予兆 ~11歳
10歳
10歳になった。
『炎弾!』
俺の呪文と同時に飛び出た火の弾がマートン先生へと飛んでいく。先生はそれを避けきれずにまともに食らって吹っ飛ぶ。とはいえ、まぁ心配はない。訓練用に威力を抑えてるし、魔法使いは魔力で体が強化されている。治癒魔法で簡単に治せる程度の傷だ。
「おー、いてて。いや、まさかもう負けるとは…正直ショックだよ。」
今、俺は模擬戦で初めて先生に勝った。かなりギリギリだったが、紛れもない初勝利だ。四年目にしてやっとである。
「まだまだです。今のは運が良かった所もありますからね。それに、先生の本職は研究者じゃないですか。」
勝ったとはいえ、彼の本職は学者である。魔法を用いての戦闘が得意なわけではない。それに、血筋の関係もある。先生は男爵であり、魔臓の性能は決して高くない。
「いやぁ、とはいえねぇ。まさか10歳の子に負けるとはね。さすがルーカス先輩の息子かな。でも、これだと魔法の実技で教えられることはもう無いかもねぇ。」
先生は頭をポリポリと掻きながら困ったように言う。
「いや、そんなことはありませんよ。自分は魔臓の性能に任せた戦い方が多いので、マートン先生のような繊細な魔法も使えるようになりたいです。」
「ははは。相変わらずケイン君は大人みたいだねぇ。素直に喜べばいいんだよ。」
笑顔で先生がぐしゃぐしゃと俺の頭を撫でる。あらゆる教科を彼一人に教えてもらっている。それも四年間だ。俺と先生はかなり親密になっていた。俺の成長を心の底から喜んでくれていることが嬉しい。
というか、両親が家にほとんどいないから、この人の方が長い時間一緒にいるんだよなぁ。もし、反りの合わない人だったらと考えると、本当に先生がマートン先生で良かった。
頭を撫でられていて、ふと、俺は昔から気になっていたことを質問しようと思った。何となく、出会った直後に質問し損ねてそのままだったんだよな。いまさら聞くのもなぁと思っていたが、四年越しに模擬戦で勝てたし聞いてみるか。
「そういえば、父さんと先生ってどういう関係なんですか?」
父と先生の関係である。俺は、先生が父さんを先輩と呼んでいることしか知らない。
「あれ?……そういえば、話してなかったね。そうだね。君のお父さんとは貴族院で出会ったんだ。3個上の先輩だったよ。貴族院には迷宮というものがあってね、そこで魔法の訓練をするんだ。普段は気を付けていれば危険ではないんだけど、ある時、俺は落盤に巻き込まれてね。迷っちゃったわけよ。食料もないし、連絡も取れないし、もう死ぬかと思ったその時、君のお父さんが助けてくれたんだ。…いやぁ、あの時の君のお父さんはかっこよかったよ。それから、いろいろとあって仲良くなって、今に至ると。」
つまり、父さんは先生の命の恩人なのか。
「正直、父さんが先生を助けたなんて想像できませんね。」
家にいるときの父さんはいつも母と惚気ていたり、仕事の愚痴を言っているだけである。そんな過去があったとは。
「ははは。まぁ、子から見たら親なんてそんなものか。君の父さんのことを勝手に俺が尊敬しているだけだよ。……じゃあ、今日はここまでにしようか。そこで姫達も待っているからね。また明日。」
マートン先生が立ち去る。既に怪我は癒えている。そして、入れ替わりにサラとエルがやってきた。さっきまで端の方で待機していたのだ。いつも、訓練の終わりが近くなってくるとやってきて待っている。
「ケイン兄さん!」「…兄さま!」
わぁっとやってきてサラがガシッと抱き付いてくる。エルも控えめに抱き付いてくる。2人とも四歳である。まだまだ小さいが、足腰はしっかりとして走れるようになっていた。
サラは先にお腹から出てきたので双子の姉である。金色で艶のある髪を首筋で切りそろえたショートカット。少し釣り目がちな碧眼。非常に快活であり、何事にも物おじしない。いつもエルを引っ張って歩き、見たことの無いものを見つけると興味津々で触り始める。
エルは妹である。姉と同様に金色の髪で長さは背中まである。大人しそうな薄い水色の目をしている。引っ込み思案であり、見たことのないものには近づかない。移動するときはサラに引っ張られてつんのめりながら動き回っているのを見かける。
同じ日に産まれたのに、結構性格が異なるものである。
2人とも可愛い。
ただ、残念なことにエルはケインと呼んでくれることはない。常に「兄さま」呼びである。若干距離を感じて悲しいよ。
ケインって呼んで欲しいって言ったこともあるけど、「兄さまは兄さまだから」と固辞された。わからん。
「凄かった!ケイン兄さんの魔法が!びゅーんって飛んで、マートンをどーんって吹き飛ばしてた!」
サラが精いっぱいに話す。横ではエルがうんうんと頷いている。
正直、妹に褒められるのは、四年越しにマートン先生に勝ったことよりも嬉しかった。
11歳
11歳になった。
来年は貴族院への入学が控えている。幸い、貴族院に入試はない。王国貴族全員が入学する権利を持っている。また、外国からの留学生もいるらしい。貴族院は外国の学校も含めた中でかなり評価が高いそうだ。優秀な教授が集まっていて、研究の水準が高度らしい。
それなのに貴族ってだけで入れるんだから凄いね。
魔法の実力はさらに上がった。
