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誠眼の彼女 -Seigan no Kanojo-  作者: 南雲 燦
弍の幕
54/58

玉髄




 早朝から、壬生の屯所が騒がしかった。

 庭に設けられた高札。上から面沙が被せられている。その周囲に、新選組の殆どの隊士、五十名あまりが集っていた。


「土方君」


 人の群れから離れた庭の隅で、壁に背をもたれて煙草をう土方に、井上が声をかけた。


「行かなくていいのかい」

「これを吸ったらいく」


 土方は小さくなった煙草の葉の残りを、ゆっくりと長く吸い込んだ。手持ちの灰吹に灰を落とすと、木陰から出る。

 澄んだ空に、朝陽がとても眩しかった。季節は秋に移ろった。長月(九月)でも残暑の厳しい京は、ついこの前まで忙しく蝉が鳴いていたというのに、急にぱたりと声が聞こえなくなった。


「みんな! 聞いて欲しい!」


 丁度、近藤が皆の前に姿を現した。黒の着物姿で、髭も剃ったばかりのよう。札の横に立った彼は咳払いを一つして、


「これより新選組は、本格的に攘夷浪士一掃に乗り出す!」


 と宣言した。

 おおお、と感嘆に似た歓声があがる。


「これに伴い、新しい体制を整えた。身命を賭して、尽忠報国の志の下、更なる鍛錬に励むように!」

「はい!」


 近藤が布を剥ぎ取った。高札には紙が貼ってあった。ざわざわと、喜びのざわめきが波紋のように広がる。


「なんて書いてあるんだ!」


 さんざめく隊士達の中に埋もれる爽葉。その彼が叫ぶように訊く。


「爽葉!」


 平助が爽葉に抱きついた。


「おチビが隊長だってよ!」


 隣の沖田が、叫ぶ。


「へ?」

「た、い、ちょ、う! 俺達と同じ副長助勤だよ!」

「ほ、本当か!」

「ほら!」


 藤堂の歓喜の抱擁から解放されたばかりの爽葉を、今度は沖田が抱き上げて、札が見える位置まで持ち上げてくれた。


える?」


 胸に、得も言われえぬ感情が満ちていく。


「うん、すごいや……。視える気がするよ」


 例え目が見えなくとも、爽葉には、堂々と己の名がそこに記されているように感じるのだった。


 今までの壬生浪士組は、監察方を除けば、局長、副長、そして数人の副長助勤のみを定め、ざっくりとした括りで班編成の下に活動していた。しかし、芹沢や新見が居なくなり、隊士も増えた新選組は、小隊制を取り入れて、しっかりとした編成を組み直す必要があった。局長と副長はそのままに、副長助勤は一から十一まで小隊の数字を振られた。

 新たな隊編成は以下の通りである。



 局長 近藤こんどういさみ

 副長 山南やまなみ敬助けいすけ

 副長 土方ひじかた歳三としぞう


 一番隊隊長 沖田おきた総司そうじ

 二番隊隊長 長倉ながくら新八しんぱち

 三番隊隊長 斎藤さいとうはじめ

 四番隊隊長 松原まつばら忠司ちゅうじ

 五番隊隊長 武田たけだ観柳斎かんりゅうさい

 六番隊隊長 井上いのうえ源三郎げんざぶろう

 七番隊隊長 野口のぐち健二けんじ

 八番隊隊長 藤堂とうどう平助へいすけ

 九番隊隊長 たに三十郎さんじゅうろう

 十番隊隊長 原田はらだ左之助さのすけ

 十一番隊隊長 爽葉そうは


 諸士調役兼監察方 山崎やまざきすすむ

 諸士調役兼監察方 島田しまだかい

 諸士調役兼監察方 はやし信太郎しんたろう  等


 勘定方 河合かわい耆三郎

 勘定方 尾関おぜき弥四郎やしろう  等



「やるなあ、うちの副長は。頭のいい副長達が実質的な采配権を握る仕組み、ってな訳か」


 原田が感心したように言う。

 局長から副長、その下に副長助勤と諸士調役兼監察方、勘定方の三本柱が設けられている。この一本化された命令系統は、組織の機動性を高める。また、副長が重要な部分を担っていることで、局長の面子は常に守られるのだ。非常に効率的で機能的な仕組みである。


