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第三話 一歩先へ

「金は……お互い、困っていないもんな」


「何時だって貴方からのお願いには応えたいのだけれど、これは額なんかの問題じゃ無いの」



 ――溜息一つ、零してしまうが。果鏡(かみら)の形の良い唇からは、是の音が紡がれることは無い。


 カウンターの上には、雅志(まさむね)が懐より取り出した貴金属の数々。希少金属に、大振りな宝石の嵌め込まれた品々だ。


 この街においても当然のように紙幣は流通しているが、同じくらい偽造のそれも蔓延っている。


 故に。信頼の薄い紙束よりも、己は取引の際にも値崩れし難い品を扱う事が主であった。


 雅志は取引で下手打つことも無いように――用いる物品は、全て闇とは云え宝石商で鑑定済みのものである。


 無論、果鏡相手にせこい真似をする気など毛頭無いのだが、一般的な商談にて鑑みても、十全に機能する値打ちなのだ。



 しかしながら、彼女としても此方の要求へと簡単に首肯する様子は見られない。


 たった二人だけの男女が居る店内には、柔らかな音色が蓄音機から奏でられるだけであった。


 店に来る前に自宅で聞いた、ラジオのニュース――暴徒だの猟奇殺人だのよりは、余程気が利いた環境である。



「……無理を言っているのは、承知の上だ」


「なら、素直に退いてくれると嬉しいのだけれど。貴方、自分がどれだけ危ない事を言っているかって自覚あるのよね」


「あぁ……」


「命が惜しいなら、深入りなんてしよう筈もないのだけれどね」



 それは、咎める――と、言うよりも。


 純粋に、雅志の事を心配するかのような声色にて。果鏡は、此方を諭す様に言葉を紡いだ。


 今更、細々と説明などされなくとも理解しているつもりである。己の無茶な要求へと、雅志自身の身の安全を慮って彼女はそう告げてくれているのだから。


 それでも――。



「俺は――もう、前に進む事しか出来ないんだよ」


「はぁ……。あと何十年、人生が残っていると思ってるの。只々死に急ぐだなんて、ストリートに転がっているチンピラと同じじゃない」



 自分でも解るほどに固くなった声へ、と。果鏡からは呆れるような色彩を滲ませながらも吐き出された、溜息交じりの言の葉が返る。


 ――きっと今の己は、凄まじい形相をしていることだろう。


 焦燥と。憤怒と。恩讐と――混沌、と。


 血は滾り、情念が呪言を練り上げんが如き、悍ましい感触。


 にも拘らず、彼女はまるで聞き分けの悪い子供を諭すかのように受け止めるだけであった。


 僅かに訪れた沈黙の後、果鏡は説くが如く――雅志へと静かに紡ぐ。



「気持ちが解る、だなんて。そんな事は、口が裂けても言えないわ。耐え難い程の苦痛に苛まれたということを想像するくらいしか、私にだって出来なかったのだもの」


「…………」


「でも、貴方の目的は私だって理解しているつもりよ。事実、その為にお膝元(・・・)であるこの街に来たのでしょうし」


「じゃあ、何故……」



 ――手を貸してくれないんだ、なんて。


 実に自分勝手で子供染みた欲求。世話になっている相手を前に、こんな言葉が出そうになるなんて心底情けなくなる。


 そんな台詞を寸での所で押し止められた雅志へと、より慎重に言葉を選ぶように彼女は穏やかに口にした。



「貴方の目的に到達する為には、確かにその辺りをうろついている情報屋気取りでは深入りすら出来ない案件でしょうね。良いとこ、首を突っ込んだ翌日には溝に浮いているのが関の山ですもの」


「――リスクは、全て俺が被る。これが最期だ、迷惑は掛けない」


「私だけの話じゃないの。雅志、貴方の事を心配しているのよ」



 心の底から雅志を気遣っていることは、嫌と云う程伝わって来る。


 それでも――。最早、己には残された手段も殆ど無かったのだ。


 武器から物資、人材から――情報まで。


 あらゆる事物に値打ちを付けて扱う事が、目の前の彼女にとっての商いである。


 つまりは、金さえ積まれれば大抵の物は都合を着ける果鏡であっても、今回のケースは容易に手出しするようなものでは無いとの証左に他ならない。



「……頼む、果鏡。お前だけが、頼りなんだ」


「はぁ……もぅ」



 情けない程の懇願の為か。それとも、不退転の覚悟を眼の中に見出したのか。


 溜息後の沈黙の後、彼女は降参とばかりに手を挙げて言った。



「――私でも出来ることと出来ない事があるってのは、ちゃんと理解しておいて頂戴」


「ぁ、ありがとう……感謝する」


「ホントに、心から感謝しなさいな。此処まで尽くす女なんて、世に早々居ると思ったら痛い目に逢うわよ」


「勿論、解っているさ。借りは返す、必ずな」


「やれやれ……、空手形じゃない事を期待させて貰おうかしら」



 雅志の平らげた空の食器を持って奥の流しへ引っ込んでしまった果鏡の背へと、最後にもう一度礼を述べてから店を後にすることにした。


 幼馴染の彼女に此処まで負担を強いるのは当然心苦しいが、最早手段を選んでいられる場合では無いのだ。


 初めこそは兎も角、街で過ごせども次第に入る情報も薄く乏しい物となりつつあった。


 いっそ、昔の女のヒモのような惨めさを抱かぬわけでも無いのだが――それでも、これで己の脚だけで稼ぐよりも幾許以上の進展は見込めるだろう。


 分厚い扉の重みと閉じられたベルの音を後に、再度饐えた香り漂う外界を踏み締める。


 塵と。土埃と。死骸と――哀れさだけが漂う、街路の最中。


 只でさえ付近の住人は近付かぬ身の上なれども、果鏡の店より出て来た己には視線を向ける者すら存在しない。


 弱者から毟り、強者には諂う末期の街。


 けれども――それも所詮、何処にでも見られるような。社会の縮図の一部を露骨に反映しているだけの話なのかもしれない、と。


 まだ、陽は高くとも。


 獣面は鎌首を擡げ――されど、人心の一欠けらを決して失わぬ様に。


 雅志もまた、悪徳の都に呑まれ尽くさぬ様に。歩みを進めるだけであった。


        *


『将来を思い煩うな。現在、為すべきことを為せ。その他は、神の考えることだ』――アミエル

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