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3章-3 星の睦言

「これが――――冥界の入り口…………」


 珍しく先に鉱石術士の方が、感嘆の声を漏らしていた。


 眼下で(まる)く口を開けた大穴は、まるで漆黒に染まった湖の(ほとり)を彷彿とさせた。



 高度を下げて飛竜から降り立つと、地平線の手前ほどに向こう側の(へり)が霞んで見え、相当に巨大な事が分かる。


 少し覗いた位では何も見えないほどに底は深淵で、所々(よど)んだ(しょう)()が薄雲のように視界を遮っている。



 先日のオルティア憲兵に()ると、奈落はほぼ真っ直ぐの筒状で、底の方がほんの少しだけ狭くなっているとの事だった。


 地表の幅に比べて高さは然程でもないが、それでも大人の背丈で二百人分はあるらしく、多少の凹凸(おうとつ)はあったものの、殆ど断崖絶壁そのもの。



 もし人力で下ろうとすれば、この断崖を少しずつ螺旋状に降りていく必要があり、恐らく丸一日以上は掛かってしまうだろう。


 加えて魔物や亡霊が壁に巣食っている事も多いらしく、たとえ飛竜でも、降下する時は出来るだけ壁面から離れた場所を真下に真っ直ぐ進んで行った方が良いようだ。


 特に夜は視界が悪化するため、出来れば太陽の高い真昼の時間帯に、手早く往復するべきだと(あらかじ)め教わっていた。



 ここまで約三日半。


 元から弱い陽光が更に弱り始めており、今日はもう日暮れ時が近かったため、潜るのは明日の昼頃まで待たざるを得なかった。




 * * *




 近くに波のような形で隆起し、片側が切り立った()(かべ)のような場所を見付け、早速野営の支度を始める。


 野営の支度といっても、こうした身を隠せる場所を探すまでが殆どで、後は多少の土(なら)し程度。


 加えて火は魔物に存在を知らしめてしまうため、手元が見えるよう、星明かりよりも遙かに弱い発光石と、(しょう)()を和らげる石材の混合砂をほんの少し撒くだけだった。


 これまではティニーを両側から挟み込むようにして眠ってきたものの、この時ばかりはリテュエッタを中央の僅かな窪みに入るよう促す。


 小さな飛竜は元より、彼でも窮屈そうな空間だったし、冷たい風除けの位置としても、今回は彼女を真ん中に据えるのが得策だろう。



 術士の男も風上側に陣取りながら壁に背を預け、特殊な金属容器に入れてあった水を一口飲み、簡素な干し肉を(かじ)る。


 彼女にも水分摂取を奨めると、


「――私は大丈夫です。何てったって、あの(・・)竜髄症ですし……」


 そう言って昨晩や一昨晩と同じように酷く遠慮していた。



 確かに渇きに()って死ぬ事は無いかもしれない。


 それでも苦しい事には変わりないだろうし、時折外套(がいとう)の奥に覗く唇は相当乾燥してしまっているようだったから、無理にでも数口飲ませておく。


 冷え切った首を中から更に切るような冷たさが、ようやく彼女の喉を潤してくれた。


「飲み水は意外と調達出来ている。心配しなくても良い」



 浮蝕では何故か喉が早く渇く。恐らく(しょう)()の濃度に対する身体反応であろう。


 今回の路程では、当然浮蝕から出るまでの間に一切補給地点など無かった。


 しかし幸いな事に鉱石術に長けていたので、()(ゆき)や霜だけでなく、湿地からの抽出や濾過、大気中の水分凝結についてもある程度技能を有している。


 (あらかじ)(こしら)えてあった水筒には、強力な解毒と浄化機構――といってもそうした特性を持つ小さな結晶を幾つか中に落としているだけだが――に()り、完全では無いものの濾液をほぼ安全に摂取する事が出来た。



 一方の食料は、只管(ひたすら)節約するしかない。


 (ひだる)い思いをさせて済まないと心の中で詫びつつ、空腹を訴え続ける自身の腹の底に、死なない程度の僅かな乾物を押し込む。


 ティニーの方は生まれた時から家畜化されていたものの、流石に元来は野生種といったところで、人と比べても一週間程度は飲まず食わずで全く問題ない(たくま)しさを持ち合わせていた。



 加えて出立前にたらふく飛竜草を与えてきているし、生まれて直ぐに草食で調教されて来てはいたが、本来は雑食性のため、小さな魔物位なら最悪餌にする事も出来る。


 また乾燥地帯では鱗の隙間が自然と狭まり、体内からの水分放出を防いでいるようで、それでも足らない分は、内臓に蓄えているものを少しずつ代謝し、(まかな)えているようだった。




