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誠眼の彼女 -Seigan no Kanojo-  作者: 南雲 燦
壱の幕
42/58

瞋恚

「沖田隊長も、そう思いませんか?」

「ええ。そうですね……」

「沖田、隊長?」


 立ち止まった沖田を、松崎は振り返って訝った。そして、その瞳の奥に潜む、冷え冷えとした本懐が垣間見えた途端、情け無くも、彼は尻餅をついた。必死に、後ろ後ろへと後退ろうとするも、恐怖に震える脚は、使い物にならない。正に、蛇に睨まれた蛙の如く萎縮した彼の命は、ひとえに、風の前の塵に同じ。


「君の考えは、よく分かったよ。でも残念だね、それは未来永劫叶えられることのない、分不相応な望みだよ」


 一刀両断。それはあまりにも一瞬の出来事。

 脳天から斬り裂かれた彼の口からは、溺れた時のような、ごぼりと湧き上がる液体に咽ぶ音が洩れ、すぐに事切れた。


「総司……。何してる」


 沖田は声の主に背を向けたまま、僅かに目を見開いた。しかし、すぐに目を伏せると、ゆっくりと振り返る。


「総司」


 布の下に隠された見えない瞳は、非難の色を成しているのだろうか。それとも、憂色を含んでいるのだろうか。将又はたまた、驚いていたりも、するのだろうか。


「何って。後片付け、ですよ」

「斬ったのか」


 爽葉が、屍を見下ろす沖田の隣に、静かに佇んだ。寄り添うように、そっと。

 いつもならば分かり易い爽葉の思考は、今は靄の中。沖田は、感情のせた彼を盗み見た。


「怒らないの」

「怒って欲しいのか」

「いや」


 爽葉の掌に、爪が食い込む。ぎちぎちとしなる、沖田のそれより薄くて小さな拳は、その圧力に耐えられそうに見えない。彼は、何を思っているのだろうか。


「総司、お前さ、人を斬ることに、もう慣れちゃったんだろ」

「いや」


 沖田は懐紙を取り出し、刀身を滴る血を拭った。ゆっくりと、丁寧に。そして、笑いとも似つかない小さな吐息を洩らした。


「ごめん、少し嘘。前よりも、刀が軽いと思うようになった。躊躇いもなくなった。肉を斬っても、骨を絶っても、呼吸をすることのように、感情にさざなみさえ立たなくなった」

「だろうな」


 爽葉が、松崎の襟首を掴み、ずるずると引き摺って歩き出す。とは言っても、彼の非力な腕で大人の男一人を引き摺るのは難しいらしく、遅々として進まない。どうやら、近くの川に捨てようとしているようだ。


「放置しましょう」

「明日も朝から興行だぞ。力士や観客が見たらどうすんだ」

「祇園からは少し離れてますが……。それもそうですね」


 沖田が襟首を掴むと、死体はいとも簡単に動いた。どうせ浪士組の隊士の死体である。さっさと報告を上げてしまえば、面倒ごとは避けられる。

 沖田が死体を川に落とそうとすると、爽葉の足が素早く動いて、先に松崎の背中を蹴った。死体はバシャンと一度大きな波を立て、川の底へと静かに沈んでいった。


「帰ろう」


 やけに物静かな爽葉に、頷き返して、沖田達は元来た道を帰る。


「剣の腕、上がったな」

「そう? じゃあ今後のおチビとの試合、俺が勝ち続けることになるけど」

「それはさせないよ」


 爽葉は、沖田の声を聞いて、少しだけ安堵していた。

 彼の剣は猛者の剣だ。猛々しい鋭さ、誰よりも素早く、突き一つを取っても、重く、強い。彼の剣が人を斬る剣になった今、彼の腕前は永倉や土方、斎藤さえも、上回るのではなかろうか。

 そして、彼が我を忘れるほど怒るのは、近藤勇に危機が及びそうな時だけ。きっと、芹沢にでも何か吹き込まれたのだろう。今朝、様子がおかしかった。もっと深く追求しておけば良かったと、後悔するのも後の祭りである。どちらにせよ、松崎は粛清され、近藤の危険もなくなった。これはこれで良いか、と納得してしまうのは、爽葉の性格故である。


「早く帰ろう。もう眠くなってきた」

「朝から働きっぱなしでしたもんね」

「明日も朝早いのは、少しきついな」

「でも、お祭り気分は嫌じゃないですよ。おチビもでしょう?」

「うん」


 沖田は、浪士組の剣だ。誰の切先よりも早く、敵の懐を裂く。

 沖田は、近藤を護り、敷いてはこの浪士組を守る、研ぎ澄まされた剣である。それが宿命であるならば、今ここで身内を粛清した事もまた、彼の運命なのだろう。


「総司、一緒に、頑張ろうな」

「何、どうしたの突然」


 一緒に背負おうではないか。

 これから先の未来、君と共に浪士組の剣となろう。


「明日も、頑張ろうって話だ」

「勿論だよ」


 二人の作る大小の拳が、こつん、とぶつかった。





 その三日後、佐伯又三郎が殺された。

 調査の結果、彼と長州との間に明確な繋がりがあることが発覚。楠や長州勤王党から来た四人同様、泳がせておくか迷っていたところ、芹沢がばっさりと斬り捨てた。

 佐伯が、芹沢の気に入っていた佐々木をそそのかし、脱走を仕組んだ張本人であることが発覚したからだろう。奇しくも、佐々木とあぐりが殺された朱雀千本通りで、芹沢の一刀の下、彼の命は朽ちた。元よりいけ好かない奴と思われていたことが良く分かる、死後の事務的な処理のされ方に、爽葉はせせら笑った。


