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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
王都編

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57.待っていた人

 

 城門を抜けたところで、彼女はちょうど僕の進路を塞がない位置に立った。

 人の流れを止めない距離。

 けれど、見失わない距離。


 騎士団の制服はよく整っていて、鎧は着けていないのに、立ち姿だけで“武装”しているように見える。

 金色の髪は光を拾う。

 肩まで落ちる波が、動くたびに細く揺れた。

 瞳は青い。

 空の色ではなく、もっと深い、冷たさを含んだ青だ。


 彼女は僕の前で止まり、迷いなく敬礼した。


 動きに無駄がない。

 角度も、速さも、呼吸の切り替えも。

 王都の騎士団が「見られること」を前提に訓練しているのが分かる、美しい所作だった。


「アルセリア王国騎士団、第三中隊、分隊長。

 シャルロット・ヴァルシュタインと申します」


 名乗りは丁寧で、硬いはずなのに、声の端に柔らかさがあった。

 それが、妙に浮く。

 この場で、丁寧さは礼儀ではなく距離を作るための道具になる。

 彼女は、その道具を逆に“近づくため”に使っているように聞こえた。


「……エルディオ様。おはようございます」


 僕の名を呼ぶ。

 呼び方が、王都の形式と同じで、なのに一歩だけ親しい。


 僕は頷いた。


「おはよう」


 それ以上、何を返せばいいのか分からない。

 分からないままでも、会話は進むことがある。

 屋敷で学んだことだ。


 彼女は敬礼を解き、ほんの少しだけ身を低くする。礼に近い。

 騎士団の人間が、伯爵家の人間が、ここまで“個人”として頭を下げる理由は一つしかない。


 彼女は、その理由を言葉にした。


「……今日、こちらへいらっしゃることを、事前に伺っておりました」


 僕が視線を向けるより先に、彼女は説明を差し出した。

 説明の仕方も、用意されている。


「アルヴェイン辺境伯アイン様より。

 “叙勲予定者が明け方、レオネスへ入城する”と、騎士団へ通達がありました。

 迎えと、最低限の手配を、と」


 迎え。

 その言葉が、僕の中で引っかかって、引っかかったまま滑り落ちる。


 僕は迎えられる側ではない。

 迎えられることが当然になったこともない。


「……そうか」


 たぶん、それが一番“無難”だ。

 彼女は小さく笑った。

 笑みというより、安心したような形だ。


「はい。ですから、ここでお待ちしておりました」


 待つ、という言葉が、彼女の口から出ると、違う意味になる。

 屋敷での“待つ”は、役割だった。

 彼女の“待つ”は、選択に聞こえる。


 彼女は僕の顔を一度だけ確かめるように見た。

 確かめたあとで、表情をさらに柔らかくする。

 距離を縮めるための仕草だ。


「……改めて、お礼を申し上げたくて」


 お礼。

 僕はそれを聞いて、少しだけ思考が止まった。


「以前、戦争の折に――」


 彼女が言い出した瞬間に、理解する。

 理解したのに、思い出せない。


 戦争。

 負傷者。

 治癒。

 死にかけ。


 そういう場面は、数が多すぎる。

 誰が誰で、どこがどこで、何日目だったか。

 僕の中では、全部同じ温度のまま折り重なっている。


 彼女は続ける。


「魔族との交戦で、私は致命傷を負いました。

 鎧の隙間から刃が入り、肺を――」


 そこまで言って、彼女は言葉を切った。

 自分の体に起きたことを、必要以上に具体的に語るべきではないと判断したのだろう。

 それでも、言葉の端が微かに震えた。


「……もう、駄目だと思っていたんです。息ができなくて、音が遠くなって」


 その描写は、感情ではなく事実として語られる。

 なのに、聞いているこちらが、勝手に痛みを連れてくる。


「そのとき、あなたが。

 治癒魔法で――傷だけでなく、痕跡すら残らないように……完全に」


 完全に、という言葉が、彼女の口で少しだけ重くなる。

 命を拾った者だけが持つ重さだ。


「……私は今、こうして立っています。

 それは、あなたが私を“戻した”からです」


 戻した。

 その言い方が、妙に刺さる。

 戻したのに、僕はそれを覚えていない。


 僕は曖昧に頷く。


「……そうだったか」


 嘘ではない。

 肯定も、否定もしていない。

 ただ、そこに流す。


 彼女の瞳が一瞬だけ、揺れた。


 期待が、そこにあったのだと思う。

 “覚えていてほしい”という期待。

