第28話
それからしばらくして。
いつもの調子を取り戻したラヴィリエの看病を受けていると、部屋の扉がノックされた。
「失礼します。イグナさん」
入ってきたのは、杖をついているロゼリカだった。果実の皮を剝いていたラヴィリエは振り返ると、ため息をつきながら半眼を向ける。
「ロゼ、休みなさいと言ったのに……」
「治癒術士の診療では、頭にも異常なし、ということです。それなら身体を動かしていた方が、私には健康に良いと思いまして」
「……まさか、今朝も槍を振っていたんじゃないでしょうね?」
「さて、そんなことよりも」
(ごまかした……)
皮を剥いた果実を皿の上で切り分けるラヴィリエがじと目を向ける中、ロゼリカはイグナの傍に歩み寄って一礼する。
「無事に回復して何よりです。イグナさん」
「ありがとうございます。先に意識を取り戻して?」
「ええ、頑丈なのが取り得なので。それよりイグナさん……お約束をお忘れで?」
「約束、というと」
「遠慮は無用、というお話しでしたが」
ロゼリカはそう告げながら片目を閉じる。ああ、そうだった、と思い出し、イグナは目を細めて頷いた。
「そうだった。ロゼさんも無事でよかった」
「お互いの経験のおかげで、命を拾いました」
「ロゼさんは、足はまだ治っていないみたいですが」
「ええ。あの魔石を蹴った瞬間に足が砕けたみたいで。それは少し治るのに手間がかかりそうです」
確かにあの魔石はイグナが持ち上げるのに苦労するほどの重量なのだ。それを蹴り飛ばしていて足が無事なはずがない。
「無茶をしましたね……」
「ええ、お互いに」
自然と二人で笑みをこぼし合う。共に死線を潜ったおかげか、いつもよりもロゼリカの笑顔は柔らかく見える。その様子を見ていたラヴィリエはぴくりと眉を吊り上げながら、少し固い声を出した。
「――二人とも、随分仲が良さそうね」
「ええ、イグナさんに助けてもらいましたので」
「どちらかといえば、俺がロゼさんに助けてもらった気もするけど」
「では、お互い様ですね」
「そうだな。じゃあ、そういうことで」
二人のやり取りを面白くなさそうに見ていたラヴィリエは唇を尖らせながら皿を突き出してくる。そこには綺麗にカットされた果実が並んでいる。
「ほら、喋っていないで食べなさいよ。二人とも」
「ん、ああ、ありがとう。ラヴィリエ」
「いただきます。お嬢様」
手を伸ばして果実を取り、口に運ぶ。しゃきっとした食感と甘い果肉の味わいが口に広がる。ラヴィリエも果実を食べながら不満そうに言う。
「二人の仲がいいには越したことがないけど。私のことは蔑ろにしないでよ」
「ああ、もちろん。分かっている――自分にとって、この上ない主人であることも」
「はい、そうですね」
イグナはロゼリカと頷き合い、ラヴィリエに視線を戻す。真っ直ぐな視線で彼女を見つめてから、イグナは視線を手元の果実に向ける。
主人自らが皮を剥き、切り分けてくれた果実。それを口に運び、味を噛みしめる。
一方でロゼリカは紅茶の支度を進めていた。部屋を行き来するロゼリカを見て、ラヴィリエは少し眉を寄せて声をかける。
「まだ足が治っていないのだから、無理しないでよ」
「少し動かした方が治りやすいので」
「貴方の少しは、普通の人の少しじゃないのよね」
「そのお言葉、そっくりそのままお返しします。働き過ぎのお嬢様」
二人の軽快なやり取りにイグナは目を細める。
(――このやり取りが見られただけでも、命を賭けた甲斐があったかもな)
この中の一人が欠けても、この光景は見られなかった。満足できる仕事ができた実感に表情を緩めていると、紅茶のいい香りが部屋に漂い始める。
