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5章-1 灰市街の底

 リテュエッタとレルゼア、それにガヘラスの三人は、騎士国の地下に張り巡らされた広大で巨大な暗渠(あんきょ)網を彷徨(さまよ)っていた。


 (ほの)暗い水路脇の地下通路には、ぽつ、ぽつと一定間隔で松明や発光ガス、天井口などの明かりが整備されている。



 また主要な経路の脇には、整備や点検などのため、数人が横に並んでも問題ない程の幅広い石畳の歩道が敷かれていた。



 通気口も一応何処かには設けられているようだが、全体的にじめじめと湿気っており、気温が低い割にはかなり不快さが強い。


 騎士国イヴナードは比較的歴史が浅かったので、建国時から最先端の灌漑(かんがい)や治水技術を広く取り入れる事が出来た。



 広大な土地計画を立て、順番に開拓していく事が出来たため、首都のエリアの大半でこうした暗渠(あんきょ)による取水と排水が可能になっており、余程の郊外でない限り、井戸の利用は少ない。


 そして稀に困窮者や後ろ暗い集団がここを根城とするため、迷路じみたこの暗渠(あんきょ)網全体を、灰市街(グレイアブス)と揶揄する者もある。




 あの日、若き騎士ガヘラスとの接触後、彼からは早々に二日程で打診があった。


 イヴニス神殿の地下といっても、実際に英雄が封じられている場所まで神殿内からは直接繋がっていないようだった。


 つまり、この神殿の真下を流れる水路網の中に、もっと地下深くへと通ずる道が隠されているのだという。



 加えて彼からは、その日の内に早速侵入を試みたいという提案があった。


 拙速に過ぎる気がしたものの、どうやら今日は運良く国賓が訪れる予定になっており、警備が城砦庁舎(グランパレス)に付近に集中するため、他が比較的手薄になるらしい。




 * * *




 コツ、コツと三人の足音が不規則に響き続ける。


 カンテラを掲げて先頭を進んでいたガヘラスは、不自然に折れ曲がった通路の脇で足を止め、後続の二人へと告げた。


「……やっと見付けられました、恐らくここです」


 丁度明かりと明かり差す間で、少し暗がりになっている辺りに、特殊な文字がひっそりと刻まれている。


 先程も通った気がするが、小さ過ぎて見落としてしまっていたようだ。



 それは六つの小さな古代文字(ルーン)で、彼は片手で器用に三つの文字を隠すと、石壁の一部が暗く、音もなく()げ落ちていく。


 恐らく芸事(げいごと)の神ヴァルネリットの隠匿術か何かを応用した目隠しだろう。



「行きましょう――――」


 隠し通路の奥は土が剥き出しで羨道(えんどう)のような細い下り階段となっており、ガヘラスは臆することなく手狭な(あい)()を先導してくれた。


 水路脇のような点在する光源も無く、彼の持つカンテラの明るりだけが頼りだったため、歩みを進める度、深い谷底に向かって延々と落ちておくような感覚に囚われる。


 暗がりに埋め尽くされるのは閉塞感こそあれ、呼吸は普段通り出来ており、頬を過ぎる僅かな風の流れも感じられた。



 土の階段は然程長くはなかったようで、やがて最奥の階へと辿り着く。


 短い通路の先、古びて所々(かび)が生えたように見える青銅の扉が彼等の行く手を遮った。


 (かんぬき)が掛けられており、ガヘラスはそれに目に遣ると、少し顔を(しか)める。


「……流石にここの鍵までは調達出来ませんでした」



 しかし()く見ると比較的新しい錠前のようで、余り頑丈そうには見えなかった。


 彼が試しに何度か短剣の(つか)(がしら)で思い切り打ち付けてみると、あっさりと破損して外れてくれた。


 幸い他に特殊な防護術などは施されていなかったようで、若き騎士は安堵する。



 侵入の痕跡を残してしまった事をレルゼアは憂慮したが、破壊した方のガヘラスは些事とばかりに、一切気に留めていないようだった。


 そうして勇猛なる若き獅子は、微かにその指先を震わせながら、ゆっくりと扉を開け放つ。




「……よお、今回は少しばかり早かったな」


 少し(かす)れた男の声が、部屋の奥から響き渡る。


 扉を開けた先は全体が石造りで、〝玄室(げんしつ)〟ともいえる小部屋全体が(けし)(むらさき)に薄ぼんやりと光っていた。


 壁には古き時代の紋様と思われるものが数多く刻まれている。



 高さこそ大人二人分も無かったけれど、小さな広場くらいはあるだろうか。


 そして部屋の中央には、人の姿と微かに(たわ)んだ二本の光る線が見える。


 その光の影は、侵入者である三人の元へと小さな道のように足元へと這い寄って来ていた。



