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5章-4 正しき行い

 憎むべきは神だけではなく、されど、復讐の矛先は既に無い。



「――――イリー……ジア…………」


 今更どんなに足掻いても、真実など得られず、色の無い虚ろさだけが英雄として(まつ)り上げられた青年の中に深々(しんしん)と降り積もっていく。


 不死の男は心の最も柔らかい部分を握り潰されたような感覚で、弱音を漏らしていた。




 ただそれは飽くまで少し遠回りしただけで、結局はメルクメリーの事を(ただ)した時と、何ら結末は変わらない。



 彼がそう気付いてしまう前に、思い至ってしまう前に、救いの手を差し伸べたのは、一番歳の近い(・・・・)、若き獅子ガヘラスだった。




「…………イリージア(・・・・・)?」


 双頭竜ケーリュケイオンの〝生の力〟を長く使い続けてしまったがために、死を許されず、人の世界から隔離され、生涯に(わた)って妻と離別させられた英雄。


 そして同じく双頭竜の呪いと(おぼ)しきもの受けた最愛の恋人に、あと一歩踏み込めず、その末期(まつご)を看取る事さえ出来なかったもう一人の彼が、イヴニスへと告げる。



(かしこ)くもそれは、我がグラム家の初代当主、誇るべき才媛(さいえん)の名です。英雄イヴニス……イリージア様は、貴方の実子(・・)であったと?」




 * * *




 当時の大賢者グリムクロアは、イヴニスを遠く東の地へと封じた後、何とかメルクメリーの居所を探し出していた。


 彼は深い自責の念を(もっ)て、これまでの顛末を(つまび)らかにする。


 それは彼なりの(しょく)(ざい)であり、懺悔だった。




 幼き子の母は、黙ったままその話を聞いていると、やがてその美しい顔を台無しにする程に歪め、深い(ゆう)()(たた)えたながら、ぽろぽろと泣き笑いして搾り出すように確認する。


