25話「大勝負」
「くるみ、本当にやる気あるの?」
「え?」
昼休み。友人の愛華ちゃんと弁当を食べていると、唐突にそう尋ねられて思わず素っ頓狂な声が出る。
「やる気? 数学のこと?
もう諦めてるけど……?」
「そういうことじゃなくて! 幼馴染とのアレ!」
「ああ、あれのこと」
愛華ちゃんが言いたいのは、『綾人とエッチして婚約しよう大作戦!』のことだろう。
ならば、答えは決まっている。
「もちろん、ある」
「本当にぃ? だって昨日、せっかく一緒に夕飯食べたのに何もしなかったんでしょ?」
「うん。綾人はそう簡単に手を出してくれない」
「だったらくるみから手を出したらいいんじゃないの?」
「……どゆこと?」
「服脱いで、綾人君の服もひん剥いちゃって、無理やり合体すればいいんじゃない?」
服を脱ぐ。綾人の前で服を脱ぐ……
「いや、恥ずかしくてそんなことできない」
「誘惑してるって言ってる人が何言ってんの!?
……ねぇ、くるみの言う『誘惑』って、『お願い抱いて~』とか、『かもーん』とか言うだけってことはないよね……?」
「ん? それ以外にどう誘惑するの?」
だって、向こうから来てくれないことには何もできないし。
「……くるみ、そりゃあダメに決まってるじゃん! どうせやるならもっと過激なことしないと!」
「もうこれ以上ないくらい過激だと思うけど?」
「いーや甘いね! マシュマロの上にチョコをかけて金平糖をトッピングしたくらい甘い!
ズバリ、くるみに足りないのは露出だよ!」
「ろしゅつ……?」
「そう、露出! どうせくるみのことだから制服すら脱いでないんでしょ? ダメダメ! 本気で誘惑するなら服は脱がないと! 最低でも下着姿――本気出すなら全裸くらいじゃないと向こうも食いついてくれないよ!? 『お願い……』って切なそうな声出しながら目の前で脱いでやれば完璧だよ!」
「いやいやいやいや、そんなの恥ずかしすぎて無理! できるわけないじゃんそんなの! 脱がせてもらうのならなんとかなるかもだけど、自分で脱ぐのは無理!」
「できるかどうかじゃなくてやるの!」
「無理だから!!」
「いいからやれ!!!」
なんてやり取りがあった日の放課後。
午後の授業中は全く集中できなかったが、おかげで腹は括った。
脱いでやる。脱いでやるとも。
ブラウスは脱いでやる!
充分恥ずかしいけど、まだ下にキャミソールがあるから脱げなくはない。
女くるみ、ここでやらなくてどうする!
「ねぇくるみ、なんか変なこと考えてない?」
「大丈夫。何も変なことは考えてない」
「ならいいんだけど」
綾人の家のソファーに座って改めて覚悟を確認していると、飲み物を持ってきてくれた綾人がそんなことを尋ねてくる。
誘惑はサプライズが重要。ここでバレると勝率が下がる。
「んー、やっぱりこの時間いいテレビ番組やってないなぁ。動画サイトでなんか探そうかな……」
テレビのリモコンをいじりながら、そう呟く綾人。
大丈夫、まだ何もバレてない。まぁ、バレる要素もないのだけれど。
わたしは、綾人が持ってきてくれた麦茶をぐいっと飲み、気合を入れた。
一世一代の大勝負! ここで決めなきゃいつ決める!
麦茶をソファーの前のローテーブルに置き、わたしは少し震える手でブラウスのボタンを外していく。
そして、袖から腕を抜き、脱いだブラウスを適当に放る。
やばい、これ想像以上に恥ずかしい。ブラウス一枚脱いだだけなのにすごい恥ずかしい!
でも、ここまで来たらやり切るしかない!!
「あ、綾人……」
震えそうになる声を抑えながらそう言うと、綾人は「ん?」と言ってこちらを向く。
そして、目線がわたしの胸元まで移動してぴたりと固まり――
「は?」
と、心底理解できない、といった声を上げた。
何か予想してた反応とは違うけど、「『お願い……』って切なそうな声出しながら目の前で脱いでやれば完璧だよ!」って愛華ちゃん言ってたし、やりきろう。
「あ、綾人。お、お願い……」
あまりの恥ずかしさに声が震えてしまったのはご愛敬か。
目を綾人の方に合わせることすら恥ずかしくて、目を逸らしてしまう。
無限にも感じられる、無言の時間。
実際は数秒程度だったのだろうけど、わたしにとってはそれくらいツラい時間だった。
あまりにも反応がないので恐る恐る目線を戻そうとした、その時。
「馬鹿なことしないの!!!」
と、綾人が大声を出してソファーの背もたれにかけてあったひざ掛けを投げつけてきた。
顔で受け止めてしまったので、慌ててひざ掛けを取ると、そこにあったのはむすっとした顔の綾人。
「あのね、服を脱ぐのはやりすぎ」
綾人はいつもより低い声でそう言うと、わたしが適当に放ったブラウスを拾って、わたしの肩にかける。
あれ、怒ってる? どうして?
