飛花
<すみません、前話の会話の中で、暗殺グループから源さん抜きました(笑)>
少し離れたところで酒を嘗めていた土方は、手を止め、すっと目だけを上げた。切長の瞳が冷たく光る。
「覚悟だ」
「悪くない答えだな」
口の片端を持ち上げ、芹沢は笑う。
「では、芹沢さんの思う、武士に必要なものとは何ですか」
近藤が訊く。
「……力だ」
皮肉か、忠告か。これから新選組の実権を握ろうとする者へ、彼は何を言わんとしているのか。
近藤は芹沢を見た。芹沢は近藤を見ていた。両人は暫し、無言で視線を交えていた。
「己が力こそ、武士たる誇りを守る唯一の盾であり矛だ。他者をも飲み呑む、餓狼の如き我意で力を得る。さすれば自ずと、天下を覇する武士への道は開けよう」
先に目を逸らしたのは、芹沢であった。そして、反論しようとする近藤を遮り、
「近藤、てめえの武士道ってのは、俺には綺麗ごとにしか聞こえねえのよ」
と吐き捨てた。
それはどこか、寂しげな捨て台詞であるように、近藤には聞こえるのだった。
一方、盛り上がりを見せる席で、紛れるように、藤堂と爽葉は静かに酒を酌み交わしていた。いざと言う時の為、酒は湯で薄め、酔わないようにしてある。爽葉に至っては殆ど白湯だ。
「忠義の為に国に報いる、か。皮肉なもんだな」
芹沢が握る鉄扇に刻まれた、『尽忠報国之士芹沢鴨』の文字がひどく滑稽に見え、藤堂はそうぼやいた。
芹沢は芸妓の酌を受け、いつものように酒を浴びるほど飲んでいる。国の為に仕え、国の為に殺される、そんな哀しい展開が待ち受けていようとは、露ほどにも知らないで。
「自分の弱みから目を背け続けた代償さ」
「手厳しいね」
藤堂が声をたてず笑み、続ける。
「結局、それが奴の器だったってことか」
暫くして厠へと立った近藤は、外廊下で芹沢と出会した。
「芹沢さん」
「なんだ」
芹沢は近藤の困り顔を見て、口角を下げる。
「貴方は本当に国を思っている。私はこの国の為に、貴方と共に戦いたいと思っている」
「近藤、そりゃあ勘違いってもんだ」
芹沢が息を洩らして笑う。
「俺はお前が思っているような男ではない。悪りぃが、俺は忠義なんてもうどうでもいいんだ」
廊下に倒れる酔っ払いの手から、瓢箪を取り上げて、彼は酒を飲んだ。視線は、厚い雲のずっと奥の夜空を見つめている。
濡れた唇を拭い、芹沢は続ける。
「てめえにゃ、覚悟が足りねえ。本物の武士になりてえならいっそ、狼をも喰らう獅子となれ」
芹沢の皮肉めいた科白は、近藤の迷いを的確に指摘しているようであった。
「まあ、てめえに出来るかは、知らねえけどな」
芹沢は席に戻ると、
「平山、平間。帰るぞ」
と、声を掛け、平山五郎、平間重助を従えて屯所に帰って行った。
芹沢が中座した後、間隔を開けて沖田が席を立つ。ひとり、またひとりと抜けたことに、気付く者は居ない。爽葉も杯を置き、
「ちょっと酔いを覚ましてくる」
と、席を立った。
嵐の中、爽葉は街を歩く。
彼は出し抜けに短刀を引き抜き、傍の茂みを切り捨てた。ぼとり、真っ二つになった葉が地に落ちる。それがただの草木の揺れだったことに気付き、刀を仕舞うと、再び屯所に向かって歩き出す。彼の去った後には、綺麗に割れた揚羽蝶の死骸が取り残されていた。
沈むような冥暗。雨雫が、無表情の爽葉の頬を伝っていた。
八木邸では、お梅が輪違屋糸里と桔梗屋吉栄と共に芹沢達を出迎えた。既に宴席の準備は整っており、早速飲み直しを始める。
