2章-3 心ない告白
(――――皇都に来たこともあって、以前建物の修繕にも携わった事が有って、そんなそんな……どうしよう、どうしよう…………今日は本当に福音の日なのかな)
実のところ、ロレアが探し求め、恋い焦がれていた相手は、当のレルゼア本人だった。
当然彼女はまだその事に気付いてすらいなかったが、大きく顔を綻ばせ、彼の余っていた左手を両手で強く握り締めている。
「……じゃあじゃあ、十年くらい前、イヴナードからこちらの大聖堂に何人かでお越しになった事は、ご存じでしょうか??」
もう言葉の端々からも、狂おしい程の喜びようが漏れ出てしまっていた。
そうして一足飛びに核心に近付く問いを投げ掛けてくる。
彼女の中では正に大事件として記憶に刻み込まれてこそいたが、一般的にはそんな些末な国交行事など、直接的な関係者しか知る由も無い。
目線を少しでも近付けようと、また早く答えを教えて欲しくて、彼女は無意識にぴょん、ぴょんと何度も小さく飛び跳ねていた。
余りの警戒心の無さに、成る程あの事かと、レルゼアは却って冷静になっていた。
ここしばらくの間、似たような年頃の娘と行動を共にしていた事も、落ち着いた精神的対処の強い後ろ盾となっているようだ。
「ああ、その事なら知っているが」
「――――!!」
彼女は声にならない長い呻き声を上げ、火照った頬をますます紅潮させていた。
「なら――それなら、あのとき大怪我をなさった方は…………」
矢継ぎ早に問い掛けようとするも、即座に制止させられてしまう。
「……ああ、あいつか。少し前に死んだよ」
レルゼアは何となく、そう訊かれるであろうと確信していた。
何故ならあの後は恙無く補修が行われたと聞いており、人目を惹く事件と言えば、あれくらいだったからだ。
彼は到着したばかりなのに、そのまま担がれるようにして強制送還され、大聖堂の補修には一切関わらなかった、否、関われなかった。
当の本人としては、あの件に関して何かしらの誹りこそあれ、褒め称される事など決して無いと考えていた。
実は助けた、助けられた、というのはロレアによる記憶の美化が少なからず含まれており、あの事件は九割方若い修繕騎士のうっかりだった。
彼はその時、心ここに在らずで、勢いのある車輪に半身が巻き込まれてしまった。
そして偶然近くを走り過ぎようとしていた幼子を抱え、保護したような形になってしまった。
世間体を全く気にしないレルゼアではあったが、流石に遠い昔のゴタゴタを蒸し返されるのは勘弁して欲しかったので、ここで初めて〝先手〟を打つ事にしたのだった。
「――――え……?」
先刻異国の騎士を目にした時よりずっと強烈に、彼女はいきなり心臓を握り潰されたように感じ、礑と息を飲む。
「……え? …………あっ……」
彼女にとっては永遠とも思える時間、端から見てしばらくの間固まってしまっていた。
頭の中は一気に洗い立てのシーツのように真っ白になり、而して視界は徐々にぐにゃりと歪んでいった。
大きくて円らな目を見開いたまま、ぽろぽろと、大粒の涙を零し始めていた。
その瞳は残念ながら彼を映しつつも彼を捉えてはおらず、ロレア自身、落涙している事に気付いてすらなかった。
旅の男は、自身の軽々しい発言で不意に彼女を泣かせてしまった事を深く悔恨する。
「……否、実はもし訊かれたら、そう答えておくよう前々から頼まれていて――――」
胸を穿った痛打の余韻により、もう、その後に続けられた訂正と謝罪など頭に入ってはいない。
奇蹟による穢れ以外、生来の純真さに引け目を感じてか、精神的な悪意に晒される事が殆ど無かった彼女は、この男が逸らかすため、まさか先んじて嘘を浴びせて来るなど露も思わなかった。
少しずつ歯車の噛み合い始めた頭の芯は、賢しくも、後からの取り繕い方が、優しい嘘だよと、彼女に対して冷静に告げている。
悲劇にも満たない悲恋なんて、本当によくある話。
今まで沢山〝見て〟きたのに。
どうして自分に当て嵌らないなどと愚かにも思い込んでしまっていたんだろう。
浅はかで、迂闊で、道化にも程がある。
彼女の頭の中は今こんなにも底冷して穏やかなのに、先程来何処かから聞こえてくる謎の嗚咽は一向に止んでくれない。
両の拳が勝手にグリグリと溢れる涙を拭う。
ロレアは自然と立っていられず、ゆっくりと座り込んで蹲り、膝の間に顔を埋めて外界の情報を遮断した。
旅の男はしばらくの間躊躇いがちに、あえかな少女の背中を時折摩ってやっては、無言のまま見守っておく事くらいしか出来なかった。
* * *
一頻り涙が涸れ、反射的なしゃくり上げも収束してきた頃合いに、ロレアはようやく虚ろげな顔を上げる。
経ったのは四半刻程度だろうか。
彼女は傍らの男に促されるまでもなく、一人よろよろと立ち上がっていた。
既に閉館の時刻が間近に迫って来ているようで、レルゼアは思い切って〝今生の別れ〟とならないよう、話し掛けてみる。