「さては土方君。この編成、だいぶ昔から練っていました?」


 井上が隣に立った土方に、ひとみたずねてくる。

 土方が薄く微笑む。それは半ば、答えのようであった。


「その方が組織は上手く動きますからね。処理も速くなりそうですが、副長達の労働量は今までの倍以上になるかと思うと、お二人の体調が少し心配です」


 島田が言う。


「隊務が滞っては元も子もないですから。彼等のことです、その場合はきっと調整が入るんじゃないでしょうか」


 松原は言葉を継ぐ。


「それに今は、この微笑ましい皆の姿が見られるだけでも満足というものでしょう」


 松原の視線の先には、感極まる平隊士達、そして浮かれる爽葉と藤堂の姿があった。


「なあなあ、試合しようよ! 八番隊隊長ー!」

「いいねえ、道場に行こうぜ! 十一番隊隊長!」

「あの茶番はなんだ」


 土方の苦い顔に、山南が堪らず吹き出した。はしゃぐ爽葉と藤堂を、湿気しけた眼差しで見遣る土方に、山南は笑いに震えながら、


「あまりにも可愛いらしくて」


 と息も絶え絶えに言う。

 隣の斎藤も山南につられたか、二人の様子に口角を緩め、含み笑いしている。


「それから!」


 再度口を開いた近藤の言葉を聞き逃すまいと、皆一斉に口を閉じた。遠くの鳥の囀りがはっきりと聞き取れた。


「八月十八日の政変の功労による下賜金を賜った。加えて、市中取締りの働きに対し、各隊士に朝廷より一両ずつが下賜された」

「今月はいい飯が食えそうだなあ」


 呟く山崎が親指で唇をなぞる。

 多くの者が嬉しそうにしている。そんな中、一人浮かない顔をしている者がいた。名を野口のぐち健二けんじ。この度の新体制において、七番隊隊長を任された者である。この野口という男、実は水戸藩出身で、普段は芹沢一派として平山や平間と行動を共にしていた。あの日、彼だけは角屋に残って飲んでいたので、運良く難を逃れたのだった。元より怯懦きょうだの彼が暴れたのは大坂力士の一件のみで、その他の狼藉に大きく加担することもなかったので、無理をしてまで粛清することもなかろうと判断を下された。

 彼は芹沢の面影をいつまでも抱き締めているのだろうか。心ここに在らずといった様子で、このままでは隊務にも支障をきたしかねない。


 爽やかな風が吹いた。仄かな秋の香りが混ざっている。かなかなかな。ひぐらしの甲高い声が透き通る。

 爽葉は薄らと鳥肌のたった腕を抱いた。


「お前さ。金も入ったことだし、新しい着物でも揃えたらどうだ?」


 永倉が爽葉の着物の袖を摘んで、離した。

 沖田が放るように、爽葉の頭に小紋の羽織を被せた。顔にかかった羽織の裾部分をちょい、と持ち上げて、爽葉が沖田を見上げる。


「着なよ」

「総司の匂いすんだけど」

「なに? なにか文句があるのかな?」


 沖田がにこやかな笑みを浮かべながら、口を引き攣らせた。


「俺以外の汗臭い羽織の方が、お好みだった?」

「……あ? どういうこった」

「俺等の着物が汗臭いとでも?」


 原田と藤堂が眉間をひくつかせて、沖田をじろりと見る。


「それひとえ*だろ? もうそろそろあわせ*とか綿入りの褞袍どてらとか入用いりようになるぜ。せめて今の時期、八掛はっかけ*のある着物か紗袷しゃあわせ*くらいねえと困るぞ」


