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6章-1 望みに臨む

 リテュエッタが彼女と二人だけで話をしたいと申し出たところ、フィーカは、〝ならば残すは(おと)()同士の密談じゃな?〟などと(うそぶ)いて、連れ立つ男の方を体良く追い払う。



 そうして術士の男は一人城砦庁舎(グランパレス)を離れて、宵闇(よいやみ)亭へと向かっていた。


 実際、不審な男が国賓と一夜を共にするなど、至って(みだ)りがわしく、余程の事が無ければ夜更けには追い出されるであろうと考えていた。


 ただ竜髄症を患った少女が、あんな風に自らの願いをはっきりと主張したのは、恐らく出会った時以来初めての事。


 少し気掛かりではあったけれど、それ以上に案じられたのは、自身の在り方だった。



 かの大衆酒場には、目的としていた例の見目麗しい親友とやらは不在で、夕食の代わりに値の張る果実酒を数杯(あお)り、酔い潰れる前に何とか宿へと辿り着く。


(まるで、イヴナードから追放された時の気分だな……(いや)、寧ろそれより……)


 彼は外套(がいとう)だけを荒々しく脱ぎ剥がすと、ベッドの上に大きく倒れ込みながら身体を捻って(ぎょう)()し、格子状に組み上げられた天井を仰ぎ見る。


 進んでここまで酔いたいと思ったのは、恐らく人生でまだ二度目。


 妹の発症を知らされた時以来だった。



 月白(げっぱく)に染まりつつある意識は、なかなか混濁してこない。


 (しず)かの耳鳴りだけが、辺りを包み込む。




 フィーカを名乗る国賓たる占星術士は、将来こちらが金に困って彼女を頼ると言って来た。


 そして彼女は逆にこちらの碩学(せきがく)(すべ)を見込み、何度も〝簡単な仕事〟を依頼するのだという。


 されどそれらはきっと少し先、(やや)もすると遠い未来の話だろう。



 リテュエッタの事については、当面手を尽くした。


 自身の過去を清算出来ないまま、英雄は死を望み、(しか)してこの国は今まで通りの加護を得られる事となった。



 巫蠱(ふこ)の未来視によって、少なくとも死罪でない事は間違いないだろうし、大将軍も何か(とが)めてくるような事はなかった。


 そうして手元に残ったのは、〝双頭竜ケーリュケイオンの元に辿り着く〟という、何の足掛かりも無く、絶望的な命題。


 全てが自由で、全てが八方塞がりとなってしまっていた。


 目下(こな)すべき責務は他に無く、だからこそ、明日からは(おの)が足で、(おの)が頭で、進むべき道を決めていかなければならない。



 あの日突然、目の前に落下してきた少女との出会い。


 最初はこの上なく厄介なものを抱え込んでしまったと嘆きこそすれ、その(じつ)、自身に対する救い(・・)だったのではと、今更ながらに思い至る。



 いずれ会話すら(まま)ならなくなってしまうだろうし、再びあのクリスタとかいう同年代の親友に頼ろうかと浅はかに動いてしまったが、今日のところは無駄足に終わった。


 もしあの女給仕が駄目なら、やはり再び、銀の手の巫女だろうか。


 答えの無い(わだかま)りだけが、(おり)のように深々(しんしん)と心に積もっていく。




 一先ず明日の朝、彼女を迎えに行かなくては。


 あちこち跳ね回る思考に翻弄されながら、男の意識はようやく深更(しんこう)の闇へと沈んでいった。




 * * *




 術士が〝天来の間〟を去って間も無く、ナズィヤの巫蠱(ふこ)は、自国の風習に則り、夕食の前に湯浴(ゆあ)みを(もっ)てその身を清めるという。


 リテュエッタも誘われたものの、相手が異国の要人である事に加え、自身の病に対する懸念もあり、時を(たが)えるよう申し出る。


