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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
シャルロット編

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66. 隣に立つ、という選択

 

 次の日からシャルは、僕の隣に立つようになった。


 戦場で。

 執務室で。

 宿へ戻る道で。

 部屋へ帰るまで。


 ずっと。


 最初は偶然だと思った。

 同じ任務を引き受け、同じ資料に目を通し、同じ時間帯に出入りする。

 騎士団ならよくある流れだ、と。


 けれど偶然にしては、彼女は迷わなかった。

 僕が歩けば半歩遅れてついてきて、止まれば止まる。

 言葉が必要なときだけ言葉を出して、それ以外は、ただそこにいる。


「私が、これから君に覚えさせる」

 あの夜に放たれた言葉が、まだ耳の奥に残っている。

 生きる理由も。

 心配されることも。全部。


 ——覚えさせる、という言い方が苦手だった。

 教育でも矯正でもない。

 僕は彼女の部下ではないし、彼女は僕の上官でもない。

 同格の距離で言われたからこそ、逃げ道がなかった。


 僕はそのまま戦場に立つ。


 立てるから。

 立つしかないから。

 立ってしまうから。


 ♢


 戦闘はいつも、短い。


 始まる前に終わる——そう言われるのは、僕にとって誉れでも侮辱でもない。

 ただの事実だ。


 最短で終わらせる。

 最短で潰す。

 最短で帰る。


 その最短の中に、自分の感情を入れる余白はない。


 余白があれば、思い出してしまう。

 思い出せば、足が止まる。


 だから僕は余白を嫌った。


 でも、余白は勝手に生まれる。

 シャルが隣に立つだけで。


 剣を鞘に納める瞬間、視界の端に彼女の指先が映る。

 血がついていないかを確認する仕草。

 僕に触れない距離で、触れる代わりに見ている距離。


「怪我、ない?」


「ない」


「……本当に?」


「ない」


 それ以上は聞かない。

 聞けば、僕が答えなくてはいけなくなる。

 答えれば、彼女は安心してしまう。

 安心は、次の不安を生む。

 不安が育つと、彼女はもっと僕の近くへ来る。


 近いことが、怖かった。

 怖いのに、拒めなかった。


 ♢


 執務室でも同じだった。


 書類の山。

 配置図。

 討伐報告。

 補給の申請。


 紙の上にあるのは数字と線だけで、人の気配は薄い。

 それが本来の仕事だと思っていた。


 シャルは僕の机の端に、いつの間にか自分の椅子を引いている。

 勝手に座るわけじゃない。

 誰かが「ここでいいか」と言う前に、そこに立っている。

 立っていると、誰も追い払えない。

 追い払う理由がないから。


「この申請、先に回しておく。あとで揉めるから」


「好きにしろ」


「好きにするね」


 軽い返事。

 軽い声。

 でも軽いだけで済ませないところが彼女だ。

 紙の端が折れていないかを確かめるように、僕の疲労を確かめている。


 僕はその視線を、見ないふりをした。

 見てしまうと、何かが動く。


 ♢


 夜になると、動いてしまう。


 討伐の後の夜は特に、静かすぎて危険だった。


 宿の廊下の灯り。

 遠くの巡回の足音。

 隣室の咳払い。


 それらが全部、僕の中の「考える余白」をこじ開ける。


「リィナ……」


 名前が口から漏れた瞬間、自分の喉が冷えた。

 出してはいけないものを出した感覚。


 僕はずっと引きずっている。

 忘れることもできない。忘れたふりもできない。


 最期の「愛してる」が、胸に刺さったままだ。

 抜けない棘。


 抜こうとすれば肉が裂けると分かっている棘。


 怒りで戦場に立った。

 最初は、彼女の眠りを邪魔されたくないという、幼い怒り。

 奪ったものを返せないのに、奪った相手に返せと叫ぶ怒り。


 でも怒りは長持ちしない。

 燃え尽きたあとに残るのは、空洞だった。


 思い出さないようにすればするほど、鮮明になる。

 考えないようにすればするほど、輪郭が濃くなる。


 笑顔。

 声。

 最後の呼吸。

 最後の言葉。


 そのたびに、僕は自分の中で何かを削ってきた。


 痛みを感じる部分を。

 震える部分を。

 ためらう部分を。


 削って削って、最後に残ったのが「最短」だけだった。


 ♢


 ——そして、メイリスのこと。


 僕は一度、間違えた。

 救われたいと思ったわけじゃない。

 赦されたいと思ったわけでもない。

 ただ、黙って隣にいてくれる人間が欲しかった。

 言葉を求めず、理由を問わず、僕を「兵器」ではなく「人」として扱ってくれる人間が。


 メイリスは、それをしてくれた。

 彼女は賢かった。

 僕が何を求めているのか、きっと最初から分かっていた。


 それでも都合のいい役を続けてくれた。

 僕が壊れないように。

 僕が戦えるように。


 その優しさに甘えた。

 利用した。


 許されることじゃない。

 僕は分かっている。

 分かっているのに、やめられなかった。


 その結果がこれだ。

 僕はまた間違えた。

 間違い続けている。


「僕は、シャルの気持ちには応える資格がないな……」


 声に出したつもりはなかった。

 でも、声になっていた。


 ♢


 僕はひとり、戦場の外れに腰を下ろしていた。

 討伐の残り香が漂う場所。土がまだ乾ききっていない場所。

 空は曇っていて、それでも雲の裂け目から細い光が落ちてくる。


 光は救いのように見える。

 でも救いじゃない。

 ただの現象だ。


 僕はその光を見上げながら、思った。

 前世から間違え続け、今の人生でも間違いを重ね。

 どうしようもない人間だ。


 これだったら——。


「転生なんて……しなきゃよかった……」


 生まれてすぐに命を絶つべきだった。

 役割をこなす前に死ぬべきだった。

 リィナを愛してしまう前に——。


 そこで、考えが止まった。

 止まったのは、僕が強いからじゃない。

 止まったのは、声が割り込んだからだ。


「エル」


 ♢


 振り向く前に、温度が来た。


 背中に回る腕。

 固くない。

 力任せじゃない。

 でも離れないと決めた腕の強さがある。


 シャルロットが僕を抱きしめていた。


「どうして、泣いてるの?」


 泣いて——?


