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誠眼の彼女 -Seigan no Kanojo-  作者: 南雲 燦
弍の幕
51/58

飛花




『芹沢を、斬る』


 ハッとするようなその一言は、冷水を頭から掛けられたかのように、目がめるものであった。


『土方さん、そりゃあ正気か』


 原田が静かに訊ねた。しかし原田も、事の次第をある程度察しているのだろう。土方が正気で言っていることは、分かっての発言であることは、問わずとも皆理解していた。


『隊の法をみだす者は斬る。隊の名をけがす者も斬る。隊に反する者は局中法度を前に、誰であろうと謀反人だ』

『怖いことを言うねえ』


 胡座をかき、床に立てた槍に体重を預けた格好で、原田がにやついている。その声音から、彼が既に腹をくくっていることが土方には分かった。


『そこまでしなくても良いんじゃないか』


 永倉が口を挟むと、隣の藤堂もそれに同意した。彼は身体の前で合わせた両足の爪先を持って、身体を揺らし、駄々をこねるような素振りをする。少し戸惑っている様子。


『確かに最近は目に余る行為が目立つけどさぁ。ここまで一緒にやってきたし……今までみたいにさ、これからもあいつのツテが使えるかも知んねえじゃん?』


 そう切り出したは良いものの、言葉尻は頼りなさげに小さくなった。


『土方さん。俺がもう一度注意してみますから、もう少し待ってくれませんか』


 永倉が、控えめに問うた。


『何度言っても聞かねえから、今こんな事になってんだろう』

『局中法度は、筆頭局長にまで適応するのですか?』

『施行した時に再三さいさん言った。誰であろうと、この鉄のおきてには従ってもらう。破れば、例え近藤さんだろうが副長の俺だろうが、腹を斬らねばならない』


 永倉は近藤の次に心根の優しい男だ。冷静な思考力を持つ故に、間違った判断は下さないが、今度ばかりは同門の芹沢を手にかけることに躊躇があるようだ。一方藤堂は、仲間意識が強く、友情に脆い性格。裏切られたとなれば話は違うが、仮にもまだ仲間を騙し打つのに抵抗を覚えている。

 二人のこの美点とも取れる弱点が、いつかあだにならないことを願うばかりである。


『俺は斬りますよ』


 藤堂が、背後を振り返った。


『総司……』

『あの人はもう、新選組の道をひらく人じゃない。新選組の未来をふさぐ人だよ』


 部屋の隅で寝転がる沖田が、淡々と言う。

 その台詞は、痛いほど核心を突いたのだろう、永倉も藤堂も顔を顰めて畳に視線を落とした。

 

『新選組を束ねる法は、富岳ふがくよりも重い。心に刻め』


『お前らはよく考えておけ』と俯く二人に言い残し、土方はその場を去った。




 藤堂は暫し考えた後、土方と山南に直接話をしに来た。永倉が納得した今、粛清の件は恙無つつがなく進められることになった。


「それでだが……」


 座敷には、近藤一派がつどっていた。屯所で話すには、情報が漏れる危険性が高過ぎる為、土方達は常に場所を変えて会を開いた。今回も外に飲みに出るふりをして、闇夜に紛れ、密かに落ち合ったのは京の某所。


「まず新見を殺す」


 土方が言った。続けて山南が口を開く。

 こういったたぐいの話をする際この副長達は鬼と仏ではなく、地獄への門の両脇を固める二体の鬼だ。


「彼には切腹していただきましょう」


 蝋燭の火が緩やかに揺れた。ぼんやりと映る影が、重なり合い、混ざり合い、障子の上でうごめいている。


「どうやって」


 原田が嬉しそうに訊いた。隣の斎藤が、その様子に密かに溜息を零して、原田に絡まれている。


「彼も芹沢にくっついて散々乱暴狼藉を働いています。それらを列挙し、局中法度違反として切腹を申し付けるつもりですが、芹沢という隠れみのがあり、奴自体がこれまで様々な画策を企ててきた、食えない輩です。追い込むには、あともう一押しできる何かが必要でしょう」