その一因としてマートン先生の協力は欠かせなかった。俺が魔法に興味を持ち、先へ先へと学びを進めていくと、先生は課題を次から次へと用意してくれる。進めれば進めるだけ次の目標が出てくるのだ。頻繁に課題を作成することは大変だろうに嫌な顔一つしない。いや、正確には、口では「はやいってぇ」とか「だるいなぁ」とか言ってるけど、きっちり課題を作ってくれる。頼りになる。
当然だが、この世界にはインターネットがない。さらに専門的な本も殆どない。学術書の入門レベルは存在するが、それより専門的なことになってくると教えてくれる先生が絶対に必要だ。既に「魔法学入門」を読み込んでしまった俺はマートン先生から教わるしかない。以前は両親にも聞いていたけど、俺の知識が専門的なことになりすぎて先生しか教えてくれる人がいなくなってしまったのだ。
そうして知識はかなり身についたが、残念なことに魔臓のスペックが追いついていない。だから、最近は魔臓をしっかりと鍛えている。毎日魔法を使うことで魔臓は僅かながらも成長するのだ。筋トレならぬ魔トレである。
魔法の知識は既に貴族院のレベルを超えていると先生からお墨付きを貰った。
これってかなり凄いのではないだろうか。前世なら天才小学生なんて持て囃されただろう。
実際、両親やマートン先生には「よく学んでる」って褒められる。妹と遊ぶ時間以外は全ての時間を魔法に費やしているからなぁ。けれども、娯楽感覚だからそんなに頑張ってる気はしない。楽しい。
あと、新しい魔法を作ったりもした。そういった魔法は特殊魔法と呼ばれる。
対して、教科書に載っている魔法は一般魔法と呼ばれる。
世の中の大多数の魔法が特殊魔法であり、その中でも特に有用である一握りの魔法が一般魔法として教科書に載る。
俺が良く使う『炎弾』も一般魔法である。分類でいうと一般魔法・攻撃・第一層だ。層が重なるほど強力かつ難度の高い魔法である。もっとも、消費魔力も増えるので連発できるものではない。
この世界は魔法が万能すぎるから個々人が自由に様々な魔法を作っている。両親も先生も特殊魔法を持ってる。
ちなみに、強力な特殊魔法でもあえて公開しないものもある。
有名な特殊魔法はユスリア王家が代々受け継ぐ『神のベール』、モスフト皇室に伝わる『悪魔の吐息』などがある。どちらも天災級の威力を持つらしい。
俺が作った魔法は「一瞬だけ限界を超えられる魔法」だ。魔臓を酷使することで一時的に限界以上の魔法を扱えるようになる。なお、実用性は無い。何故なら、副作用で魔法が一生使えなくなるというとんでもない欠陥があるからだ。でも、魔法っていうファンタジーな世界なら、こういうロマンのある魔法を作るのもいいかなって思ったのだ。絶対に使うことはないけど。
他に、「どうしても手の届かない位置に発生した痒みを消す魔法」とか「落としたスプーンを綺麗にする魔法」とかも作った。これらはそこそこ便利だ。
こんなにも魔法を学ぶには理由がある。それは、楽しいから、というのも理由にある。しかし、一番の理由ではない。
最大の理由は、妹たち、サラとエルを守れるようになるためだ。
魔法を好きで学んでいるだけだったら、すぐに飽きていただろう。所詮趣味のような感覚だ。しかし、俺には妹を守るという義務がある。
守るためには何が必要なのか?
圧倒的な力だ。
この世界は前世ほど法の強制力が強くない。端的に言うと治安が悪い。
そんな世界で妹たちを守れるのは力だけだ。だから、俺は魔法をひたすら極めている。
「ケイン兄さん!遊ぼう!」
サラが俺に話しかけてくる。魔法の課題を進めていたところだが、妹に呼ばれては中断せざるを得ない。
サラの後ろには、エルも立っていた。2人は現在5歳である。同じ家で同じように育ったのなら、似たような性格になると思いきや、驚くことに真逆であった。
活発なサラと大人しいエル。水と油のような2人だが、幸い姉妹の仲はよく、いつも楽しそうに2人でいる。
「にぃちゃん。あれ!いつものやって!」
「よっしゃ!任せろ!」
サラの御所望だ。
三人で庭に行く。
俺は、いつものをやるために身体中に魔力を巡らせる。単純な身体強化だ。今なら500kgでも持ち上げられる。ちなみに、熟練になるとトン単位で持ち上げられるらしい。
俺は、両脇に妹を抱えた。右にサラを左にエルを。サラの目はキラキラと輝き、これから起こることを楽しみにしているのがわかる。対して、エルはギュッと目を瞑っている。でも、エルもこれが嫌いじゃないのは知っている。何度も確認してるからね。
そして、俺は走る。今の俺は風のように早い。人力のジェットコースターである。
エルの綺麗な金色の長髪が風になびく。きゃあきゃあとサラとエルが悲鳴を上げる。数十秒走り回って、俺は止まった。
腕の中ではサラもエルもぐったりとしていた。でも、2人とも笑顔で大爆笑している。
これが最近の2人のお気に入りである。
ちなみに、庭の端っこではマートン先生が事故に備えて待機している。すっぽ抜けたり転んだりしたら危ないからね。
妹達が生まれてから、俺の生活は妹中心で回っていた。
妹が生まれてからも、両親は仕事で忙しく家にいないことが多かった。
ミルクをあげて、おむつを取り換え、がらがらで遊ぶ、勉強の合間を縫って世話をし続けた。
そんなこんなでせっせと妹の世話をしていたおかげだろう。妹達は俺になついてくれた。ほんと可愛い。
可愛い妹たち。なんだかんだで面倒見のいいマートン先生。あまり家にはいないが、愛情をもって育ててくれている両親。そして、貴族に生まれたこと。本当に、俺は幸せだと思った。
そして、この幸せがいつまでも続くと思っていた。