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6章-4 可能性を知るもの

「――――え? あ、あれ? ……お花、畑?」


 黒髪の少女は両手を突いてゆっくりと起き上がりながら、呟く。



 レルゼアも殆ど(つむ)る位に細めていた目を薄く開けて周囲を見遣ると、全く同じ言葉しか浮かんでこなかった。


 彼女と離別させられず、こうして付いて来られた事に小さく安堵する。



 色取り取りの花が咲き乱れ、いつしか空一面が勿忘草(わすれなぐさ)色に染まり、見渡す限り、空も大地も果てが無かった。



 そして先程までとは打って変わり、小春日和の心地良い陽気。


 ただ余りに(ゆう)(じゃく)で、まるで(かくり)()のようだったから、何だかそら寒く感じられてしまっていた。



弥々(いよいよ)常識が通じなくなってきたな……本当に夢の中、なのだろうか」


 こんなにも幻想的で優美な場所など、見た事も聞いた事も無い。


 そして広く花々に囲まれているのに、不思議と香りすら漂っていなかった。


 ただ、冷たく青い空の匂いがする。




 かつての秘術や大魔法には、天変地異を引き起こすだけでなく、〝転移の法〟なるものもあったとされる。


 しかしそれは、飽くまで小さな物質程度だった筈。




 そもそも様々な魔法が失われて久しい今、先の通り湖面の上に立っていた事でさえ、(はなは)だ常識外れというのに。


 今となっては、風の精霊術で突風を引き起こし、一瞬だけ浮くのが精々。


 それに加え、この突然の移動。


 ここまで来てしまうと、推理や思考なんて一切通じない。


 いつの間にか眠らされ、夢を見せられているとでも考えた方が、余程筋の通った話だった。




「…………あっちに、〝大きな樹〟が見えます」


 悠遠に連なる花々の小面(ファセット)の中、他には何も無いように見えた景色の中、リテュエッタの示した方角には、確かに薄ぼんやりと大樹の影があった。


 柔らかい一陣の風が、緩く編み込んだ彼女の長い黒髪を持ち上げる。


 生と死を司る双頭竜は、創世樹の元に棲むといわれている。


 目立った目標物はそれ位しか見当たらなかったので、一先ず少女と一緒に向かう事とした。




 * * *




 見上げる空には淡い彩雲(さいうん)が流れていた。


 視線を下に戻すと、折り重なる(せん)()万紅(ばんこう)の中、(きら)びやかな蝶が幾つか静止している。


 どうやら人には香らない蜜を吸っているようだ。



 目を凝らすと、そうした花々の中には、かの〝エリュシオンの花〟まで紛れ込んでいる。


 レルゼアは無意識に(かぶり)を振って、ここが何処なのか考えないようにした。



 気付けばリテュエッタは、この長閑(のど)やかで不可解な景色を一切意に介さず、これまでに見せた事の無い脆弱な面持ちで、ただ一人歩みを進めている。




 そうしてどれくらい歩いた事だろう。


 いつしか二人とも厚手の外套(がいとう)を脱ぎ、腕の中に抱え込んでいる。


 大樹へと近付くに連れ、大地が足首程の高さで台座みたいに迫り上がってきていた。


 更に(たもと)の方を見遣ると、(うずたか)く張った根によって、幹は見上げる辺りから始まってい

おり、数十人程でないと囲えない位の大きさがありそうだった。



 清流とも小川とも取れない細く小さい水流が、扇状になって大樹の元から流れて来ている。


 ようやくその根元近くにまで辿り着くと、見渡す花々は殆どが白く輝き、柔らかな絨毯のように大きく一円を囲っていた。




 二人が足を止めるや否や、その陰から、見上げる程に巨大で純白な長い二つ首の竜が静かに姿を現わす。


 仰ぎ見ると、頭の片方には少女のような人影が横に腰掛けており、どこかで聞き覚えのある声を発した。



「……思ったより早かったね、リティー(・・・・)