 最大限に警戒しながら近付いて行くと、囚われの男が、両腕を翼のように大きく広げ、膝を突いている。


 白く輝きを放つ巨大な鎖によって、まるで操り人形のように両腕を天井から吊り下げられていた。


 直ぐ近くには同じような(すす)色をした鎖が二本、誰も捕らえない手枷が(うろ)(たた)え、だらんと垂れ下がっている。


 恐らくこちらは〝(くだん)の贄〟のために(しつら)えられたものだろう。




これ(・・)が、かの英雄イヴニス……?」


 最初にそう呟いたのは、若き騎士ガヘラスだった。


 ここまで()(すぼ)らしい格好とは、三人のうち誰一人として想像すらしていなかった。


 目の前に囚われているのは、襤褸(ぼろ)(まと)い、顔もこれといった特徴のない、何処にでも居るようなただの()せぎすな青年。



これ(・・)……とは、随分な物言いだな」


 吊り下げられた(そう)()の青年は冷笑し、唇の端を大きく持ち上げる。


 奇しくも地上に(まつ)られている彼の偶像――白銀の鎧を(まと)い、雄々しく()(じょう)()なその姿とはまるで別人、それどころか正反対な印象を受けた。


 俯いた顔は頬が酷く()け、垂れ下がった鈍色(にびいろ)の前髪の間からこちらを淡々と()め付けてくる。


 よく見ると歳の程はガヘラスと同じか、僅かに上くらいのようだった。




「こないだのジジイ共じゃねぇな、たまには趣向を変えてみたってか」


 イヴニスと(おぼ)しき男の言葉に、リテュエッタは得も言われぬ恐怖と不快さを感じ、無意識に()(じろ)いでいた。



「…………ああ、成る程、今回は貴様(・・)か」


 全き英雄は、この竜髄症を患っている少女を見遣ると、何か感じ取ったのだろう。



 リテュエッタは自身でも気付かない内にジリジリと恐れ(おのの)くように()を下げる。


 レルゼアはそんな彼女の前に半身割って入り、英雄陛下の睥睨(へいげい)から怯える少女を庇うようにして、泰然とその前に立ち(はだ)かった。




「この()は贄ではない。我々は話をするために伺っただけだ。貴方に授けられたという、女神エファーシャの力と竜髄症の関係を、どうか教えていただけないだろうか」


 レルゼアは率直な探りで、フレア=グレイスの(なな)(はしら)、その栄華神に付けられた女神の名を尋ねる。


 そしてその名を聞くや否や、()(すぼ)らしい青年の目にはギラギラと暗澹(あんたん)たる輝きが宿った。



「エファーシャ…………だと?」


 栄華神と英雄との関係を知る者など、()うに存在しない筈。


 そう考えた青年の中で、突如全身の血を沸騰させたような激昂(げきこう)が湧き上がる。


 それは直ちに()(れつ)な悪意へと姿を変え、両腕を引き千切らんばかりに光る鎖を何度も手首で打ち引いた。



「クソがッ……!! あの(あま)、こんな忌々しい力を俺に寄越しやがって……絶対に、絶対にぶっ殺してやる! 巫山戯(ふざけ)るのも大概にしろよ!! 散々に人を弄びやがって!!」


 ガヘラスは咄嗟に腰に提げていた長剣の(つか)に手を掛けて防衛姿勢を取ろうとしたものの、レルゼアはここで敵意を見せるのは得策でないと手で合図し、彼を制する。




 英雄であろうこの青年は、鬼人(オーガ)にも似た形相で、今にも殴り掛からんばかりに何度も何度も手枷に繋がれた拳を打ち引き続けた。


 殆ど身動きが取れない状態であるにも(かか)わらず、その鞭のように束縛の鎖を腕から(しな)らせ、波打たせ続ける。


 彼を繋ぎ止める胴周り程もあった巨大な鎖、光輝く魔人(ネフィリム)の鎖が真一文字に引かれる度、玄室(げんしつ)が微かに揺れ動くような錯覚に陥る


 まるで、大蛇に丸飲みされたかのような気分だった。




 但し、因果すら繋ぎ止めるというその鎖が彼を解き放つ事など決してない。


 たとえその両腕が引き千切れられようとも、そうした事実すら無かったかのように、彼を束縛し続ける事だろう。


 冥府神が手を貸し、大賢者が施した封印とは、そんな余りに強固なものだった。




 イヴニスと(おぼ)しき誰かは、しばらくの間(じゅ)()のように罵詈(ばり)(ざん)(ぼう)を撒き散らしながら、(ごう)(はら)の矛先を探し続けていた。



 両手を吊られた英雄がようやく疲弊し、息も絶え絶えになってきた頃、レルゼアは努めて冷静に再び問い掛ける。


「……我々は、貴方の力の元を辿れば、竜髄症をどうにか治療出来るのではないかと考えた。エファーシャの事も実は()く分かっていない。無知なる私達に、どうか色々と教えてはいただけないだろうか」



