三人と一本の傘
春の終わり、もうすぐ梅雨が来ようという時期。
夕方になって叩きつけるような激しい雨が降り出してきた。
学校から帰ろうとしていた生徒達は大慌て。
男子生徒達は雨に濡れるのも構わず駆け出していく。
しかし女子生徒達はそうもいかない。
運良く置き傘などがあった女子生徒達は帰宅していくが、
傘がない女子生徒達は夕立の学校の玄関に置き去りにされていく。
雨はまだ止む気配はない。
女子生徒達は一人また一人と、上着を着て雨の中を出ていった。
そうして学校の玄関に取り残されたのは、一人の女子生徒だった。
その女子生徒はその日、放課後に職員室に呼び出されていた。
そのせいで帰りが遅れ、他の生徒の傘に入れてもらう機会を逸してしまった。
「はぁ・・・。こんな日に限って職員室に呼び出しだなんて。
友達はみんなもう帰っちゃった。
傘も無いし、濡れてもいい上着も無いし、どうしよう。」
学校の玄関を見渡す限り、誰の姿もない・・・と思われたのだが。いた。
学校の玄関から少し離れた場所にある、
学校の倉庫の小屋の庇で雨宿りをしている、一人の女子生徒がいた。
「あの子、どうしてあんな離れた所で雨宿りしてるんだろう?」
その女子生徒がそんなそんなことを考えていた時、背後から声がした。
「おや、君は高山君じゃないか。今、帰りかい?」
振り向くと、そこには地味な背広姿の男が立っていた。
「あっ、細田先生!」
そう答えたその女子生徒は、高山真紀。
細田先生と呼ばれた男は、細田譲という、
真紀の学年の現代文学を務める先生だった。
真紀は細田の姿を見つけると、ひしとすがりついて顔を見上げた。
「細田先生~、あたし、傘が無いんです。先生の傘に入れてください~!」
すると細田は、微笑みとともに答えた。
「いいとも。
ただし、傘は一本しか無いから、私と君で一緒に入ることになるが・・・」
「細田先生と相合い傘になっても、この際我慢します!」
「それは随分な言い方だね。
・・・おや?向こうにも女子生徒が雨宿りしてるね。」
細田も、離れた倉庫の庇で雨宿りしている女子生徒に気が付いたようだ。
うむと腕組みをして考える。
「二人の女子生徒が夕立に降られて困っているのに、
高山君だけを助けるわけにもいかないな。
とは言え、傘は一本だけしか無いし。」
「やっぱり細田先生もちゃんと先生なんですね。
あたし達生徒のことを、平等に考えてくれてる。」
「それはもちろん。できれば生徒は全員助けてあげたいさ。」
「でも・・・、じゃあどうしよう。」
夕立はまだまだ収まる気配がない。
真紀と細田は頭上の雨雲を見て困惑の表情を浮かべていた。
学校の玄関には、真紀と細田ともう一人の女子生徒の三人。
しかし傘は一本しか無い。
これでは全員が濡れずに帰ることはできそうもない。
真紀が細田に心細そうに言う。
「細田先生、一本の傘で三人が濡れずに帰れるような、
良い方法は何か無いですか?」
そう問われて、細田は顎に手を添えて考えた。
遠くの倉庫の庇の下にいる女子生徒の様子を見てみる。
女子生徒は傘もなく上着もなく、今にも雨に濡れてしまいそう。
可愛らしいキーホルダーが付いたスマートフォンを片手に、
校門の方をハラハラとした様子で見ていた。
その一部始終を確認して、真紀は言った。
「あの子、あれじゃ今にも濡れちゃいますよ。
やっぱり、先生の傘はあの子に譲って、
あたし、傘無しで帰ります!」
そう言って駆け出そうとする真紀を、細田が制した。
「いや、どうやらその必要はなさそうだよ。」
「?、どうしてですか?」
「それはね、あの女子生徒の様子を見ればわかるよ。」
「???」
真紀は頭の上にクエスチョンマークを掲げて、首を傾げてしまった。
外は激しい夕立。
雨宿りをしているのは、真紀と細田ともう一人の女子生徒。
傘は一本しか無い。
このままでは、少なくとも一人は傘無しで帰らねばならない。
真紀はそう考えたのだが、細田には違う考えがあるようだ。
しかし真紀にはそれがわからない。
今にも地団駄を踏みそうになりながら、細田に食って掛かった。
「細田先生!どういうことですか?
この場にはあたしと細田先生とあの子の三人。
でも傘は細田先生の持ってる一本だけ。
傘一本じゃ、どうやっても三人が入ることは不可能ですよ!
それとも、縦に三人並んで入るとでも言うんですか?」
食って掛かってくる真紀に、細田は苦笑いで答えた。
「ははは、そんな曲芸のようなことは必要ないよ。」
「じゃあ、どうやって?」
細田は遠くの倉庫の庇の下にいる女子生徒を見ながら言った。
「それでは勘の鈍い高山君に教えてあげよう。」
「勘が鈍いは余計です。」
「うむ。まずは、あの女子生徒の視線を見てみると良い。」
「視線?」
「あの女子生徒は、どこを向いている?」
倉庫の庇の下にいる女子生徒は、校門の方をずっと見ている。
それは真紀にも分かった。
「どこって、あの子は校門の方を見てますけど・・・。
それが何かおかしいんですか?」
「ああ、そうだね。
普通、雨宿りをしている人は、上つまり雨と雨雲を見るんじゃないかい?
