


「……増えてるね」


「お前が、増やすからだろ」


「うん」


 素直に認める。

 言い訳もしない。


「だって、外でも中でも、

 エルが私のところに戻ってくるって、分かりやすくしたいんだもん」


 少しだけ笑って付け足す。


「安心したいのは、私も同じだから」


 エルは、何も言わない。

 でも、腕を回してくる。

 背中に手のひらが落ちて、そこから熱が広がる。


 拒絶しない。

 制限もしない。

 ――その“何もしない”が、私にはいちばん強い肯定だ。


 ♢


 最近、触れる場所が少しずつ増えている。


 腰。

 背中。

 肩。


 人前では、触れるだけ。キスも、触れるだけ。

 それ以上をしないのは、我慢というより、選択だ。

 “見せつけたい”と“壊したくない”は、同じじゃない。


 でも、その“だけ”が積み重なる。

 一回一回が小さいから、誰も止めない。

 止められないというより、止める理由が見つからない顔をしている。


「行ってらっしゃい」


 朝、そう言って唇を寄せる。

 触れるだけ。

 エルは必ず立ち止まる。

 少しだけ屈んで、受け入れる。

 その短い動作が、周囲の黙認をさらに強くする。


 誰も止めない。

 誰も咎めない。

 ――もう、そういうものだと理解されている。


 その実感が、私をさらに大胆にする。

 大胆になるのに、心が荒れない。

 荒れないまま、熱だけが増えていく。


 ♢


 私は、自分の独占欲が強くなっているのを、ちゃんと分かっている。


 でも、それは不安からじゃない。

 失う恐怖でもない。

 選ばれているからこそ、もっと近づきたくなる。

 “足りない”んじゃない。

 “満ちている”から、もう少し触りたくなる。


 満ちた水が、縁から静かに溢れるみたいに。


 ♢


 最近、周りの反応が少しずつ変わってきているのも分かる。


 露骨じゃない。

 でも、確実に。


 私がエルの隣に立つとき、誰かが一瞬だけ視線を逸らす。

 何も言わずに道を空ける。

 話しかける順番を、変える。

 私たちの間に入らないように、自然に距離を取る。


 それは配慮で、遠慮で、そして――黙認だ。


 最初は、少しだけ緊張した。

 やりすぎじゃないか、とか。

 嫌がられていないか、とか。

 勝手に“関係者面”していないか、とか。


 でも今は、違う。


「……通っていいよ」


 エルの腕に指をかけたまま、私が言うと、周囲が何も言わずに下がる。

 その光景を見たとき、胸の奥で何かがふわっと緩んだ。


 ――あ、受け入れられてる。


 許可じゃない。

 祝福でもない。

 でも、「見なかったこと」にされる関係。

 言葉にしないで守られる場所。


 それが、想像以上に心地いい。


 ♢


 エルは、周囲の視線に気づいていないわけじゃない。


 分かっているはずだ。

 誰よりも空気に敏感な人だから。

 それでも、何も言わない。

 私の手を振り払わない。

 距離を取らない。


 むしろ、私が触れた場所を無意識みたいに庇う。


 私の指が腰に触れたら、そのまま位置を変えない。

 肩に触れたら、少しだけ身体を寄せてくる。

 人が近づいたら、私を内側に入れるように立ち位置を変える。


「……わざと?」


 からかうように聞くと、エルは一瞬だけ視線を逸らす。


「……無意識だ」


 それが嘘じゃないのも、分かる。

 だから私は、嬉しくなる。

 嬉しくて、心が軽くなる。

 軽くなるのに、手は離れない。

 離す理由がないから。


 ♢


 時々、意地悪く確かめたくなる。


「ねえ」

「もし私が、これ以上触ったらどうする?」


 そう聞くと、エルは少しだけ眉を寄せて考える。


「……困る」


「嫌?」


「嫌じゃない…困るだけだ」


 その違いが、私を調子に乗らせる。

 “嫌じゃない”は、許しだ。

 “困る”は、責任だ。

 つまり――私のしていることが、エルの中で“現実”になっている。


「困るなら、止めればいいのに」


 そう言うと、エルは諦めたみたいに息を吐く。


「……止めないって、分かってるだろ」


 その言葉に、私は思わず笑ってしまう。

 だって、それはもう――受け入れている、ということだから。


 ♢


 最近、エルが私に触れる回数も、ほんの少しだけ増えた。


 分かりやすい変化じゃない。

 誰が見ても分かるほどでもない。

 でも、私には分かる。


 歩きながら、背中に手を添える位置が近くなったり。

 人とすれ違うとき、私を内側に庇うように立ち位置を変えたり。

 会話の途中で、無意識みたいに視線を私に戻したり。


 全部、小さなこと。

 でも、小さいからこそ――嘘じゃない。


「……ねえ」


 人の少ない廊下で私が声をかけると、エルは立ち止まってこちらを見る。


「なに」


「今の、わざと?」


「……何が」


「庇ったでしょ」


 一瞬だけ、エルは言葉に詰まる。

 それから視線を逸らして答える。


「……癖だ」


「ふーん」


 私はわざと、にやっと笑う。


「じゃあ、直さなくていいよ。

 私、その癖好きだから」


 エルは何も言わない。

 でも次に歩き出すとき、私との距離をさっきより詰めてくる。

 その無言の返事だけで、胸がいっぱいになる。


 ♢


 最近は、「一緒にいる理由」を説明しなくても済むようになった。


 前は、何かしら理由をつけていた。


 仕事があるから。

 帰り道が同じだから。

 用事があるから。


 今は、違う。


 誰かに「なぜ一緒に?」と聞かれても、答えなくていい。

 だって、聞かれないから。

 私がエルの隣にいることが、もう前提になっている。


 その“前提”が、嬉しくて仕方がない。

 誰かの許しじゃなくて、日常に溶けた事実。

 それがいちばん強い。


 ♢


