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5章-2 贄

 一方の竜髄症を顧みると、運命神の子飼いたる双頭竜が関係しているという点は間違いなさそうだった。


 ただ、イヴニスに授けられた力とはやや性質を(こと)にするらしい。


 イヴニス自身、エファーシャからは特にそれについて詳しい事を何も聞かされてはいないのだという。


 ただ彼の中にある力の源が微かに共鳴し、何となくそう感じる事がある、と。



 恐らく。


 二つの首の持つ不可分な理を、何らかの不自然な切っ掛けで、その身に宿してしまったのかもしれない。


 魔人(ネフィリム)の鎖に捕らえられた男は、推測混じりにそう述懐する。


 他律的な(・・・・)生と死が、まるで〝毒〟のように体内で循環し、否応なく終焉へと導かれてしまう。


 恐らくは、そんな状態だろうと付け加えた。




 イヴニスは更に言葉を続ける。


「もしどうしてもそれを治したいって言うんなら、お前等のやろうとしている事は……そうだな、〝混ぜ終えた二つのスープを元通りにする〟のとさして変わらない。まぁこれは、今の俺自身にも言える事なんだがな――――」


 英雄たる青年は自嘲気味に鼻で笑いながら、来訪した術士らの目的、竜髄症の根本的な治癒についてそう(たと)えた。


 それは以前、ロレアから聞いた、〝どうやっても引き剥がせない〟というと感想と全く同じような印象を受ける。



 仮に泥のような小さな固体の混ざっただけの状態なら、綺麗に濾過(ろか)してやれば良い。


 巫女の奇蹟の力は、恐らく(けが)れという〝混ぜもの〟を()し取る類の能力なのだろう。


 だから仮に液体同士の話となると、それはもうどうしようも無い。




 沈黙する三人に対し、英雄から最後の答えが示された。


「……仮にそれがケーリュケイオンに起因するっていうんなら、そいつを探し出す事が出来れば、何か別の手立てが見付かるかもしれないが……まぁそんな事は、万に一つも無理だろうな」


 つまりは、雲を掴むようなもの。


 双頭竜の棲まうという創世樹は、浮遊大陸(ステアフロート)に根付くと言い伝えられている。


 されど、誰一人としてそれを見た者など無い。


 果たして、辿り着くための道程とは?