 * * *




 束の間の簡素な〝(ゆう)()〟を終え、後は明日に備え十分な睡眠を取るだけの頃合いになって、彼女が突然小さく語りかけてきた。


「どうしてこんな所まで……世界の果てまで、一緒に来てくれたんです?」


 指の先が冷たく(かじか)んでくる。空には既に星が(またた)き始めていた。


 特に会話は禁じていなかったけれど、周囲を警戒し、これまでは言葉を交わすのが自然と最小限になっていたため、雑談めいたその問いに彼は少し驚いていた。



 いつのも癖で顎に縦拳(たてけん)を当てて理由を思索しようと試みたが、口元を覆う外套(がいとう)により物理的に阻まれてしまった。


 そして思考が上手く(まと)まり切らないまま、


「――――そうだな……正直なところ、成り行きとしか言いようがない」


 率直に、そう答えていた。



 確かに皇都グラドリエルで、(いや)、寧ろその前でも彼女を捨て置く事は出来た。


 今更ながら、これという理由を持ち合わせない事に、彼自身ふと気付かされた。


 しかし、恐らく何も無い訳ではない。


 敢えて言うなら、ただ目の前の事に集中したかったという、それだけだろう。



「変なの」


 彼女の口元も外套(がいとう)でしっかりと覆われていたため見えなかったものの、何だか微笑むような、澄んだ色をした声音だった。



「ホント、こんな地獄みたいなところまで……ふふ」


 彼女は今度こそ明確に小さく笑っていた。白い吐息が彼女の肌に近い薄膜に当たって拡散する。




「そういえばここって、本当に地獄の一歩手前でしたよね」


 彼の家族は、もう既にこの世界の何処にも無い。


 幽閉中、父は自ら命を絶ち、母は気が触れてしまった。


 当の妹も呪いで命を落とし、何故か生き残った自分だけが、こうしてまるで亡霊のように当て()も無く彷徨(さまよ)う羽目になってしまった。


 両親の中の〝愛する我が子〟に、力も意思も薄弱な自身は含まれない。


 そんな事は、もう随分前から分かり切っていた。


 そしてこの竜髄症という忌むべき病は、ラピスを中心として形成されていたヴォルドー家に、痛烈な絶望と破壊を(もたら)した。


 そんな折、偶然この少女の庇護(ひご)という当面専心出来る何か(・・・・・・・・・)を手にしたというだけの感覚。



 こうして一人きりにはなってしまったけれど、〝廻し子〟の制度によって、まだ幾らでも家を復興する余地は残されていた。


 もし故国に無事戻る事が出来れば、の話だが。



 ――――それでも、もう戻る気など無かった。


 家の掟を背負う事。次の世代へと継承していく事。そうした重圧に正面から向き合う事。そうした事からただ闇雲に逃げたかった。


 決して直視などしたくなかったけれど、きっとそれが〝成り行き〟の一番の理由であり、動機なのだろう。


 そうして逃げてきた先が、偶々(たまたま)この〝地獄〟の手前だった。


 それだけの話に過ぎない。




「でも…………何だか凄く、納得出来ちゃいました」


 彼が心の奥底に封じていた落伍者の自戒を、彼女はそんな一言だけであっさりと許容してしまう。


 きっと、このしがない術士の事だ。


 情に(ほだ)された照れ隠しとか、心配させないよう気を利かせたとかでなく、本当にただの〝成り行き〟なんだろう。



 それで、こんな所までやって来てしまうなんて。


 彼女は内心可笑(おか)しくて仕方なかった。


 そんな私自身、彼と同じように〝成り行き〟に身を任せ、こうして人の住めない世界の果てまで、一緒にやって来てしまったのだから。




 ――――今ここにある人の子は、彼等二人きりだった。


 頼り甲斐のある飛竜も、つい巻き込んでしまったけれど。


 リテュエッタはふと暗い夜空を見上げる。


 星は雲間にキラキラと(またた)いており、昨晩、一昨晩と、こんな所でも星は綺麗なんだなと感心していた。



 父にしては雄々しさに欠け、兄にしても一向に頼りなく、少し歳が離れ過ぎてしまっている直ぐ隣の男。


 仮に長い幽閉生活、社会に加わっていなかった期間を差し引いたとしても、彼女より十近く年上という事になるだろう。


 貴族社会では、この程度の差の兄妹など、珍しくもない。


 寧ろ貴族社会だからこそ、複雑な血縁関係によって、相手との距離を測り兼ねるのだろうけれど。


 高貴な出自でない彼女に取っても、彼は相当に見定めづらい場所に位置する異性だった。




 一つめの家族は、故郷の村のお父さんやお母さん、お姉ちゃん。


 二つめの家族は、自らも幼いのに、母親代わりに頑張って育ててくれた姉。


 あとは酒場(パブ)で凄く親身にしてくれたクリスタちゃんも。


 そして彼は、私に取って三つめの家族なのだろうか。


 ティニーの方は、きっと間違いない気がする。


 そして隣の男は、果たして父なのか兄なのか。


 未だ判別が難しく、そもそも家族に含めて良いのかすら(はなは)だ分からなかったけれど。



「エリュシオンの花……もし沢山持って帰れたら、私達、大金持ちになっちゃいますね……」


 ほんの少しだけ、遅い眠気がやって来た。


「……仮にオルティア以外の者が持ち帰れば、お尋ね者になるのは目に見えている。銀の手の巫女にまで飛び火し兼ねないし、君自身が使うに留めておいた方が――」


 彼女の他愛ない睦言に術士が真面目に答え始めたところで、話し掛けた方から早速寝入った素振りをする。


 そうして父とも兄とも言えないその男の肩に、小さな頭をそっと預け置いた。



 永久浮蝕(ここ)に立ち入ってから、接触時の痛み緩和として、再び例の緩衝剤を粉だけで服用し続けている。


 常用は良くない物らしいけれど、突発的な危機を想定した()むを得ない処置だった。


 だから、きっと少しくらい平気だろう。


 そう高を括っていたのに、彼女の胸中は予想以上にぐずぐずと痛み、隣の彼もまた、同じような痛みを感じていた。

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