「まさ殿から良い酒を貰ったんです。どうです、一緒に一杯やりませんか?」
「おお、土方! そりゃいい、飲もうぜ」
暫くして酒を持って現れた土方を、気さくな平山が輪の中に入れた。
ここからが土方の恐ろしいところ。薬師やら奉公やらで鍛えた話術で、あれよあれよという間に皆を泥酔させてしまった。普段は言葉数少なく酒を飲む土方が、この時ばかりは雄弁であったことに、最早気付く者は誰一人いなかった。
土方が空になった酒器を置いた。
降り頻る雨音は、部屋の静寂を際立たせていた。首を巡らせ、ゆっくり周りを見渡せば、泥酔し、完全に寝入った芹沢達。全員が寝ていることを確認すると、土方はそっと部屋を出て、表で控えていた山南達と合流した。
「奥の部屋ですか」
山南が訊ねる。
「ああ。芹沢は、俺と総司。爽葉は女共、左之は平間。山南さんは平山。逃げようとする奴がいれば、捕えて殺せ」
全員が引き締まった表情で肯いた。
相手は神道無念流剣術の免許皆伝を受けている。しこたま酒を飲ませたとは言え、十分に警戒すべきだ。
土方が沖田、原田、山南に目で合図を送り、爽葉の手を一度、ぎゅっと強く握る。突入の合図である。
三人は暗闇の中、土方を先頭に屋敷内に忍び込む。玄関を入って部屋三つ通り抜ける。一番奥の十畳の間の障子を前に、五人は立ち止まる。
一呼吸置き、土方が障子を蹴破った。部屋には布団が敷かれ、中央に屏風が立てられていた。
雷鳴が轟く。紫電が空を奔る。
容赦なく、土方が布団に剣を突き刺した。
「副長共が揃いも揃って、こんな夜更けに何の用だ?」
土方が舌打ちする。布団から剣を引き抜くと、綿がふわふわと宙を舞った。
「どうにも胸が騒いでよぉ」
底響きのする声に、土方が視線を上げた。
「この嵐の所為かな」
芹沢鴨がいた。
枕元の刀掛けから脇差を手に取り、寝間着姿でへらりと嘲笑する。だが、泥酔した芹沢はふらふらだった。それにも関わらず、険阻な顔つきは猛り立ち、眼は闘志に燃えている。彼が危機的状況下にあるようには見えぬ、堂々たる姿だった。
「来いよ」
沖田が斬りかかる。芹沢が刀を抜き、それを受け止める。
その音で、屏風を隔てて糸里と寝ていた平間が目を覚まし、慌てて布団から起き上がる。
「総司か、面白い……この俺を斃してみろ!」
「言われなくても!」
巨体から繰り出される強打は、沖田の攻撃を何度か凌ぐ。それでも所詮は、酔っ払い。最後の一撃を弾き返した反動で、芹沢の身体が傾ぐ。すかさず沖田が、打ち込もうとした時。
「くっ」
沖田の刀が、鴨居に引っ掛かった。この頃の武家屋敷は部屋の中で刀が使えないよう、天井が低く設計してある。屋内での実践経験が少なく、それもこの視界が悪い中での戦闘で、沖田はそのことを失念していた。
芹沢が反撃に出た。
土方が割って入り、応戦する。
「なんや……何が起きとるん!」
芹沢と同衾していたお梅が起きた。眠気に目をこすりながら、目の前で起こっている出来事に、顔を真っ青にする。
「何しとるん!」
次第に状況を理解したのだろう、湯文字一枚のお梅が悲鳴を上げる。
瞬転、小さな影が動いた。
ごく僅かな時間だった。
雷光が互いの顔を闇夜に浮かび上がらせた。
お梅が眼を見開いていた。その瞳に映り込むは、我が子のように可愛がっていた娘。
雷鳴が、地をも揺るがすほど大きく響き渡る。
「お梅、さようなら」
爽葉の刀がお梅に向かって唸りをあげる。
お梅の四肢から、すとんと力が抜け落ちた。
