うその始まり
私は、夫からの電話を切った後、しばらくボーっとしていた。
どうせ夫は、風呂も飯も済ませたと言ってすぐ自室へ行ってしまう。
産婦人科から、採卵前にできることはやってみましょうと言われたが、もう数ヶ月も夫婦の寝室で寝ることはなかった。
私は暗くなってきた窓の外の雨を、弱々しくカーテンで遮断した。
ベッドに寝転んで、下腹の辺りを触る。
胸はずっと露わになったままだ。まだ張りのある白い乳房が、少しだけ重力で広がる。
さっきの出来事は、なんだったのだろう。
周囲に報告すると、不妊治療で疲れているのだろうと遠巻きにされるかもしれない。
だって、私でもこんなことが起こるなんてまだ認められない。
何かのお告げにしても、意味が分からなすぎる。
ただあの時、この下腹にずっと求めていた赤ん坊の感触があった。いっそのこと、この胎に宿ってくれないか。それほどに、自分は今疲れて病んでいるのだと実感する。
今の私には、子を宿すことしかゴールがなかった。
働いていた会社は、妊活のためと割り切って辞めた。しかし、妊娠しなければなんのために辞めたのか。自分がなんの意味もなさない存在に思えて、ずっと苦しかった。
だから、生来の生真面目も手伝って、とにかく妊娠して目標を達しようと医療に集中した。
神社や墓参りなどもしなくはなかったが、そんなこと言ってられないと、心の余裕をなくしていった。
そんな自分をずっと眺めていた自分がいる。ずっと自分は、自分のことを憐んでいた。そうじゃないよ、と声をかけたくなったが無視していた。タイムリミットは迫っている。
こんな時に、妖のようなものを見るなんて。
効果の不確かな占いやまじないの類は、頭から追いやっていたのに。
私は、下腹に当てた手を、そのまま下へ滑らせた。