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誠眼の彼女 -Seigan no Kanojo-  作者: 南雲 燦
弍の幕
49/58

飛花

 喉に引っ掛かっていた笑いが、堰を切ったように溢れ出して止まらぬ土方を、爽葉が怒る。


「わ、悪いかよ!」

「悪かねえけどさ……はははっ」

「おい……いい加減にしないとその長ったらしい髪、根こそぎり落とすぞ」

「笑わずにはいられねえだろ……大体、言った本人が恥ずかしがってんじゃねえよ」


 息も絶え絶えの土方に、「トシが笑うからだろ!」と悲鳴にも似た剣幕で、爽葉は反論した。


「揃いのもんねえ……」


 きゃんきゃんと一層煩く、出鱈目に言葉を投げ、罵倒を続ける爽葉の頭を押さえつけ、土方は片笑みつつ思考を巡らせる。

 義兄弟の契りをうらやんだ結果、その発想に至るとは、まだまだ子供らしく可愛いところもあるものだ。


「面白がるなんてひどいや」


 土方相手に反抗が効かぬとわかってか、爽葉は素足を擦り合わせ、「ふんっ」と言って、ふんぞり返ったと思いきや、ふて寝でもするつもりか、ごろんと身体を横たえた。


「何だその態度は。褒美、欲しいんじゃねえのか」

「もういい」

「おいおい。折角人が真剣に考えてやろうってのに」

「……なんか思いついたのか」

「まだだが」

「なんだよっ」


 完全に不貞腐れた爽葉の小さな背中を眺めながら、土方はぼんやりと考える。

 爽葉は隊士として非常に有能であった。副長助勤の候補にも挙がるほどの剣技。その実力は申し分ない。しかし、土方は彼の副長助勤昇格に対して、一人異議を唱えていた。なぜなら、彼の戦い方が、未だ恐ろしく無鉄砲だからである。己の犠牲を顧みない戦法は、危う過ぎた。彼は、最も素早く敵をたおす手段を、迷いなく選択する。掃滅を前に、手足はおろか、自身の命すら軽々しく放り出してしまう。

 人間は、咄嗟の場面に出会した時、必ず本能的に躊躇するものである。しかし、爽葉は違う。彼の行動には、躊躇も迷いも、ましてや恐怖心など、露ほどにも存在しないのだ。

 生い立ちの所為か、将又その瞳をとざされた所為で、あのような戦闘の手段を取らざるを得なかったのか。理由は判らないが、その剥離した人間性は、いつか彼の身だけでなく、果ては周囲さえをも巻き込んでしまうだろう。

 人を斬るならば、己が斬られる覚悟を持って戦地へ赴くべし。この心構えは、武士ならばすべからく胸に刻んでいるものだが、それとはまた別の問題である。


「チビ助」

「なに」


 むくれた彼が此方を振り向く。瑞々しい艶唇をわざとらしく尖らせて、非難を示している。


「早く天然理心流を習得しろ」

「そんなすぐ習得できるものなのかよ」

「俺は一年と半年で会得したが?」


 ちっ、と忌々しげに爽葉が舌打ちする。


「誰に言ってんだ。僕ならものの一年掛からず自分のものにしてやるからな!」

「おうおう、その意気だ」


 飄然とした態度で躱されて、益々ご立腹の様子の爽葉は、土方が自分の打刀を手に取ったと分かると一転、きょとんとした表情かおになった。


「刀を振れるようになれ。短刀や脇差じゃなくてな。その時には、これを使え」


 爽葉の下ろしたての刀に、土方は自分の持っていたものを取り付けた。爽葉は動きを止めて、音に集中している。


「なにをしたんだ?」


 返事の代わりに、土方は刀を爽葉の手に握らせた。


「……縁金ふちかね?」

「正解だ」


 煙草をう手を止め、土方はうなずいた。爽葉は掌を柄口つかぐちにぴったりと沿わすようにして、形を確かめている。


「これ、普通のと違う形をしている。凸凹でこぼこだぁ!」

「ああ。俺の縁金は特注でなぁ。梅の意匠を施してんだ。失くすんじゃねえぞ」

「これが……梅の形? 初めて知った」


 興味深そうに、爽葉は縁金を撫でる。


「トシと、おそろい……そっか……おそろいか」


 柔らかに笑う爽葉。土方は頬杖をついて、その横顔を静かに眺めるのであった。






「あら。どうしたんでありんすか?」

「わかるか? 見てくれ! これ貰ったんだ!」

「梅の花じゃあおっせんか? ほら、ここ」

「ふふっ。気づいたか? 梅の柄の縁金なんだ」


 鞘に納まった刀を、ずいっと自慢げに見せびらかす爽葉を見て、遊女達が微笑む。


「それ、土方さんのじゃないか?」

「傷が付いているな。お下がりを貰ったのか?」


 爽葉の両隣に座っていた原田と近藤が、口々にそう言って、爽葉の刀を覗き込んだ。

 此処は新町遊郭の揚屋、吉田屋。

 幕府の要人警護の為、爽葉達は大坂でいつも利用する八軒家の船宿、京屋に宿泊していた。昼間の仕事を終えた彼らがやることはただ一つ。酒盛りである。彼らは三々五々、色街へと出向いた。爽葉達も早々に京屋を離れ、行きつけの吉田屋に入って、今の今まで休みなく飲み続けていた。夜も更けてきたが、彼らの宴に依然終わりは見えないようであった。