 “せめて何か言ってほしい”という期待。


 期待が生まれるのは自然だ。

 命を救われた側は、救った側の言葉を“物語”にしたくなる。

 物語にしなければ、恩は宙に浮く。

 宙に浮いた恩は、行き場がなくなる。


 けれど僕の中には、物語がない。

 あるのは、できたことと、できなかったことの差分だけだ。


 彼女は言葉を詰めた。

 ほんの一拍。

 その一拍が、妙に長い。


 ――地雷の芽。


 そういうものは、爆発する前に空気が変わる。

 彼女はすぐに笑みで包んだ。


「……失礼しました。

 “覚えていらっしゃるはず”などと、勝手に」


 謝罪は丁寧で、なのに責める響きが一切ない。

 責めないことで、彼女は自分を保つ。


「戦場でしたものね。

 あの状況で、ひとつひとつの顔を覚えていられないのは当然です」


 当然。

 当然、という言葉が、救いになるのは、言っている側が受け入れられるときだけだ。

 彼女はそれを知っていて、なお、その言葉を選んだ。


「それでも私は、忘れられませんでした」


 その一文だけが、少しだけ個人的だった。

 個人的であるはずなのに、彼女はすぐに“礼儀”で整え直す準備をしている。

 個人のまま置いておけば、期待が増える。

 期待が増えれば、傷が増える。

 彼女はそれを、たぶん知っている。


 彼女は、その言葉を口にしたあと、ほんのわずかに視線を逸らした。

 逸らした先は、僕ではなく、城門の内側――人の流れが絶えず動いている方向だ。


 そこに答えがあるわけではない。

 ただ、見続けていれば、表情を保てる場所を選んだのだと思う。


「……ですから」


 声を出す前に、喉が一度だけ動く。

 感情を飲み込むための、小さな動作。


「こうして、またお会いできたことだけで、十分なんです」


 十分。

 その言葉は、どこか無理をして整えられている。


 “十分だ”と言い切ることで、

 それ以上を望んでいないように振る舞うための言葉。


 僕はそれを聞いて、返すべき言葉を探す。

 探すが、見つからない。


 感謝を言えばいいのか。

 覚えていないことを詫びればいいのか。

 それとも、何も言わないのが正解なのか。


 どれも違う気がした。


 戦場では、こういう間は存在しない。

 生きているか、死んでいるか。

 助けるか、助けられないか。


 判断は一瞬で、結果は明確だ。


 けれど今は、どちらでもない。

 生きている。

 助けられた。

 その事実だけが、彼女の中に残り続けている。


 僕の中には、残っていない。


 その差が、言葉を難しくする。


「……今は」


 僕はようやく、口を開いた。


「正直に言うと、当時のことは、ほとんど覚えていない」


 空気が、わずかに張る。


 彼女の表情は崩れない。

 崩れないように、訓練されている。


「それが悪いことだとも、思っていない。

 覚えていないからといって、否定するつもりもない」


 否定。

 その言葉に、彼女の指先がほんの少しだけ強張る。


「ただ……」


 続けようとして、止めた。

 “ただ”の先に、何を置くかで、意味が決まってしまうからだ。


 僕は一拍置いて、言い換える。


「君がここに立っていること自体は、事実だ。

 それは、否定しようがない」


 肯定でも、慰めでもない。

 ただの事実。


 彼女はそれを聞いて、少しだけ驚いたような顔をした。

 驚いた、というより――

 想定していなかった返答だったのだろう。


 感謝でも、謝罪でもない。

 けれど、切り捨てでもない。


 彼女は一度だけ、深く息を吸った。


「……ありがとうございます」


 その礼は、さきほどよりもずっと小さい。

 形式ではなく、個人としての礼だ。


「そう言っていただけるだけで……私は」


 言いかけて、止める。

 止めたまま、微笑む。


 微笑みの奥に、まだ言葉が残っている。

 けれど、それを外に出すことは選ばない。


 選ばない、という選択をしたのだ。

 その選択が、彼女を“伯爵家の騎士”として成立させているのだと、僕は遅れて理解する。


「……失礼しました。

 少し、立ち話が長くなってしまいましたね」


 話題を切り替える速度が、早い。

 切り替えが早いのは、傷を広げないためだ。


 彼女は、騎士としての顔に戻る。


「城門前は人の流れが多いです。

 このままですと、互いに動きにくくなります」


 “互いに”という言い方が、自然に含まれている。

 もう、並んで歩く前提で話している。


 僕は否定しない。

 否定しないことで、同意になる場面がある。


 彼女は半歩だけ前に出る。

 出すぎない。