「……私の名はレルゼア。中央広場の鈴蘭亭という宿にしばらく滞在する予定だ。もし詳しい事情を聞きたいなら、後日訪ねて来て欲しい。知っている事は全て話そう」
司書見習いと思しきこの少女は、多少落ち着きを取り戻していたが、視線は未だ酷くぼんやりとして定まらず、自身の言葉が届いたようには見えなかった。
仮にこれが少女の一芝居、果ては何かの謀略か何かだったとして、一旦自らを詐称する事も考えたが、先程来〝彼女の大切にしていた〟何かを土足で踏み躙ってしまったような感覚が、これ以上嘘を重ねる事を許さなかった。
気高き妹のラピスは涙など一切見せなかったし、女の涙に一切慣れていなかったとはいえ、不用意にも程が有るだろうと、彼は口にした直後猛省していた。
「…………私は、〝ジゼル〟」
翻って彼女の口から発せられたのは、いつも本の借りる時に使っている偽名の方だった。
この場で無意味に〝銀の手の巫女〟という身分を明かしてしまうといった愚直さはなく、その点で言えば、この術士より衰弱しきった少女の方が遙かに強かで、一枚上手だった。
それでも彼女は大海原で航路を見失ったかの如く途方に暮れており、何とか去り行く彼に対して追い縋るように問いを投げ掛ける。
「――――あの、一つだけ……あの方は……あの方は本当にまだ生きていらっしゃるのでしょうか?」
少女は祭服の前合わせを、まるで赤子が差し出された指を握るように緊く握り締めている。
縦んば否定されたとしても。
そんな諦観気味な面持ちで彼の背中を見詰めていた。
「そこは…………間違いない」
内心頭を掻きながらそう答えておく。
もし仮に何かの策略なら、本名を名乗った時点で直ぐに付け入って来ただろう。
彼女の平凡な反応に少しばかり安堵しながら、済まなかった、と改めて心の中で付け加えておく。
いずれにせよ、レルゼアは彼女が何とか自力で立ち直ってくれる事だけを祈っていた。
* * *
「私、その一言が凄くショックで……取り乱しちゃって……いつの間にかずっと泣いてて…………」
その夜、ベッドの縁に腰掛けたリテュエッタの隣に銀の長い髪の少女が仲良く並んで座っていた。
少女は先程の事案を思い出し、再び激しくなる内なる情動によって強くその瞳を滲ませている。
目元から数滴、それが零れ落ちる前にゴシゴシと両手で強く拭うと、また堰を切って止まらなくなってしまっていた。
冗談みたいに無心な躱され方だったが、それでも今の涙は、深い安堵と喜びから生じているものだった。
リテュエッタは健気に過ぎるこの少女の代わりに、ザックリと音が出そうな位の勢いで、鋭く深い棘の言葉を遠慮無く突き刺してくる。
「まさかレルゼアさんがこんなにも女誑しで、女泣かせな方だとは思ってもみませんでした……何だか臆病で優しそうってずっと思ってたのに…………この先ずっと、軽蔑してても良いですか?」
この場にたった一人きりの男の方を向き直り、のっぺりとした優しい笑顔で佇んでいるのが不穏で仕方無い。
彼女はそれこそ再び泣き出した〝ジゼル〟に対して深く抱擁し、慰めてやりたかったのだけれど、改めて自身の病の事が頭を過ぎり、既のところで思い留まる。
対するレルゼアは、少し離れた木製の椅子に腰掛けたまま、所在無げに視線を逸らし、ただ窓の外に広がる冬の真っ暗な夜空を見遣る外無かった。
まさか彼女が、あの後直ぐ、宿に戻って丁度夕食を摂り終えた頃にもうやって来るだなんて。想像を遙かに越えてしまっていた。
そして先程来続いているこの話題は、そろそろ三周目に入った頃だろうか――。
少女の来訪に気付くと、彼とリテュエッタは食後の寛ぎを早々に切り上げ部屋へと戻り、過去の失態を洗い浚い全て説明する事となった。
今度は落ち着いてゆっくりと話を聞いていた彼女は、図書館での冷え切った涙とは打って変わり、今度はぽろぽろと春の陽射しのような温かな涙を零し始めた。
その真意を理解しきれていないリテュエッタを尻目に、騎士国の術士が所在なく天井を見上げていると、彼女は、
「良かった…………本当に良かった……」
と譫言のようにただそれだけを繰り返し始めてしまう。
取り敢えず大聖堂修繕の使節分隊に関する顛末のみを簡単に説明したところ、リテュエッタが心配そうな顔でこちらを見遣って来るので、已む無く先の図書館での一件についても説明せざるを得なくなってしまった。
やがて訪れた少女の口からも、自身の安易な虚言に対し、何故ここまで深刻に反応したのか、その経緯が歴々と語られる。
「…………そっか……それは大変だったね……」
リテュエッタは彼女の身空に甚く同情し、半目になってレルゼアを批難しつつ、直接触れられないもどかしさを胸に仕舞い込み、言葉だけでジゼルを慰めていた。
ここまでが約一周目。
そしてロレアの積年の想いに対し、事実のみの簡素な説明で駆け足に過ぎたから、各々が反芻しするようにして再び二周目。
更にジゼルの淡い憧憬と想いが再び強く顔を出し始め、彼女の口からより一層詳しく、まるで何処ぞの見飽きた恋物語のように鮮やかに語られ始めたのが、先の三周目――――。