 レルゼアらは永久浮蝕、その最奥に鎮座する〝奈落〟にまで足を踏み入れ、(あまつさ)えそこで冥府神との邂逅(かいこう)を果たして来た。


 加えてここで、四百年もの間封じられ続けてきた英雄と実際に言葉を交わしている。


 しかしここから先もまた、遠く霞んだ御伽話の一節でしかなかった。





 行き詰まってしまい、鉱石術士がこれまでの内容を整理すべく黙考を続けていると、騎士ガヘラスが合間を縫って、彼の最も知りたがっていた事を尋ねる。


「ならば……ならば何故ラピスを……()を、貴方は欲したのでしょう」



 話し尽くして退屈そうに中空を眺めていたイヴニスは、直接その名を耳にした記憶は無かったものの、問い掛けた男の表情から、何となく誰の事かを悟った。


「――ラピス…………あれか、この間の、ピーピーと女々しく泣き続けてやたら鬱陶しかったあの女の事か」



 問いを投げた若き獅子は、それを聞いてつい頭の中がかっと熱くなり、反射的に苦言を呈しそうになる。


 しかし、先のイヴニスの尋常ならざる取り乱し方を想起し、出来るだけ平静を努め、静かに頷いて続きを待った。



()……か。あんなもんはただの言葉の綾(・・・・)だ。そもそも偶発的な事故だしな」


 そこでイヴニスは、若干言葉を濁す。


「だが…………そうだな、あれは死に場所を選べない奴等に、どう足掻いても死ねない俺の短い話し相手(・・・・・・)を頼んでいただけだ」


 そうして()()けた英雄は、場都(ばつ)が悪そうに目を伏せ、しばらくの間口を(つぐ)んでいた。





 ――――あれは自身が封じられて恐らく二百年程。今から数えても約二百年程前の事だったろうか。


 この玄室(げんしつ)に、あの年端も行かない幼子が訪れたのは。



 当時から厳重に封じられていた筈だが、その幼子はどうやってかこの場所へと辿り着いてしまった。


 元は高級そうだったものの、既に襤褸襤褸(ぼろぼろ)になった衣服を身に(まと)っている。


 見たところ十にも満たない年頃で、男だったか女だったかすら、もう憶えてなどいない。



 イヴニスはこの時初めて、その幼子、即ち〝痛み憑き〟の罹患者に対し、自身の力と何か近しいものを感じ取っていた。


 衣服の汚れ以外に目立った外傷は無さそうだったけれど、かなり衰弱しており、酷く怯えた様子だったのを何となく憶えている。


 視力も衰えてしまっているようで、しばらくはこちらの存在に気付く事すらなかった。


 少し距離が離れてはいたものの、大きく呼び掛けてやると、その子供は驚いて(うずくま)りながら近寄ってきた。


〝――――どうして、普通にお話(・・・・・)が出来るの?〟


 すぐ(そば)まで来たところで、予想外の返答が返ってくる。


 その子供は既に病魔の末期を迎えていたようで、声は酷く嗄れ、白目は赤く染まり、熱に(うな)されたみたいに呼吸が常に荒かった。


 そして喉元には赤黒く大きな血腫(けっしゅ)のようなものが顔を覗かせている。


 時折激しく嘔吐(えず)きながらも、嬉しそうな笑顔を浮かべ、こちらを見上げてきた。



 〝――――良かった、すごい、ちゃんとお喋り出来るんだ!〟


 その子供が誰かと話したのは何日ぶりだったろうか。


 肺もかなり弱って来ていたのに、一旦話し始めると、(せき)を切って止まらなくなっていた。



 両親の事。家の事。最近は空腹にもならないし、喉も渇かない事。


 誰かと話すと酷く苦しくて、身体中がズキズキと痛む事。


 それによって追い立てられ、しばらくの間、この地下水路に逃げ込んでいた事。


 〝お前は呪われている〟と罵られた事。


 どうしてこうなってしまったのか、全然分からない事。



 そして眼前の男についても、何故鎖で繋がれているのか、それはいつからなのか、何故自身と普通に話が出来るのか、その幼子の興味が当面尽きる事はなかった。



 一生懸命に会話していると、時折気を失うように、まるで死んでしまったかのように瞬時の眠りに就いては、しばらくしてふと目覚める。


 彼自身、痛み憑きの罹患者を見た事は無かったが、これがそうなのかと、直感的に悟っていた。


 歴史に消えた英雄は、そんな幼子から、数日を掛けて今の地上の状況を教えられ、逆に英雄は、彼の持つ古い知識や胸躍る昔話を幼子に教えてやった。



〝――そんな病気だったんだ。でも、お母さん達に移さなくて良かった〟


 これまで(みだ)りに虐げてきた者達に対し、幼子は笑顔を浮かべ、(のん)()にそんな感想を口にしていた。


 最近の辛く当たられた記憶は既に擦り切れ、もう温かく接してくれた時の遠い記憶しか思い出せないようだった。




 そうしてこの朝も夜も訪れない部屋で、一週間くらいは共に過ごしていただろうか。


 やがて、変化は訪れる。



 この特殊な独房(・・・・・)に異常が無いかを稀に見回りに来ていた兵士が、普段なら扉の外までのところ、錠前が外されている事に気付き、慌てて中へと押し入って来た。



 焦りからなのか、この玄室(げんしつ)の異様に魔術じみた光景には目もくれず、罪人の傍らにあった侵入者である幼子を見付け出す。


 既に一日の大半を眠って過ごすようになってしまっていたそれ(・・)に対し、訪れた兵士は声を掛けてみるが、直ぐに苦悶に満ちた表情を浮かべ、不思議そうな顔をしていた。



 もしこのまま連れて帰ってしまったら。皆が不幸にしかならないであろう。


 イヴニスは〝我が力の源だ。捨て置け〟と咄嗟にその子を庇う発言をしてしまった。


 ただ兵士はこの不気味な地下牢の罪人が、〝かの英雄〟本人だとは知らされていないため、意味が分からず(さい)()の子を連れ去ってしまう。



 奇しくも、それが〝贄〟の発端だった。



 どうやら見回りの衛兵は、念のためその言葉を上に報告したようで、やがて封印の仔細を知る者らの耳に入り、幼子は後日別の騎士に連れられて戻って来た。



 哀れなその子は、やがて艱難辛(かんなんしん)()の末に命を落とすも、その後は不定期に痛み憑きの罹患者が彼の元へと運ばれるようになってしまった。




(いずれ、この世界の何処からも居場所が無くなるような連中だ。俺となら関わっても平気なようだし……奴等にとっては、ここが一番安寧なのかもしれない)


