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誠眼の彼女 -Seigan no Kanojo-  作者: 南雲 燦
壱の幕
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壮途

「女人禁制の組織に、性別を偽って潜り込んでいた事実が判明すれば、どうなるだろうな」

「僕に腹でも斬らせて、酒の肴にでもする気か」

「そんなつまらないことはしないよ」


 桂が力を込め、箸を横薙ぎに払った。爽葉の身体が腕ごと持っていかれるも、机のきわについた左腕で、どうにか持ち堪える。柔らかな物腰に反して、筋肉質で硬い桂の腕が、袖の中にするすると仕舞われた。


「私が本気で浪士組を解体させるなら、そんな不確実で確信のない手段は取らない」

「そうかよ」


 行き場を失った爽葉の箸は、皿の上の田楽を摘み、大ぶりな口へと運んだ。


「余計なことを口走った時は、それがお前の最期だと思え」

「怖いこと言うね」

「お前の方がよっぽど怖いわ」


 爽葉が口を尖らせた。


「何故、君は刀を握る。何故、髪を切り、袴を履く。女ならば、家で亭主を待つ方が遥かにやすかろう」

「女だから武士にはなれない、淑やかに生きなきゃならない、常にへりくだり、家で主人を待たねばならない。そんな常識に囚われた人生なんて、真っ平御免だね」

「時代の異分子だな」

「何とでもどうぞ」


 爽葉から見れば、桂達長州の考えも、今は少数派の意見だ。長州藩は他の藩との対立を深めながらも、開国攘夷を説いている。何時いつその力関係が傾くかは定かではないが、彼自身、おのが意見を通す辛さを感じ、新たな道を模索しているのではなかろうか。


「人と異なることを、恐るな。信念を持って自分の道を突き進めば、その道を妨げるものは何もない」


 はっとしたように、桂が爽葉を見た。小さな藍色の頭が、つ、と持ち上がる。椿油で手入れをしたのかと思うほど、艶やかな蓼藍たであいに光の輪が浮かぶ。


「そうだろう?」


 酒屋の喧騒が遠のいた。見惚れるほどの凛々しい言葉は、酔っ払いの口から出たものとは思えぬ、文雅であった。






 鳥獣戯画にでも描かれていそうな月を背景に、桂は一人、夜道を歩く。少し熱った身体に、夜風が気持ち良い。息を吐き出した。肺に新鮮で、幾ばか冷たい空気が入り込んでくる。

 彼の明盲あきめくらの前には、小細工など通用しなかった。思いの外長々と彼は桂と相席をし、またふらっと去って行ったが、直球の言葉を投げる気持ちの良い男であった。事をなすのは、その人間の弁舌や才智ではなく、人間の魅力なのだ。それを、この男に分からされた気がする。


「学がないという割には……」


 浪士組の狂犬という脳の詰まってなさそうな渾名に反し、彼女はやけに、まつりごとや世情に精通していた。少々子供らしいところもあったが、世故せこにも長けており、存外話は弾んだ。


「信念を持って自分の道を突き進めば、その道を妨げるものは何もない、か……。良い話を聞いたな」


 そして、ふと足を止めた桂は、思わず手を口に当てて、暫し佇んだ。脳内で合ってしまった辻褄が、痺れるような衝撃で、彼を脳天から足先までを一気に貫いた。


「いや、そんなはずは。いや待て、あるわけ無いと、完全に決めつけることもできない……」


 それは、遥か昔の思い出の中。桂が門人の礼をとっていた吉田松陰が、時折口にしていた言葉達。


「……何、故?」


 そしてまた、桂はハッと顔つきを変えた。

 桂が入江の話題を出した時だ。


「そういや、君は九一と知り合いなのか」


 ぴくり、と爽葉の肩が小さく跳ねたのを、桂は見逃さなかった。しかし、爽葉の面相には依然、何の微々たる感情も走らなかった。焦燥もなく、驚きもなく、其処に在るは単なる無であった。