 白き双頭の竜が人の乗った方の首を地表まで下げると、少女は羽根でも生えているかの如く、咲き誇る花の雪原へと降り立った。


 その顔を(つぶさ)に見遣ると、竜髄症の少女と術士の男は我が目を疑い、息を呑んだ。



「――クっ、クリスタちゃん?」


 呼び掛けられた例の親友たる女給仕は、最後に大衆酒場で見た時と全く変わらない格好をしている。


 まるでついさっき急用で呼び出され、そのまま店外に出てきただけのようだった。




 彼女が肩の高さ程もある双頭竜の頭を軽く撫でると、竜は(つぶ)らな目を少し細めている。


 レルゼアは困惑を押し殺し、強く歯噛みしながら、腰に付けてあった鞘から咄嗟に短剣(ダガー)を引き抜く。



「……ねぇ、ちょっと待ってってば! 折角の綺麗な場所なんだし、もう少しゆっくり楽しんで行って欲しいな?」


 遠く手を差し伸べて視線を促しつつ、優艶(ゆうえん)に笑みを浮かべている。



 やがて頭巾を外し、結い上げてあった黄金(こがね)色の髪をするりと(ほど)くと、美しい花々にも決して劣らないそれが一瞬だけ広がり、軽く指で撫で()いて整えていた。



「全く……フィーカだよね? あの()ったらさ」


 そう言って口を尖らせながら一人ぼやいているが、少なくとも敵意は無さそうだと理解したレルゼアは、短剣(ダガー)を鞘に収め、警戒を解く。


 一方のリテュエッタは、口元に両手を当てたまま、まだ深い混乱から抜け出せないでいた。




 片方の頭を下げたままの神々しい竜は、全体が薄く輝く滑らかな白い鱗で覆われており、巨大な魚を彷彿とさせる。


 これが恐らく、かの双頭竜〝ケーリュケイオン〟なのだろう。



 そして傍らの女給仕は、見たところこの竜を手懐けているようだ。


 即ち、それが指し示す事は。


「まさか……貴女が運命神リヴァエラ(・・・・・・・・)なのか……?」


 問い(ただ)した方のレルゼアも、自分が何を言ったのか、本当の意味で理解はしていなかった。



 それでも問われた方の容姿端麗な少女は、ただ素っ気なく、否定しない事で、肯定の意を示す。


「その呼ばれ方、実は全然好きじゃないんだけどね…………クリスタって呼ばれる方が好きかも」




「そっ、そんな…………クリスタちゃんが、女神様だったなんて……」


 双頭竜は甘えるようにして(あるじ)たる女神に再びその頭を擦り寄せ、察した彼女も、また優しく撫で返している。


 竜の体格は大きく異なったものの、その姿はまるでリテュエッタがティニーをあやしている時そのもの。


 明らかにただの人間(・・・・・)にしか見えない。



 フレア=グレイスの(なな)(はしら)、その冥府神が如何(いか)にもという風貌だったから、言い当てた方のレルゼアですら、彼女の反応を見て尚、酷く疑念を抱いていた。




「……あのね、私まで運命の駒(・・・・)だったなんて、こんなの初めてなんだよ? ホントもう、びっくりしちゃった」


 この神たる少女、運命と回帰を司る女神リヴァエラの象徴(シンボル)は、〝切り札〟と〝双葉の芽〟。


 少女の(こぼ)した言葉の指し示すところを二人は理解し切る事はなかったが、それは術士の男が一時(いっとき)でも彼女との賭けを制し、(あまつさ)えここまで辿り着いてしまったという事。