「今回ばかりは、芹沢の気分で人が死んでも、誰も文句すら言わないな」

「そりゃあ、奴の気色悪いおべっかを見なくて済むしな」


 爽葉とその報告を聞いた永倉と原田は、将棋を指しながら、こんなことを言っていた。


「あいつは、取り入る相手を間違えた」


 斎藤も、彼の態度には辟易していたのだろう。冷めた意見と共にしきみの花を手向たむけていた。

 人の生死にとりわけ疎々《うとうと》しい爽葉は、彼の簡易的な葬式の間、あろうかとか寝落ちをかました。


「葬式で早起きさせられるとか、聞いてないよ」


 退屈な葬儀から解放された爽葉は大きな欠伸をして、うーんと腕を伸ばし、夏の朝の気持ち良い空気を肺に溜め込んだ。やっと目が覚めてきた彼の、二重瞼がぱちりと瞬きする。

 これが祭りに類別させるのかは分からないが、爽葉は祭りの雰囲気を大層気に入っていた。相撲興行中は目覚めも良く、普段なら朝っぱらから響き渡る、土方の怒声を聞かずに済んでいた。


「おんし、こじゃんと楽しそうやな」


 軽い足取りで祇園を歩いていた爽葉を、男が引き止めた。


「楽しいよ。お祭りだもん」

「その格好、浪士組ながやろう? ええのか、警備する者がそがにうかれちょって」

「いいの、いいの。僕、こんなでも腕は良いから。おじさんの首も」


 くるり。爽葉は身体の向きを変え、男と正対する。


「油断してたら、うっかりいじゃうかもしれないよ」


 男はその科白を聞いた途端、気が狂ったようにげらげらと笑った。声の大きな男である。独特の佇まいと、土佐訛り。


「やっぱし、わしの目に狂いはなかったぜよ」

「はあ。何のことだ」

「わしは、おんしのことが気に入った。仲良うしようぞ、青少年」

「僕、知らない人にはついていっちゃ駄目って、源さんとまっつんに言われてるんだ」

「そな固いこと言わなや!」


 がっしりと肩を抱かれ、爽葉は顔をげっそりとさせた。厄介でしつこそうな奴に絡まれた。爽葉の顔が、彼の着物に擦れた。硬く、ざらざらとした生地の感覚が、頬をひりつかせる。


「団子じゃ。団子奢っちゃる」

「え? ほんと?」


 すぐに懐柔された爽葉は、見知らぬ男と二人で、甘味処の座敷に腰を下ろす。爽葉はここぞとばかりに、甘味を幾つも注文した。


「容赦ないのう」

「僕の時間を買うには高くつくんだよ」


 もしゃもしゃと団子を食みながら、爽葉は男の思惑を推し量っていた。

 土佐訛りだが、自由奔放な価値観と、ちらりと触れた総髪。おそらく爽葉同様、彼も流浪の武士だろう。

 土佐藩と言えば、徳川とくがわ恩顧おんこの雄藩である。だが、その土佐にも、時代の流れと共に新たなる亀裂が生じていた。端的に言えば、倒幕派へと傾いていたのである。

 藩主山内家をはじめ上士*は、領地を与えてくれた徳川幕府への忠義に篤い。しかし、土佐藩の下級武士、いわゆる郷士は関ヶ原の戦いで敗戦し、幕府に潰された長曾我部家の遺臣だ。恨みこそすれ、恩義など欠片もないのである。したがって、郷士の多くは脱藩し、討幕運動に挺身ていしんし始めていた。


「で、おじさん、誰? 僕、土佐の浪士に知り合いなんていないけど」

「おぉ。こじゃんと*腕がええだけじゃのうて、頭も悪うないやと?」

「団子さえたらふく食べれたら正直なんでも良いんだけどさ。何で僕を引き止めた?」

「おまんと友達とぎになりたかったき」


 それだけ? と爽葉は隣の男を見上げる。

 容姿すら見えやしないのに、爽葉は彼を眩しい光を持つ男だと感じた。彼の不思議な温かみは、大自然の中に居るような雄大さと、心地良さがあった。まるで、自由に飛翔する鳥のようだ。枷を外し、何にも囚われず、ただひたすらに飛翔する鳥だ。その先に、夢幻的な大海でも待っているとでも思っているのか、希望と期待に満ち満ちた、少年のような眼差し。