 イヴニスは次第にそう考えるようになっていた。


 最初はせいぜい鉄球付きの足枷くらいだったが、次第に月日が経つと、彼を繋ぐ魔人(ネフィリム)の鎖の贋作のようなものが(しつら)えられ、英雄と並べて両腕を吊される形になった。


 通常なら(はりつけ)に近い格好で窒息死の可能性もあったが、彼等は数日程度呼吸が途絶えたところで、再び意識を取り戻すため、それが死因となる事はなかった。



 これまでは本当の死期が近付くと、耐え難い苦痛を早く終わらせようとして自ら首を絞めたり、苦痛を紛らわすために全ての爪が剥がれ落ちるまで床を()(むし)るのを、イヴニスは何度となく目の当たりにして来た。


 だからそんな()き目に遭わないよう、両腕を束縛されるのも(かえ)って悪くないと考え、敢えて誤解を解こうともしなかった。


 少なくとも気を失っている長い間は、苦しまなくても済むのだから。




 (しか)して彼の前での痛み憑き達の生き死には、いつもいつも同じ顛末となった。


 最初は強い怒りや悲しみ、怯えなどを携え、この玄室(げんしつ)へとやって来る。


 やがてそれは長い時間を掛け、絶望や諦観(ていかん)へと姿を変えて行く。



 そうして(まつ)()の瞬間だけは、激しい苦痛から解放され、健やかで穏やかな、まるで満たされたような面持ちで、静かに息を引き取っていく。



 他の生命を全て拒絶するその遺骸には、(うじ)すら湧かず、丸一日ほど掛けて砂の山のようにザラザラと溶け落ち、朽ちて行く。


 そうして最後には骨すら残さず、完全な塵となって消えて行った。



 しばらくして亡骸(なきがら)を回収しに来た者達が持ち帰る事ができたのは、精々衣類などの身に着けていた物くらい。


 霧のように忽然(こつぜん)と消えるその()(まか)り方もまた、英雄に贄としてその身を捧げたのだという憶測を増長させたようだった。




 * * *




「――あの女は、ここに来た奴の中で恐らく一番長く生きた。一体、何年くらいだったろうな……色々と鍛錬を積んでいたようだったが、その割にはいつもめそめそと泣き続けて、本当に最後の最期まで、ただただ女々しかった」



 美化する事も無く、誇張する事も無く、淡々とした明け透けな感想。


 古びたこの英雄は、恐らくこれがこの未熟そうな眼前の青年に対し、一番誠実で、彼が最も欲してきた答えなのだろうと悟っていた。


 自身がその想い人(・・・・・)に対して、真実を望むように。




 ガヘラスは改めて胸を(えぐ)られるような気持ちで反射的に顔を背けると、自然と拳を強く握り込んでいた。


 (ひるがえ)って実兄の方は、自身の良く知る彼女と懸け離れ過ぎていたため、そんな姿を想像すら出来ずにいた。


 単なる絵空事として、何処か別人の出来事のようにそれを聞いていた。




「余り死んだ(やから)の話していた事をべらべらと言いふらしたくは無いが……そうだな、(ねんご)ろになった男なら、きっと今頃、こうして贄になった事を誇りに思ってくれている……いつもいつも、そんな事ばかり呟いていたな」


 それはまるで、祈るような静かな口ぶりだった。


「たとえ自身が死んでも、そいつなら過去に囚われず、前を向いて強く生きてくれる。そう信じて疑わなかった。どんなに女々しくても、そこだけはいつも真っ直ぐで、決してブレる事はなかった」



 英雄イヴニスはそんな彼女の真っ直ぐさと同じようにガヘラスを凝視し、(さと)す。


「お前がどうしても知りたかったのは、あの女の最期の話だろう? これで満足したか? ――看取ったのがお前でなく、こんな何処ぞの馬の骨(・・・・・・・)で、本当に悪かったがな…………」


 それは決して社交辞令や自虐ではなく、口が悪いながらも、彼なりの真摯な謝罪だった。



 若き騎士は改めて肩を大きく落としながら、今し方英雄から聞いたそれを、まるで自身への罰の如く、強く噛み締める。


 そうして(きつ)く目を閉じ、失ってしまったかつての恋人を(しの)び、最愛の人が望んだという自身の在り方に、我が身を駆り立てようと必死だった。

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