 リヴァエラたるクリスタは軽く(うそぶ)いていたものの、実際たかが一欠片の運命すら御しきれず、挙げ句、自身までもがそれに弄されてしまうなんて。


 かつて人ですら扱えた〝転移〟や〝宙に浮く〟といった些末な魔法(・・・・・)なんかより、圧倒的に異常で、異質極まりない事象だった。




「さて……と。あんまり気が進まないんだけど。急勝(せっかち)そうなおじさんが居る事だし……リティーの事、治しに(・・・)来たんだよね?」


 押し黙って何も答えようとしない黒髪の少女に代って、男は()(げん)に頷く。




「でも……ごめんね。私がそれを根本的にどうにかしてあげる事って、実は出来ないの」


 元凶はケーリュケイオンであり、それを子飼いにしているという運命神なら、至極簡単な事。


 (いやしく)もそう考えてしまっていたレルゼアは、反射的に問い返す。



「それは一体、どういう意味だ……?」



「まあ、全部話してると長くなっちゃうから……ある程度()(つま)んで話すとね」


 親友たる女給仕は語る。




 竜髄症は、確かに双頭竜ケーリュケイオンの持つ生と死の理がその根源となっている事に違いはなかった。


 しかしそれは、自分自身(・・・・)によって自然と(もたら)されるもので、この女神は全く関与していないし、そもそも出来ないものだという。



 運命神リヴァエラの役目は、冥界(ラヴィス・マイス)に戻った魂の(うろ)を、次の転生に向け、栄華神エファーシャの元に導く事。


 ただ、それだけ。


 しかし時に、生と死の不可分な理に(もと)り、理の輪から外れた魂が出て来てしまう。


 即ちそれが〝竜髄症〟や〝痛み憑き〟などと呼ばれる病状だった。




 具体的には極端に強い自己矛盾――同一の対象に対し、同じの強さの〝愛情と憎悪〟を同時に(いだ)き、自身の感情が立ち行かなくなってしまった時に生じるという。



 愛すだけなら、自らの生きる糧や、誰かを生かす糧となってくれる。


 ただ憎むだけでも、それはいずれ自身か相手を問わず、破滅の、死の糧となる。


 そうして人は、やがて生まれ変わり、巡りゆく。



 ただそれが全く同時に、完全に同じ強さで自身の中に生じてしまった場合。


 己の精神を際限無く損耗させてしまい、いずれ魂が襤褸襤褸(ぼろぼろ)になって、(つい)えてしまうのだという。



 それは死ですら無く、二つの理の輪から(こぼ)れ落ちてしまった状態。


 従ってその魂が生まれ変わる事もなく、永遠に消え去るのみ。



 そうならないように、両の首を併せ持つケーリュケイオンの力の余剰(・・)によって自発的に生じているのが、〝生と死を同時に併せ持つ症状〟だという。



 生じた傷や打ち身は、意識せずとも快方に向かう。


 それと全く同じで、失われていく自己の魂に対し、強制的に生と死の理が植え付けられ、正しい方向に向進む。


 竜髄症とは、単にその過程。


 人から見れば〝不思議な病〟ともいえるが、もっと大きな視点に立てば、至って普通の様態。



 近親者における連鎖発症や、為政者の罹患が比較的多いのも、このため。


 近しい者は、特に竜髄症の罹患者に対し、同じような感情を抱きやすい。


 また()き為政者は、民に対して複雑極まりない感情を抱きやすい。


 そしてこれ以上強い自己矛盾を内に抱えてしまわないよう、自ら〝他の生命全ての拒絶する〟状態に至るのだという。




 やがて、うら若く可憐な少女にしか見えない運命神は、時の失われた青い空を仰ぎ見て呟く。


「大まかな仕組みは、大体浮蝕と同じ……かな? ただ大地に芽吹くのは、理のバランスが極端に偏って来ちゃって、おかしくなって来た時だけ。あんなにも強い不和を自ら内包しちゃうのって、精々人間くらいだし」



 冷たい静寂(しじま)が辺りを横切る。


 そうして次に口を開いたのは、(くだん)の内包者だった。



「あーあ…………」


 納得と諦観。


 近くて遠いそれ、軽くて重い(まだら)は少しずつ混ざり合って、今更ながら腹の奥底に収まっていく。



 ――――そうか。これは病気なんかじゃなくて、私が、私自身に施した呪い。


 きっと、ずっと心のどこかに想い描いてきた、私の愚かしい願い(・・・・・・)と、それに対する()



