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4章-2 他愛のない、大切な日々

「先ずは、バルシア諸侯領を目指す」


 出立の支度が調(ととの)ったところで、レルゼアはリテュエッタにそう告げた。



 バルシア諸侯領とは、オルティア大教国の南東に隣接する小さな連合国で、三人の諸侯がそれぞれの領土を治めている。


 三つは全て小さな国としての完全な機能を有していたものの、全部合わせてもようやく他国に少し劣る程度の国力だったため、対外的には(もっぱ)ら連合国家として扱われている。



 二人の出会った交易都市ミルシュタット、即ちリテュエッタの暮らしていた巨大な都市も、厳密にいえばバルシア諸侯領となる。


 ただミルシュタットに限ってはかなり特殊な立ち位置で、諸侯領に属するというのは今や名目上のみ、一般的にはこの都市一つで単独で国家並の扱いを受けていた。


 というのも、北はバルシア諸侯領、北西はオルティア大教国、南東のナズィヤ国とは直接繋がっており、更に東の騎士国とは陸の交易路だけでなく、大弓湾を介した海路でも盛んに交易が行われている。


 これら多数の国の中心的な位置に存在し、長き(わた)る複雑な駆け引きの結果、強大な自治権を持つ都市国家として、バルシアの主権が殆ど及ばない互恵的な立ち位置となっていた。


 だから彼の発言したそれは、あの巨大な交易都市を含まず、バルシア諸侯領の本体――即ち各諸侯の直轄地のうちいずれかを指していた。




 訪れる第一の目的としては、これまで文書交換所から故国に宛てて数日置き程度で状況報告を行って来ており、これを(あざむ)くため。


 というのも、近年余程の機密文書を除けば、封蝋した手紙が直接運ばれる事は殆ど無い。


 基本的には専門の遠耳(とおみみ)術士らが特殊な術具を用いて読み上げと口頭筆記を行い、これをリレーで繋ぐ事により、内容を伝達していた。



 このような状況下では、遅くとも数日のスパンで報告がイヴナードまで到達してしまい、動向を怪しまれ始める前に到着する事が出来ない。


 なお実際に(したた)めた文書を追送するケースもあったものの、彼に与えられた任務は仮初めのものだったため、そこまで求められてはいなかった。


 従って発信元(・・・)発信者(・・・)さえ上手く偽装してやれば、簡単に裏を掻けるだろう。


 ただ運悪く皇都グラドリルでの報告が殆ど終わってしまったところだったので、少なくとも一旦少し場所を変えておきたかった。



 第二の目的は、路銀の確保。


 寧ろこちらの方が本命だった。


 出立時に支給された資金は多くなかったので、騎士の責務として日銭稼ぎも折に触れて行ってきた。


 ただ幾ら元手(・・)となる鉱石術の技能があろうとも、〝誇り高きイヴナードの騎士〟という地位や名誉の後ろ盾があってこそ請け負えたものが多い。



 しかし今後は発信者を偽装し続けなければならず、そのためにはイヴナードの〝身分の証〟を明け渡してしまうのが最も手っ取り早かった。



 ただ当然これから先、宿代や二人分の食い扶持、飛竜草や厩舎代といったティニーの維持費、術関係の材料や装備の保全費など、先立つものが必要となる。


 バルシア諸侯領は交易都市に最も近いため、他国より宝石商工組合(ジュエラーズギルド)の力が強く、出来るだけ〝無名の旅人〟となってしまう前に効率良く稼いでおきたかった。




 もしもあの小型飛竜を手放してしまえば、支出面ではかなり楽にはなるだろう。


 しかし飛竜を使えば移動日数の大幅な短縮が見込めたため、差し引きすると恐らくそこまで足は出ない。


 またリテュエッタがあれだけ撫で(かしず)いており、今更引き離すのは忍び無かった。


 それに当のレルゼア本人も今では似たような感じで、これまで苦手意識の強かった騎竜も、慣れてしまえばこれほど快適なものは無く、旅を続けるに当たって手放す事など考えられなくなっている。