 男の手首からは血がうっすらと滲み、前腕を薄く細く、血管が浮き出たかのように滴り落ちていた。


 更に口の中も少し切ったのだろう。血痰を唾棄(だき)しながら呼吸を整えている。


 そうして来訪者の三人は、静かに英雄の答えを待っていた。



「はっ……そういう事かよ」


 僅かな沈黙の後、イヴニスは軽く舌打ちし、こちらまでギリッという強い音が聞こえてくる程歯噛みし、唸る。


「つまり、お前等は本当に何も知らねぇし、いつもの連中とは対極(・・)って事か……」


 訪れた術士らはその意味が分からず、ただ黙し続ける。


 青年は白眼視のまま眉を(ひそ)め、やがて短い嘆息を挟み、ようやく当初の落ち着きを取り戻し始めていた。



「――――どのみち飽きる程永く暇を持て余している。仕方ねぇ、気の向く間位、お前等の下らないお喋りに付き合ってる」


 そう詰まらなそうに吐き捨てた後、彼はほんの少しだけ、かつての明哲さと、今尚英雄として語り継がれる力強さの片鱗をようやく(かい)()見せた。




 * * *




 英雄イヴニスは語る。


 栄華の女神から(たまわ)ったその人ならざる異彩の力は、双頭竜ケーリュケイオンの片割れの〝写し〟だという。


 伝承に生きる古代竜のそれは、運命神リヴァエラの子飼いとして、転生を司る幻獣。


 双頭竜はその二つの首で、創世樹の根元から生と死それぞれの理を交互に汲み上げ続けているものらしい。



 これに対し栄華の神エファーシャは、その竜の〝生の首〟に宿る力だけを器用に写し取り、瀕死になっていた彼に授けた。


「……あいつのやった事は、正に神の()(わざ)そのもの。(はた)から見ればただの()(たら)()、奴は本来は対になって(しか)るべき道理の片方だけを、強引に創り出しやがった」


 彼は三人の向こう側にある遠い景色を思い浮かべながら、目を細める。



 ――――上と下、左と右、北と南、東と西、表と裏(・・・)


 それらの相克(そうこく)する(つがい)は、互いの存在があってこそ初めて意味を成すもの。


 本来であれば、ケーリュケイオンの汲み上げている理も、そうした対となるものだった。


 ただ女神エファーシャによって新たに(かたど)られ、彼に授けられたそれは、まるで〝裏のないコイン〟。


 しかも〝両方が表〟という訳でもない。


 そもそも最初から裏だけが存在しない(・・・・・・・・・)もの。



 敢えて無理にでも例示するなら、水面(みなも)に映ったコインを()り抜いて取り出した、そんな人知を越える代物だった。


 そしてその〝生だけの力の虚像(・・)〟は、溢れ出る不死者(アンデッド)に対しては、暴虐極まりないものとなった。




 奈落から不死者の溢れ出したという〝尽瘁(じんすい)の動乱〟。


 亡者共は普段、意思も力も持たず、ただ(ゆう)(じゃく)に消え去るのを待つのみ。


 しかし稀に強い怨念や呪術を身に帯びる事で、世界の理を破ってまで存在し続けてしまう。



 本来であれば、そうした不死者らは何かしらの浄化や(しゅく)(とう)を施してやらねば、完全に滅してやる事が出来ない。


 物理的に切り崩しても、引き裂いても、理の逆行によって、再び形を結び直してしまう。


 尽瘁(じんすい)の動乱で表出した不死者らもまた、同じだった。



 冥府神ラズラムの(ふん)したという魔道士ニベルが味方に付いていたとはいえ、そうした無限ともいえる圧倒的な物量に対し、人々は酷く苦戦を強いられた。


 しかし、栄華神が気紛れでこの青年――英雄イヴニスに授けた〝生の力〟は、こうした永劫の死(・・・・)と対になるもの。


 だから彼が軽く剣を振るだけで、ほんの少し物理的に触れるだけで、不死者らを生と死の()へと強制的に立ち帰らせ、容易に消滅させる事が出来たのだという。




 そうした神々の力の行使により、人々は溢れ出す莫大(ばくだい)な不死者の群れを次第に後退させ、後に〝尽瘁(じんすい)の動乱〟と呼ばれる大規模な厄災を何とか鎮め切る事が出来た。


 黒の魔道士ニベルも、当然人知を越えた神の力を行使する事が出来たものの、慎重に慎重を期し、的確な助言や僅かな助力といった程度しか行わなかった。


 というのも、冥府の神は飽くまで理の維持を最優先としていたためで、栄華の神エファーシャのような(けい)(ちょう)で奔放な力の下賜(かし)を好まなかった。


 実際ニベルは幾度となくイヴニスに対し、〝行使し続ければ、いずれ飲まれてしまうであろう〟と、無機質で単調な警告を発し続けていた。


 しかし、その(ひと)(はしら)の真意など人である彼には到底理解出来ず、後に英雄と呼ばれるまで、その力を安易に行使し続けてしまった。



 そうして動乱を乗り切るまでの長期間、長らく共存してしまった事で、次第に力と同化して行き、自らを人とも神とも分からぬ厄介な存在へと昇華させてしまった。


 やがて二度と死ねなくなる事(・・・・・・・・・・)が、どれほど人の身に余る(おぞ)ましいものなのか、想像も出来ないままに――――。

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