 彼女から半歩下がったところに居た術士は、様子のおかしい彼女の顔を窺うべく足を踏み出すと、黒髪の少女はさっと距離を取って彼の方を振り返った。



 そのままクリスタのように小さく舌を出し、凪いだ瞳で、珍しく(おど)けていた。


「あはは……とうとうバレちゃった。私って案外、悪い子なんですよ?」


 きっとあの時、姉の秘密を知った時、芽生えてしまったのだろう。


 それ(・・)を知ってしまった事で、知らなかった頃の自分に、もう戻れなかったから――――。




 * * *




 あれは、レルゼアと出会う少し前位の事だったろうか。


 ふと、庶民向けの著名な旅芸人一座が直ぐ近くまで来ている事を知った。


 以前から何度も話題に上げていた姉が、ちっとも見に行こうとしないのを不思議に思ったため、色々と周囲に聞いて回ってしまった。


 それが端緒(たんしょ)で、そこからは芋蔓式だった。




 両親を失った状態で、郷里を追われ、年端も行かない自分達が生き残っていくのなど、並大抵の苦労では無い。


 確かに、泥水を(すす)るような時期もあった。



 ただそれでも、まさか姉が窃盗や(しょう)()の真似事にまで手を出していたなんて、思いもしなかった。


 その行為自身、耐え難くはあったけれど、何より今まで(ひた)隠しにされていた事が、余程悲しかった。


 一緒に居たのにずっと知らなかった事が、悔しくて仕方なかった。




 振り返れば、おかしな実入りや言動など、幾らでもあった気がするのに。


 信頼し切っていたが故に、何も見えてはいなかった。



 少し高価なあの旅芸人一座の件も〝別に、そこまで興味は無いよ?〟と退屈そうに笑うだけ。


 そんな筈、絶対に無いのに。




 私達の間は、いつから嘘に(まみ)れてしまっていたのだろう。


 大好きで、尊敬出来て、〝唯一の〟大切な家族。


 その事は、一生変わらないのに。



 心の奥底では、深く嫌悪する事さえ出来なかった。


 何を憎めば良いのかすら、全然分からなかった。



 耳にした噂の殆どは、生活も(まま)ならなかった凄く昔の話で、酒場(パブ)に住み込みとなってからは、すっかり足を洗っていたようだけれど。


 あの日以来、姉の事をこれから一体どんな目で見て行けば良いのか、どう接すれば良いのか、分からなくなってしまった。



 きっと、私を護るため。


 私に辛い思いをさせたくなくて。


 そんな事は、当然分かっている。



 今となっては、ほんの少し、ほんのちょっとだけ、姉の気持ちが理解出来るような気もする。



 一生懸命料理をして。


 どれ程(さば)く手が血に(まみ)れて、(せっ)(しょう)で汚れてしまっても。


 食べてくれる誰かが目の前に居て、美味しいよって喜んでくれて。


 たとえ何かを壊し続けたとしても、もしそんな風に必要とされるなら、感謝してくれるのなら、きっと報われてしまうから。



 それでも、それでもたった一人の、同じ気持ちの家族を盾にして。


 自身だけがその庇護(ひご)(もと)()()うと、手も身体も汚さずに生き長らえて来た。


 しかもその事を〝知らされなかった〟、(ひた)隠しにされてしまった。


 その事が、()(てつ)もなく苦しくて、寂しくて。


 何だか、ずっと信頼されていなかったんだって感じられてしまった。



 だから、表向きには明るく努めようと頑張って来たけれど、しばらくの間、内心(ふさ)ぎ込みがちになってしまった。



 きっとあの時、私は発症(・・)してしまったのだろう。


 朴訥(ぼくとつ)なこの術士と出会ったのは、そのほんの少し後。


 そうした事実を、少しずつ、真っ直ぐ心に飲み込み始めた時の事だった。

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