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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
「  」編

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133/143

133.焦土の誓い-2

 

 村が終わるのに、号令はいらなかった。


 開戦の合図は、太鼓でも角笛でもなく――家の外縁が、同時に“色”を変えたことだった。


 北の旧道の方角で、まず空気が裂ける。黒い膜の封鎖結界が、村の入口を跨いで確定した瞬間、村の外に繋がっていた“道”が、ただの土の線に戻る。繋がりが切れた。切れたことを理解する前に、村の北端から、誰かの悲鳴が跳ね上がる。


 悲鳴は、一つじゃない。


 折り重なる。


 声の高さが違う。男の声、女の声、子どもの声。言葉として成立していない声が、同じ方向へ集まっていく。集まっていく声の束が、村という場所の輪郭を一瞬で変えた。


 戦場が来た――ではない。


 戦場の“速度”が、先に来た。


 エルディオは剣を構えたまま、視界を上げる。北端だけを見ても意味がない。敵は一箇所から来る気がない。来るなら、すでに“来ている”。その確信が背骨を冷やす。


 だから、彼は探知を開いた。


 詠唱は短い。


 長い言葉を挟めば、その間に世界が一歩進む。


 唇が動くより早く、魔力が広がる。指先からではない。胸の奥から、薄い膜のような感覚が村と周辺を撫でていく。地面の起伏、木の密度、人の熱、獣の熱、そして――瘴気の“濃度”。


 返ってきた情報の量に、喉が締まる。


 数が、数として認識できない。


 点ではない。群れでもない。帯だ。面だ。村を囲む“輪郭そのもの”が敵でできている。


 エルディオは、瞬き一つで理解した。


 侵入は突撃じゃない。


 同時多発だ。


 北旧道――すでに魔族歩兵が展開している。


 封鎖結界の内側、村の入口から少し引いた位置に、整列した影がある。進軍というより、配置だ。逃走路を塞ぐための“壁”。村人の逃げる本能が北へ向くことまで計算して、その先に槍と網と鎖が用意されている。


 南丘――術師隊が陣を敷いている。


 地面に幾重にも重なる円。幾何学模様の結界式。火を起こすためではなく、視界を焼き、呼吸を乱し、方向感覚を奪うための術式が展開されている。煙幕はただの煙じゃない。瘴気を混ぜた“濃い闇”だ。吸えば、目が痛み、喉が焼ける。恐怖が増幅される。


 東林――魔獣の突進。


 林の縁で、太い影が一斉に動いている。木陰から現れ、畑を踏み荒らし、柵を壊し、家畜を散らす。家畜の悲鳴が村の中へ飛び込み、その音だけで人間が条件反射を起こす。“家が壊される”という恐怖と、“食が奪われる”という本能的焦りが同時に村を引き裂く。


 上空――飛行翼。


 空に点が並ぶ。鳥ではない。羽ばたきの音が、鳥のそれより低い。重い。飛ぶための翼ではなく、落とすための翼だ。火矢が放たれ、瘴気弾が落ちる。狙いは人ではなく、屋根だ。家々の屋根を落とせば、人は外へ出る。外へ出れば、包囲が刺さる。


 敵は村を“戦闘区域”にしない。


 村を“狩場”にする。


 エルディオの胸の奥で、怒りではなく冷えが広がる。冷えるほど、判断が速くなる。速くなるのに、間に合わない未来が見える。見えるのに、目を逸らせない。


 ――まず、外縁が燃える。


 探知が返してきた光景は、そのまま現実になった。


 北端、木柵の向こうが赤くなる。火が上がるのではなく、まず煙だ。黒い煙が地面から噴き、柵の内側へ流れ込む。煙の中に、細い火線が走る。火線は家へ向かわない。人へ向かう。逃げ惑う影の足元を舐めるように走って、足を止める。


 南丘から、光が落ちる。


 光といっても、眩しい光ではない。白く濁った光の膜が、村の上空に薄く広がり、次の瞬間、赤黒い火花が散る。火花は火矢とは違う。術式から漏れた“熱”が、空気そのものを焼いている。視界が揺れる。目が痛む。涙が出る。涙が出ると、怖さが増す。怖さが増すと、人は走る。走ると、集まる。


