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第二話 安息地

 ――出で立ちは、上品に落ち着いた店構え。いっそ、土地柄に似つかわしくないほどに御洒落とすら言えるだろう。


 分厚いビスケットの様な入口扉の横には、同じ色彩で染み目の看板が張り付いている。ドアには営業中(open)の札が掛かっているが、如何せ店内は何時ものように閑古鳥が鳴いていよう。


 無論、雅志(まさむね)としても、飯を食う時くらい静かな方が好みである。他の安酒場のように飲んだくれのチンピラが殴り合いもしていないし、死んだようにキマったジャンキーも泡を吹いて倒れちゃいない。当然、垢の浮いた娼婦が嫌な臭いと共に客引きもしていないし――実に清らかな気分で、過ごすことの出来る空間と言える。


 店で扱うのは、残飯では無い食事の数々。混ぜ物をしていない上等な酒に、合成ならざる本物の茶やコーヒーが誤魔化しなく提供される。故に相応に値も張る為、客の選別をも自動的に行われているとの次第であった。


 見た目通りに少々重量感のある扉を開くと、上部に備え付けられたベルが店内へと来客を告げ響く。一歩踏み入れれば、通りとは打って変わって正常な空気が雅志の肺を豊かに満たした。焙煎された豆の芳しい薫り。


 カウンターの端に置かれた年代物の蓄音機からは、これまた時代を感じる漆黒の円盤により落ち着いた音色が穏やかに刻まれる。


 床にもテーブルにも塵一つ見られず、店主の手入れの程が如実に表れる様相であろう。


 本当に。この界隈においては、有り得ないほど隔絶された空間であると言っても過言では無いのだった。



「――よぉ、メシ食いに来たぞ」


「いらっしゃい。いつもので良いわね」



 カウンターの先から雅志を出迎えたのは、店構えと同じように清涼感のある一人の女だ。一般的に鑑みても、まず美人と言って差し支えない容貌であろう。


 濡れ羽宛らの艶やかな髪を肩口で切り揃え、白磁の(かんばせ)には同色の双眸が鎮座している。すっと通った美女たる証の鼻筋に、薄く紅の引かれた花唇が控えめに色付いていた。


 細身ながらも女性らしい丸みを帯びた肢体を覆うのは、彼女の趣味なのか店のイメージに沿ってかは知らないが、ギャルソン染みた中性的なパンツルックが凛々しくも似合うものであろう。


 挨拶一つの後、勝手知ったるとばかりにカウンター席へと腰かけた己を一瞥した後、彼女――果鏡(かみら)は、薄い目隠しの先にある奥の厨房へと引っ込んだ。


 この小奇麗な店の主であり、唯一の従業員であり、そして――雅志と腐れ縁の間でもある。


 ドン詰まりの吹き溜まりの掃き溜め宜しく――こんな場末も場末で喫茶店を開いていたとは、再会を果たした時には己も随分と驚いたものである。


 昔は気弱で、引っ込み思案。人の背に隠れて着いて来ていた少女が、治安最悪なスラムの内にて。暴漢たちからの干渉を露ともしない程に成長するとは、時の流れは中々以上なのであろう。



「お待たせ。飲み物は、コーヒーで良かったかしら」


「あぁ、構わない」



 パンも。バターも。卵も。ベーコンも。チーズも。サラダも――その全てが混じり気の無い天然物であり、このご時世に出すところで出せば、相当に上質な贅沢品と言えるだろう。


 出されたプレート上の朝食を胃に詰め込んでいると、ふと視線を感じて顔を上げる。気付けばカウンター越し、己の前へと腰を下ろしていた果鏡が穏やかに目を細めて此方を見ていた。



「……如何した。何か、言いたいことでもあるのか」


「ふふっ、別に」



 まるで手の掛かる弟分でも見るかのように。


 ぶっきら棒に返した雅志へと、彼女は変わらぬ笑みを立てたまま短く答えたのであった。



「……御馳走様」


「お粗末様でした。お気に召して?」


「毎日食べても、飽きない程度には――な」


「あら、それってプロポーズかしら。やっと、落ち着いて身を固める気になったのねぇ」


「――抜かせ。昔は口数も少なかったってのに、一丁前に人様をおちょくれるようになったじゃないか」


「女だてらにこの街で暮らしていれば、嫌でもそれくらい培われるものなの」


「その結果が、近所のギャングもショバ代取りにすら来ない――ミス・アンタッチャブルとは、恐れ入るよ」


「女一人にビビって近付けすらしない時点で、元々大したことの無い連中なんでしょう。弱者から絞る事しか出来ないのだから、今の状態は自然に帰結しただけの話なのよ」


「スラムの癖に壁に落書き一つも無いって時点で、何処のヤクザの親玉の屋敷だよってレベルだからな。まぁ、捕食者気取りのチンピラ集団じゃ、所詮その辺りが限界か」



 何でもないように、軽口を一つ。二つ。


 荒んだ街の中であっても、こうして気安い口を利ける相手と言うのは、互いに中々貴重なものなのだろう。


 ――ともあれ。


 そのまま綺麗に平らげ、目の前に置かれた皿を空に。上質さの香り立つカップを傾け一息吐き、雅志は顔を上げて果鏡へと口を開いた。



「最近……何か、変わったことは起きていないか」


「いいえ。私にとっては、この貧民街におけるいつも通りの時間が流れているわ」


「……些細なことも、何か無いか」


「そうねぇ……。あぁ、知らない間に随分とやさぐれちゃった幼馴染が、私の店でご飯を食べるときは昔の表情(かお)に戻ってるような気がするかしら」


「チッ……俺は、真面目に聞いているんだよ」


「あら、ご挨拶。私も嬉しかったことを、真面目に応えてあげたのよ」


「――随分と、口が達者になったもんだ」


「うふふふふっ、お蔭様でねぇ」



 揶揄う様なれども上品な微笑みを前に、何処かバツの悪さを感じてしまう。


 残ったカップの中身を全て流し込み、静かにソーサーへと置き戻した。


 舌を通り過ぎたうっすらとした苦みへ、知らずと感じた心地良さが胃の腑へ落ちても残り続けているのであった。


        *


『男は将来に向かって努力し、女は慣習に向かって努力する』――ゲーテ

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