〝……では、これからは、私達が地上からイヴニスを支えてあげないといけないんですね〟


 この人で無し、悪魔、そうした感情的な(そし)りばかりを想定し、自身に対してもそう評価していた老い先短い(ろう)()は、その言葉を聞いて呆気に取られていた。



 彼によって護られるではなく、逆にこちらが彼を支える。


 神に与えられた力をただただ怖れ、そうした発想を持つ事の出来なかった者は、驚きを隠し切れなかった。



 ――――解き放つ事こそ決して叶わないが、最後にお互いの顔を見せ合うくらいはどうか。


 そう何度も問い(ただ)してはみたものの、(かたく)なに彼女はそれを否定し、最期まで受け容れる事はなかった。




「いつの日かこの冷たい(・・・)態度で嫌われたくないから、どうぞ私の事は、彼に秘密にしておいてくださいね?」


 気恥ずかしそうな振りをして、そう願い出る。


 イヴニスから、アイツは()く勘定を間違えるし、感情的だし、あんたみたいに賢く(・・)こそ無いが、その温かさも良いんだと、何度も何度も聞かされていた。


 けれどそんな彼女は、誰よりも賢く、尊い未来を見据えていた。




 もし今また彼に逢ってしまったら、きっと泣いて縋り、解放を望んでしまう。


 そうに違いない。


 今でさえ、こんなにも苦しいのに。そんな事、考えるまでもなかった。




 大賢者様のお話を聞く限り、少なくとも彼は、この子が生きている間には、もう()には戻らない。戻れないのだろう。


 時の流れから外され、永遠に生き続ける事など、時の流れに身を任せる我々からすれば、静止した死人(しびと)も同然。



 もう共に歩む事が出来なくなってしまったのなら、下手に顔を見てしまって心が折れるより、いっそいつまでもお互いの心の中だけで生き続けた方が、ずっとずっと良い。



 そう自らを厳しく言い(くる)め、何とか自身を奮い立たせ、背中を押す。


 そうして大賢者の立てた(そう)()を生涯に(わた)って裏で支え続けたのは、かの〝王妃メルクメリー〟だった。




 私は我が(まま)だから、イヴニスが他の人(・・・)を好きになってしまうのは絶対に許せない。


 けれどやっぱり、多くの人から、誰からも慕われる存在であって欲しい。



 この新しい国で、いつの日か人として戻って来る日が訪れてくれるのなら。


 皆が優しく出迎え入れてくれるような、そんな温かい場所にしてあげたい。




 この先、〝廻し子〟によって、生まれて直ぐに本当の両親から引き剥がされ、強く生きて行かなくてはならない人達が沢山出てくる。


 その苦難は、きっと()き試練になるだろうけど、それでも辛い事(・・・)はきっと沢山起きてしまうのだろう。



 だから今、私だけが甘える訳にはいかない。


 イリージア…………願った通り、本当に素敵で、玉のように可愛らしい女の子。


 すくすくと育って行くその姿を、叶う事なら彼にも見せてあげたかった。




 だけどこの()なら、愛するあの人の子なら、きっと私なんかの手を離れても、しっかりと優しく育ってくれる。そう、信じている。


 だから代わりに私は、孤児(みなしご)達を沢山沢山引き取って、同じように愛を注いであげる事にしよう。




〝真実を見極め、正しい行いを為すこと〟




 私の変な口癖(・・・・)をすっかりこの()も憶えてしまい、いつも鸚鵡(おうむ)みたいに繰り返すようになってしまっている。


 以前ふと思い付いて、深く考えず、何だか格好良いなあって。


 ずっと座右の銘のようにして使い続けてきた、その言葉。


 彼からは〝勘定を間違えた時によく聞く、例の言い訳だよな?〟なんて毎回茶化されて。そうじゃないのと、いつも必死に抵抗してきたけれど。




 ――――お父さんはね、ずっと何処かで生き続けているの。


 真実(・・)とは、イヴニスの悲劇。


 正しい行い(・・・・・)とは、この先ずっと一人きりで、寂しく生き続けなければならない彼を、影から護り続けてあげる事。


 いつの日かお父さんを支えてあげて欲しい。


 支えられるこの国の(いしずえ)を、作っておいてあげて欲しい。




 そんな縷々(るる)な願いをほんの少しだけ込め、誇らしい我が子に弱いところなんか決して見せず、一度だけ深く抱擁し、真新しい修道院へと送り出す。


 今は少しだけ、この冷たく甘い痛みを受け容れる事にしよう。



 メルクメリーがその時我が()に与えた小さな祈り(・・)は、やがて時を経て、歴史に連なる彼我(ひが)の鎖となり、人の心を捨てようとしていたイヴニスを今ここに繋ぎ止めるに至った。




 * * *




 (きっ)(きょう)のあまり顔を上げたイヴニスの瞳の中に、優しい光が灯るのを最初に見出したのは、竜髄症の少女だった。


「――――王妃様(・・・)の次は、誇らしい初代の(・・・)当主様(・・・)と来たか……本当に次々と、(おお)(ぎょう)なこった」


 その王妃の夫であり、初代当主の実父でもあるこの青年は、少しだけ視線を落とし、幾つもの通り過ぎる感情を押し殺すようにして、そう独白する。



 深い(もう)(しゅう)に身を(やつ)しかけた彼に取って、その二つの話を真実と断定する根拠こそ無かったものの、一度は道を踏み外し掛けた決意から一転し、人として踏み止まらせるには十分な希望となった。




「それで……その初代当主の才媛(さいえん)様ってのは、一体どんな奴だったんだ?」


 囚われの青年は更に静かに目を伏せ、まだ見ぬ、そしてもう決して見る事の出来なくなった愛すべき我が()に思いを馳せる。



「……イヴナード初の女性の聖騎士として、聖騎士卿(デイム・パラディン)の愛称で親しまれたと伝え聞いています」


 ガヘラスは滔々(とうとう)と続ける。


「篤志家としても知られ、今のグラム家の名声をほぼ初代にして築き上げました。多くの子宝にも恵まれ、その全てを廻し子として取り成しましたが……夫である副当主様と仲睦まじく余生を過ごされ、天寿を(まっと)うされた、と。そう伝え聞いています」



 他の騎士国の民と同様に、直接的な血の繋がりになど執着しないガヘラスだったけれど、グラム家の(おこ)りが英雄の隠された直系であるという事実は、何だか誇らしいものがあった。



「…………そう、か」


 イヴニスはその才気溢れる生涯を聞いて思う。


 実の親の顔も見ないまま、勝手に成長して、勝手に歳を重ねて。


 (あまつさ)え勝手に名を残し、親を差し置いて勝手に天寿まで(まっと)うする。


 何て大層なご身分なのだろう。



 しかも神の力に翻弄されているだけの自分とは異なり、自身の力で(・・・・・)、その意志だけで全てを()し得るなんて。



 もしもあいつらの亡霊に逢えたのなら、死ぬ事が出来たのなら。


 見知った顔の老け込んだ婆さんと、見た事(・・・)も無い(・・・)皺くちゃな婆さんの二人から、〝お父さん(・・・・)〟だなんて、(しゃが)れた声で呼ばれる事になるのだろうか。




(――――何だかそれも、悪くはないな)




 そして彼の知らない二人分の人生を、(かしま)しく、長い長い時間を掛けて、耳に穴が空く程聞かされる。


 その時の彼女らは、一体どんな顔で述懐するのだろうか。


 幸せそうな顔をしてくれているのだろうか。


 辛かった事を吐露した時は、きちんと受け止め、慰めてやれるのだろうか。



 きっと叶う事なんて無い願いだろうけれど、もしそんな日が来たらと思うと、今から楽しみで仕方がない。




 ただ、もし本当にそんな日が来たとしたら。


 二人からは全く逆の心配(・・・・・・)をされていたであろう事に、彼が最後まで気付く事はなかった。


 私の夫は、父は、誰よりも強く長く苦難に耐え、この国をたった一人で裏から支えてきたのだと。


 だからもう……安心して、と――――。

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