 東から、獣の突進音。


 畑が踏み潰される音が、村にとっては“地面が壊れる音”だ。土を耕してきた人間の耳には、土が潰れる音が絶望に直結する。畑が壊れたら、冬を越せない。畑が壊れたら、子どもが生きられない。だから、畑の方へ走ってしまう者が出る。走ってはいけない方向へ、身体が勝手に引かれる。


 上空から、屋根が落ちる音。


 火矢が茅を貫く。瘴気弾が爆ぜ、屋根材が脆く崩れる。落ちた屋根の下敷きになる者が出る。助けようとして、家族が飛び出す。飛び出したところを、魔族歩兵が囲む。囲まれたら終わりだ。終わりなのに、飛び出す。本能だからだ。


 村人は戦えない。


 それを、敵は知っている。


 村人は刃の扱いを知らない。魔法の詠唱を知らない。統率を知らない。逃げるときに隊列を組めない。家族を優先し、声を探し、名前を呼び、手を伸ばす。その“人間の動き”が、戦闘の一部になる。


 敵は、人間の本能を武器にする。


 村の中心、広場へ人が流れ始める。


 井戸へ集まる。水があれば火が消せると思う。集会所へ集まる。誰かが指示をくれると思う。家族を探して走る。見つければ一緒に逃げられると思う。


 思う。


 思うだけで、身体が動く。


 エルディオは、喉が裂けるほど大きな声で叫んだ。


「集まるな!! 散れ!! 井戸に行くな!! 広場に行くな!!」


 声は村を切る。切ったのに、人は止まらない。


 止まれない。


 人間は、恐怖を感じたとき、孤立を嫌う。孤立したら死ぬと知っているからだ。だから集まる。集まってしまう。群れになれば助かるという古い記憶が、今の戦場では逆になることを知らない。


 エルディオは、走り出す。


 走りながら探知を広げ続ける。広げて、最短で“救える線”を探す。線を引こうとする。だが、線を引ける場所がない。どこも面で崩れている。救えるのは点だけ。点を救っても面が飲み込む。面を止めるには、面に対する力がいる。


 北端で、村人が倒れる。


 刺されたのか、殴られたのか、踏まれたのか、詳細を見る暇がない。ただ、倒れた影が起き上がらない事実だけが視界に刺さる。倒れた場所に別の影が重なり、重なった影がまた倒れる。倒れる連鎖が、村の入口から広がっていく。


 南から、煙幕が流れ込む。


 煙が村道を這う。煙の中で咳が起きる。咳は呼吸を乱す。呼吸が乱れると、走れなくなる。走れない者が転ぶ。転んだ者の周りに家族が集まる。集まったところへ、魔獣が突っ込む。


 東の畑で、家畜が散る。


 牛が柵を破って走る。鶏が羽ばたいて飛ぶ。羊が群れで突進する。家畜は村人の生活そのものだ。生活が逃げる。生活が悲鳴を上げる。それに引っ張られて、人間が判断を誤る。


 上空の飛行翼が、二周目に入る。


 一度落とした屋根の近くに、また火矢を落とす。火が広がる速度を上げる。火は逃げ道を削る。火が削った分だけ、人は中央に寄る。中央に寄った分だけ、包囲が締まる。


 敵は、村を“中央へ集めて”から刈る。


 広場の井戸に人が群がった。


 水を汲む者、子どもを抱く者、火を見上げる者、名前を叫ぶ者。誰かが倒れた声。誰かが押された声。誰かが泣いた声。恐怖が密度になって、その場所に溜まる。


 エルディオは広場へ向かいながら、再び叫ぶ。


「出ろ!! 広場は――」


 言い終える前に、広場の外縁が“落ちた”。


 上空から、瘴気弾。


 落ちる音は短い。着弾は鈍い。爆ぜるのは音ではなく、空気だ。黒い霧が一気に広がり、広場の一角を覆う。覆われた瞬間、そこにいた人間が咳き込み、倒れ込み、這い出そうとして――這い出す方向を間違える。