 振り返らなくても、僕が付いてくる距離。


 距離の取り方が、的確だ。


「……こちらです」


 案内の言葉は短い。

 それ以上はいらない。


 僕は歩き出す。

 彼女の横ではなく、斜め後ろでもなく、自然に隣。


 歩幅が、いつの間にか揃っている。


 それに気づいて、少しだけ意識を外す。

 意識すると、崩れてしまうからだ。


 王都の朝は、人で満ちている。

 けれど、この一角だけは、不思議と静かだった。


 彼女は前を見ている。

 僕も前を見る。


 どちらも、過去を振り返らない。

 それでも、同じ方向へ進んでいる。


 恩と忘却は、釣り合わない。

 釣り合わないままでも、歩くことはできる。


 それを、彼女は知っていて。

 僕は、今、知った。


 ♢


 最後の一文だけ、少しだけ個人的だった。

 その個人的な一文を、彼女はすぐに“礼儀”で整える。


「……本日は、叙勲式のために滞在されると伺っています。

 宿はすでに手配済みです。アルヴェイン家の名義で、騎士団側でも確認しております」


 手配。

 確認。

 名義。


 屋敷の言葉に似ている。

 だから、僕は少しだけ楽になる。

 言葉が“処理”の範囲に入ると、感情は不要になる。


「案内役も、必要でしたら」


 必要、という言葉が出た瞬間に、彼女は首を横に振った。

 自分で否定してから、言い直す。


「……いえ。必要かどうかではなく」


 そこだけ、言葉が素の形になる。

 そして彼女は、結論へ飛ぶ。


「私が案内いたします。今日から、叙勲式まで。

 王都は広いです。初めて“見て回る”なら、迷う場所も多い」


 初めて、という言葉に、僕は引っかかる。

 僕が王都に来たことがあるのを、彼女は知っているはずだ。

 けれど彼女は、“見て回る”という限定で、初めてにしている。


 配慮でもあり、言い訳でもある。

 どちらでもいい。

 彼女は、同行の形を作ろうとしている。


 伯爵家の立場で、当然のように。

 拒否される前提で言っていない。

 拒否されない形に最初から整えている。


「……騎士団の者が、勝手に?」


 僕がそう言いかけた瞬間、彼女は先回りした。


 間合いが、戦場のものだ。

 僕が言葉を投げる前に、軌道を読む。


「騎士団としても、問題はありません。

 通達が出ています。“叙勲予定者の補助”は任務の一部です」


 任務。

 その言葉で、正しさが付く。

 正しさが付けば、誰も止めない。


 けれど僕は、もう一つだけ確かめたかった。

 正しさの裏側。

 誰の意思で、ここまで整えられているのか。


「……誰に頼まれた」


 僕が問いを完成させるより先に、彼女は少しだけ微笑む。

 今度の笑みは、礼儀の形ではなく、意志の形だった。


「私が、したいだけです」


 断言。

 言い訳ではない。

 逃げ道も作らない。


 その言葉の強さが、彼女の“優しさ”の形なんだと分かる。

 寄り添うと決めた者の、厚い圧。


 僕は返す言葉を探す。

 探した瞬間に、余計な理由が増えそうになる。


 だから、短く終わらせる。


「……分かった」


 彼女は、そこで初めて少しだけ息を吐いた。

 安心したのだろう。

 期待した反応ではない。けれど拒絶でもない。

 その中間を、彼女は受け取ってしまえる。


「ありがとうございます、エルディオ様」


 名を呼ぶ。

 呼ばれた名が、王都の音に混ざっていく。


 彼女は半歩だけ僕の前に出て、道を作るように歩き出した。

 案内というより、同行の成立。

 人の流れの中で、僕が迷子にならないように、自然に位置を取る。


 僕はその背中を見る。

 金色の髪が揺れる。

 制服の背がまっすぐで、迷いがない。


 恩と忘却の非対称は、ここに形になって立っている。

 彼女は覚えている。

 僕は覚えていない。


 それでも、同じ方向へ歩くことだけはできる。


 王都の朝は、もう完全に始まっている。

 僕の足音も、その中に混ざっていった。


王都編、ここから始まります。

第57話は「再会」の話ですが、感情が噛み合わない再会です。

覚えている側と、覚えていない側。

その非対称が、静かに関係を動かし始めます。


シャルロットは優しく、礼儀正しく、そして少し危うい。

エルは何も取り戻さないまま、前へ進みます。


このズレが、これからの王都でどう積み重なっていくのか。

その始点として読んでもらえたら嬉しいです。


もしよろしければ、感想・評価・レビューをいただけると励みになります。

次話も、よろしくお願いします。

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