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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
メイリス編

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48/88

48.幕間【戻れない】

 

 魔獣は、思っていたよりもあっけなく倒れた。


 山間部に巣食っていた個体。

 体躯は大きかったが、動きは鈍く、こちらの攻撃に反応しきれていなかった。


 剣を振る。

 魔法を重ねる。

 致命の一撃。


 それだけだ。


 血の匂いが、風に流れていく。

 地面に転がる巨体を見下ろしながら、僕は自分の呼吸がほとんど乱れていないことに気づいた。


 ――また、終わった。


 達成感はない。

 高揚もない。


 ただ、作業が一つ終わったという感覚だけが残る。


 魔核を回収し、袋に収める。

 大きさも、純度も、申し分ない。


 これなら高値がつくだろう。

 城壁の補修か、新しい街道の敷設に回されるはずだ。


 そう考えながらも、胸の奥は何も動かない。


 かつては、戦場だけが僕の居場所だった。

 剣を振るっている間だけ、考えなくて済んだ。


 今は――

 戦っても、何も消えてくれない。


 僕は剣を拭い、鞘に収めた。


 帰ろう。


 それだけを思って、馬に跨る。


 ♢


 帰路の途中、不意に思考が逸れた。


 理由は分からない。

 何かを見たわけでも、音を聞いたわけでもない。


 ただ、唐突に。


 ――あの夜のことが、浮かんだ。


 初めて、メイリスを抱いた夜。


 思い出そうとしていたわけではない。

 むしろ、考えないようにしていたはずなのに。


 記憶は、勝手に滲み出てくる。


 暗い部屋。

 息の近さ。

 触れたときの、僅かな震え。


 彼女は、痛がっていた。


 はっきりと、分かるほどに。


 それでも――


『……大丈夫、だから』


 掠れた声。

 必死に抑えた震え。


『エルは、気にしないで』


 その言葉が、なぜか胸に引っかかった。


 気にするな、と言われた。

 だから、僕は止まらなかった。


 いや――

 止まれなかった、のかもしれない。


 なぜ、あんなにも強く求めたのか。

 理由は、今でも分からない。


 欲情だったのか。

 衝動だったのか。

 それとも、ただ――

 何も考えずに済む何かが、欲しかっただけなのか。


 彼女の痛みを感じ取っていながら、

 それでも手を止めなかった自分を、思い出す。


 後悔はない。

 罪悪感も、薄い。


 ただ、ひどく曖昧な感覚だけが残っている。


 ――あの夜からだ。


 僕が、夜を待つようになったのは。


 夜を待つようになった理由を、

 僕は、できるだけ言語化しないようにしてきた。


 理由を言葉にすれば、

 それが「選択」になってしまうからだ。


 選んだと自覚した瞬間、

 責任が生まれる。


 僕は、責任を負えるほど健全ではない。


 夜は、選ばなくていい。

 ただ、来る。


 日が沈み、

 静けさが満ち、

 思考が鈍る。


 その流れに身を任せていれば、

 自分が何をしているのか、

 考えなくて済む。


 ――それが、あの頃と同じだ。


 前世で、

 相手の気配を待ちながら、

 何度も同じことをしていた。


 時計を見る。

 外の音を聞く。

 足音に神経を澄ませる。


 来なければ、落ち着かず、

 来れば、ほっとする。


 その繰り返しがいつの間にか、

 僕の生活そのものになっていた。


 健全な依存だと、

 思い込もうとしていた。


 互いに支え合っているのだと。


 だが、実際には違った。


 僕は、相手がいなければ

 僕を保てなかった。


 今も、同じだ。


 夜が来なければ、

 一日が終わらない。


 夜がなければ、

 僕は、次の日を迎える理由を見失う。


 ――再発している。


 それも、

 前より、ずっと静かに、

 ずっと深く。


 あの頃は、

 相手を愛しているつもりだった。


 今は、愛していないことを、

 はっきりと理解している。


 それなのに、

 やめられない。


 理解したうえで沈む分、

 今回のほうが、よほど質が悪い。


 僕は、

 自分が「回復していない」のではなく、

「より巧妙に壊れている」ことを、

 薄く、だが確実に自覚していた。