 永倉は、あれも要るこれも要る、と指を折りながら列挙する。


「身一つだったお陰で秋冬の着物がないのですね」


 山南が爽葉の髪を手で梳き、顔を覗くようにして頬笑んだ。


「そうだ! 皆で爽葉の着物を買いに行こうぜ!」


 沖田の襟を絞めながら、藤堂が提案した。

 にこやかな表情を変えない沖田が、「行きましょう」とぐに賛同する。


「前に俺が揃えたのは、夏物だけだからな」


 藤堂はそう言いながら、パッと何かを思いついた顔をする。


「折角だから、みんなで対決しようぜ!」

「対決?」


 永倉と原田の声が揃う。


「誰が選んだ着物を爽葉が買うか!」

「おチビはどうやってそれを決めるですか」


 沖田が訊く。


「直感?」

「そこは雑なんだな」


 永倉が小さく笑う。


「やってやろうじゃねえの」


 原田が腕捲りしてみせた。


「今日は皆暇だろ。どうせ夕刻から花街に行くことしか決まってねぇんだ。ほら、こっそり撤退しようとすんなよ? 土方さん、山崎さん?」

「左之、そういうことはお前達だけでやって来い。俺は遠慮する」

「俺もだ。昨日夜遅かったんだ。部屋で寝させてもらう」

「ちょっと待てって、土方さぁん、烝くんもさあ」


 土方と山崎が振り返る。


「何で揃いも揃ってチビ助の着物を見繕ってやらなきゃならない」

「眠いんだけど」


 永倉は彼等の目元の隈を見て、納得する。新選組の中核を担う二人はやはり忙しいようだ。


「気分転換も大事だよ。たまにはさ、散歩だと思って」


 沖田が山崎と肩を強制的に組む。邪険そうにしているが、こうなった以上、彼も諦めというものを知っていた。

 一方、土方の方はと言えば、彼の両脇を原田と永倉、恰幅の良い大男二人が固めている。


「最近こうやってみんなで出掛けることもなかったですし。暫くは私が仕事を引き受けますから」


 山南がそう言うと、渋々、というように二人は承諾するのだった。

 荷物を取りに部屋に戻った爽葉は、巾着を取り出そうと押し入れを漁った。その拍子に木箱が滑り落ちる。手を止めた爽葉は、その行方を見つめ、そろりそろりと畳に座り込んだ。

 この木箱はお梅がくれたものだった。

 腕を伸ばして左右に振ると、指の先が箱に触れた。引き寄せる。梅の花の形が掘られている。丹塗の箱はさぞ美しいのだろう。これはお梅の嫁入り道具を入れた箱だったそう。

 彼女は、『私が死んだら貴女にあげる』とそう言っていたので、数少ない遺品を整理した際に爽葉がこっそり貰い受けた。遺品の整理中には、芹沢の辞世の句*も見つかった。


 雪霜に 色よく花の 咲きがけて 散りても後に 匂ふ梅が香


 この句をそのまま詠めば、春を待つことなく、遠い雪霜の頃に、他の花に先駆けて色鮮やかに花を咲かせる梅は、例え花が早く散っても香りは後に残って、その存在を示すだろう、という意味だ。

 永倉に訊けばこれは、自分は散っていくが、この志は、散った後にも香る梅のように、後世へと受け継がれていくだろうという意が込められているそう。

 梅は、土方に貰った鍔のお陰で、爽葉が最も形を認識できる花だ。姿は愛らしく、香りも良い。爽葉も梅が好きだった。

 梅は水戸出身と芹沢と、さまざまな点で繋がりがある花だった。梅が香は恐らく、水戸藩を象徴しており、九代目藩主の徳川とくがわ斉昭なりあきが造園した偕楽園かいらくえん水戸みと藩校はんこう弘道館こうどうかんは早春になると梅の香りに包まれるそうだ。