 頬に触れると、冷たい筋があった。

 いつから流れていたのか分からない。

 止まらない。

 喉が詰まって息が苦しいのに、涙だけは勝手に出る。


 僕は声が出なかった。

 出したら壊れる気がした。

 いや、もう壊れているのかもしれない。


「何か、つらいことがあった?」


「……」


「苦しいことがあった?」


「……」


「エルは、今どうしたい?」


 彼女は問い詰めない。

 答えを強要しない。

 ただ、選ばせる。


 その優しさが、逃げ道を塞ぐ。


 僕は息を吸って、吐いて。

 それでも言葉が出ない。


 出ないまま、胸の底の一番黒いところが、勝手に口を開いた。


「……死にたい」


 ♢


 言った瞬間、世界が少し遠のいた。


 転生してからずっと言えなかった言葉。

 言ってはいけないと思っていた言葉。


 言えば誰かが困る。

 誰かが責任を負う。

 誰かが僕を止めなければならなくなる。


 でも、もう止められなかった。


「もう……死にたい。生きてるのも、これからも生き続けるのも。全部投げ出して、消えてしまいたい」


 声が震えた。

 震えた声を、自分の耳で聞いてしまった。


 情けない。

 惨めだ。

 弱い。


 だけど弱いことを隠す力も残っていなかった。


 シャルの抱きしめる力が少しだけ強くなる。

 骨が軋むほどじゃない。

 逃げられないと分かる強さ。


「私はここにいるから、大丈夫。他には誰もいないよ。だから……」


 彼女の声は優しい。

 優しいのに、怖かった。


「他には誰もいない」

 それは本当だ。

 僕は自分で自分を孤独にした。

 孤独の中で生き延びて、孤独の中で壊れてきた。


 その孤独に、彼女が入ってくる。

 入ってきて、扉を閉めるような言い方をする。


 ——それが、彼女の「重さ」だ。


 ♢


 その重さは、物理的なものじゃない。

 鎧の重さでも、責任の重さでもない。


 一緒にいるだけで、呼吸の仕方を変えてしまう重さだ。


 僕は、シャルが隣に立つたびに、無意識に背筋を伸ばしてしまう。

 戦場では最短を選び続けてきたのに、彼女がいると、ほんの一瞬だけ「選ばない」という選択肢が頭をよぎる。


 それが、怖かった。


 ♢


 彼女は、何も要求しない。

 命令もしない。

 代わりに、いつも「見ている」。


 それが一番、逃げ場を奪う。


 怪我をしていないか。

 疲れていないか。

 無理をしていないか。


 聞けば答えなくてはならない質問を、彼女は聞かない。

 その代わり、答えが要らない距離に立つ。


 僕はそれを、優しさだと分かっている。

 分かっているからこそ、拒めない。


 ♢


 ——拒めない、というのは。

 許している、ということだ。


 僕はずっと、誰かを拒むことで自分を守ってきた。

 距離を取り、感情を削り、最短だけを残して。


 なのにシャルは、拒ませてくれない。

 拒ませない代わりに、侵入もしない。


 それは戦いよりも、ずっと難しい。


 ♢


 夜になると、彼女は少しだけ近くなる。


 近くなる、と言っても、触れない。

 同じ部屋に入ってくるわけでもない。


 ただ、廊下の角で立ち止まる時間が、ほんの少し長くなる。

 扉の前で、言葉を探す時間が、ほんの少し伸びる。


「おやすみ」


 それだけを言って去る。


 その背中を見送るたび、胸の奥がざわつく。

 ——行くな、と言えばいいのか。

 ——引き止める資格が、僕にあるのか。


 考える前に、扉が閉まる。


 ♢


 静けさが戻ると、思い出が戻ってくる。


 リィナの声。

 リィナの温度。

 最期の「愛してる」。


 忘れようとするほど、鮮明になる。

 シャルが隣にいるせいで、忘れる努力すらできなくなった。