 それに、温かい心地の中で一緒に居たら、折角手にした緊張と勇気(・・・・・)がそのままするりと抜け落ちてしまいそうで、怖かった。



 浴室は南塔の低層階にあるらしく、黒髪の少女が呼び出された時、フィーカは別の動線から戻ったようで、入れ違いになってしまう。


 湯船には浸からず、身体を簡単に拭い清め、手早く賓客の間へと戻る。



 自身よりずっと幼い見た目の彼女は、夕食には一切手を付けず、空々(うつらうつら)微睡(まどろ)みながら、リテュエッタの事を待ってくれていた。


 ほんの僅かに赤みがかった黒髪を全て下ろしており、瑠璃の差し色も今は見受けられない。


 どうやらあれも装飾の一つ、付け毛だったようだ。



 粗い(あさ)()の寝間着を(まと)い、薄化粧を落とし切った彼女は、何処にでも居る可愛らしい町娘のそれにしか見えなかった。


 寝惚け眼に伏せた睫毛の奥、(きら)めく(あか)い双眸を見て、ようやく彼女だと判断出来る。



 やがて二人には全く同じ夕食が振る舞われた。


 そしてそれは、とても質素な代物だった。


 ライ麦粉で作られたプレーンの厚焼きガレットと、香草を(まぶ)した小さな蒸し鶏、加えて豆の入った玉蜀黍(とうもろこし)のスープ、他は無い。



 彼女自身が望んだというそれを、ナズィヤ国の作法に則り、ただ黙々と食す。


 (おごそ)かと言えば、確かに聞こえは良いかもしれない。


 以前は家族や友人、最近は同行者の男と歓談を交えた食事ばかりだったため、銀の()だけが響く(ゆう)()は、何だか重苦しく、少しばかり詰屈(きっくつ)に感じられた。




 食事を済ませ、イヴナードの者と(おぼ)しき女給仕らが全てを下げ終えると、リテュエッタは性急に口を開き掛ける。


 しかし機先を制した小さな町娘は、それを軽々と遮った。


「――――腹(ごな)しに()(だい)にでも繰り出し、夜風に当たろうぞ」


 そうして羊毛で(かさ)のある外衣(ガウン)を彼女から受け取り、深い朱色をした窓掛け(カーテン)の向こうへと一歩踏み出す。




 視界の先には、星の数よりもずっと少ない光が大地に点在していた。


 そこは半円状のスペースで、小柄な二人が同時に両手を広げてギリギリ指先が触れ合わない位の広さ。


 飾り気も無く、頑丈そうな太い()(すり)()は数えられる程しか立っていない。


 幾ら騎士国の冬が穏やかとはいえ、この時期の夜風は流石に冷たく肌を切る。


 殆ど透明な吐息は、ほんの少しだけ白く濁っていた。




 先に立つ彼女の髪からは季節遅れの金木犀の香り付けが漂い、鼻腔を心地良く(くすぐ)ってくる。


 夜が明ければ、きっと以前()く使っていたミルシュタットの見晴らし塔と同じような景色が広がっていたであろう。


 あちらは赤煉瓦で、こちらは白い石灰岩の屋根という違いこそあれ。




「この街の営みの()、やっぱり好きだな……私の国のものより、ちょっとだけ綺麗で、温かくて、何だか手の届きそうな感じがする」


 フィーカはそう呟きながら、雲のようにふわふわとした外衣(ガウン)の前合わせを胸元でぎゅっと掴み、胸元よりも少しだけ低い欄干の上から眼下の街並みを覗き込んだ。



「……やっぱり、いつまで経っても私の名前、呼んでくださらないんですね」


 彼女と同じ大きさ、つまり自身に取ってやや小振りとなる外衣(ガウン)を羽織ったたま、覗き込んでいる背中に静かな詰問を投げ掛ける。



 幼き娘はくるりと(ひるがえ)って石造りの柵に背を預け、()も当然とばかりに言って退()けた。


「いつまで経っても全然教えてくれないし……そんな事より、貴女に合わせて久しぶりに普通に(・・・)話してみたんだけど……変、じゃない??」