 そしてその感覚は、

 微かな既視感として何度も胸を叩く。


 夜を待つ。

 その時間だけを基準に、一日を区切る。


 かつて――

 それとよく似た感覚を、僕は知っている。


 前世。

 名前も、立場も、今とは違う人生。


 そこでも僕は「誰か」に縋っていた。


 正しいと分かっていながら、

 それ以外の生き方ができなかった。


 その人がいなければ呼吸の仕方すら分からなくなり、

 視界が狭まり、

 思考が、すべてその存在に吸い寄せられていく。


 性依存。

 当時は、そう呼ばれていた。


 守りたい。

 支えたい。

 必要とされたい。


 耳障りのいい言葉で飾りながら、

 実際には、自分の存在価値を、

 その人一人に預け切っていた。


 ――そして、壊れた。


 相手がいなくなった瞬間、

 僕も一緒に、崩れ落ちた。


 もう二度と、ああはならない。

 そう、誓ったはずだった。


 なのに。


 夜を待つ今の僕は、

 あの頃と、ひどく似ている。


 誰かが来るまで、

 時間を潰し、

 思考を止め、

 ただ、耐える。


 違うのは、

 今回、僕が縋っている相手は、

「僕を必要としている」と、

 錯覚しやすい立場にいるということだけだ。


 ――再発している。


 僕は、はっきりとそう自覚した。


 しかも今回は、相手を想っているわけですらない。


 必要なのは、

 彼女ではなく、

 彼女がもたらす「空白」だ。


 それを理解してなお、

 やめる気には、なれなかった。


 僕は、首を振った。


 考えるな。


 今は、帰るだけだ。


 ♢


 屋敷に戻ると、いつも通りの光景が広がっていた。


 整えられた庭。

 忙しなく行き交う使用人。

 夕餉の準備を知らせる音。


「おかえりなさいませ」


 声をかけられ、僕は軽く頷く。


 それだけで、会話は成立する。


 執務室では、父と母が待っていた。


「無事で何よりだ」


「今日は早かったわね」


 心配と安堵が入り混じった視線。

 それを受け止めながら、僕は淡々と答える。


「大型でしたが、問題ありませんでした」


「怪我は?」


「ありません」


 それだけで、二人は安心したように息をつく。


 ――戻ってきている。


 そう思いたいのだろう。

 僕も、そう見せている。


 食卓につき、他愛のない話を交わす。

 魔獣の特徴。

 討伐の経過。


 言葉は、滞りなく出てくる。

 笑顔も、作れる。


 それなのに。


 自分が、どこにもいない。


 話しているはずなのに、

 心が、少しも伴っていない。


 それに気づいているのが僕だけだという事実が、

 妙に静かで、重かった。


 ♢


 数ヶ月の間に、領内は大きく変わっていった。


 城壁は高く、堅牢になり、

 門は整備され、

 街道は舗装されていく。


 かつては小さな集落だった場所に、

 商人が集まり、

 家屋が増え、

 夜でも灯りが消えなくなった。


 魔核の売却益。

 魔族討伐の褒賞。


 それらはすべて、領内に還元されていく。


「街が、随分と賑やかになりましたね」


 そう言われても、僕は曖昧に頷くだけだった。


 人が増え、

 建物が増え、

 声が増える。


 それらは、確かに良い変化なのだろう。


 だが僕の目には、

 ただ背景が塗り替えられていくだけのように映る。


 興味が持てない。


 僕が守っているはずの土地なのに、

 そこに生きる実感が、どこにもない。


 必要とされていることは分かる。

 役に立っていることも、理解している。


 それでも。


 それらは、すべて僕の外側の話だ。


 街が豊かになっていくほど、

 僕の内側は、静かに干上がっていく。


 守っている。

 救っている。

 役に立っている。


 どれも事実だ。


 だが、それらはすべて、

「いなくても成立する成果」だった。


 僕がやらなくても、

 別の誰かが、いずれ同じことをする。


 そう思えてしまう時点で、

 もう、この場所に意味を見出せていない。


 それでも、夜だけは違う。


 夜の部屋で、

 彼女が現れるときだけ、

 僕は「存在していい」と思える。


 それは、幸福ではない。


 ただ、否定されないという感覚だ。


 彼女は、何も要求しない。


 救ってほしいとも、

 向き合ってほしいとも、

 未来を示してほしいとも言わない。


 ただ、そこにいる。


 それが、