「なるほど」 

「そこで、彼単体での悪行をでっち上げます」


 山南が笑った。皆その表情を見て、ぞくりときもを冷やした。


「具体的には……」


 山南が仔細しさいを説明し、土方が時折飛んでくる質問に答えて補足する。その間も、近藤は目をつむり、腕組みをして静座せいざしているだけであった。


「で、肝心のあいつはどうするんだ」


 山南が答えようとした時、皆同時に視線を周囲に走らせ、刀を手に取った。


「……誰か来る」


 しん、と静まる空間に、外気が緩やかに流れ込んでくる。

 スパン、と襖が開いて、現れたのは。


「爽葉?」


 一様に驚く皆の間を真っ直ぐに進み、近藤、土方、山南の前まで行くと、彼は開口一番。


「お梅は、僕がやる」


 と、言った。


れんのかよ」


 藤堂が爽葉を見る目は、鋭かった。

 真意を探っているのか、彼女を殺す覚悟を見定めようとしているのか。爽葉の朧な表情をじっと見つめ、渇いた声をよすがに、本懐を隠す無表情のほころびを見逃しはしまいとしている。


「やる」


 近藤は今日の密会が始まって初めて、固く閉じていた目を開いた。そして、それ以上何も言おうとしない彼を、じっと見る。

 沈黙という名の、水面下の意識の語り合い。


「いいだろう」


 そう言って、近藤は辛そうに微笑んだ。まるで自分自身が斬られたかのように。


「ありがとうございます」


 爽葉は近藤にぺこりと頭を下げ、そのまま帰って行ってしまった。雑に閉められた障子を、斎藤が無言で閉めた。


「嵐のようだったな」


 永倉の呟きに、藤堂がけらけら笑った。


「さて。一番覚悟してる奴が先陣切ってああ言ってるが」


 土方も薄らと笑っている。皆も同じ気持ちのようだ。彼は続ける。


「あいつにだけ、言わせっぱなしにゃあさせねえよなあ?」






 その日は、朝からひどく湿気た風が吹き、暗雲が立ち込めていた。夕立ゆうだちが去った後の都はいつもよりも少し静かで、残暑の気配を拭いきった、身体の芯まで冷やす空気が、低いところをただよっていた。


「おのれ……はかったな」


 祇園新地の貸座敷、山の緒。

 たった今、新見錦の切腹の命が、くだされたばかりであった。

 彼は暫く、近藤から告げられた言葉の意味を、上手く咀嚼そしゃくできていないようであった。


「てめえの士道しどうが何処にあるのか。俺は随分と前からはなはだ疑問だった」


 ぎりり、と歯を噛み締める音。


「言い掛かりだ……っ」


 土方を睥睨へいげいし、新見は歪んだ唇から暴言の代わりに駁説ばくせつひねり出す。


「私の何が、士道に反しているのかね」


 勿論、突如切腹を突きつけられ、唯唯諾々《いいだくだく》と素直に腹を斬る男ではない。

 言葉がりきんでいる。焦燥しょうそう忿怒ふんぬがそうさせている。


「つい先日のご自分の行動を振り返られたら如何いかがですか。それとも、今までの貴方が加担した数々の乱暴狼藉を、此処で一から列挙れっきょせねばわかりませんか」


 山南が静かに言い放つ。

 新見は数日前、越前藩士から二十両もの金を借りていた。加えて、四条木屋町の旅籠はたごで、水戸浪人の吉成よしなり常郎つねろうという者に狼藉を働いたばかりである。実のところこれは、山南の策略の一つであった。


「……芹沢先生が黙っちゃいないぞ」

「どうですかね」


 山南が甘く笑いかける。まるで死へと導く、神の使いの微笑みだ。


「そもそも……っ、以前のことが切腹の一つの理由になるならばっ、私は芹沢先生の命に従っていただけなのですよ!」

「では、ご自分の意思ではなかったと」

「そうだ!」

「だ、そうですよ。芹沢さん」


 はっと青褪めた時には、もう遅い。


「下手な芝居だな、新見よ」


 山南の術中に嵌った新見は、片脚を罠に引っ掛けた鳥に同じ。その先には、居場所と命の墓場があるのみである。計略に長けた彼も、山南の前には今や、指先で弾かれる算盤の駒の一つであった。

