4章-6 運命との別離
何という事だろう。
本当にこの娘は、賭けに関しては悪魔の如く貪婪になる。
もしここで私が形振構わず止めてしまったら、それこそ隠し事があると自白しているのと何ら変わらない。
先ずは彼と同じように、隠し事が本当に無いか悩む振りからしなくてはならない。
あろう事か、この術士はクリスタちゃんの勢いに押され、彼女の挑戦を受けてしまった。
そもそもあんな酷い事、絶対に考えないようにしなくてはと、散々苦労して今まで自分自身の心に蓋をし続けて来たというのに。
それは本当に本当に小さな芽かもしれないけれど、もし彼が負けたら、改めて〝どうなのか〟と問われてしまう。
少なめの食事は既にほぼ終えてしまっており、食器類をクリスタが粗方引き上げて行くと、彼女は給仕らしく布巾で食卓を丁寧に拭いて場を整えていた。
「じゃあさ、何の勝負しよっか? 私は別に何でも良いんだけど……そうだ、如何様も、〝見つからなければ有り〟で良いよ? 騎士国の人達ってさ、ホント根が真面目で、やってて詰まんないんだよね……」
「済まないが……賭博には余り詳しくない。何にするかは任せよう。難しく無いものだと助かるのだが」
ふぅん、と彼女は値踏みするようにして改めてレルゼアに視線を注ぐ。
そうしてリテュエッタと席を交代し、向かいに座ると、結い上げていた髪をそっと解いて流れる水のように下ろした。
キラキラと光る金糸のようなそれを彼女は軽く指で撫で梳く。
解いたばかりだというのに、不思議な程に癖が付いていなかった。
「詳しくない、任せる、とか言いつつ、その静か過ぎる目。まるで〝負ける気がしない〟って言ってるみたいだよ? もう、そういうの大好き……惚れちゃうかも」
そう言いながら彼女は上目遣いになって、フードに隠された彼の双眸を覗き込む。
(――――クリスタちゃん、相当乗り気だ……)
大好き、とか、惚れちゃう、とかいうのは、興が乗ってる時の彼女の口癖だった。
更に彼女は勢いに任せ、自身の身体まで賭けそうになる事が度々あったものの、そういう時は必ずリテュエッタが傍に付いて、必死になって宥めていた。
しかし彼女は、そういった時に限って、本当に無類の強さを見せた。
どんな突発的な、偶発的な賭けですら、まるで結果が吸い寄せられるように、彼女を勝利へと導いていく。
だから負けた相手は皆、不正を疑って怒り出すよりも先に、ただただ畏れ慄くばかり。
コイントスや賽どころか、勝負所に限っていえば、〝小鳥の飛び立つ方向〟といった偶然すら、完全に読み勝っていた。
「じゃあさ、〝High&Low〟にする?」
彼女は懐から大アルカナのタロットを取り出し、ニッコリと微笑む。
「これなら、簡単だし大丈夫だよね。私が親で良いから、貴方が上か下かを決めてね。一発勝負にしよ?」
そう言って卓上に大きく札を広げて攪拌し、澱みなく一所に整え、再び手元に戻す。
やがてゆったりと閑雅な手付きで切り混ぜながら、優しい子守唄のように、誰に宛てるともなくぼんやり呟いていた。
「――――私ね、これから起きる事に対して〝運命〟って言葉を遣うのは、大っ嫌いなの」
周囲の喧噪も随分減ってきており、クリスタの独白は二人の元にしっかりと届いていた。
「運命なんてのは、我武者羅に最善を尽くして、あれこれ悩んで、ぶつかって……色々と起きた後にふと振り返ってみて、そこでようやく、あ、あれって運命だったんだ……って分かるものなんだよね……」
続く言葉の後、マーガレットの花弁を思わせる白い指先が礑と止まる。
「事前に色々と決め付けちゃうのは、そんなの全然運命なんかじゃなくって――ただの諦めと言い訳」
そうして綺麗な指先で、綺麗に整えられた山札がそっと据え置かれる。
「こんな運命に負けない、こんな運命なんかに負けるもんかって自分を奮い立たせる時に使うのは好き。でもね、そうして頑張った結果の方が、本当の運命なんだよね」
彼女は口元に柔らかく微笑みを浮かべたまま、瞳だけは強く憂いを帯び、黄金色の睫毛を薄く被せ、札の集まりからゆっくりと一枚目を引く。
「あれ? 愚者だ……引き直しするね。もし魔術師だったら、殆ど勝ちも同然だったのに。惜しかったね」
見目麗しき給仕は、場都が悪そうに苦笑しながら札を元に戻し、また静かに切り混ぜ始める。
その間ずっと、リテュエッタは両の拳を膝の上に置き、握り締めたまま深く俯き、何も見ないようにしていた。
一方のレルゼアは、切り混ぜる手元ではなく、終始楽しそうな女給仕の相貌をじっと見据えていた。
