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2章-6 人に巣喰う浮蝕

 そもそも今回、オルティア大教国を来訪した目的は幾つかあった。


 一つはリテュエッタの身請け先、慈悲深い聖母神フローマの関係者で誰か引き取り手がないか探す事。


 次いで大図書館にて、あわよくば治療法や症状の緩和策などが無いか古い文献等を漁る事。


 更に故国からの命として――特に進んでやるつもりなどなかったが、竜髄症の発露、即ちラピスの件が漏れ伝わっていないかを調べる事の三点。


 そこにもう一つ、銀の手の巫女の力で何とか治せないか試す事が急遽加わった。



 ロレアは先ずリテュエッタを部屋の隅に置かれたベッドに腰掛けさせる。


 それは彼女の日々のお勤め、治癒の儀式と全く同じ始まり方だった。



 具体的には、聖女に救いを求めて来た者に対し、先ずは最初に怪我や疾病の程度を(あらた)める。


 もし何かしら他の医療神ディリジア神殿でも行われている処置で対処出来そうであれば、周囲の神官らがそうした処置を。


 もし対処し切れなさそうであれば、最終手段である奇蹟の行使を、といった流れ。



 最初の内こそ全て奇蹟の力で治癒していたのだが、それでは余りにも聖女の負担が大き過ぎたので、途中からこっそりと振り分ける事になっていた。


 しかし患者の方から不平不満が出る事を危惧し、奇蹟を起こさずとも必ず彼女が立ち会い、最後に何かしら〝軽く触れる〟事で、その体裁を保っていた。


 ロレアはそんな如何様(いかさま)ばかりでは良心が痛むからと、見様見真似で医術を学び、本人自身が簡単な処置も出来るようになっていた。


 そうして今となっては、経験の浅い神官らに比して遜色ない程の腕前になっていた。



「痛み憑き……いえ、竜髄症でしたね」


 ロレアは直ぐに言い直すが、オルティア大教国内では(かね)てから前者で呼ばれている。


 余りに珍しい難病だったので、彼女自身もこれまで文献くらいでしか目にした事はなかったが、いつか関わる時が来るかもしれなかったので、症状などはある程度把握済みだった。