首の皮が一枚繋がっているだけの骸が、布団の上に横たわった。
「小童……お前もおったか……」
血に濡れた小さな剣士を、芹沢が見る。それは、怨嗟の籠った目でもなく、悲嘆に暮れた目でもない。ただ、恐るるべき剣豪に相対したときの、興奮に支配された者の目であった。
爽葉はそれに返事をすることなく、廊下に飛び出した。そこには、腰の抜けた吉栄が座り込んでいた。爽葉は血に染まった短刀が、腥風を纏う。
吉栄の身体が庭に転がり落ちる。
「吉栄っ!」
平山が叫んだ。
寝ていた為か、彼は眼帯をしておらず、潰れた左目が丸だしであった。
「女のことに構ってる暇はねえだろ?」
原田の槍が、平山の頬を抉った。歯と肉片が飛ぶ。
声を上げた平山は頬を抑え、怒りと激痛に震えた息を吐く。普段は朗らかな彼の顔が、これほどまでに迫力を増したことはあっただろうか。
「新選組に座頭*は二人も要らない」
廊下から、庭で剣を交える二人に、爽葉が言う。
「承りました、チビちゃん」
決死の表情突っ込んで来る平山に、原田は歯を見せて笑う。
「原田ぁ!」
「その意気だぜ」
平間の太刀を避け、槍で払う。先鋭な矛先が、目にもとまらぬ速さで平間の首に突き刺さった。彼の手から、刀が滑り落ちた。槍にぶら下がる死体を振って落とすと、平山の首は胴体から切断された。
「やるじゃん」
庭に降り立った爽葉が言った。
「うちの剣士は骨が折れるな」
原田はそう答えて、顔を濡らす雨を手で拭った。
庭とは屋敷を挟んで反対側、玄関口を出たところでは、逃げる平間と糸里の前にある男が立ち塞がった。
「山南敬介……」
袖手する山南の穏やかな顔を見て、平間が歯を軋ませた。
先に、平間が動いた。山南の刀がそれを受け止める。
「お逃げなさい」
平山がハッとした顔をした。
山南は小声で続ける。
「その代わり、二度とこの新選組に関わらないことを誓いなさい」
鍔迫り合いをする平間の力が次第に緩んでいく。双方の刀が下ろされた。篠つく雨が土に叩きつけられる音がする。
「す、すまねえ……」
平間は震える唇でそう口走ると、糸里の手を引いて門を飛び出した。
だが、その気配に気付いた者がいた。爽葉だ。吉栄を手に掛けた後、屋敷の表に回って来たのだ。
「いけないよ、山南さん」
爽葉が言い残した言葉は、山南をなんとも言えない表情にさせた。
爽葉が二人を追いかけて走り出す。続く原田も、立ち尽くす山南の様子をちらちらと窺いながら、爽葉の後を追って、門から出て行った。
平間はまだそう遠くないところにいた。芸妓の糸里が一緒なのだ。その上、泥濘んだ道は逃げるには不向きだった。
爽葉が糸里の心臓を、背後から一突きした。彼女は膝から頽れる。足の速い原田も同時に二人に追いつき、一刀の下に平間を殺した。
夥しい血が、雨に流されていく。
「山南さんには、取り逃したと言おう」
「……チビちゃんがそうしたいなら、そうしな」
原田は二人の死体を易々と担ぐと、何処かへ消えた。死体を隠しに行ってくれたようだ。
「次の月役の時は、どうしようかな」
爽葉は曇天を見上げる。
「そないな表情せんと。笑はって? 折角、可愛ええ顔してはるんやから」
優しいひとの声が、聴こえたような気がした。
一方、芹沢と土方。既に術中にある芹沢に対して、明らかに土方の方が優勢であった。
乱暴に剣を振り回し、芹沢は覚束ない足取りで廊下に出て、隣の部屋に逃げ込んだ。
土方が追う。土方の刀が鴨居を削り、勢いが殺されるも、更に一太刀交えた。