 その()したる所以(ゆえん)は、ティニーという個体が並外れて扱いやすいからで、折に触れ、彼は心の中で何度もあの日の少女の慧眼(けいがん)に感謝していた。




 * * *




 二人はトリスタン領、即ち三つある諸侯領のうち、南西部に位置する通称〝森の諸侯領〟に一旦腰を落ち着ける。


 そこはイヴナードを放逐された彼の、当初の目的地だった。


 先ずは風雨を凌ぐだけといった二束三文の宿を借り受け、術士は宝石商工組合(ジュエラーズギルド)直轄のアトリエ〝虹工房〟に足(しげ)く通う。



 ティニーの方は念のため飛竜専用の厩舎を別に確保しておいたが、一つしか候補がなく、結局そちらの方が二人分の寝床よりも値の張る厚遇だった。


 寝食を共にするリテュエッタには、留守番ではなく、鉱石術に全く造詣(ぞうけい)が無くとも手伝えるような、簡単な持ち帰り作業を任せてみる。



 また粗悪な(ねや)だったが、日々の炊事、洗濯などは自前で出来るような造りになっていたため、彼女にはそちらも殆ど頼らざるを得なかった。


 頼み込んだところ、難色を示すどころか、


「ふふ、これまでにお店で色々と鍛え続けてきた腕前、とうとうお披露目する日が来ちゃいましたか……! 美味しいの、存分に期待しててくださいね!」


 などと意味深に息巻いている。



 どちらかといえば以前は給仕の方が片手間だったようで、主に厨房の手伝いをしていたらしい。


 中でも肉や魚といった焼き物、香草(ハーブ)香辛料(スパイス)の扱いが得意だったようで、市場での目利きもお手の物だった。


 出された逸品は当初の自信を遙かに上回っており、他にもスープや和え物、(きび)を使った簡単な焼き菓子なども卒なく(こな)してくれた。


 多少(ひい)()()だったかもしれないが、その腕前は掛け値無しに素晴らしいものだった。



「お料理だけは、昔からお姉ちゃんよりも得意だったんです」


 そう胸を張って面映ゆげに微笑む少女の方は、竜髄症の影響が出始めているのか、これまでよりも随分と食が細くなってしまっているように見えた。



 更に手の空いている日には、家事だけでなく、日がな一日ティニーの世話や空の散歩まで甲斐甲斐しく行ってくれていた。




 * * *




 そんな風にして三週間程、沙門(さも)しくも心地良い、長閑(のどか)な生活が続く。


 路銀はあと二、三日も滞在すれば十分だろう。



 故国イヴナードへの報告も、同居者の存在は伏せておく必要があったにしても、こうした日々の何も無い暮らしの中に、敢えて〝定住の企図(きと)〟を滲ませていてある。


 故国からは、恐らくそのまま野垂れ死ぬか、何処ぞに骨を(うず)めて返って来ない事が薄ぼんやり望まれてるのは分かっていたため、お(あつら)え向きの話だろう。



 実際、ただ心地良く、平穏そのものな日々だった。


 終ぞ少女の病の事を忘れて、こうした生活がずっと続いて行くような錯覚さえある位に――。



 先日摘み取ったエリュシオンの花は全部で二十輪程。既に皇都で薬液による下処理を済ませてある。


 ただ(あざ)に当てていると(けが)れに煽られてしまうのか、一日程度で枯れ落ちてしまっていた。


 花は根元が繋がっている合弁花ながら、部分的に千切って何枚かに分ける事が出来たため、少なくともまだ二か月は持つだろう。



 こうして彼女と過ごす時間が少しずつ積み重なって行った事に加え、多少は信頼のおける対症療法を見付けられた安堵もあったのだろうか。


 術士の男は、出会った頃と打って変わり、本人すら気付かぬ内に、竜髄症の少女への警戒感が少しずつ薄れてしまって来ていた。

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