いつ雨が止むんだろう。まだ弱くならないんだろうか、ってね。」
「ああ、そう言えばあたしも、細田先生が来るまでは、空を見てました。」
「うん、それが自然だ。
雨宿りをしている人は、雨が止むのを待っているのだから、
空の様子を気にするものだ。
それなのにあの女子生徒は、空をあまりみていない。
ほとんどずっと、校門の方を向いている。
そのことから分かることは?」
「なんでしょう?」
「あの女子生徒は、誰かが来るのを待っているんだよ。
ここは学校、中に入ってくるには、校門を通るしか無い。
だからあの女子生徒は、外から来る誰かを待っているんだろうね。」
「なるほど~。
ところで、外から来る人って迎えですよね。
その迎えに来る人が誰か、細田先生には分かってるんじゃないですか?
教えて下さいよ!」
うきうきと目を輝かせる真紀に、細田は肩をすくめて言った。
「おおよそ分かってはいるよ。
それはあの女子生徒の個人的な事情で、
私の傘が不要な理由とは無関係なんだが・・・。
途中で話を止めるわけにはいかないようだね。
では高山君、あの女子生徒の様子を見て、
他に気が付いたことはないかい?」
「そうですね・・・。
どうして玄関じゃなくて、あんな狭い倉庫の庇で雨宿りしてるんだろう?」
「それは良い質問だ。
あの女子生徒が、高山君のように校門で堂々と雨宿りをせず、
わざわざ遠くて狭い倉庫の庇で雨宿りしているのには理由がある。
それは、迎えに来る人が誰なのか、ということに関係している。
あの女子生徒にとって、迎えに来てくれる人は、
あまり他人には見られたくない相手なんだ。
特にここ、学校ではね。」
「それって、親とかですか?」
「いいや、違う。
君達、思春期の子達は、他人に親の姿を見られたくないものだろうが、
雨に降られて傘を持ってきてもらうのを隠す必要は無いだろう。
それに、あの女子生徒が待っている相手が両親ではない理由はまだある。
あの女子生徒が持っているスマートフォンを見てみたまえ。」
言われてみると、その女子生徒のスマートフォンには、
キーホルダーと鍵が付けられていた。
「スマートフォンにキーホルダーが付いてますね。
よっぽど大事な鍵なのかな。」
「そう。そこまで大事な鍵というのは多分、家の鍵だろうね。
自分で自宅の鍵を持っている生徒は、下校時に家に両親がいない、
大抵の場合、共働きの家の子供だ。
だからあの女子生徒を迎えに来るのは、両親ではありえない。」
「両親ではなく、他人に見られたくない相手って・・・」
「それは、いわゆる彼氏さ。
ほら、話をしている間に、来たみたいだよ。」
細田の言う通り、ザーザー振りの雨の中の校門に、
ずぶ濡れの男子生徒が一人、傘を持って駆けつけてきたのだった。
夕立の学校の玄関。
真紀と細田ともう一人の女子生徒だけだったところに、
さらにもう一人の男子生徒が現れた。
その男子生徒はキョロキョロと辺りを見渡し、
倉庫の庇の下の女子生徒の姿を見つけると、笑顔になって駆けつけて、
持っていた傘を差して女子生徒を入れてあげたのだった。
真紀が納得と不満をないまぜにした表情で頷いた。
「すごい!本当に細田先生の言う通りだった。
でも、変ですね。
あの男子生徒、傘を持っているのにどうしてずぶ濡れなんでしょう?」
「ははは、高山君、それはね。
あの男子生徒も下校時に傘を持っていなくて、
自分一人だけ傘を差さずに急いで家に帰ったんだろう。
そして、あの女子生徒のために傘を持って戻ってきた。
だから、傘を持っているのにずぶ濡れだったのさ。
着替える間も惜しんで彼女の元に駆けつけるなんて、いい男じゃないか。」
「自分は風邪を引くかも知れないのに、彼女に傘を届けに来てくれるなんて。
あたしもそんな彼氏が欲しいなぁ~。
あれ?でも変じゃありません?
せっかく家に傘を取りに帰ったのに、傘が一本だけだなんて。
どうせなら二本持ってくれば人数分になったのに。」
真紀の言葉に、細田はしみじみと言う。
「高山君は無粋だねぇ。
傘を二本持ってきたら、あれができなくなってしまうじゃないか。」
「あれ?」
「いわゆる、相合い傘だよ。」
「あっ!そうか!」
そう話す真紀と細田の前で、男子生徒と女子生徒は、
ちょっと恥ずかしそうに一本の傘で相合い傘をして帰っていった。
真紀はその後ろ姿を、頬に手を当てながらうっとりと眺めていた。
「いいなぁ、あんな彼氏彼女。
今のところ、あたしには細田先生の傘しかないから、
細田先生と相合い傘してあげますね。」
「それは光栄なことだね。
でも、私達にはもう傘は必要ないかもしれないね。」
「あ、本当だ。ちぇっ、細田先生と相合い傘し損ねちゃった。」
真紀と細田が見上げる空、雨雲は既に薄くなり、
雨はほとんど止みかけ、日差しが見え始めていた。
この程度の雨ならば、傘は必要ないだろう。
だが、相合い傘で帰る男子生徒と女子生徒は、
雨が止みだしていることにも気が付かないようで、
相合い傘の下、二人で見つめ合いながら、
しあわせそうに歩んでいくのだった。
終わり。
相合い傘といえばカップルの定番イベント。
とはいえ、実際には傘が二人に一本しかない状況も珍しいのでは。
そんな他人から見れば珍しくて不可解な状況を解く話にしました。
これから梅雨の季節。
現実で相合い傘に出くわすことがあるかも?
中にはこんな空想のような状況もあるのでしょうか。
お読み頂きありがとうございました。