再び山札が置かれ、最上段から一枚目が引かれる。
「太陽、だね」
そう呟いて二枚目を引き、伏せたままの状態で横に並べた。
「――――さあ、どうぞ」
彼女は裏返しの札に手を差し伸べ、レルゼアに答えを促した。
彼は一呼吸し、〝High……かな〟と、淀みなく答える。
「うわ、勝負師さんだね……!」
太陽を上回る札は、たったの二枚―――審判と、世界。
「ねぇ、本当にLowじゃなくて良い? 因みに私は、流石にLowって思うな。多分、正義か恋人辺り。別に勝負を棄ててるって訳じゃないよね?」
改めて問われたレルゼアは、静かに頷く。
きっと観戦する少女が顔を上げていたら、必死になって止めていただろう。
「それじゃあ仕方ない、か……貴方がさっき賭けたもの、ちゃんと忘れないでね?」
そう言って不敵に笑っている。
確かにかなり分の悪い方なのかもしれない。
それでも、ただ何となく。
本当にただ何となくの直感で、いつもなら絶対に信じないその不確かな何かを、今だけは素直に信じてみる事にした。
「――――じゃあ、私の……」
呟きながら、彼女の細い指先が札を撫でつつ翻したところで、礑と息を呑む。
結果は――――世界の逆位置だった。
「私の勝ち……だろうか。札の向きは関係なかった筈だが」
レルゼアは少しだけ息を吐き、安穏と呟く。
黒髪の少女は彼の宣言を聞いて即座に顔を上げると、両手を口元に当てて絶句してしまっている。
「えっ? あっ、あのクリスタちゃんが…………」
その後にもう言葉は続かず、ただ目を白黒とさせていた。
負けた方の彼女も、ただ無機質な瞳を大きく見開き、二つの札をじっと見詰め続けていた。
どれくらい経ったであろう。女給仕がその固い面持ちをようやく崩すと、開口一番戯けつつ、
「あ……あれ? 仕込み間違えた? あーあ、折角こっちに来ても連勝街道まっしぐらだったのに……とうとう私の十八番が……何だか完敗って感じ」
一旦机に突っ伏す素振りをしつつ、また直ぐ勢い良く顔を上げ、再び捲し立てる。
「責任取って貰うように、序でに〝私〟も賭けとけば良かった……ねぇねぇ! 今から私の事、リティーと一緒に引き取ってくれたり、しない?」
そうぼやきつつ、眼前の男に対し、情婦にも似た幼くあどけない色目遣いを始める。
「もっ……もうっ! また、クリスタちゃんたらっ!!」
黒髪の少女は顔を真っ赤にして彼女の好ましくない嗜癖を咎めると、冗談冗談、とクリスタはくすくす笑いながら、表面だけ反省した態度を示す。
そうしてまた黄金色の長い髪を嫋やかに結い上げ始めていた。
(ああ、でも、本当に良かった――)
俄に喧噪が、世界全体がゆっくりと遠離って行くような感覚に陥る。
絶対に、勝てないと思っていた。
本当に、何が起きてしまったのだろう。
そして遅まきながら、ようやく自身の胸が早鐘を打ち続けていた事に気付いた。
(――――貴方の事、とても親切な人だし、好ましく思っています。でも、実は……凄く凄く大っ嫌いなんですよ?)
そんな事、絶対に言えないし、絶対に言いたくなんかない。
良かった……と思いながら、再び心にそっと蓋をしていく。
「じゃあさ、これ、受け取って?」
クリスタが何か取り出そうとしているのを見て、レルゼアは軽く片手を翳し、それを制止する。
「否……元々勝てても受け取る心算など全く無かった。収めてくれ」
「――もう、そんな馬鹿な事言わないでよ。勝者の〝義務〟なんだし。それに私……すっごくお金持ちだもん!」
〝結構色んな人から沢山巻き上げちゃってるしね〟と、また小さく舌を出し、小声で付け足している。
そうしてゴトリと、拳一つ分くらいの革袋を机に置き、彼の方へと差し出してくる。
その重量感からして、恐らく一か月分どころか、数か月分の宿代も優に賄える程の額が入っているようだった。
「否、流石にこんなには貰えない…………君はいつもこんな大金を肌身離さず持ち歩いているというのか?」
「う~ん……いざって時の〝乙女の嗜み〟かな? あとコレ、あげるんじゃなくて〝貸す〟だけだよ? 利子は要らないけど、気が向いた時にまたきちんと返しに来てね。じゃあさ、リティー、またね!」
同じ街に居ると分かったからか、直ぐに身なりを整え、再び頭巾をしっかりと結んだ彼女は、随分あっさりとした様子で悠々と持ち場に戻っていく。
「う、うん……またね、クリスタちゃん」
彼女は後ろ姿にそう返しながら、次の機会が来るその日を、不思議と思い浮かべる事が出来ないでいた。