ロゼリカは紅茶の入ったカップを持つと、ラヴィリエに差し出した。
「お嬢様、こちらを」
「ん、ありがと」
「イグナさんも、どうぞ」
「ありがとうございます」
紅茶を受け取り、口に運ぶ。飲むと豊かな風味が口に広がり、思わず吐息がこぼれてしまう。
「……やっぱり、ロゼさんの紅茶だな」
「ええ、全くね」
気づけば、気恥ずかしさは紅茶の香りが入り交じった空気に溶けていった。ロゼリカも紅茶を口にし、三人で同じ時間、空間で紅茶を味わう。
取り戻した平穏な時間を共有しながら。
最初に飲み終えたのはラヴィリエだった。それを見てロゼリカは手を差し出す。
「おかわりをご用意します」
「お願いするわね」
ロゼリカはカップを受け取り、ポットから優雅に紅茶を注ぐ。その様子を眺めながらラヴィリエはそういえば、と口を開いた。
「二人の表彰を考えなければならないわね」
「……え、表彰?」
「うん、そう。ああ、貴方はまだ知らないわよね。巷で貴方二人がなんて呼ばれているか」
ラヴィリエは悪戯っぽい笑みを浮かべ、ロゼリカはポットを置きながら気まずそうに視線を逸らす。
「お嬢様、あの呼び方は大袈裟だと思いますが――」
「いいじゃない。ね? 竜殺し様?」
ラヴィリエの言葉に、なるほど、と頷いた。
イグナとロゼリカは死中に活を求めるため、あの魔獣――竜の喉の奥へ臨界点寸前の魔石を放り込んだだけだ。だが、結果的にイグナとロゼリカで仕留めたことになる。
(……と、いうことは)
「もしかして、俺も……?」
「そう。竜殺しの魔技士と呼ばれているわ。騎士たちが自慢げに話した話題が尾ひれ背びれがついて広がっていてね、この前、都市の人たちに聞いてみたらすでに吟遊詩人が話をまとめていたらしいわ」
「……マジですか」
「大マジよ」
くすくすと笑うラヴィリエに思わずイグナは天井を仰ぐ。正直、クビになったときよりも信じられない知らせだ。
「確かに実際、それは事実であって、貴方たちが竜を倒さなければ、都市に甚大な被害が出ることになっていた。だからこそ、信賞必罰ということで、救世主である貴方たちにはこの功績を讃えて褒賞を与えなければならないの」
「……俺は魔技士としての務めを果たしただけですがね」
「私も同じくです。護衛としてイグナさんを護り抜いただけです」
「そうね。そう言ってくれるのは私も嬉しくて誇らしいけど、これは決定事項よ。お父様もそうすべきと仰っているし」
そう言いながらラヴィリエはロゼリカから紅茶を受け取って微笑んだ。
(……まさか、人々を支える魔技士が表彰されるとはな)
突然職をクビになったかと思えば、辺境都市の魔技士になって。
かと思えば、今度は竜殺しの魔技士と呼ばれて表彰。
想像もしなかったことが目まぐるしく起きている。
それでも、イグナがやることは変わらない。
寝ても覚めても魔技士として研鑽を積み、真っ直ぐに人や技術と向き合うだけだ。
「まぁ、表彰は抜きにしても、これから忙しくなるわよ」
紅茶を飲んでいたラヴィリエはそう告げて椅子から立ち上がる。ベッドの傍にある窓を軽く開け、目を細めた。
「――冬が、来るもの」
その言葉と共に吹き飛んでくるのは、湿り気を帯びた冷たい空気。イグナはそれを吸い込み、実感しながら頷いた。
「ああ――俺にとっては初めての、ファムルスの冬だ」
この都市はこれから雪に閉ざされる。その環境を彼は知らない。
だが、この職場なら必ずやっていける。
温かい仲間たちがいて、ラヴィリエがいる、この都市ならば。
決意を胸にイグナは窓の外の空を見上げる。
その空からは剥がれるように、白い雪がちらつき始めていた。