わたしは困惑しつつ、そういう空気ではないことは察して、ブラウスを着なおす。
「もう着た?」
「着た」
わたしがブラウスを着る間、目を逸らしていた綾人はわたしがちゃんと着たのを確認してからこちらを向く。
その顔はやっぱりどこか不機嫌そうで、何か気に障ることをしたのだろうかと不安になる。
「あのね、くるみ。何事にも限度ってものがあるの。脱ぐのはやりすぎ。おふざけのラインを越えてる」
「……おふざけじゃない」
「だったらなおさら駄目。どうせろくに考えもせずにしたんだろうけど、こういうのは――」
「わたしなりに、いろいろ考えてるし……」
「何をどう考えたらそうなるの?」
「そ、れは――」
――綾人と結婚するために。
そう言おうとして、口が止まる。
脳内で言うのは簡単だし、友達にも家族にも言っていることではあるけど、本人に言うのはとても抵抗があった。
恥ずかしい。
それに、怖い。
何故かわからないけど、そう口に出してしまうのはとてつもなく怖かった。
「もう、いいもん」
何も言えず、どうしたらいいかわからなくなったわたしは、鞄を持つと逃げるように綾人の家から外に出る。
家を出てから一分ほど走って、わたしは歩く速度を落とす。
少し走ったからか、冷静になってきた。
――何が怖かったんだろう。何で言葉が口から出なかったんだろう。
◇ ◆ ◇
ガチャン。
玄関のドアが閉まる音が聞こえてきて、僕ははぁ、と溜息を吐く。
一つ溜息を吐くと、冷静じゃなかった脳みそが少し落ち着いた気がする。
少し言い方が厳しかったかもしれない。詰問みたいになってしまっていた気がする。
「……まったく」
麦茶を飲んで一度心を落ち着かせる。
目を閉じると、瞼に浮かぶのはブラウスを脱いで下着姿になったくるみ。
いくらくるみが慎ましい胸をしているとはいえ、僕とて年頃の男。いつもの無防備なだけの言動はともかくとして、ブラウスを脱いだ姿を見るのは、正直言って平気というわけにはいかない。
どうしても意識してしまう。
それに――
『あ、綾人。お、お願い……』
目線を逸らして、恥ずかしそうに声を震わせながらのそれは、正直言ってやばかった。
いつものふざけ半分、みたいな言い方じゃなくて、本気かと思ってしまうようなそれに、一瞬理性を奪われてしまった。
だからだろう。くるみに強い言い方をしてしまった。
いつものように、ふざけ半分、みたいな言い方ならまだよかったのかもしれない。いつもの冗談だと受け止めて、「早く服着る!」くらいの反応で留められただろう。
でも、あまりにも明確にくるみの女の部分を意識させられて、咄嗟に強い言い方が出てしまった。
本当に、何がしたかったのかわからない。
本人なりにいろいろ考えている、と言ってはいたものの、どう考えても後先考えての行動ではない。
だって少しでも考えたら、それが襲われる可能性の高いものだってことくらい、思春期の人間なら容易に想像ができるだろう。
――それを承知だったとしたら? いままでのおふざけのように見えた言動も本気の誘いだったとしたら?
と、頭に浮かんだその可能性を一笑に付す。
だって、そんなわけがない。そんなことをする意味が分からないし、くるみがやる意味はないだろう。
それに――もしその仮説が正しかったとしても、僕が恋人でもない相手とそういうことをする気はない。どうせその可能性はないし、もしあっても応じないのだから考えるだけ時間の無駄というものだ。
とすると、他に考えられる可能性は何だろう。
一番ありそうなのは、何かがあってブラウスを脱いだところ、冗談のつもりで僕の名前を呼んでみた。
で、いざ実際に見られると思いの他恥ずかしくて、ついいつものようにエロ方面の言い方をすることで誤魔化そうとしたのだが、それが裏目に出た。
おお、これはありそうだ。さすが僕、くるみのことがよくわかっている。
それなら、わざわざ明日会ったときに「結局何だったの?」とは聞くのはやめておこう。せっかく誤魔化そうとしていたのにそれではかわいそうだ。厳しい言い方をしてしまったことを謝る程度にしておこう。