「いや? 名は知っているがな。手配書が奉行所から回ってきたからな。お前の名前と仲良く並んでいたってよ」

「九一がどうやら、狂犬ちゃんのことを気になっているようなんだ。何故か、分かるかい」

「さあてね。狂人の思考回路なんざ、知る由もない」

「あれ? 九一が狂った奴だって、何故知っているの?」


 げ、とあからさまに顔を顰めるので、桂は思わず、込み上げる笑いを堪えることなく、存分に腹を抱えた。


「本当、わかりやすいんだね」

「すごい馬鹿にされてる……」


 顳顬に手をついて、爽葉はぼやく。


「いいじゃないか。素直でよろしい」

「ひどい奴」


 いじけた口調で、膨れた頬に酒を流し込む姿を眺めて、確かにちょっかいを掛けたくなる入江の気持ちも、分からなくはないなと、桂は暢気に笑っていたが、今になれば吉田松陰と入江九一。その二人と接点があったとなれば、色々と話が変わってくる。


「九一《野生児》の勘は存外侮れないものだな」


 桂は手を後ろで組み、にこにことご満悦。


「これは、面白い展開になりそうだ」






「おんし、わしと友達とぎにならんか? ……へ? なに笑っちょるがか?」

「すまん……。あははっ……狂犬ちゃんの、言った通りすぎて、あは、あはははっ」

「なんじゃあ、おかしい奴ぜよ!」


 海舟かいしゅうを号する勝麟太郎を訪ねた桂が、彼に同伴していた、坂本龍馬と運命的な出会いを話すのは、この一週間後の出来事である。彼等が船上で、爽葉の話題に華を咲かせることになるのは、また別のお話。






 八月十八日、早朝。

 薩摩と会津が手を組み、中川宮の松平容保、右大臣、二条にじょう斉敬なりゆきらの参内に合わせて、会津藩兵千五百、薩摩藩兵百五十、他に淀、徳島、鳥取、米沢など諸藩が繰り出した兵二千以上が朝廷御所の九つの門を密かに封鎖、警備についた。御所の周囲を藩兵で囲み、長州の公家や藩兵を力づくで締め出す為だ。当然、会津藩お預かりであった壬生浪士組も出動していた。


「夜通し待って、下知げちが全然来なかった時にゃ焦ったが、ようやく命が下ったと思えば、御花畠おはなばたけって何処だよ」

「お花、畑……」

「爽葉、そりゃ違え」


 ぞろぞろと御所内を歩きながら、愚痴る原田の隣で、爽葉に突っ込むのは永倉だ。


 容保公に近藤が拝謁し、事の顛末を聞いて、屯所に帰営したのは昨晩のことだ。守護職本陣の軍議で、公用方の広沢に、浪士組は御花畠を守護するよう命ぜられた。容保公の口利きのお陰だと言う。下知があり次第出陣するとの近藤の言葉に、皆急いで戦支度をした。


「胸が高鳴るなあ。いよいよって感じだな!」

「早くやり合いたいですね」

「い、戦になるんだろうか」


 甲冑を着て、生き生きとした様子で笑う藤堂と沖田の横で、勘定方の隊士が冷や汗を流している。

 支度を整えた隊士達が一同に集まると、皆気分が高揚しているのか、広間は途端に暑くなった。


「どうなるんでしょうか。長州の久坂や桂がどう出るのか、不安なところがありますね」


 山南の表情には少しだけ翳が差す。それに対して、隣の土方はだんだらの羽織を肩に引っ掛け、嬉しそうににやけていた。


「ちょろちょろと小賢しく京を走り回っていた、目障りな奴等を一掃できるんだ。こんな面白えことはねえ」

「うまくいきますかね」


 斎藤が訊ねる。


「さあな。まず下知が来なきゃ始まんねえ」


 しかし、下知はなかなか来なかった。最初は元気良くはしゃぎ回っていた爽葉や藤堂は、お互い背を預けて眠ってしまっている。沖田は外廊下の柱に寄り掛かって夜風に当たり、井上と松原は茶を啜りながら何やら別の話に花を咲かせていた。


