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4章-4 孤独な追想

(――何をやっているんだろうな)


 レルゼアは窓の向こう、東の夜空を仰ぎ見ながら、ぼんやりと口に出さず述懐する。


 あれこれと奸計(かんけい)を巡らせ、バルシア諸侯領を経てここに至るまでにやってきた事は、密偵のそれと変わり無い。


 更に我が国では禁忌とされている竜髄症の罹患者を連れ帰ろうとしており、寧ろ国賊そのものともいえる。



 見付かってしまった時は下手をすれば斬首か磔刑(たっけい)、少なくとも再度の幽閉は(まぬか)れないだろうし、彼女はきっと命を失うまで投獄されてしまう。


 そんな自分に、果たしてあの篤実な騎士、かつての妹の恋人は、応じてくれるのだろうか。




 ガヘラスの家系、伝統あるグラム家の()(げん)、即ち至上の命令は、〝真実を見極め、正しい行いを為すこと〟。


 真理の探求をこよなく好む自身にとって、せめて我が家系と逆だったら。


 自身が力無きため幾度と無くそう羨んで来たものの、今回ばかりはこの巡り合わせに感謝する必要があった。


 何故なら、故国には真の歴史(・・・・)が隠されている。そしてそれを知る者は少ない。




 竜髄症へのあの過剰過ぎる対応も、英雄の秘密を知った今となっては、どこか(きな)臭さを覚えていた。


(…………まだ知り得ぬ何かがある筈だ)


 仮に運良く、彼の協力を取り付けられたとして。そこからまたイヴニスの元まで運良く辿り着ける保証など無い。


 薄氷を()むよりも分の悪い賭けなのは間違い無かった。


 そして彼女と飛竜をそれに巻き込むのは心苦しかったものの、今更()るか()るか確認する(よし)もなく。後に退く事など出来なかった。



〝――どうして(・・・・)戻るんですか?〟



 あの時の彼女の問い掛けが、今になってようやく胸中に重く()し掛かってくる。




 * * *




 首都イヴナードの北東をL字に削り取るようにして流れる巨大なスレイ川。


 そこに架けられたクリノクロー大橋の丁度中程に、二人の男――レルゼアとガヘラスは居た。


 (きょう)(ふく)(およ)そ馬車十台分、(きょう)(ちょう)に至っては歩みの遅い者なら()(はん)(とき)位は掛かってしまうかもしれない。


 ヴォルドー家は中心部から見て向こう岸にあったため、こんな夜間に通行する者など無い事を、彼等は()く知っていた。



 偃月(えんげつ)に照らされる狐色の髪は、まるで獅子の(たてがみ)のように力強く冬の風に(なび)き、以前より更に幼さを削り取った意志の強い顔立ちが(かい)()見える。


 動きやすい革鎧に鋼の関節防具を(まと)い、腰に長剣(ブロードソード)を提げているところを見ると、やはり武力による衝突を想定していたようだった。


 彼がこちらを()(とが)めると、泰然とした様子で軽く片手を上げ、無言の挨拶を寄越す。



 何とか彼一人を(おび)き出す事に成功した――。


 ヴォルドー家の封蝋印(シーリングスタンプ)は用いず、ラピスの名を(かた)ってリテュエッタに代筆を頼み、悪戯かどうかギリギリ見極め辛いラインで打診したのが功を奏したのだろう。