「わしの名は、坂本龍馬や。よろしゅう」


 彼の心を燃やすは、紛うことなき風雲児の魂だ。


 爽葉の場合、自分のことを棚に上げて言うようだが、彼は変わった男である。しかし、爽葉と異なるのは、彼が非常に人間味溢れている点だろう。自由人。感情豊か。素直で純朴。どの言葉にも当てはまるようで、当てはまりきらない、可笑しな男。


「仲良くも何も、おまえの懐のそれ。怪しくて、まともに団子が咽喉を通らんぞ」

「さっきからおまんの腹に次々と消えていくんは、何が?」


 笑混じりに、坂本が懐から取り出したものを、爽葉と彼の間の狭い場所に、こっそりと置いた。重量感のある音が、座敷の板を震わせる。


「流石じゃなあ。見抜かれちょったか」


 爽葉はすぐに手を伸ばす。冷たく、硬い感触。重み。飛び道具であることは、すぐに分かった。新品だ。


「短銃か」

「おん。ビストールじゃき。スミスあんどウエッソンちゅう、最新の回転式拳銃ぜよ」

「こんなものを持ち歩いて、物騒だね、おじさん」

「ちょ、おんちゃん言うがは勘弁しちょくれ」


 土方と同い年の坂本は、野放図に伸びた後ろ髪をがしがしと掻いた。

 佐幕派、統幕派双方、同じ世代に、国きっての俊英が揃ったのは、奇跡と言っても過言ではないだろう。


「気が変わった。お前と友達になってやらんこともない。だが、お前は僕の敵か否かだけは、はっきりさせて貰おう」


 偉そうにふんぞりかえる爽葉を、坂本はいつになく優しい眼差しで見下ろした。


「少のうとも敵ではない。が、味方とも断言出来ん。敵味方、善悪、是非。世の中には時として、そういった黒白を、分けられん物事もあるっちゅうことぜよ」

「へえ。僕とあんたの関係は一言では表せないってか」

「わしはただ、浪士組の狂犬の眼には、世界がどんな風に映っちゅーのか、興味があっただけや」

「狂犬?」

「おまんの渾名やき。知らんのか?……なんや、不服そうじゃのう」


 皆は壬生の狼で、何故自分だけ犬なのか。爽葉は不満だった。


「くそ、僕だけ犬っころかよ。せめて狼より強そうな名前つけてくれよ。熊とかさ」

「おまんのこんまい*図体に合わんだろ」


 そう言って人懐っこく笑う坂本が、すぅっとその笑顔を引かせると、年相応の顔付きになる。色の濃い眉毛や睫毛、しっかりとした骨格に焼けた肌。印象に残る相貌だ。


舶来はくらいのもんを見ても、眉ひとつ動かさんとは。俄然、おまんに興味が湧いたぜよ」

「おじさんにとって、佐幕派の組織にいる僕の意見なんて、分かりきってるし、聞いたところでしょうがないんじゃないの?」

「いんや」


 坂本が、ずい、と身を乗り出す。


「わしは、公平な世を作りたいんじゃ。誰もが平等に生きられる世ぜよ。そんで、まだ知らん世界を見てたいんじゃ。その為には、違った意見を聞い、理解することこそ、平等への一歩やとわしは思うちょる」


 団子を齧り、爽葉は伸ばした脚を組み替えた。

 坂本は続ける。


「皆仲ようしとうせ、異国さ受け入れ、日本も世界と渡りあうべきぜよ。今国が団結せんで、いつするがよ」

「日本は異国に比べ、圧倒的に弱いからな。攘夷と言っても、どうせ太刀打ちできやしない」

「おまんもそう思うがか?」


 坂本は立ち上がる。

 笑顔が弾ける。


「わしはでっけえ海が見たいき」


 坂本は両腕を広げる。

 爽葉は彼にぼんやりと顔を向ける。


「未来の為に、こん国は変わらねばならんぜよ。わしがやらんで、誰が日本を救うんじゃ」

「立派な思想だ。僕は、おじさんがその夢を叶えることを願ってる」

「おまんもわしらの仲間にならんか。共にこん国を変えようぞ。きっと、良い戦力になるで」

「いや、僕は良いよ」


 へらへらと笑って、爽葉は最後の団子を、その大きな一口で食べ切った。餡子のついた唇を舌で舐める。


「確かに僕は、浪士組に居るとは言えど、個人的に佐幕派であるわけじゃあない。何なら、上が幕府だろうと朝廷だろうと、どうでも良いし、開国万歳だとも思ってる。それこそ、戦力、技術、勢力差、どれをとっても今の日本は異国に勝てっこないし、逆に言えば、異国の文化は日本に大きな利益をもたらすだろうね。奇怪な外見の僕にとって少し世知辛いこの国でも、異人が街を歩くようになれば、変わった色の髪を変な目で見られたり、余計な喧嘩を売られたりすることも少なくなるだろう」

「やったら……」






 上士…身分の高い武士

 こじゃんと…すごい

 こんまい…小さい

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