 リテュエッタは小さく(かぶり)を振って、〝幾つかの意思〟を同時に示した。



 凪いだままの瞳で、巫蠱(ふこ)としての皮を剥いだ少女を見詰め返す。


「それって、私はもうこれから先、私からフィーカさんに名乗る事はない、つまり、〝これを最後にもう会う機会は無い〟って事……ですよね?」




 ナズィヤの国家元首たる彼女は、眼前の少女が生まれるよりもずっと前から、勿体付けたその語り口を続け、自身の本当の姿に蓋をして来た。


 そうせざるを得ない変化は、とても悲しい出来事の筈だった。


 今更そんな事を誰かに知って欲しいなどと露も思わないこの巫蠱(ふこ)は、不敵な笑みだけを浮かべ、明るく問い返す。


「それを訊いて、どうするの?」




 ――新しい事を知れば、見えるようになるものがある。けれど、逆に〝見えなくなる〟ものだってある。


 ――もし何かを知ってしまえば、必ず〝知らなかった頃の自分〟には戻れない。だから僕は、きっとお前のもう一つの目(・・・・・・)なんだろう。


 それは未来視など一切出来ない双子の兄の、誰に向けたものでもない、幼少期の呟きだった。




「貴女は本当に、その事(・・・)を知りたいの?」


 彼女は手摺りに背を預けたまま、先程まで中に居た塔の天辺付近にある小さな煙出しと、更にその先の濃紺じみた夜を見上げる。


「実は私……星占い(・・・)なんて全く出来ないの。あんな沢山の小さな光ばっかり見てたって、何も分かりやしない…………私は、〝私の直接()た世界しか()らない〟し、この先ずっと、()る事だって無い」



 占星術士にあるまじきその独白は、殆ど少女の憶測に対する答えだった。


 紛い物の彼女は思い切り(ちゅう)(くう)へと右手を伸ばし、星屑の海をその手で(さら)うようにしてそっと握り込む。



 ――あの鉱石術士が、今のまま自身を捨て置くとは到底思えない。それでいて、次に巫蠱(ふこ)と会う時は、既に自身と行動を共にしていない。


 即ち、その事実が指し示す未来とは。


「それって――――」




「意地悪で、名前も全然教えてくれない貴女の思っている通り……なのかな? それじゃあ、そろそろ戻ろっか。折角お風呂に入ったのに、これ以上身体を冷やさないようにしないと。ね?」


 これまでずっと占星術士の振りをし続けてきた幼子は、頭上にある半分より少し大きな月を眺めながら、彼女にではなく空に向かい、独り言のように呟いていた。





 国賓らの寝室は、〝天来の間〟と同じ最高層に位置する。


 巫蠱(ふこ)の少女は、暖炉の前に膝を抱えて屈み込み、手慣れた仕草で火掻き棒を使って(おき)()の薪を引き出している。


 そうして急に燃え過ぎないよう、(こて)を使って軽く灰を被せていた。



 貴賎を問わないそんな冬の日常を前に――自身の肌はもっともっと白く、髪の色はもっと深く黒かったかもしれないけれど――ふと幼き日の自身の後ろ姿を重ねてしまっていた。


 果たして両親は、こんな風に私の事をいつも見守ってくれていたのだろうか。




 リテュエッタは窓掛けの紐を解いて星明かりを遮り、ベッドの傍らにあったランタンの(あか)りを夕暮れよりも少しだけ(ほの)暗く弱らせる。


「ありがとう。そういえば私、誰かと同じ寝室なんて、いつぶりくらいだろう……ふふ」


 そう言って彼女は笑う。


 ベッドは二つ。


 それぞれ大の大人が三、四人で寝転がっても充分な広さだった。


 暖炉から遠い方に率先して入ろうとすると、幼い年上の女性からやんわりと制止されてしまった。

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