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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
シャルロット編

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70. それでも、私は離れない

 

 廊下の静けさは、いつもより冷たく感じた。

 床に落ちた光が、まるで線を引くみたいに真っ直ぐで、踏み越えるたびに「こちら側」と「向こう側」を分けられている気がする。


 私は昔から、こういう“空気”に慣れているはずだった。

 噂。評価。勝手な物語。

 貴族の娘である以上、どれも避けられない。


 それでも、今は違う。

 “私が選んだ噂”だからだ。


「お嬢様」


 声をかけてきた使用人は、年若いのに表情だけは大人びていた。

 きっと私が知らないところで、王都の裏側の話も、騎士団の噂の回り方も、全部拾ってきたのだろう。


「アルヴェイン様ですが……あまり良いお話は伺いません」


 彼女は丁寧に言葉を選んでいる。

 その慎重さが逆に、内容の重さを際立たせる。


 私は振り返って、笑う。

 いつも通りの笑顔を作るのは、得意だ。


「ふーん。例えば?」


「冷酷で残虐、侍女を使い捨てたとも。戦果に関しては素晴らしいかと思いますが、人間的には……」


 そこで、私は首を傾げた。

 否定しようとしたんじゃない。

 “その話の矛盾”が気になっただけだ。


「ねえ。使い捨てたって、誰が言ってるの?」


「……」


「本人? それとも、本人を嫌ってる人?」


 答えられない沈黙が返ってくる。

 私はその沈黙を見て、確信する。


 ――やっぱり、誰かが作った話。


 噂って、便利だ。

 “事実の形”をしていれば、誰でも投げられる。

 一度投げられたものは、拾い直す人がいない。


 でも、私は拾う。

 拾って、握り潰す。


「貴方に、エルの何がわかるの?」


 声は静かなまま。

 それでも、刃は入る。


 使用人が息を詰まらせる。


「し、失礼しました……」


「失礼って言葉で済ませないで」


 私は言う。

 優しく言うつもりだったのに、思ったより真っ直ぐになった。


「私は、彼を“噂”で知ってるわけじゃない

 目で見てる。声で聞いてる。触れてる」


 最後の一言は、少しだけ喉の奥に引っかかって、私はわざと軽く笑った。


「――そういう意味じゃなくてね」


 誤魔化しながらも、私は続ける。


「好き好んで冷たくなってない。彼は弱い人なの、とっても」


 弱い。

 その単語は、貴族の世界では“欠点”として扱われる。

 だからこそ私は、わざと堂々と口にする。


「弱さを見せないために冷酷になる」

「弱いから残虐になる」

「弱いから、他人の甘さに縋ってしまう」


 言い切ったあと、自分の胸の奥が少しだけ痛む。

 ――縋る、という言葉に覚えがあるから。


 彼は縋ったのかもしれない。

 昨夜の私に。

 今日の私に。

 私の言葉に。

 私の“離れない”に。


 でも、それを“悪いこと”にしたくなかった。


 使用人は、恐る恐る口を開く。


「ですが……心配なのです。弱い方であるなら、なおさら、お嬢様の優しさに縋って――」


「縋っていいよ」


 私は即答した。


「縋って、いい」


 相手が戸惑うのが分かる。

 貴族の娘が言う言葉じゃないから。


「だって、人が人に縋るのは、卑怯じゃない

 卑怯なのは、縋ったあとに捨てること」


 私は一歩近づく。

 使用人が無意識に後ずさりそうになって、踏みとどまる。


「……使い捨てられるのでは、と」


 その言葉は、私の胸の奥を正確に刺した。

 刺したのに、私は笑える。


 ――想像したことがあるからだ。


 エルが壊れる未来。

 私が原因になる未来。

 彼が私を必要としなくなる瞬間。

 彼が“正しさ”を持ち出して、私を遠ざける瞬間。


 全部、夜に一人で見た。

 勝手に見た。

 勝手に苦しくなった。


 それでも私は、朝になったら同じ結論を出す。


「エルはそんなことしない」


 言い切る。


「それに、私がさせない」


 使用人が目を見開く。

 その表情は「強い」じゃなくて、「危ない」を見た顔だ。


 でも私は危なくていい。

 危なくない愛なんて、エルに届かない。


「彼のこと、もう離さないって決めてるから」


 言いながら、私の口角は上がる。

 逃げ場のない笑顔。


「どれだけ逃げても、地の果てまで追って捕まえる。

 それで、分からせるの」


 使用人が震えた声で言う。


「……分からせる、とは」


 私は少しだけ目を細める。


「私がどれだけ好きで、心配してて、大切に思ってるか。

 それを、言葉だけじゃなくて、“生活”で分からせる」


 一拍。


「毎日、帰る場所になる」

「何も言わなくても、顔色で拾う」

「逃げそうになったら、笑って潰す」


 そして、最後は小さく付け足した。


「――優しく、ね」


 使用人は、何も言えなくなっていた。

 私はその沈黙に、勝ったと思わない。