 視界が焼かれている。


 南丘の術式が効いている。


 霧と光の歪みが重なり、方向が狂う。逃げたい方向へ進めない。進めない者が、集会所へ向かう。集会所へ向かった者を、北から回り込んだ歩兵が囲む。


 エルディオは、剣を振るう。


 振るう相手は、目の前の一体だけではない。空気だ。時間だ。村人が死ぬ“速度”そのものだ。速度を落としたい。落とさなければ、逃がす余地が消える。


 彼は最初の魔獣を斬る。斬り口を見ない。倒れる影を確認しない。倒した数に意味はない。意味があるのは、倒した“隙間”だ。


「こっちだ!! 散れ!! 家に戻るな!!」


 声が届く範囲は狭い。煙が音を吸う。悲鳴が音を上書きする。火が音を割る。村の中で、声が届かないという事実が、もう戦場だ。


 誰かがエルディオを見た。


 見て、叫んだ。


「助けてくれ!!」


 その声が、矢のように刺さる。


 助けたい。


 助けるべきだ。


 だが、助けるという行為は、ここでは一点に留まることになる。一点に留まれば、その間に他の十が死ぬ。十の間に百が死ぬ。百の間に“二人”が死ぬ。


 エルディオの脳裏に、メイリスの背中がよぎる。


 エミリアの小さな声がよぎる。


 守るべきものは、村全体ではなく、彼女たちだ――という冷たい本能が、底から立ち上がる。


 だが彼は、その本能を今は使えない。


 使った瞬間、村が“犠牲”として確定する。


 確定してしまえば、もう戻れない。


 だから、彼は歯を食いしばって動く。


 広場の端で、子どもが転んだ。


 転んだ子どもに、母親が飛びつく。


 母親に、父親が覆いかぶさる。


 覆いかぶさった背中に、火矢が刺さる。


 刺さった瞬間、炎が一気に広がる。火は容赦がない。人を選ばない。叫びが上がる。叫びに引っ張られて、別の人間が近づく。近づいた人間が、次の矢を受ける。


 パニックが、戦闘の一部になる。


 それを見て、魔族歩兵が前進する。


 前進は走りではない。歩く。歩きながら包囲を狭める。逃げる人間の動線を読み、そこへ槍を置く。槍を置くだけで、人間は方向を変える。方向を変えた先に、魔獣がいる。


 敵は人間を追わない。


 人間が勝手に追い込まれるように、盤面を作っている。


 エルディオは探知でそれを見て、喉の奥で唸る。


 盤面が完成しつつある。


 北は塞がれている。南は焼かれている。東は踏み荒らされている。西の湿地へ向かう道にも、すでに小隊が回り込み始めている。逃走路は“選択肢”として見せかけられているだけで、どれも生存に繋がらない。


 それでも、人は選ぶ。


 選ぶしかない。


 選んだ瞬間、死ぬ。


 その速度が、残酷なほど早い。


 村の外縁が先に燃えるということは、中心にいる人間が逃げる前に、逃げ道が削られるということだ。削られた結果、人は中心へ集まる。中心へ集まった結果、包囲が刺さる。


 エルディオは叫ぶ。


「集会所に入るな!! そこは――!」


 言い終える前に、集会所の屋根が落ちた。


 上空の飛行翼が狙っていたのは、まさにそこだった。人が集まり、扉を閉め、安心しようとする場所。安心の形をした棺。


 屋根が落ち、柱が折れ、入口が歪む。中から声が上がる。声が外へ出てこない。煙幕が入口を塞いでいる。塞がれた声は、内側で増幅される。増幅された恐怖が、外の人間を呼ぶ。呼ばれた人間が近づく。