「歳、山南さん、ちょっと」


 腕を組み、背を伸ばしたまま目を瞑っていた土方と、隣で同様にして静かに座っていた山南を、近藤は呼んだ。

 彼に従って隣の部屋に行けば、そこには芹沢と新見の姿。浪士組の上役五人が揃う。


「何故下知が来ぬ」

「軍議でも最初、陣割りから浪士組は弾かれていました。容保公がお声かけしてくれたから良いものの、公用方筆頭の小森殿も、雇われのうちをよく思っていませんし。あまり、いい扱いは期待できなそうですね」


 芹沢に近藤が答えた。


「今回の件、会津は薩長の争いに巻き込まれているだけなのでは」


 新見が渋面で言う。


「そうかもしれません。次第によっては、会津こちらに火の粉が降りかかるかもしれないですね……。今後薩摩と対立する可能性も否めません」


 山南も不安そうに同調した。それを、土方は真正面から笑い飛ばす。


「そうなったら、今度は薩摩とやり合えばいいだけだ」


 土方はものを喧嘩の道理で考える節がある。近藤は昔から考え方の変わらぬ幼馴染を見た。この男にとって、戦も喧嘩も、然程さほど大差がないのだろう。しかし、この場においては、もう一人、土方と同じ考えの者がいた。芹沢である。


「そりゃあいい。そうなったら、薩長まとめて駆逐するいい機会じゃねえか」


 とまあ、暢気なものである。


「何べんも言うようだが、下知が来なきゃ始まんねえ。このままじゃあ、何もせずに夜が明けちまうぜ」


 そう唾棄して、土方はぷかぷかと煙草をふかし始めた。

 そうして結局、夜は明けた。


「もう待っていられるか! 皆の者、出陣だ!」


 仄明るい空に響いた朝一発目の芹沢の怒号に、叩き起こされた隊士達は、ばたばたと慌ただしく列を成し、芹沢の後に続いて出陣した。下知を待たずしてのことであった。


「これ、いいんすか? 行っちゃって」

「もう全員痺れを切らしていただろう。従おう」


 そう言いながら、斉藤が三十郎に鉢金を手渡す。


「忠司さん、その格好、武蔵坊弁慶むさしぼうべんけいみてぇだ」


 坊主頭に鉢巻、薙刀を小脇にかいこんでいる松原を見て、原田が感嘆の声をあげた。そして、藤堂の引っ張って来て、その隣に並べて見る。


「おや、これは牛若丸と弁慶かな?」


 満足げな原田の背後から井上が覗き、二人の外見を見事に表現した。綺麗な顔立ちで背のあまり高くない藤堂は、確かに玲瓏な源義経に似ていた。甲冑姿に、長い髪を靡かせる姿はまるで、御伽噺から抜け出してきたようだ。


「ぴったりだな。もうそれにしか見えねえや。ちょっくら、五条大橋にでも行ってくるか?」

「何で牛若丸と弁慶の芝居でもするみたいになってんだよ! 今から行くのは御所だろ!」

「いや、そっくりでな。思わず」


 浪士組は総員五十二名、二列縦隊で御所の蛤御門はまぐりごもんへと向かう。掲げた誠の一字を染め抜いた隊旗は、陽光を浴びて眩しく光る一方、彼等の心には一抹の陰りがあった。