「――――先ず、(けが)れの元を見せていただけないでしょうか」


 〝(けが)れの元〟とは、竜髄症の罹患者に必ず(あらわ)れるという竜の鱗のような(あざ)で、触れた時の不快な痛みが最も強く出る箇所を指す。


 リテュエッタは最初指示の意味が分からず、〝(あざ)〟のようなものと聞いて、ようやく、ああ、あれか、と得心(とくしん)する。


 呼び名の一部に(あざ)だとか(こん)と付く事が多いのはこのためで、〝竜髄症〟や〝痛み憑き〟など本質を捉えた名の方が寧ろ珍しい。



 そういえば妹のラピスは、背中の中央、心臓の裏辺りだっただろうか、と考えながら、レルゼアは二人の遣り取りを神妙に眺めていた。


 最初はそうした(あざ)が自身に見受けられなかったから、これは違うのとラピスが強く主張し受け容れなかった事。


 彼が彼女からの嘆願によって一度はその手に掛け、〝失敗〟してしまった時、胸の方から後ろの(あざ)までを刺突短剣(スティレット)で刺し貫いたという事。


 ――――そしてあの時の、指を伝う(ぬる)い感触と、鼻を突く鉄の匂い。




 気が付けばリテュエッタは、頬を林檎のように染めて深く俯いていた。


「あ、あの…………その……」


「――――済みません、レルゼア様……どうか少しの間だけ、後ろを向いていてくださいませんか?」


 恐らく二人の事を強く心配し過ぎて、注視してしまっていたのだろう。


 ロレアはそう思うべきと心で分かっていたのに、何だか少しだけ湿った感情が邪魔をしてくる。


 そして遅きに失しかねない彼に注意し、行動を促した。



「あ、ああ……済まない」


 彼がこちらに背を向けたのを確認すると、リテュエッタはエプロンスカートの裾を(つま)み、思い切って大きく(まく)り上げる。


 裾を胸元近くまで手繰り寄せると、真っ白な太股とその奥、小さな下穿きすらも殆ど見えてしまう状態となる。


 (あざ)は左太股の内側辺り、陰部から小指の長さも下がらないところに、赤黒く浮かび上がっていた。


 発症直後は爪の表面もないサイズだった気がするが、今ではそこで〝赤子の手を潰したかのような大きさ〟にまで広がり、曖昧な輪郭を()している。



 桃色の髪の巫女は、想像していたよりもずっと禍々(まがまが)しいそれを見て、


(左の太股…………確かレルゼア様が私を庇って大怪我をなさった所――――)


 こんな所まで、彼と一緒(・・)だなんて。


 余りに下らない(そね)みが一瞬頭を()ぎり、小さな聖女は首を振って気を取り直す。




「……もしその(あざ)とやらを全部(えぐ)り取っしまったら、どうなる?」


 後ろを向いたまま、レルゼアは考え無しに頭に浮かんだ事を尋ねてみた。


 勿論そんな事で完治したら誰も苦労しない訳だが、ロレアは突然の問いに対し、自身が彼女にそんな処置(・・)をする姿を想像してしまい、ふと息を呑んだ。



 一方あられもなく痴態を晒し続けていたリテュエッタは、急な彼の呼び掛けに驚き(すく)み、(つま)んだ裾を持ち上げて咄嗟に顔全体を覆い隠す。


 ただそれにより更に大きく下半身を(はだ)けさせてしまった事に気付き、慌てて手の位置を戻した。



「――――きっとそのまま、(あざ)ごと治ってしまうのでしょう」


 先程来押し黙っていた付き人の女性神官、リゼルがふと助け船を出した。


 狙って話し掛けた訳で無いのだが、やはり聞こえているなとレルゼアは内心舌打ちする。



 幾ら国外でとはいえ、またイヴナードの騎士が竜髄症に関わった事になると次はどうなる事だろうか。


(――もうそんな事はどうでも良い。帰るべき場所なんてないし、元々目指すべき先も無かったのだから…………)



