3章-6 エリュシオンの花嫁
(なん……て、ことだ…………)
ラズラムが彼に語った真意など、推し量りようもない。
純粋に、術士の男の興味に答えただけなのかもしれない。
それでも彼は、他の騎士国の民と違わず、英雄イヴニスには多少なりとも羨望を抱き続けて来た。
廻し子についても、これまで両親からラピスへの過度な期待と愛情、彼女からの逆行した憐憫、それらによる複雑な家族内の力関係に、いつも酷く心を苛まれて来た。
それは今までだけの話ではなく、皆を亡くしたこの後も、ずっと、続いていく。
そう、考えていたのに。
(――――だからといって、この思いを訴える先など無い。それに、もしこの事を知っていたとして、何かが変わった訳でもない。そんな事は無論、分かってはいるのだが……)
今この胸に去来しているのは、一体何の感情なのだろう。
彼は改めて強く歯噛みし、爪が食い込む程両の拳を緊く握り締め、言葉には出来ない遣る瀬無さと、宛の無い忌まわしさを感じていた。
たとえ力強く踏ん張っていても、その足元からガラガラと崩れていくような、突如宙に放り出されたような、身の毛もよだつ感覚。
自身がいつも〝助けなければならない〟立場なのに、いつもいつも妹たる騎士見習いから清廉な手を差し伸べられてきた。
それが、歯痒かった。
これが悲しみなのか後悔なのか、反骨なのか絶望なのか、苦しさなのか晴れやかさなのか、そんな事すら分からない。分かりたくはない。
――――そうだ、今はそんな自身なんかの事よりも。
この一柱は先程、エファーシャの授けた力を〝芽吹かぬ種〟と、リテュエッタの事を〝芽吹きし童女〟と称した。
しかしそれらの事は冥府神の所掌外であり、〝其は語る可くも無し〟と上手く躱されてしまった。
そしてただ、〝人の理の外にある同源の類〟とだけ教えられる。
もしあれがただの病理でないのなら。
人知を上回る何かに、偶然巻き込まれてしまっただけなのであれば。
ひょっとしたらそこに、彼女を治してやる糸口が有るのかもしれない。
生死の理に相剋し、イヴニスのような不老不死に仕立て上げたい訳でもない。
彼女を何とか、〝人としての在り方〟に戻してやりたい。
今はただ、それだけ――――。
『――怜悧なる無辜の子よ。燻る事なく枢要なる同胞の元に向かわんと欲すれば、我が箴言を持て』
――英雄に……神の御言葉を持ち帰れ、だと?
封じられた始祖の英雄に、今更無力な自身を遣わして尚、一体何を伝えようというのか。
それでも〝イヴナードの騎士たる〟鉱石術士は、無言のまま跪き、その短い言葉を拝承する。
(――――私に、亡国の担い手にでもなれとでも言うのか……)
それを聞いた途端、彼は成る程、と自嘲した。
これまでこちらの関心事に、動もすると饒舌に応えてきた冥府神は、今や肯定も否定もせず、ただこちらを静かに見下ろしている。
大きくざわついた心がようやく静まり返って来た頃、かの神は、ならば瘴の縁まで一時的な護りを――数少ない命有る従者を授けよう、と告げる。
〝従者〟とは、入り口で襲ってきたあの猛火の翼竜の事だった。
それを聞いたレルゼアは、恐らく――本当に何の根拠も無く、ラズラムが我々を敢えてここまで導いたのでは、と直感した。
猛竜の、あの威し。
警告のみで、深追いもして来なかった不可解さ。
加えて、この死者の門に神自ら出向いて来た事。
少なくとも皇都の調査団がエリュシオンの花を命辛々持ち帰った際、このような事があったとは一切聞き及んでいない。
ならば、何故……彼がまた無意識にそう問い掛けそうになったところで、泰然とした冥府神は何も応じる事なく、再び音も無く土の中へと消えていった。
* * *
彼が少女の所に戻ると、小型飛竜はもうすっかり回復していたようで、姿勢を正して座っていた。
一方黒髪の少女の方は、傍らに外套を脱ぎ捨て、割座している。
そして楽しそうにお喋り、といっても、ほぼ一方的にティニーに向かって何か話し掛けていたようだ。
「……あっ、お帰りなさい!」
はしたなく座り込んでいた彼女が足音に気付くと、半身だけ男の方に振り返る。
その胸元には、先程摘み取ったであろう薄黄色の花束が、まるでブーケのように誇らしげに顔を覗かせていた。
微かな砂埃が上空からの薄い陽光で煌めく中、小さく手狭な花園を背にするその姿はまるで、
(――――エリュシオンの……花……嫁?)