芹沢がひっくり返った。隣の部屋では、八木源之丞の妻まさとその子供の為三郎と勇三郎の三人が寝ていた。この時、文机に躓いた芹沢の持っていた刀の鉾先が、眠っていた弟勇三郎の右足を傷付けた。土方が踏み込む。
派手な血煙が上がった。
「ぐうあっ」
芹沢が悶絶し、手から脇差を落とした。
疾風の如く、繰り出される追撃。芹沢は胸を斬り裂かれ、血飛沫が舞った。
樹枝状の雷電が走り、目の色が失せていくのが見て取れた。
「っは……地獄で、待ってるぜ……」
そう言葉を残し、芹沢は事切れた。
「存外、面白味のねえ捨て台詞だな」
土方は額の汗を拭い、骸を確認。撤退の合図を下した。
「爽葉、手を合わせて」
「坊さんのお経って、どこが終わりなんだよ」
「今、今だよ」
「パンパンてすんのか」
「神社じゃないんだから」
列の端で葬式中小鳥と戯れていた爽葉は、隣の松原に苦笑混じりに叱られていた。人の死に興味がなかった爽葉も、初めて死というものを意識した。ただ、葬式というものは未だ、爽葉にとって退屈でつまらないものだった。それは、縁も馴染みもない儀式。意味を見出すことすらできない。腐りかけの屍肉を前に、何をすればいいと言うのだ。人は死ねば皆等しく地に還る。鳥に肉を食わせるも良いだろう、虫に栄養を分け、花を咲かせる土になっても良いだろう。死すれば其処にあるのは、魂を喪くしたただの器なのだから。
「爽葉」
再度注意する松原の指示に従い、言われた通りに手を合わせ、爽葉は少し俯いてみる。
胸の内に咲き誇る罪罰も、肺の底で錆びついた人情も、ちらとも心を擽ぐらない。ただ少し、喉に魚の骨が痞えたような、妙な違和感が残るのだった。
葬式には、新選組浪士八十人あまりが紋付袴で参列した。その他、会津候の家来や水戸藩の者など、大勢の関係者が集まる中、近藤が弔辞を読み上げていた。
「下手人は長州藩士らしいぜ」
「おい、そりゃあ相当腕利きだぜ」
「酔っていたとはいえ、芹沢先生の腕は達人級だ」
平隊士の会話を盗み聞き、爽葉は顔を上げ、空を見る素振りをする。あの時のように、幻聴はもう聞こえてこなかった。
告別式が終わると、隊士の中で大柄な者達が、芹沢と平山の棺を担いで壬生寺へと向かう。爽葉は行列の一番後ろをのろのろとついて行く。お梅の遺体は、菱屋に引き取りを拒まれた。暇を出した女はもう知らぬ、ということのようだ。かと言って、新選組局長と合葬する訳にもいかず、彼女の遺体はこの葬式の二日後、西陣の実家に送られている。
晩夏より移ろう、爽籟の匂いが爽葉の鼻先を掠めた。ふと、嵐山の紅葉というものに興味が湧いた。
「なあ、嵐山って紅葉が綺麗なのか?」
「ああ、ものすごく綺麗らしい。なによりも、色づく山肌に渡月橋がまた映えるんだ……って、爽葉! 今聞くことじゃないだろう!」
「まっつんだって楽しそうに話してんじゃんか」
爽葉は不貞腐れて、また空を見る。やはり、声は聞こえなかった。
皮肉にも、筆頭局長の死により、新選組はより結束の固い京都一の剣客集団へとまた一歩、近付いたのであった。
座頭… 江戸時代における盲人の階級のこと。多くは、按摩、鍼、琵琶、管弦などを業とした
挿話『落葉』
https://kakuyomu.jp/works/16816927862501120284
⚠︎
作品冒頭に書いていますように、基本流れは史実通りですが、エンターテイメントの部分も多いため、今ある有力な説とは異なる場合があります!