 今の僕にとって、最も都合がいい。


 前世では、

 相手の感情を、背負いすぎた。


 喜びも、

 不安も、

 期待も。


 すべてが重く、

 すべてが僕の責任に見えた。


 だから壊れた。


 今回は違う。


 彼女は、僕に何も預けていない。


 預けているように見えるのは、

 身体だけだ。


 心は、

 こちらに向いているようで、

 どこかで、もう諦めている。


 それが分かるから、

 安心できる。


 ――最低だ。


 僕は、そう思う自分を否定しない。


 否定するだけの力が、

 もう残っていない。


 僕は、彼女の「夜の役割」を都合よく利用している。


 同時に、彼女もまた僕を利用している。


 だから成立している。


 対等ではないが、崩れにくい関係だ。


 健全ではないが、壊れにくい。


 それが、今の僕にとっての最適解だった。


 あの部屋で、

 彼女が訪れる時間だけは、

 僕が「必要な役割」を持てる。


 救っているわけではない。

 愛しているわけでもない。


 ただ、彼女がそこに来る理由が、

 確かに「僕」にある。


 その事実が、

 胸の奥に、歪んだ安堵を生む。


 ――依存だ。


 それも、

 僕が縋られる側にいるという、

 最も自覚しにくい形の。


 前世では、依存する側だった。


 今回は、依存される側に立っている。


 立場が逆転しただけで、

 本質は、何一つ変わっていない。


 誰かの存在を、

 僕の生存理由にしている。


 それを、

 僕は、薄ら寒いほど冷静に理解していた。


 彼女が壊れていく可能性について、

 僕は、考えないわけではなかった。


 むしろ、はっきりと想像できてしまう。


 このまま夜が積み重なれば、

 彼女はきっと、

 昼の自分と夜の自分を、

 切り離して生きるようになる。


 侍女としての顔。

 夜に呼ばれる存在としての顔。


 その境界が、

 曖昧になればなるほど、

 彼女は、自分自身を見失っていく。


 ――それを、止める気はあるのか。


 僕は、その問いを一度も正面から考えたことがない。


 止める理由が見つからないからだ。


 守りたいわけではない。

 救いたいわけでもない。


 だが、壊れていくと分かっていて役割を与え続けている。


 それは、利用だ。


 前世では、僕が利用される側だった。


 相手の不安を受け止め、

 相手の欲求を満たし、

 相手の人生の重さを、

 僕の身体と時間で支え続けた。


 今回は、

 逆だ。


 僕が、誰かに「役割」を与えている。


 逃げ場を用意せず、

 出口を示さず、

 ただ、必要とされる位置に留める。


 それが、どれほど残酷な行為か僕は理解している。


 理解していて、

 なお、やめない。


 なぜなら、彼女が壊れるより先に、

 僕が壊れることのほうが、恐ろしいからだ。


 彼女は、僕がいなくなっても、

 いつかは立ち上がれるかもしれない。


 だが僕は、この夜を失った瞬間何も残らない。


 その差を、

 僕は、正確に把握していた。


 ――最低だ。


 そう思う。


 思いながら、

 最適解だとも判断している。


 僕が生き延びるために、

 誰かを静かに消費している。


 それを、

 愛や情で誤魔化さず、

 役割と依存として認識している分、

 前世よりも、はるかに冷静で、

 はるかに残酷だった。


 ♢


 夜が来る。


 部屋に戻り、剣を外し、灯りを落とす。


 本を開いても、文字が頭に入らない。

 書類を見ても、内容が滑り落ちる。


 集中できない理由を、

 僕は考えない。


 ただ、時間が過ぎるのを待つ。


 やがて――

 控えめなノックの音がする。


 それが誰なのか、確認する必要はない。


 扉が開き、

 メイリスが入ってくる。


 彼女は、何も言わない。

 僕も、何も言わない。


 近づき、

 触れた瞬間、

 頭の中が静かになる。


 思考が止まる。


 悲しみも、

 後悔も、

 疑問も。


 すべてが、遠のいていく。


 僕は、それを心地よいと感じている自分を、

 直視しない。


 理由を考えれば、

 きっと、壊れてしまうからだ。


 彼女を見ているわけではない。

 彼女を想っているわけでもない。


 ただ――

 この時間だけは、楽だ。

 それだけで、十分だった。


 楽であることに、

 罪悪感を覚えなくなったのは、

 いつからだっただろう。