 出会い頭に腰に提げた得物を抜かれなかったのも幸いした。


「……久しいな、ガヘラス」


「御託は要りませんよ、本題を」


 先ずは探りを入れようとしたところ飄々(ひょうひょう)(かわ)されしまい、出鼻を(くじ)かれる。


 彼はラピスの関係者で唯一捕縛されなかったようで、即ち竜髄症であった事を知らない体裁になっている。


 最初はその真相から掘り下げたかったのだけれど、この急かすような口火の切り方から察するに、恐らく蒸し返すのは逆効果だろう。




 寒空の下、急に冷たい汗が首筋を伝っていく気がした。


「イヴニスに、会いたい」


 単刀直入に切り出してみる。



「…………そんなの、神殿に行けばいつでも会える(・・・)じゃないですか。まさか態々(わざわざ)そんな危険を冒してまでこんな強引な帰国を?」


 一瞬。ほんの一瞬だけれど虚を突かれた間があったし、そのまま無為に続けて来た言葉は、焦りからか僅かな(ほつ)れが生じているようだった。



 まだ若く雄々しい騎士は、それに気付いたようで、少しだけ眉根に皺を寄せる。


 他国には人とも神ともいえぬイヴニスを(まつ)る神殿など無い。


 しかし突如訪ねてきた同郷のこの男は、当然イヴニス神殿の場所など把握している。


 そうなると、こうして自身に案内を(こいねが)う意味など無いのは明らかだった。




「やはり……英雄はまだ生きている(・・・・・・・)のか」


 僅かな好機にはまだ付け入らず、一旦鎌を掛けた風を装っておく。


 勢いで更なる追及に転じるより、ここはあちらに話させ、語るに落つの待つべきと判断した。



「――――どこまで、知ってしまったんです?」


 (から)め手の打ち返し。


 それはこちらの台詞だとばかりに、レルゼアは内心酷く動揺し、思考の準備がほんの少しだけ遅れてしまう。


 ただ若き騎士の方も、問いに対する問いで自らのペースを取り戻そうとしただけで、しばらくの間は無言の対峙が続いた。




 そうして幾らかの時が流れ、彼がとうとう腰に提げた長剣(ブロードソード)(つか)に手を掛けるべく腕を動かした瞬間。


「さて……ね。英雄は今尚かの神殿の地下深く、くらいだろうか」


 レルゼアは、やれやれと言った感じで首を(すく)め、持ち得る限り最大の切り札を、恐る恐る、早々に切ってみる事にした。


 そしてそれは、思った以上に彼の意表を突けたようだった。



「――――っ! …………それは一体どういう意味で言っている?」


 酷く狼狽(うろた)えた様子で、彼の右手は武具から離れ、片目を隠すようにして相貌(そうぼう)に添えられる。


 レルゼアは精一杯の虚勢で彼をただ冷たく凝視しながら、心の中で〝頼むから早く崩れてくれ〟、としばらくの間念じ続けた。




 やがて根負けしたように、彼は自問自答の如く、ボロボロとこちらの手にしたかった情報を吐露していく。


「イヴニス様は…………未だ世界の何処かで人として(・・・・)生きておられ、我々に加護を授けていてくれる――――そうじゃないのか? それがまさか、我々の直ぐ(そば)……あの神殿の地下深く、だと?」


 ガヘラスは忌々しげにそう呟きながら、軽く蹌踉(よろ)めいた。


 言葉の終わりに、再び得物を狙う猛獣のようなギラリとした切れ長の双眸(そうぼう)がこちらを視界に捉え、()め付けて来る。



 今のところは押し勝てている。


 しかし本当の(つば)()り合いはここからだ。



 レルゼアは緊張の余り、じっとりと汗の滲む手の平を(きつ)く握り締め、言の葉の刃で間合いを探る。


「どうやら我々の間には、大きな知識の開きがあるようだ……それでは先の台詞をそっくりそのまま返そう。君はどこまで知っている(・・・・・・・・・)?」



 眼前の獅子はそれを聞いて(あざけ)り笑いつつ、下らない駆け引きはもう終わりだとばかりに吐き()てて来た。


「どこまでも何も! さっきのはただの家言(いえごと)ですよ……ただ決して門外不出の筈なのに、何故貴方がそれを知っているんです!? 僕は……僕は、てっきり――」



「てっきり、何だという?」


 続きを促すと、ガヘラスは〝しまった〟とばかり歯噛みしながら、とうとう観念した様子で敗北の手札を切ってきた。



「――――僕はてっきり……ラピスを、彼女をイヴニス様への〝贄〟として差し出してしまったの知って、報復しに来たとばかり…………」


 そう呟きながら、深く(うな)()れる。


 それはまるで待ち焦がれた懺悔のようで、長年(さいな)まれてきた自責と自戒からを自身を解放し、更に恋人の兄たる男を強く動揺させるに至った。




 お互い酷く嘆息してから、各々敵愾心(てきがいしん)が無いと分かったため、手の内を全て明かし合い、状況を整理する。


 レルゼアからは、英雄と騎士国の真実を。


 そしてそれは――決して信じて貰えないかもしれないが――直接フレア=グレイスの(ひと)(はしら)から授かったものである事。


 更に妹以外の新たな竜髄症の者を連れ帰って来ており、どうしてもイヴニスの神たる力の仕組みについて聞き出したい事を。


 但し、冥府神の〝不穏な言伝(ことづて)〟については、念のため心の奥に秘めておいた。




 一方ガヘラスからは、英雄イヴニスが何処かで生きているというのは(かね)てから家言(いえごと)として伝え聞いていた事。


 ただ行方は分からず、そもそも真実かどうかも疑わしかった事。


 これについては我が国のイヴニス信奉の事もあり、他言無用としてグラム家の中でのみ、長きに(わた)り影で語り継がれてきた事。


 そして最も重要だったのは、竜髄症の罹患者はイヴニスの力の源泉(・・・・・・・・・)と聞いており、そのため、ラピスも贄として英雄に捧げられてしまったという事――。




 これはミレス大将軍、即ち彼の従属する聖騎士(パラディン)隊の(おさ)であり、軍全体の総帥を務める天命(オーダー)騎士(ナイト)から直々に伝えられた揺るぎない事実らしい。