「何者だ」

「はあ?」


 御所の蛤御門に着くと、守備を固めていた会津の藩兵に制止された。隊列からぴょこんと顔を出した爽葉が、思わず文句を言う。


「おいこら、通せよ!」

「ここを通ること罷りならぬ」

「ふざけんな!」


 膨れる爽葉の頭をぽんと叩き、前に進み出たのは、芹沢だ。通さぬ一点張りの藩兵の隊長が突き出す槍を、鉄扇で払い、脅す。


「門を開けろ」


 鋭い眼光で隊長を射抜き、巨躯で迫って威圧する様は、迫力があった。そして、腹に空気を吸い込むと、御所中に響き渡るほどの大きな声をあげた。


「誠忠浪士組筆頭局長芹沢鴨、会津候の命により御花畠に罷り通る!」


 殺気立った芹沢に鉄扇を喉笛に突きつけられた隊長は、引き攣った顔で後退り、門は重厚な音をあげながら、渋々開かれた。


「御花畠は何処だ」

「えぇと、そこを右ですね」


 新見が地図を開いて指差す。


「完全にお上りさんだな」

「しょうがないよ。本当のことだもの」


 局長のすぐ後ろについていた原田と沖田は、御所内を迷う局長達の姿に、苦笑いするしかない。


「お花畑って、花の匂いするか? 僕が辿れば一発じゃない?」

「チビ助……だから、花畑じゃねえって……」


 爽葉の頓珍漢とんちんかんな発言に呆れる土方も、困った様子。その時、野太い声が、浪士組を引き止めた。


「近藤殿!」


 振り向くと、甲冑姿の一人の男が駆け寄ってくる。会津藩軍事奉行の西郷さいごう十郎右衛門じゅうろうざえもんであった。


「うちの藩兵がご迷惑をお掛けしたようで。京都に赴任したばかりで、あなた方を知らなかったらしい。いやはや、かたじけない」

「誤解が解けて何よりです」

「改めて、御花畠門の警固をお願いしたい。長州の者、長州にくみする者は何人たりとも立ち入らせぬよう」

「あいわかった」


 そして、西郷は近藤に何十もの黄色いたすきを手渡した。


「会津藩の合い印の襷だ。隊士全員分ある。これを身に付けてくれ」


 浪士組は、御花畠門を警固したが、最後まで何も起きることはなかった。それどころか、存在を忘れ去られたかのように一片たりとも情報は入って来ず、会津藩や薩摩藩との連携は皆無と言っても過言ではなかった。手にできたのは、見回りに走らせた山崎の観察報告のみである。

 この政変により、京の政界を裏から操っていた長州藩は、一気に不利な態勢に陥った。そして、長州派の席が空席のまま、御所会議は開かれた。

 会議では勿論、薩摩と会津の公武合体派の公家達に有利な決まりを次々と決定させた。長州藩に任されていた堺町御門警備の罷免や大和行幸の延期などだ。久坂達の計画はここでたちまちに頓挫した。それどころか、長州は幕府や諸藩、そして朝廷からも見放され、完全に孤立し、もはや命すら危うい危機的状態である。


「雨、降って来ましたね」

「そうだな」


 差し出した掌に、ぽつりぽつりと水滴が当たり始めた。

 最後まで長州は反撃をしてこなかった。桂の采配に依るところだと言う。この際、攘夷派の三条実美や沢宣嘉ら公卿七名は罷免され、長州藩兵と共に長州へと落ち延びていたようだ。


「何も、できませんでしたね」

「……そうだな」


 沖田が呟き、土方は煙草に火を付けた。雨に濡れ、佇む浪士組隊士達の耳に、会津藩の勝利の勝ちどきが届いた。未だ、一才の報告すらない状態で聞く味方の歓声は、どこか遠くて淋しいものであった。

 一人の男の大きな背中が、少しだけ縮こまっているように見える。近藤の背だ。浅葱の羽織は冷たく濡れ、その端から水滴と悔しさが滲み、固く握られた拳は震えていた。


「山南さん」

「何ですか」

「俺ぁ腹括ったぜ」


 山南は、土方の視線を辿って、同じ人物ひとを瞳に映した。


「浪士組をもっと強くしてえ。近藤さんを押し上げてえ。その為なら、どんな荊道も、どんな修羅の道も、俺は行く」

「土方くん……」

「俺は喜んで鬼になるぜ。何者にも、浪士組の未来は邪魔させねえ」


 雨音に掻き消されそうなその誓いを、遠くから耳をそばだて、盗むように聞く少年がいた。彼もまた、人知れず固い誓いをたてた。


「あいつが荊道をゆくのなら、その棘を一緒に踏み倒す。あいつが修羅の道をゆくなら、喜んで共に血にまみれよう。あいつが行くところには僕がいて、僕の行くところにはあいつがいる。だから、浪士組は不滅さ。ふふ。どうだ? いい理論だろう、トシ」

「爽葉? どうしたの?」

「いや、なんでもない。それにしても、こりゃひどい雨だな」


 強い雨脚が、足跡を消してゆく。大勢の足音すら、わからないほどに。


 くだんの政変を、人は八月十八日の政変と呼ぶ。

 この功績が認められ、壬生浪士組は新しい名をたまわった。



 その名は、新選組しんせんぐみ──。





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