 忘れないまま、生きろと言われている気がした。


 ♢


 それは、罰みたいだった。


 生きる理由を与える代わりに、

 過去を抱えたまま立たせる。


 シャルは、僕を楽にしない。

 逃がさない。


 でも、突き放さない。


 その中途半端さが、甘くて、苦しい。


 ♢


 ——もし、彼女が「救う」と言っていたら。

 ——もし、「忘れていい」と言っていたら。


 僕はたぶん、ここまで壊れなかった。

 そして、ここまで生きてもいなかった。


 シャルは、そのどちらも選ばなかった。


「覚えさせる」と言った。

 生きる理由も、心配されることも。


 それはつまり、

 生き続ける責任を、僕に返すということだ。


 ♢


 責任を返されるのが、こんなに怖いとは思わなかった。


 武器を持つより怖い。

 魔王と向き合うより怖い。


 誰かの感情を背負ったまま、生きること。


 ♢


 それでも、シャルは立つ。


 戦場で。

 執務室で。

 宿へ戻る道で。

 部屋へ帰るまで。


 ずっと。


 それは監視じゃない。

 束縛でもない。


 ——見捨てない、という意思表示だ。


 ♢


 僕は気づいてしまう。


 この人は、僕が折れる瞬間を待っているわけじゃない。

 僕が立ち続ける限り、隣に立ち続けるつもりなんだ。


 それは優しさであり、同時に、狂気に近い覚悟だ。


 ♢


 怖い。

 正直、怖い。


 でも。


 一人で立つより、

 ずっと、ましだった。


 ♢


「ごめん……リィナ……」


 僕の口が勝手に動いた。

 謝りたかったのは誰にだ。

 何を。どこまで。


 リィナに謝る資格が僕にあるのか。

 メイリスに。

 シャルに。

 誰に謝っても足りない。


 シャルの腕の中で、僕は情けなく呼吸を崩した。

 言葉が漏れたあと、彼女の身体がほんの一瞬だけ固くなる気配があった。


 それでも、腕はほどけなかった。


 ♢


 胸が、きゅっと縮んだ。

「リィナ」という名が、耳に刺さった瞬間、心臓が止まるかと思った。


 それでも腕を離せなかった。

 離したら、この人は本当に遠くへ行ってしまう。

 泣いているのに、ここにいるのに、手の中から消える気がした。


 怖い。

 怖いのに、嬉しい。


 ——泣いてくれた。

 私の前で、崩れてくれた。

 私だけが見ている。


 そう思ってしまう自分が、浅ましい。

 でも止められない。


 彼が呼んだ名前が誰でもいい。

 本当は良くない。

 胸が痛い。

 痛いのに、離れたくない。


「ごめんね」


 と言いそうになって、飲み込む。

 謝ったら、この人はもっと沈む。

 沈んだら、今度こそ戻れない。


 だから私は、優しくするしかない。

 優しさで縛るしかない。


 私は最低だ。

 でも最低でもいい。

 この人がここにいるなら。


 ♢


 シャルは何も言わなかった。


 責めない。

 泣かない。

 怒らない。


 それが一番怖い。


 彼女の「重さ」は、怒りよりも刃になる。

 彼女は僕を裁かない。

 裁かない代わりに、僕を抱えてしまう。


 抱えてしまえば、彼女も壊れる。


 それが分かるのに、僕は彼女の腕から抜け出せない。

 抜け出す理由がない。

 抜け出したら、また一人になる。

 一人になったら、また最短だけになる。


 最短だけになった僕は、もう戻れない気がした。


「……シャル」


 呼んだ声が掠れた。

 彼女は返事をしない。

 返事をしないまま、僕の背中を一度だけ撫でた。


 叱るでもなく、慰めるでもなく。

「ここにいる」と示すだけの動作。


 僕の胸の奥で、何かが嫌な音を立てて崩れた。

 涙がまた溢れる。


 ♢


「死にたい」