 更に自身はレルゼアらと違って何故か幽閉されず、今まで()()うと生き長らえてしまった事を、深く悔やみ、恥じている、と。


 そして今日ここに単身乗り込んできたのは、レルゼアからの断罪は甘んじて受ける覚悟で、少し抵抗した振りをして、速やかに討たれるつもりだったからという。



「――――そう、だったんですか……」


 実直に過ぎる若き騎士は、鉱石術士の男がラズラムから全てを聞かされた時と同じくらいに憔悴しきった様子で、右手を再び強く片方の目に当て、頭の中を必死になって整理しているようだった。



「……君はきっと、中途半端にイヴニスの秘密を守り続けている家系だったから捕われなかっただけだろう。そう自分を責めるな」


 あの時の自分は、こんなにも哀れな表情をしていたのだろうか。


 レルゼアは、自身よりまだ一回りは歳を重ねていないこの男の気持ちが、痛い程に理解出来ていた。




 ただ、理解出来ない事が一つだけある。


 イヴナードの地の加護、即ちイヴニスの力による結界は、彼を封じるだけでなく、徐々にその力を不死の英雄から吸い上げ、()ぎ落としていく目的もあった筈。



 だから〝贄〟として新たに英雄に対して力を供給しようなんて事は、少なくとも故国を立ち上げた張本人、大賢者グリムクロアの壮挙(そうきょ)からして、有り得ない話だった。



 人知を越えた神の力に対し、そもそも贄が、竜髄症が力の源泉となる事すら疑わしい。


 一体何処で(ボタン)を掛け違ってしまったのか。いずれ遠い未来、結界の力が失われる事を誰かが危惧し始めているのだろうか。




「――――ラピス……」


 気付けばこの若き騎士もその事に思い至ったようで、苦々しく呟きながら、血が滲む程歯噛みし、今度は両手で顔を覆っていた。




 追憶の中の彼女はただ美しく、力強く、その気高さに彼自身も強く薫陶(くんとう)を受けていた。


 それでいて、年相応の乙女のように可愛らしく、(おど)ける事もあった。



 魅力溢れる異性というだけでなく、純粋な騎士仲間として、共に過ごす時間はとても心地良かった。


 お互いを高め合う事が出来て、これからずっと、抗いようのない困難に突き当たった時だって、お互いを信じ合い、支え合っていける。


 そう信じて止まない、大切な存在だった。



 竜髄症を患ってしまい、いずれ生命の全てを拒絶するようになってしまったとしても。


 (よし)んば、末期(まつご)の時まで一緒に居てあげる事が出来ていたなら。


 贄に差し出すのを、黙って見過ごさなければ。




 どんな苦痛であろうと、共に分け合う事に、躊躇(ためら)いなど一切なかったのに。


 彼女がたった一人きりで感じていた不安や恐怖も、一緒に分かち合いたかったのに。




 ふと見ると、顔を覆った力強き獅子の目尻からは、うっすらと光る物が流れ始めていた。


 これまで、それ(・・)が大変名誉な事であると信じて、ずっと上を向いて耐えてきた。


 彼女を英雄に捧げる事が、無意味な行為とは考えもしなかった。




 ――――"真実を見極め、正しい行いを為すこと"。




 改めて我が掟、グラム家の至言の重さと、無力さを痛感させられる。


 慢心し切って、そう出来ていると信じ切っていた。


 決して疑いようも無かった。



 イヴニスへの贄。それこそが〝正しい行い〟で、引いては騎士国全体のためになると、これまでの間、渋々自分を納得させ続けて来た。


 だから、悲しむ理由など何処にも無い。



 それなのに、本当の(・・・)正しい行い(・・・・・)〟は、たとえ全てを失ったとしても、一方的な通告に抗ってでも、最期まで彼女に深く寄り添い続けてあげる事だった。




 どうしてあの時、真に望んでいたそれを、彼女にしてあげられなかったのか。


 何故ほんの一歩だけでも、身を賭してでも、真相に切り込む勇気を持てなかったのか。


 何故。


 どうして。





(――――本当に…………大好きだったのに……)



 若き獅子は、彼女を失ってから初めて、ただ静かに滾々(こんこん)(むせ)び泣いていた。

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