「あいつの愛刀、和泉守兼定いずみのかみかねさだに付けていたやつじゃねえか」

「えっ。じゃあ、トシの刀にはもう梅の縁金は付いてないのか?」


 慌てて訊ねる爽葉の頭を、近藤が酒器を持たぬ方の手で、優しく撫でた。


「いや。あいつは同じものを幾つか作って持ってるんだ。ちゃあんと付けてるぜ。打刀にも、脇差にもな」

「そうか」


 少しほっとした様子の爽葉に、近藤はひっそりと笑む。なんとなくではあるが、彼がどんな頼みをしたのか、そして二人の間でどんなやり取りがなされたのか。想像するはやすかった。

 当の土方は何処だと目を巡らせれば、離れた処で一人、酒を片手に涼んでいる。寄ってくる遊女達をあしらい、ただひっそりと外の景色を愛でているようである。長月(九月)とは言えど、大坂や京ではまだ残暑が続いている。酒を飲めば、確かに汗が滲むほどの気候であった。


「よかったな。刀が数倍良く見える」

「本当か!」


 きらきらと感情を弾けさせる弟分そうはを、思わず原田も可愛がりたくなったのだろう。反対側からも手が延びて、二つの大きな掌に掻き回された藍の髪は、跳ねるように四方八方に乱れた。


「ほんに可愛えなあ」


 朱塗りのお銚子を持ち、近藤に酒を注ぐ遊女が、そう零す。織屋おりやお抱えの遊女、深雪みゆき太夫だゆうである。近頃近藤は、彼女にすっかりぞっこんであった。

 近藤はその正義感と人を惹きつける力、豪放磊落な性格故に、男女を問わずよく好かれた。最近は、浪士組も着々と成果を挙げ、名を馳せるようになってきた。その所為か、女っ気のなかった近藤の周りにも、《《馴染みの女》》の存在がちらほら目立つようになっていた。

 しかし、「美人は好みの範疇にない」と豪語していた上に、江戸には正妻がいる近藤も、流石の深雪大夫を前に、その前言を撤回すべき事態になったようだ。それもその筈。なんと言っても、太夫たゆうは遊女の頂点の称号である。美しい容姿を持ち、万芸に秀で、その上文学にも通暁するという、相当な教養を持ち合わせているのだ。近藤は聡明な女性が好きであった。つまりは、彼女に惚れないわけがなかったのである。

 爽葉も彼女にはすっかり懐いて、お梅に続いて、彼女を姉のようによく慕っていた。特に、彼女とは話が合った。爽葉は芸事には疎かったが、非常に伶俐れいりであったからである。今では、大坂宿泊での風呂等々、相談事はすっかり彼女に任せきりだ。つまり、深雪大夫には、女であることを明かしているのである。


「そいや、しんぱっつぁんは?」


 藤堂が訊く。


「芹沢さんのところだ」


 斎藤が答えた。


「二人で飲んでんのかあ?」

「そのようだな」

「なんだかんだ仲良いよな。と言うよりも、芹沢さんが絡んでいるってのが、正しい表現か」

「同門のよしみというものだろう」

「左之助は上手くまぬがれたようですね」


「残念」と言いたげな沖田の言葉に原田は、斜めの向かいの席から、へらへらっと笑ってみせる。


「ったりめえだろ。お守りなんて俺ぁ御免だぜ。ぱっつぁんは、どうにかして俺に残って欲しそうだったがな。あいつは悪りぃが、遊郭こっちの方が楽しいに決まってらあ」

「芹沢はんと言いましたら、さっき、お鹿しかはんと小寅ことらが呼ばれて、京屋に向かいんした」

「流石に女が居ねえと、寂しかったんだな。何か問題ごとを起こさなきゃいいが」


 原田がそう言って、盃をあおったその時。慌ただしい足音がきざはしを一気に駆け上がって来たと思いきや、襖の奥から悲鳴に似た声が近藤を呼んだ。


「芹沢さまが!」


 原田は酒を吹き出し、藤堂はげんなりと酒を不味そうに飲み下した。事情を話に来たのは、吉田屋亭主喜左衛門(きざえもん)の女房、まさだ。彼女の話に、皆一様に苦い笑いを浮かべる。


「やっぱりか」

「近頃の芹沢さんは狂ってやらぁ」


 近藤が空になった盃を、静かに盆に置いた。

 まさに事情を尋ねれば、小寅と芹沢が言い争っているらしい。暫くして、お鹿と小寅が駕籠に乗って帰って来た。永倉が手配してくれたという。事情を聞けば、芹沢が小寅に「帯を解け」と迫り、それを拒否したところ、芹沢が激怒しだしたそうだ。