 全てを理解した新見は、額に血管を浮かせ、息を浅く速くして、近藤達三人を睨む。ぎりぎりで保っていた彼の理性が、弾け飛ぶ音がした。


「貴様ら、何をしているか、理解しているのか? ……芹沢先生ッ!」


 きっと隣室の芹沢に顔を向ける。それは恨みの念があるのか、半ば縋る気持ちもあってか、酷く歪んでいた。


「千羽屋での女沙汰を収めたのは誰か、お忘れですか? ……佐伯の一件も! 鹿之嶋屋や善屋での金策も! 貴方の尻拭いをしてきたのは誰だとお思いですか?」

「お前が勝手にしてきたことだろう?」


 芹沢は酒を飲んでいた。自分の器に酒を並々注いでは、すぐにそれを空にした。酒器を持つ右手は、苛立ちに震えていた。


「私に死ねと言うのですか?」

「……」

「芹沢先生! 貴方も馬鹿ではないでしょう!? ……次に死ぬのは、貴方ですよ」

「儂は馬鹿ではない。そして、お前の発言を許してやれる阿呆でもない」

「先生!」


 芹沢は酒を飲み下し、やっと此方こちらを見ると、


「新見、腹をめろ」


 淡々とそう言った。

 新見は絶句し、喉かられた声すら出ないようであった。

 以前よりみずからの悪行が原因で、新見は新選組内での降格を重ね、元は局長と並んでいた地位も既に平隊士とほぼ同格にまで落ちた。副長からの降格の際に生まれた、未だ埋まらぬ芹沢との軋轢あつれきが、今回火に油を注ぐ結果となったようだ。


「気は済んだか?」


 新見は視線を土方に移した。


「士道を論ずる前に、てめえは何をするにも不覚悟だった。それが理由だ」


 勝ちを確信した土方の言い放った言葉は、少なからず新見の心を揺さぶった。山南と土方に追い詰められ、正に四面楚歌の状態である。瞼の奥で、彼の細い瞳が一瞬ふらついた。


「これがお前らのやり方か」


 突然、新見が大声を出した。

 そして、おもむろえりを開き、布一枚になった。


「先生も、私を蜥蜴の尻尾か何かに思っているのでしょう。残念なことだ。私をくせば、貴方は新選組で孤立する」


 大小の刀を置き脇差を手に取ると、柄を乱暴に外した。手近な布を巻き付け、一気に最後の着衣を肌脱ぎして腹を出した。


「介錯は私が」


 山南が立ち上がった。


「お前の介錯など要らん」


 それを、新見が怒鳴るように制止した。


「芹沢先生、あんたは馬鹿だよ。大馬鹿者だ」


 割れた笑い声をあげ、新見は刀を抜き払う。

 最後まで芹沢に諫言しなかったのは、彼の意地だ。山南の介錯を不要としたのは、彼の矜持であろう。

 両手を添えた脇差。その刃を腹に当て、眼前の男を見据(みす)える。


「近藤」


 新見の一挙一動を真正面から見る近藤を、嘲笑う。薄く、冷たく、しかし実に人間味のある眼だった。


「俺の死がお前らの破滅への道への始まりだ。後悔するがいい」


 皮肉屋らしい腹詰めだった。

 彼は最期まで、介錯を呼ばなかった。


 切腹は、一人で上手く行くことの方が少ない。大抵は剣術に長けた介錯人が付き、その首を斬り落とさねば、最悪の場合翌日まで瀕死の状態でもがき苦しみ続けることになる。案の定新見も、腹を一文字に斬り、縦にもう一度斬ろうと、刃を突き立てたところで体力が尽きてしまった。

 腹から臓物がまろび出た。口からは血と飯の混ざった涎が出た。四肢が痙攣しはじめ、流れ出た血が畳に染み込んでいった。

 暫くは一同、静かに見届けていたものの、これ以上は苦しむだけと判断した山南が、「御免」と首を皮一枚残して切り落とした。

 身体ががくりと傾き、床に転がった頭はころりと回って、芹沢の方を向いて止まった。奥歯さえ見えてしまいそうになるほど、強く歯を食いしばり、血走った目は眼窩がんかから落ちてしまいそうなほどであった。

 土方が無言で絶命を確認した。


 文久三年九月十日、新見錦、切腹にて死す。


 気付けば外は、轟々と降る雨に、軒が軋むほどであった。

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