 口にした言葉が、まだ口の中に残っている。

 吐き出したのに、残っている。

 残っているから、今度は別の言葉が浮かぶ。


 ——生きていたくない。

 ——何も感じたくない。

 ——何も考えたくない。


 それは全部、結局同じだ。

 僕は「感じること」に疲れた。


 感じると、失う。

 感じると、守れない。

 感じると、間違える。


 だから僕は感じることを捨てた。

 捨ててきたはずなのに。


 捨てきれなかった。

 シャルがそこに立つだけで。


 ♢


 僕の呼吸が少し落ち着いたころ、彼女はようやく言った。


「ねえ、エル」


「……」


「私、怖いの」


 その一言で、胸が締まった。

 怖いのは僕の方じゃないのか。

 怖いと言うべきは僕じゃないのか。


 でも彼女は、怖いと言う。

 怖いと言いながら、離れない。


「あなたが、いなくなるのが」


 言葉が優しくて、残酷だった。

「いなくなる」

 それは、死ぬことだけじゃない。

 心が遠くへ行くことも含んでいる。


「私ね、ずるいって言ったよね。私だけが覚えてるのがずるいって」


「……」


「でも今は、私だけが“ここ”を見てるのが怖い」


 ここ——。

 今の僕。

 今の涙。

 今の崩れ方。


「あなたが戻ってきたって思った瞬間に、また遠くへ行く気がして」


 彼女の声が震えた。

 それでも泣かない。

 泣けば僕が壊れると分かっているから。


 その抑え方が、痛いほど分かった。

 僕も同じことをしてきたから。


 ♢


「全部じゃない。

 でも、あなたが“誰かに寄りかかってた”ことくらいは分かる」


 シャルが急にそう言った。


 僕の身体が固まる。

 空気が一段冷える。


「……どこまで」


「全部じゃない。けど、噂ぐらいは届くよ。王都は狭いから」


 彼女は笑わない。

 責める声でもない。


 ただ、確認する声。


「あなたが誰かを利用したって話を、私は鵜呑みにしない。だけど」


 シャルは一度だけ息を吸った。


「あなたが“優しさ”に甘える人だってことは、分かる」


 痛いところを正確に突いてくる。

 母親とリィナ以外で初めて。

 ——まただ。


「……ああ」


 僕は短く答えた。


「最低だ」


「うん。最低」


 肯定された。

 否定されるより苦しい。


 でも彼女は続ける。


「最低でも、生きてる」


「……」


「生きてるなら、間違いも残る。残るなら、やり直しも残る」


 やり直し。

 僕にそんな単語を使う資格があるのか。


「私はあなたを許すって言わない。許すのは私じゃないから」


 その言葉が、救いだった。

 救いと言っていいのか分からないが、少なくとも甘い免罪符じゃない。


「でも、離れない」


 最後の一言が、釘だった。


 ♢


 言ってしまった。

 離れない、って。


 怖い。

 本当は怖い。

 こんな約束、守れる自信なんてない。


 だって私は強くない。

 伯爵家の娘で、騎士団の分隊長で、ちゃんとしているふりはできる。

 でも、感情はいつだって弱い。


 彼が「死にたい」と言った瞬間、世界が真っ暗になった。

 抱きしめている腕が震えたのを、彼に気づかれたくなかった。


 リィナの名前が出たのも痛い。

 痛いのに、怒れない。

 怒ったら、彼の涙が引っ込んでしまう気がした。


 私は最低だ。

 彼の弱さが見えたことに、安心してしまっている。

「私だけが見ている」って、嬉しくなってしまっている。


 でも、嬉しいだけじゃない。

 この人は危ない。

 この人は、優しさに寄りかかってしまう。

 寄りかかって、また誰かを壊してしまう。


 だから私は、優しさだけを渡さない。

 釘も一緒に打つ。

「許さない」って言って、逃げ道を塞ぐ。