 彼がお梅という名の女性を愛したことも、こう考えると不思議な繋がりである。


「重いなあ」


 彼女が死んでから、開けずにいた箱。初めて蓋を開け、中に手を這わしてみる。

 文のようなものと、髪飾りや紅らしきものが入っていた。どれも彼女が、爽葉に似合うからと買ってきたものだ。

 文に触れる手が震えた。薄い紙切れが鉛の如く重く感じられた。


「爽葉、行くよ」

「うん」


 返事をしながら爽葉は文を中に戻して、木箱を押し入れに突っ込むと、皆が待つ門まで駆けて行った。

 呉服問屋は屯所からそう遠くないところにある。


「顰めっ面で見るもんじゃねえよ? 土方さん」

「わかってらあ」


 例の如く仏頂面で腕組みをしながら着物を眺める土方に、原田が言う。


「ほら、分かんないなら好きな色とか着せればいいんじゃねえか? 土方さんの好きな色は?」

「白」


 静かに着物を選んでいた斎藤が、ぎょっとして振り返った。


「え? 爽葉が似合いそうな色じゃなくて?」


 藤堂があからさまに戸惑う。


「てめえ、今失礼なこと考えただろ」

「い、いや……これは俺じゃなくても思うだろ」


 近藤がひょっこりと顔を出した。


「いや、歳が好きなのは白だ」

「本当っすか」


 谷三十郎は半笑いだ。相変わらずの陽気な物言いの彼は、


「なんだ。何が言いたい」


 土方の圧も意に介さず、得意のへらりとした表情かおをする。


「だって、柄じゃないじゃないっすか」

「土方さんは一応、綺麗系の美形ですよ、外見だけは」


 沖田は三十郎に噛み付くが、土方の味方という訳でもないようだ。


「だから、白も似合うと思いますよ。腹ん中は真っ黒ですが」

「腹掻っ捌いたら、多分中から焦げ付いた鍋墨みてえなのが出てくるぜ」

「総司、左之助……お前等な」

「皆選んだ?」


 藤堂は着物や帯を幾つも手に取っている。


「土方さんもちゃんと選んでよ」


 土方は手元の着物に視線を落とした。

 鮮やかな色彩、繊細な模様、粋な造り。爽葉に似合うのはどれだろう。豪奢な着物にも負けない華やかな顔立ちと、女のように柔らかく細い肢体。普段は生意気だが、ふとした時にみせる、憂いすら帯びたえんな表情。まるで紅を引いたかのような麗しい唇が、甘やかな吐息を洩らす度、視線が吸い寄せられるのだ。


「結構はしょらなきゃならねえのな」


 山崎の揶揄いに、爽葉の足蹴りが炸裂する。山崎が身体を軽く捻って逃れる。


「爽葉、選んでみろ」


 皆が並べた着物の一番端に、斎藤が自分の選んだ着物を置きながら言った。

 爽葉はううむ、と唸ってみせた。せめて、触った感触だけを得ようと、手を伸ばす。だが、どれも爽葉の和肌に優しい、柔らかな素材のものばかりで、違いがわからなかった。少し高かろうと爽葉の身体に合ったものを。そんな、はっきりと目には映らぬ気遣いが、じんわりと心腑にまで染み渡る。


「ぜんぶ」

「え?」

「全部欲しい」

「チビちゃん、それは破産するぜ」


 原田が笑声をあげる。


「いいもん」

「爽葉、貴方が好きな菓子を買えなくなってしまいますよ」

「う」


 着物を握りしめて離さない爽葉を、山南が止める。


「こういうのはどうだ」


 近藤が爽葉の肩を抱き、提案を持ちかけた。


「着物、帯、長襦袢と、違う者が選んだものを取っていくんだ。着物は二、三着必要だろうし、全員が選んだものを買えるぞ」

「なるほど! 流石近藤さんっ!」

「おお、爽葉。よしよし」


 なにをやっているんだ、と土方は二人の抱擁から目を逸らした。

 爽葉は時間をかけて着物等々を選んだ。それから一度屯所に戻り、荷物を置くと、一同揃いで島原へと出掛けた。




 単… 裏地のない着物。

 袷… 袖部分に裏地をつけて仕立てた着物。

 八掛け… 袖や裾回りの裏地。

 紗袷… 薄い生地の着物の上に、紗の生地を重ねて仕立てた着物。袷よりも薄い。

 辞世の句… 先人がこの世に書き残した最後の句。

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