 近づいたところへ、魔獣が突進する。


 地面が割れる。


 人が飛ぶ。


 命が、軽い。


 軽く扱われるのではない。軽く“消える”。消える速度が早すぎて、悲しむ暇がない。悲しむ前に、次が起きる。


 エルディオは、その速度の中で、ある事実を悟る。


 援軍が来ないのではない。


 来るための時間が、最初から与えられていない。


 この規模は、村を守るための戦いではなく、村を終わらせるための作戦だ。終わらせる速度に合わせて、敵は初手で封鎖し、同時多発で燃やし、上空から屋根を落とし、人間の本能を利用して包囲を刺している。


 “村が終わる”速度で、すべてが組まれている。


 だから、エルディオがどれだけ早く判断しても、遅い。


 遅いのは、彼のせいではない。


 遅いのは、世界が彼に与えた盤面のせいだ。


 その理不尽が、胸の奥で火になる前に、彼は動く。


 探知の端が、東の林へ伸びる。


 メイリスの気配。


 エミリアの熱。


 まだ、動いている。


 まだ、生きている。


 その一点が、彼の全身を引き裂く。


 守るべき点と、救うべき面。


 どちらも選べない。


 選べないのに、選ばされる。


 戦場の“正しさ”ではなく、世界の“構造”が人を折る。


 エルディオは剣を振るいながら、声にならない声を飲み込む。


 間に合わない。


 その未来を、まだ言葉にしないために。


 そして、村の外縁は、さらに燃え広がっていく。


 火が増える。


 煙が増える。


 悲鳴が増える。


 敵の数が、増えるのではない。


 もともと“ここにいた”数が、姿を見せ始めただけだ。


 村は、もう包まれている。


 包まれている事実が、ようやく目に見える形になっていく。


 そのとき――空が鳴った。


 鳥の声ではない。


 翼の音でもない。


 上空で、巨大な影が羽ばたいた音。


 カースドラゴンが、村の上空に完全に姿を現す。


 複数の影が、雲を裂くように並ぶ。


 その影が落とすのは火ではなく、終わりそのものだった。


 村人たちが空を見上げる。


 見上げた瞬間に、立ち止まる。


 立ち止まった瞬間に、包囲が刺さる。


 エルディオは、叫んだ。


「見るな!! 走れ!!」


 だが、人は見てしまう。


 人間は、終わりを見届けようとしてしまう。


 その本能すら、敵に利用される。


 この村は、ただ殺されるのではない。


 壊され方まで、選ばされている。


 エルディオの視界の端で、家が燃え始めた。


 畑の端にある、自分の家。


 ほんの少し前まで、“守られている匂い”をしていた家。


 屋根が落ちる。


 火が走る。


 煙が立つ。


 それでも、彼はそこへ向かえない。


 向かった瞬間、広場が終わる。


 広場が終わった瞬間、村が終わる。


 村が終わった瞬間、林が終わる。


 終わりが連鎖する速度の中で、彼は立っている。


 立っているのに、足元が崩れていく。


 ――これが、数千規模の戦いだ。


 英雄が斬れば勝てる戦いではない。


 誰かが正しければ救われる戦いでもない。


 ただ、終わる速度で終わらされる戦いだ。


 そして、その速度の中心に、エルディオが縫い付けられていく。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


この章のここまでで描いているのは、「戦い」ではありません。

もっと言えば、「負け戦」ですらありません。


これは

村が戦場になるまでの“過程”であり、

エルが間違っていない判断を、すべて無力化されていく過程です。


エルは遅れていません。

判断も、動きも、選択も、すべて正しい。

逃がす判断は早く、配置の把握も的確で、何一つ“英雄の欠如”はありません。


それでも間に合わないのは、

この世界が「守る者」に時間を与えない構造だからです。


村人たちの行動も、愚かだからではありません。

集まる、探す、呼ぶ、助けようとする。

それはすべて、人間として正しい反応です。


そしてその「正しさ」そのものが、

この戦場では刃として使われています。


この段階では、まだ“最悪”は来ていません。

ここは、壊れる直前の世界が、どれほど正常だったかを

一つひとつ丁寧に潰していく場所です。


次から描かれるのは、

「もう戻れない」とエル自身が理解してしまう瞬間、

そして“選んでしまう”ための地獄です。


どうか、この先も、

エルが間違っていないことだけは、忘れないでいてください。

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