 それでも離れない。

 離れないって言ってしまった。


 ——もう戻れない。

 私も。


 ♢


 僕は何も言えなかった。

 言えば彼女を壊す。言わなければ彼女を縛る。


 縛るのは、僕が一番嫌ってきたことなのに。

 嫌ってきたのに、今の僕は彼女の腕を求めている。


 最低だ。


「……シャル」


 名前を呼ぶと、彼女は「うん」とだけ返した。


 その返事が、あまりにも生活の音で。

 戦場の音じゃなくて。

 制度の音じゃなくて。


 僕は泣きながら、思った。


 ——僕はまだ、終わっていない。

 終わっていないから、こうして苦しい。

 苦しいから、生きている。


 その理屈が、胸に刺さる。

 刺さるのに、少しだけあたたかい。


 ♢


 遠くで夜明けの気配がした。

 曇った空の薄い光が、少しずつ広がる。


 シャルはまだ腕をほどかない。

 ほどかないまま、僕の背中をもう一度撫でた。


「大丈夫って言わない」


 彼女が言った。


「大丈夫じゃないの、分かってるから」


「……」


「でも、ここにいる」


 その言い方が、僕の中の何かを決めた。


 僕は、何も言わずに立つ人でいたい。

 シャルの隣で。


 言葉で救わない。

 でも立ち去らない。


 その立ち方を、今は彼女が僕に教えている。


 ——覚えさせる。

 あの言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。


 ♢


 僕は涙を拭わないまま、呼吸を整えた。


「……悪い」


 いつもの短い言葉。

 感情の謝罪じゃない。

 事実への応答。

 でも今日は、それだけじゃ足りないと思った。


「……ありがとう」


 喉が痛んだ。

 言葉が重い。

 それでも言った。


 シャルは少しだけ笑って、少しだけ泣きそうな顔をして、


「うん」


 と返した。


 その返事が、僕の中に残る。


 シャルは何も言わなかった。

 ただ、そこに立っていた。


 その距離が、少しだけ近すぎると感じた。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


この話は、いわゆる「救いの話」ではありません。

誰かが誰かを正しく導いたり、優しい言葉で全部が解決したりする章でもないです。


ただ、

「隣に立つ」という選択が始まっただけの話です。


シャルロットは、エルを救おうとはしていません。

忘れさせようとも、正しくさせようともしていません。

それでも離れない、という一番重たい選択をしています。


一方でエルも、立ち直ったわけではありません。

前に進めたわけでも、過去を乗り越えたわけでもない。

ただ、「一人で最短を選ぶこと」ができなくなっただけです。


それはきっと、

優しさでも、恋でも、救済でもなくて。


生きることを他人に見られてしまった、という感覚に近いのだと思います。


ここから始まるシャル編は、

シャルがただ「落ちていく」話ではありません。

同時に、エルが少しずつ「戻ってきてしまう」話でもあります。


重いです。

甘くて、苦しくて、たぶん正しくない選択ばかりです。


それでも、

それを選んでしまう人間の話を書きたいと思っています。


ここからは、よければ感想をください。


・シャルの重さはどう感じたか

・エルの弱さは受け入れられたか

・「隣に立つ」という関係を、怖いと思ったか、優しいと思ったか


どんな感想でも構いません。

肯定でも、違和感でも、正直なもので大丈夫です。


シャルロット編はここから始まります。

最後まで付き合ってもらえたら、嬉しいです。


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