それはただの〝言葉遊び〟かも知れない。
けれど、瀟洒なドレスや、美しいヴェールこそ纏っていなかったものの、何だか今か今かと花婿の到来を心待ちにしている、そんな風に思えて来て仕方なかった。
「見て見てこれ、凄いでしょ! 何だか可愛くて……摘み取るのが段々申し訳無くなってきちゃって。持って行くの、このくらいで良いですよね?」
すっくと立ち上がり、簡素なブーケを満足げに突き出しながら、にこにこと屈託無く破顔している。
「…………あ、ああ。そうだな。とても良い香りだ」
いきなり馥郁たるそれを鼻先に近付けて来たので、我ながら粗忽な返しだったと彼は少し反省する。
すると彼女は嬉しそうに、
「そう! そうなんですよ、凄く柔らかくて……素敵だなぁって」
そう言って自らの胸元に再び抱き寄せながら、あどけなく瞳を閉じ、優しく発せられる幽香に浸っていた。
――――果たしてそれは、誰に嫁する花嫁なのか。
こんな小さな花の束を持っただけで、普段より何倍も可憐に、美しく見えてしまう少女を前に。
何故だか彼は、どんな伴侶に向けて送り出してやれば良いか――永遠に誰かを待ち続け、朽ち果てていく侘びしい姿ばかり想像してしまい、終ぞ今の彼女に相応しい誰かを思い浮かべてやる事は出来なかった。
レルゼアは気を取り直し、ティニーの首に提げてある大袋から薄布を取り出すと、少女謹製の小さなブーケをそっと包み込む。
そうして再び大袋に仕舞い込みながら、先程冥府神に遭遇した件と、その手駒たる件の翼竜が送ってくれる事を掻い摘んで説明した。
「え……すごい」
余りにも掻い摘み過ぎたのかもしれない。
彼女が発したのは、その一言だけ。
外套を羽織りながら、毒気を抜かれたようにきょとんとし、何度も瞬きをして真顔のまま固まっていた。
恐らく、彼が冥府神に出会した時と同様に、頭の中が全く追い付いていないのであろう。
もしこの少女からの返しで〝私はさっき医療の神ディリジア様に遇って来て、この花の効能を詳しく教わったんですよ?〟などとあっさり告げられたら。
きっと術士の男の方も、同じような反応をしていたに違いない。
つい今し方の邂逅は、改めて思い返してみても、そのくらい衝撃的で、突拍子もなく、非現実的な出来事だった。
* * *
復路にて、分厚い鱗に覆われた翼竜の背は、ティニーを丸ごと背に乗せてしまっても問題ないくらいに広く、頑強だった。
帆船にも劣らない巨大な翼による加速は凄まじく、このまま一日と掛からず安全に永久浮蝕を出る事が出来そうだった。
一方の小さな飛竜は、お株を奪われたためか、一緒に運ばれている間はどこか終始拗ねた様子で、退屈そうに仄明るい遠くの空を眺めている。
見るに見兼ねたリテュエッタは、風で大きく流れされる髪を抑え付けながら、ひっきりなしに声を掛け、構ってやっていた。
そんな一人と一匹を見遣りつつ、レルゼアは、戻ったら騎士国と英雄イヴニスの関係、引いてはこれから自身の為すべき伝令などをどう説明したものか、ずっと頭を悩ませていた。