 小寅は、自分に懸想する芹沢が、本当は大嫌いであるという話では、藤堂と沖田と爽葉、それに原田と三十郎は、腹を抱えて遠慮なく笑い転げた。


「そんなことだと思ったぜ……」

「まあ事が落ち着いて良かった」


 近藤が当人達に芹沢を非礼を詫び、その場はお開きとなった。しかし、その翌日。事態は皆予想だにしていなかった、悪い方向へと転がった。


「なんでこうなった」

「なんででしょうねえ」


 眠気で包帯の上から目を擦る爽葉に、にたにたと笑う沖田がそう返した。


「朝から元気なことだな。僕なんかよりも若いんじゃないの」


 爽葉は、朝から立腹している様子の芹沢に、小さく溜息を吐いた。折角楽しく飲んでいたならば、何故こんな形で最後の最後に事を荒立ててしまうのか、はなはだ疑問であった。

 横では気色悪い笑顔の沖田。彼も相変わらず人が悪い。こんな状況にも関わらず、永倉があたふたとする様を見て、喜んでいるのである。


「いらっしゃいまし」


 大人数の芸妓が、爽葉達一行を出迎えた。昨日のことがあって、至急数を増やしたのだろう。主人喜左衛門も、女房まさも、明らかに顔色が悪い。


「……」


 鋭い眼光で周囲を威圧しながら、芹沢は店に入って行く。苛立ちが全身から溢れ出ている。あっ、と思った時には、遅かった。仲居の一人が吹っ飛ばされて、気絶した。芹沢の鉄扇に肩を叩かれたようだ。鉄扇の重さは三百匁*。声を上げる間もなく気絶するのも納得である。


「お梅がいるんだからいいじゃないか……」


「気絶してるだけだよ」と気絶した仲居に駆け寄った別の仲居に、それだけ告げて、爽葉も芹沢に続いて、二階の成天なりてんに通った。


 朝起きた芹沢は依然として、昨夜の件について、腹に据えかねていた。永倉が必死な思いで彼をなだめ、京屋主人忠兵衛(ちゅうべえ)に相談をした。結果、昨晩の遺恨を水に流すという名目で、再度酒宴を開いて貰うことになったのだ。

 それには、永倉、土方、沖田、平山、そして爽葉の五名が同席することとなった。


「土方さん、助かります」


 土方の出席に関しては、永倉が直接お願いをした。土方は最初からそうなると読んでいたのか、「ああ」とだけ返事をして、凪のようにやけに静かな眼差しをたたえて、永倉の後をついて来ていた。確かに土方の手腕は相当なもので、永倉と共に不機嫌な芹沢を上手いこと宥めつつ、目的の座敷に就くことができた。

 玄関先での芹沢の激昂ぶりを見て、向こうも必死だ。手厚い饗応を受ける芹沢に、それを心配そうに見る永倉。ちゃかり上等な酒を飲みながら、時折芹沢を抑える土方。どうにもこの構図が面白いらしく、沖田はずっと笑いっぱなしだ。


「主人はどこだ!」

「はい、ここに」


 京屋の喜左衛門が出てきた。


「吉田屋の主人は」

「今生憎と席を外しておりまして。私めが御用を承ります」

「お鹿と小寅を呼べ」


 その言葉に、部屋の空気が緊張したのがわかった。


「芹沢先……」

「呼べと申しておる!」

「……へえ」


 仕方なく忠兵衛は奥へ行き、お鹿と小寅を連れて帰ってきた。

 可哀想に。芹沢の前に出された彼女達は、目に涙を浮かべ、恐怖に震えている。その様子を、爽葉は箸で惣菜を摘みながら聞いていた。


「分かっているな?」


 ギロリと、殺気立った眼光が、二人の乙女を射抜く。


「何故、お前達が呼ばれているのか」


 座敷は、水を打ったように静かであった。窓の外から漏れ聞こえてくる小鳥の囀りが、場違いに響く。外の空気はきっと、爽やかに違いない。


「昨晩の其の方らの無礼。誠に忌むべきものだ。成敗されても致し方あるまい」


 ひっ、と女達は声もなく縮み上がる。同時に、ゲッ、と永倉が勢い良く、芹沢の方を振り向いた。

 芹沢の懐で、鉄扇がじゃらりと鳴る。彼女達は生きた心地がしないだろう。

 小寅の付き添いをした仲居お鹿は、青褪めた顔で、すがるように永倉を見ていた。永倉はお鹿を大層気に入っていて、その様子から、爽葉は永倉の立場に心底同情し、心の中で合掌しながら、また酒をすするのであった。


「自分でできないのならば、手伝ぉてやろうか?」

「芹沢さん」


 最初に動いたのは、やはりこの男。土方だ。




 三百匁 ……1.125㌕

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