 ただ、“噂”の外側に、エルを置けた気がした。

 私の手で。

 私の覚悟で。


 ♢


 午後のサロンは、香りが甘すぎた。

 花の匂いと紅茶と砂糖菓子。

 その全部が「ここは安全」と言っているのに、私の胸だけが落ち着かない。


 友人たちは、最初は“軽い興味”で笑っていた。


「ねぇシャルロット、聞いたわよ? 新しい分隊長といい感じらしいじゃない」


「羨ましい?」


 そう返すと、二人は顔を見合わせて、同じ表情になる。


「いや、私はちょっと……良くない噂が多いし」

「かっこいいとは思うけど、裏で何してるかわかんないもんね」


 私はカップを置く。

 音を立てないように置いたのに、やけに響いた気がした。


「エルは酷いことなんてしない」


 まっすぐ言う。

 こういう場で“断言”するのは勇気がいる。

 でも私は、勇気を使う。


「人を使い捨てたりしない。

 誰かを傷つけて平気な人じゃない」


 友人が困った顔をする。


「でも、シャル。噂って――」


「噂が全部嘘だとは言わない」


 私は被せる。

 噂の中には、欠片くらい真実が混ざる。

 だから厄介だ。


「でもね。噂の真実って、“その人の全部”じゃない。

 エルの残酷さが本当だとしても、それは“必要だった残酷さ”かもしれない。

 そして、必要だった残酷さは、彼の弱さから来てる」


 友人が黙る。

 私は言葉を止めない。


「彼はね、優しいの。

 優しいから、壊れそうになる。

 壊れそうだから、冷たくなる。

 冷たくしないと、自分が崩れるから」


 それを言いながら、私は自分の胸の奥を確認する。

 ――私、ちゃんと分かってる。

 分かってるつもりで、近づいてる。


 だからこそ、結論は一つになる。


「だから、私が近くにいる」


 友人が小さく息を呑む。


「近くにいると、余計に壊れるんじゃないの?」


 その問いは、刺さる。

 私が夜に見た未来と同じ形だった。


 私は笑った。

 明るく。

 でも、冷静に。


「壊れるなら、私の目の前で壊れてほしい」


 友人が固まる。


「だって、見えないところで壊れたら、拾えないでしょ」


 その瞬間、友人たちの目が変わった。

 軽い噂話の目から、“本気の女”を見る目に。


「……そっか。ごめんね、シャル」

「私も、言いすぎた」


「分かってくれたらいいの」


 そう言って、空気が少しだけ緩む。


 すると、別の種類の好奇心が顔を出す。

 女同士の、あの感じ。


「で、でね……」

「どこまでいったの?」


「どこまで、って?」


「彼、首元毎日赤いから。やることやってるのは知ってたけど」


 私は一瞬だけ目を伏せて、正直に言う。


「マーキングしてるの」


「……は?」


「他の女に取られたくないから」


 友人が引いた顔をする。


「シャル、あんた……そんなに重たい女だった?」


「うん」


 即答。


「自分でも今まで知らなかったけど」


 言ってから、少し笑う。

 重いのは、自分の中にもともとあった。

 ただ、出番がなかっただけ。


「……初めてって、どんな感じだった?」


 私は迷った。

 でも、ここで誤魔化すのは違う気がした。


「エル、とっても優しくしてくれたよ」


 頬が熱くなる。

 でも、逃げない。


「ちょっと慣れてるのが嫌だった。

 嫌だったけど、怒れなかった。

 だって、彼は“慣れてる”のに、私を雑にしなかったから」


 友人たちが息を呑む。


「いっぱい、安心させてくれた。

 私が怖がる前に、ちゃんと止まってくれた。

 大丈夫?って、何回も聞いてくれた」


 そこまで言うと、友人が顔を赤くする。


「は、はわわ……」


 私は小さく笑って、最後だけ少し意地悪く付け足す。


「今はね、

 私の方が、ハマっちゃいそうなくらい」


 友人たちが、言葉を失う。


「……シャル、あんた……」


「なに?」


「そのうち、彼を食べるタイプだわ」


 私は、笑った。


「うん」


 そして、さらっと言う。


「食べてでも、逃がさないよ」


 冗談みたいに。

 でも冗談じゃなく。


 その一言で、友人たちはようやく理解した顔をした。

 私は“恋”をしてるんじゃない。


 ――“覚悟”をしてる。


 ♢


 夜の部屋は、灯り一つで十分だった。

 明るすぎると、影が薄くなる。

 影が薄いと、エルの“遠さ”が見えにくくなる。


 私はそれが嫌だった。


 待つ、というのは不思議だ。

 昔は待つたびに不安が増えた。

 でも今は違う。


 待つたびに、“私の場所”が強くなる。


 扉が開く音。


「おかえり、エル」


「ん、ただいま」


 いつも通り。

 それだけで、胸の奥がほどける。

 でも、私は油断しない。


 彼が無事に帰ってきたことと、

 彼の中が無事かどうかは、別だ。


「ご飯にする? お風呂にする?」


 一拍、わざと間を置く。


「……後で、いっぱい愛してくれる?」


 エルが溜息をつく。


「……どこで覚えてきたんだよ、そんな台詞」


「ふふ。いいでしょ、こういうの」


 ふざけているようで、本気だ。