 たまに、エルが他の女性と話しているのを遠くから見る。


 仕事の話。

 報告。

 世間話。


 頭では分かっている。

 必要な会話だって。


 でも、胸は正直だ。


 少しだけ、ざわつく。

 少しだけ、面白くない。

 嫉妬の熱が生まれて、でも燃え広がる前に、自分で扱える。


 だから私は、近づく。


 触れなくてもいい。割り込まなくてもいい。

 ただ、隣に立つ。


 それだけで、エルは一度、必ず私を見る。


「……どうした」


「んー、なんでもない」


 そう答えながら、エルの袖に軽く指をかける。

 それを見て、相手の女性が一瞬だけ黙る。


 気まずさ。

 理解。

 諦め。


 そのどれが混ざっているのかは分からない。


 でも、エルは何も言わない。


 私の指を外さない。

 距離を取らない。

 それが、答えだ。


 ♢


 夜、部屋に戻ると、私は少しだけ素直になる。


「ねえ」


「ん?」


「昼間、話してた人」


「……ああ」


「綺麗だったね」


 自分でも驚くくらい、平静な声が出た。

 嫉妬をぶつけたいわけじゃない。

 ただ、共有したいだけ。


 エルは一瞬考えてから言う。


「仕事だ」


「うん、知ってる」


 それで終わり――のはずなのに、私はもう一歩踏み込む。


「……妬いたけど」


 正直に言う。


 エルは少しだけ目を伏せて、それから私の頭に手を置く。

 撫でるというより、そこに置くだけ。

 でも、置かれると分かる。

 ここは“戻る場所”なんだって。


「分かってる」


「嫌?」


「嫌じゃない」


 即答に近い。


「むしろ……」

 少し間を置いてから続ける。

「帰ってきたって、実感する」


 その言葉に、胸がじんわり温かくなる。

 私は、同じことを思っていた。

 エルに触れて、エルが受け入れて、初めて“帰ってきた”になる。


 ♢


 最近、私がエルに触れるとき、周りの人の反応が前よりも柔らかい。


 視線はある。

 でも、刺さらない。


 誰も止めない。

 誰も口を出さない。


 最初は緊張していた。


 やりすぎじゃないか、

 嫌がられていないか、

 一線を越えていないか。


 でも、今は違う。


 エルが、私の手を取らないから。

 離さないから。

 それだけで、全部が肯定される。


 私は、自分がどんどん欲張りになっているのを知っている。


 触れたい。

 近くにいたい。

 隣にいるのが当たり前であってほしい。


 でも、それは焦りじゃない。


「戻ってくる」って、もう分かっているから。

 分かっているのに、もっと欲しくなる。

 欲しくなるのは、怖いからじゃない。


 嬉しいからだ。


 もっと。

 もう少し。

 ――その“もう少し”を、明日も積み上げたい。


 ♢


「……シャル」


 ある夜、エルがふと私の名前を呼ぶ。


「なに?」


「……重くないのか」


 一瞬、何のことか分からなかった。

 でもすぐに気づく。


 私の独占。距離。触れ方。

 全部ひっくるめて。


 私は少し考えてから答える。


「重いよ?」


 笑って言う。

 誤魔化さない。

 自分の重さを軽く言い換えたくない。


「でも、それ、嫌?」


 エルは即答しない。少しだけ考えて、答える。


「……ちょうどいい」


 その言葉で、私は確信する。

 ――大丈夫だ。


 ♢


 私は笑う。

 明るく、隠さず。


 だって、これは不安じゃない。

 選ばれているから、欲しくなるだけ。

 戻ってきてくれるから、手を伸ばしたくなるだけ。


 それが、私の“覚悟”。


 ♢


 ……それでも、もう一度だけ確かめたくなる夜がある。

 重さを見せたくなるんじゃない。

 “変わってしまった自分”を、受け取ってもらいたくなる。


「ねえ、エル」


「ん」


「私がもっと欲張りになったら……どうする?」


 さっきより少しだけ真面目な声になってしまう。

 でも、怖がってはいない。

 ただ、確認したいだけ。


 エルは少し考えてから言う。


「……困る」


 私は笑う。


「また“困る”?」


「ああ」


「でも、嫌じゃない?」


「嫌じゃない」


 言い切られて、胸が静かに満たされる。

 それは、許しじゃなくて、選択の共有。

 “ここに戻る”を、二人で選んでいる感じがする。


 ♢


 ――ああ。


 私は、きっとこの先もエルを縛る。

 でもそれは、鎖じゃない。

 檻でもない。


 帰ってくる場所を、明るく照らすこと。

 迷ったときに、思い出してもらうこと。

「ここだよ」って、笑って手を振ること。


 それだけ。


「行ってらっしゃい、エル」


 今日も、触れるだけのキスを落とす。

 人の目がある。でも、怖くない。


 だって、エルは振り返ってくれるから。

 たった一度でも、こちらを見る。

 それだけで、明日が確定する。


 私の独占は、もう隠すものじゃない。


 明るくて。

 重たくて。


 でも、ちゃんと心地いい。


 ――そんな関係に、なってしまっただけ。


 私は、その事実が嬉しくて、仕方がなかった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

今回は「黙認」という曖昧な距離感と、

シャルの明るい独占欲が少しずつ形になっていく過程を描いてみました。

重たいのに、息苦しくない。

そんな関係性の心地よさが伝わっていたら嬉しいです。


もしよければ、感じたことや印象に残った場面など、

感想・評価・レビューをいただけるととても励みになります。

一言でも大丈夫です。


次の話も、また少しずつ距離が変わっていく二人を書いていけたらと思います。

ありがとうございました。


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