 かつては、

 楽になることそのものを、

 逃げだと認識していた。


 苦しみ続けることが、

 誠実さだと信じていた。


 だが今は違う。


 苦しんでも、何も生まれない。


 考えても、答えは出ない。


 ならば、考えなくていい場所に身を置けばいい。


 彼女の体温は、

 問いを発生させない。


 正しさも、

 未来も、

 意味も。


 すべてを、

 曖昧に溶かしていく。


 それが、どれほど危険な依存か僕は理解している。


 前世で、同じ構造に溺れ、

 同じように、僕は僕を見失った。


 それでも。


 今は、この静かな停止を失うほうが怖い。


 立ち直ることより、

 戻ることより、

 考え直すことより、


 ――夜が終わることのほうが、

 ずっと、恐ろしい。


 僕は、自分が「溺れている」のではなく、

「沈むことを選んでいる」のだと理解していた。


 浮上すれば、

 また何かを選ばなければならない。


 何かを守り、

 何かを失い、

 何かを決断しなければならない。


 それができないから、夜に留まる。


 彼女の沈黙に、身を預ける。


 誰も救われなくてもいい。


 少なくとも今は、

 僕が壊れ切らずに済むなら、

 それでいい。


 ――そう思ってしまえるほどには、

 僕は、もう深く沈んでいた。


 楽だと感じてしまうこと自体が、

 何よりも危険だと分かっている。


 楽だから、考えなくなる。

 楽だから、疑問を抱かなくなる。

 楽だから、終わりを想像しなくて済む。


 彼女の体温は、

 感情を呼び起こさない。


 だからこそ、

 安全だと錯覚できる。


 愛ではない。

 執着でもない。


 ただの、

 思考停止の装置。


 それを人に求めている時点で、

 正常ではない。


 前世で同じことをしていた。


 苦しみから逃げるために、

 誰かの存在に、僕を溶かしていた。


 あのときは、

 相手を想っていると、

 本気で信じていた。


 今は、

 それが嘘だったと、分かっている。


 それでも、同じ選択をしている。


 ――進歩していない。


 いや、むしろより質が悪い。


 今回は、自覚したまま沈んでいるのだから。


 ♢


 眠りに落ちる直前、

 何かを言いかけて、やめる。


 言葉にしてしまえば、

 何かが変わってしまう気がした。


 だから、何も言わない。


 ただ、彼女の体温を確かめるように、

 腕に力を込める。


 彼女が離れようとすると、

 無意識に、指先が布を掴む。


 それが何を意味するのか、

 僕は考えない。


 考えなくていい夜が、

 続いてくれれば、それでいい。


 誰も救われていなくても。


 この静かな空白が、

 終わらなければいいと――


 そんなことを思ってしまった時点で、

 きっと僕はもう、

 戻れていないのだろう。


 夜は、今日も、静かに更けていった。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


今回は幕間として、エルの視点から「救われていない状態」をそのまま描きました。

前向きな答えも、成長もありません。

分かっていながら沈んでいく、その過程だけがあります。


少しだけ正直に言うと、

この章に書かれている「分かっているのにやめられない感覚」や

「依存だと理解したまま選んでしまう在り方」は、

作者自身にも経験があります。


だからこそ、

救いを用意せず、正当化もせず、

ただ“そうなってしまう人間”を、そのまま置きました。


この夜は、物語を進めるためのものではなく、

「もう戻れない地点に立っている」という確認です。

ここから先、何が起きても、この夜は消えません。


ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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感じたことを、そのまま残してもらえたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
エル視点に戻ると、彼がどんなにつらい状況にいるとしても、昔からの友達に再会したような気持ちになります。(・・・私が読者として、かなりエルに気持ちが傾いているということかもしれません~)
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