 各々に短い沈黙が続いたが、しばらくしてロレアがそれを破る。


「触って…………みますね?」


 ただ(あざ)を眺めているだけでは、もうこれ以上は何も得られない。


 やはり一度踏み込んでみるしかなかった。


 幸いここは彼女の生活拠点であり、心強い味方が沢山居る。仮に何かあっても、少し位なら大事には至らないだろう。



「……ロレア様、お気を付け下さいませ」


 ()かさずリゼルが後ろを向いたまま彼女に注意を促す。当の銀の手は、リゼルの方を少しだけ(かえり)みて、


「大丈夫、取り敢えず普通に触ってみるだけだから」


 そう、柔らかく微笑みながら答えた。



 無論、奇蹟の行使はしない、という宣言だったが、それでも多少なりとも危険を孕む行為である事に間違いはなかった。


 彼女にとって、この年下の頼れる少女を早々に見捨てるという選択肢は、もう存在はしていなかった。



 先ず(あざ)から少し離れた場所を。


 リテュエッタは微かに眉根を寄せるが、ロレアの表情には全く変化が無かった。


 今のところ、大きな問題は無い。



 それでは次に、(あざ)本体の方を。


 リテュエッタは先程よりかなり強い痛みに苦悶の(うめ)きを漏らし、ロレアも少しだけ眉根に皺を寄せる。


 そのたった二回の僅かな試行だけで、ロレアは概ね全てを理解してしまった。



 触れた時の痛みは、(あざ)に直接かどうかで強度が変わるものの、間違いなく彼女が奇蹟を発露させた時のそれと同じ。


 恐らくこの〝病の(けが)れ〟が強過ぎて、誰彼構わず、それこそ奇蹟の力を持たない一般の者に対しても溢れて出て来てしまうのだろう。



 更に言うと、この竜髄症の(けが)れの源泉については――たとえ彼女の力を(もっ)てしても、この少女から引き剥がす事など出来ない。


 その(けが)れの強さは、矮小な奇蹟の力なんかよりもずっと高位にある存在のように感じられた。


 もし仮に引き剥がすことが出来て、全てを自身が一手に受け止めてしまえば、即死は(まぬか)れないだろう。


 ただそもそも水が低い方から高い方に流れないように、彼女自身も他の者と同様、溢れ出た分を(こうむ)るのが精々。


 その一部を切り出してやる事すら、恐らくどう足掻いても出来そうに無かった。




「…………ごめんなさい」


 聖女が最初に口にしたのは、弱々しく搾り出すような謝罪の言葉。


 (ざん)()()えず、両の拳を強く握り締めている。



 今まで様々な治癒を施してきたのだから。


 完治は無理にしても、痛みや苦しみを少しでも引き取ってあげて、彼女の負担を緩和してあげられる。


 そうに違いない。


 そして何より――それによってリテュエッタ本人ではなく、彼から感謝され、褒めて貰えたのなら。




 知らぬ間に心の何処かに棲み着いていた、そんな高慢で(よこしま)な感情を(つまび)らかにされたようで、彼女は思いの(ほか)強く打ち(ひし)がれていた。


 一先ずロレアはリテュエッタに居住まいを正させ、先の試行の結果を三人に伝えると、ほんの少し思い至る事があった。



(そういえば永久浮蝕の調査団、何だかあの時と似ているような……)



 皇都から程近い〝永久浮蝕〟には、中隊から大隊程度の調査団が大教国から定期的に送り込まれていた。


 あの時は予定されていた道程から僅かに()れてしまったようで、運悪く死兆大鷲(フレスヴェルグ)黒の幻蛇(ムシュフシュ)などの大群に遭遇し、(おびただ)しい数の死傷者が出てしまっていた。


 帰還者に対しては聖女の奇蹟が湯水のように行使され、彼女の中にはその時の(けが)れの感覚が今尚強く根付いている。



 あの時に多数の兵から受けた傷の(けが)れの感覚と、先程触れた竜髄症の(けが)れの類似性――。



「ひょっとして痛み憑きって、人の中に出来た浮蝕(・・)なのかな…………」


 何となくそのまま呟いてしまった憶測に対し、一番驚いていたのは当の聖女本人だった。



「まさか! 人の中にだなんて……そんな事、絶対に有り得ないですよね」


 ううん、と首を振って否定してみるが、先程から壁に(もた)れながら思索していた鉱石術士がそれに応じる。


「成る程。(かね)てから〝浮遊大陸(ステアフロート)の影〟くらいに言い伝えられてきたが、そもそもあれ(・・)が一体何なのか、我々の知り得る事は意外と少ない」


 それは殆ど彼が自身の頭を整理するために呟いた自問自答だった。



 先の永久浮蝕という例外を除き、長ければ数百年、短ければたった数年にも満たない間。


 その大きさも、国家の領土クラスから数十歩程度で一周できてしまうものまで、実に大小様々。


 そして一度(ひとたび)発生すれば、過ぎ去るまで概ね範囲は変わらず、確かに何か大地に落とされた影のようにも見える。


 ただ世界中の至る所で時期を同じくしながら発生し続けており、そんな極めて得体の知れない自然現象を、大地にしか生じないと断定する方が、(いささ)か早計だったのかもしれない。



 発生機序については謎に包まれたままで、数多(あまた)の文献にあるのは生じた結果と、過ぎ去った後の大地の変化。


 (しか)して、その対処法とは――。



「それでしたら」


 彼の到達よりも先に口を開いたのは、傍らの神官リゼルだった。


 先程来こちらへと向き直っており、一度は耳を覆っていたその陶器のような指先も、元通り丹田付近に揃って添え置かれている。



 彼女は周囲からの瞠目(どうもく)を集めたまま、小聖女の方に向かって微笑みを浮かべる。そして、


「――奈落の底に咲いている〝エリュシオンの花〟。あれでしたら、多少なりとも彼女の症状を緩和出来るかもしれませんね」


 まるで夕食の献立を伝える時くらいの穏やかさで、そう口にしていた。

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