 私はこういう言葉でしか、“今ここにいる”を固定できない。


 エルは「……はぁ」と言いながら、私の頭を軽く押す。

 乱暴じゃない。

 でも、逃がさない触れ方。


 それが、嬉しい。


 食事の間、私は極端に踏み込まない。

 聞けば答えてくれる。

 でも答えさせると、彼は“正しさ”の方へ寄っていく。


 だから私は、日常を置く。

 皿の音。湯気。パンの香り。

 彼が戻ってくるための足場を、淡々と作る。


 風呂を済ませたあと、私は先にベッドに入って待った。

 待っているのに、待たされている気がしない。

 彼が戻る場所を、私が作っているだけ。


 エルが近づく気配。

 シーツが沈む。

 その重みが、心臓を落ち着かせる。


 私は迷わず抱きついた。


「……今日も、たくさん愛してね」


 耳元で囁くと、エルの呼吸が一瞬止まる。

 それから、小さく息を吐く。


「……重い」


「うん」


 私は笑って頷く。


「知ってる」


「分かってて言うな」


「分かってるから言うの」


 私はエルの胸に額を押し当てた。

 体温が、じわりと伝わる。

 それだけで、今日一日の噂も視線も、少しだけ遠ざかる。


「ねえ、エル」


「……なに」


「今日、帰り道で“遠い顔”してた」


 エルが黙る。

 否定しない沈黙。


「大丈夫。責めないよ」


 私は先に言う。

 責めない、と言い切ることで、彼の逃げ道を減らす。


「でも、回収はする」


「……回収って言い方がさ」


「好きでしょ」


 即答。


 エルが小さく笑う気配がする。

 それが、私には“勝ち”だった。


「エルはね」


 私は言葉を選ぶ。


「一人で耐えるのが得意。

 でも、耐えるって“生きる”と違う」


 だから私は、耐えさせない。


「今日の分、ここでほどいて」


「……」


「言葉にしなくてもいい。

 私のこと、抱きしめるだけでいい」


 一拍。


「それで十分」


 エルの腕が、少しだけ強くなる。

 逃がさない強さ。

 私はそれを、ちゃんと受け取る。


「ね」


 私は小さく笑う。


「今日も、否定しなかったね」


 その一言で、エルの呼吸が乱れる。

 私は知ってる。

 彼にとってそれは、“正しさ”の裏切りであり、“本音”の告白でもある。


「……仕方ないだろ」


 掠れた声。


「仕方ない、じゃないよ」


 私は優しく訂正する。


「選んだ、だよ」


 言い切ってから、少しだけ声を甘くする。


「私を、隣に置く方を選んだ」


 エルが何か言いかける。

 でも、その言葉を私は唇で止めない。

 止めるのは簡単だ。

 私は、止めない。


 代わりに、額を擦りつけて、囁く。


「ねえ、エル

 今日もちゃんと“分隊長”じゃなくて、“エル”に戻って」


「……戻れるのか」


「戻す」


 即答。


「私がここにいる限り、戻す。

 戻れない日があっても、戻れるまで待つ」


 一拍。


「でも、逃げたら追う」


 明るい声で言う。

 怖いことを、明るく言うのが私のやり方だ。


 エルが溜息をつく。


「……本当に、厄介だ」


「うん」


 私は笑う。


「厄介じゃないと、エルは戻ってこないから」


 その言葉で、彼の腕がまた少し強くなる。

 私は胸の奥で、小さく息を吐いた。


 ――ほら。

 今日も、逃げ道が減った。


 でもその代わり、孤独も減った。


「……今日も、たくさん愛してね」


 もう一度囁く。

 “行為”の詳細は要らない。

 私が欲しいのは、形じゃなくて、彼がここにいる証拠。


 エルは何も言わずに、私の髪を撫でた。


 それだけで、十分だった。


「ね、エル」


「……なに」


「私、重いでしょ」


「……ああ」


「でも、逃げない?」


「……今のところは」


 私は笑う。

 勝ち誇る笑いじゃない。

 安心の笑い。


「じゃあ、合格」


「何のだよ」


「私の隣に立つ資格」


 そう言って、私は彼の胸に頬を寄せた。


 ——分かってる。


 私が重たいことも。

 逃げ場を減らしてることも。


 でも、それでも。


 それでも私は離れない。


 エルが壊れる未来も、

 私が原因になる未来も、

 全部見た上で。


「それでも、私は離れない」


 それが、私の覚悟。

 重さの正体。

 そして、愛し方。


「……おやすみ、エル」


 返事はない。

 でも、腕が答える。


 私はその腕の中で、今日も“ここ”を確かめた。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


今回はシャル単独視点で、

「重さの自覚=覚悟」をテーマに描きました。

甘さも執着も、全部わかった上で“離れない”と決める話です。


次はエル視点に戻り、

この重さをどう受け取っていくのかを描いていきます。


感想・評価・レビュー、とても励みになります。

一言でも構いませんので、感じたことを残してもらえたら嬉しいです。


引き続き、よろしくお願いします。

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