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誠眼の彼女 -Seigan no Kanojo-  作者: 南雲 燦
壱の幕
41/58

瞋恚

 休憩がてら、興行の観察も兼ねて近藤達は、その盛況ぶりにやや感動に似たものを感じていた。毎年大規模に開催される大掛かりな伝統行事だ。警備に当たれたことは、この時の彼等にとってこの上ない名誉であった。


「近藤殿!」

「おお、小野川おのがわ殿。どうですか、力士方の調子は」


 道の向かい側から、背はさほど高くはないが、恰幅の良い男がにこやかな笑みを浮かべて、片手を挙げている。


「上々ですよ。まだ初日の前半だというのにこの盛況ぶり。これからもっと白熱するでしょう」

「警備にも身が入ります」

「どうでしょう、中日にでも一杯やりませんか」

「いいですね。次の日にも仕事があるので、あまり遅くまではお供できませんが」


 近藤と和気藹々《わきあいあい》世間話に花を咲かせるのは、小野川おのがわ秀五郎しゅうごろう。芹沢等が大坂で一悶着起こした際に、近藤と交渉に当たった大坂相撲の年寄である。

 近藤とは気が合うようで、交渉の末和解し、かえって浪士組と大坂力士の関係を深める事となった。交渉の後の御座敷では、この男、五十過ぎの老齢ながらバリバリと皿を噛み砕いて見せ、見事浪士組の度肝を抜かせた。負けてはおれぬと、彼の隣で近藤が茶碗をくらい始め、翌日は顔を包帯で覆うこととなった、何とも滑稽な事件の発端の人物である。軽く話をした後、近藤達は彼等と別れ、屋台が並ぶ道に入る。


「さぁさぁ、寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい! ここでしか、この期間にしか手に入らない土産物だよ! 力士の手形、力士とお揃いの扇子や手拭いまであるよお!」


 聴き慣れた声がする。数多の人の声飛び交う喧騒の中でも、ハリの利いた、少々舌ったらずな彼の声は、良く通る。


「てめぇは、一体ここで何やってんだ!」

「いひゃいっす! お客はん! 頬抓らないで、……だから痛いっつってんだろ、この鬼ぃ!」

「おいおいおい、一介の浪士組隊士が、勤務中に油売ってて良いと思ってんのか?」


 土方が引っ張り上げったのは、店の前掛を首に引っ掛けた爽葉だ。折角、揃いの黒羽織に身を包み、取り繕った良い子の体裁が、前掛ひとつ鉢巻ひとつで台無しだ。さも売り子かのように、何食わぬ顔で彼が居座っていたのは、土産物の出店。当の店主は、爽葉の後方で居眠りをしている。


「チビ助、お前今の時間休憩だったっけか?」

「違うけどぉ。尾崎が暑さにやられて、休憩時間変わってくれって言うから。僕は何一つ悪くないだろう?」


 逃げ出そうとする爽葉をがっちりと固め、その脳天に拳を押し付ける土方。その隣で、近藤が怪訝な顔をして人混みを見渡した。その何かを探すような視線に、爽葉の襟首を持って揺さぶる手を止め、土方はどうしたのかと問う。


「いや、名前を呼ばれた気がしてな」


 立ち止まったのも束の間。小首を傾げるも、聞き間違いだったと告げようとした近藤に待ったを掛けたのは、やけに騒々しい呼び声だった。


「かっちゃーんっ」

捨助すてすけ!?」


 あんぐり。開いた口をあわあわとさせて驚く近藤の隣で、深い溜息を吐き、額に手をやる土方。その様子を交互に見て、何か面白いことでも起きるのやも、と爽葉は人をくった笑いを浮かべた。土方の困った様子がよっぽど好物のようだ。

 近藤土方と共に休憩を取っていた谷三十郎も、その手のクチである。爽葉と似たり寄ったりの表情を浮かべて、一歩引いたところから事の次第を見守ろうと、にやついている。


「あんの野郎……。京にまで来やがったのかよ!」


 人ごみを掻くように泳いで、満面の笑みで此方に駆け寄って来るあの男は、とうの昔に江戸に置いてきたはずの、昔馴染み。松本まつもと捨助すてすけだ。


「無視しないでよお、かっちゃんー」


 土方達とは何かあったようだと、谷は、土方の面相に含まれた、一抹のばつの悪そうな表情を察して、ほくそ笑む。


「お前、どうしてこんなところに居る」

「ちょっと、開口一番それ? 追いかけて来たに決まってるじゃないか。ねえ、俺も浪士組に入れてくれよぉ。いいだろぉ?」

「てめえ、家はどうした」

「やだなあ土方さんっ。相変わらず怖すぎ!」


 近藤の背後に隠れるも、すぐ様土方が松本の首根っこを捕まえて、ずるずると引き摺り出した。


「帰れ」

「やだ! ここまで来たんだよ? 入れてくれたって良いじゃないか! 大体、気絶させて置いてくなんて、土方さんの人でなし! わからずや! 朴念仁!」


 爽葉が堪らず吹き出す。そのうち、「もっとやれ」と囃立はやしたて始めそうだ。


「なんすかこの人?」

「かっちゃんの昔馴染みで、親友なんだぁ」


 もじもじと嬉し恥ずかしそうに告げる松本。


「ああ、腰巾着ね」

「何この人怖いっ。土方さん並みに冷たいっ」


 へらっとした顔で松本を見下ろし、小馬鹿にする谷は、彼の危機察知能力を刺激でもしたのだろうか。松本は尚のこと縮こまって、しどけない仕草で近藤に擦り寄った。


「こいつは放って行くぞ。休憩時間が終わっちまう」

「痛っ、いたいいたいよっ」


 土方は松本の耳を引っ張り、離れたところに捨てるように放った。子犬のような眼差しで、赤くなった耳を押さえて彼は不貞腐れる。


「痛いよ、土方さぁん」

「痛くしてんだよ」

「知ってるよぉ俺、また殴るんでしょ!」

「あ? んなこたぁしねえよ。……人前ではな」

「ちょ、怖いこと聞こえた気がするんだけど!」


 松本は幼い頃から天然理心流を学び、浪士組への参加を望んでいたが、松本家の長男で、一人息子でもあった為に断念した。と言うよりも、断念せざるを得なかったというのが正しい表現である。何故なら、駄々を捏ねる松本から、土方が金を巻き上げ、上洛直前に峰打ちで気絶させて、置いてきたからである。

 彼は土方とは縁戚で、多摩の富裕な農家の生まれである。「唯一の跡取り息子だから、連れて行く訳にはいかないんだ」との、近藤や山南の懇切丁寧な説得にも折れなかった彼に対し、土方が強硬策に出た次第だ。


「まあまあ、久々に会えたことだし。なあ、捨助、一緒に食事でもしよう」

「かっちゃああん」

「おい近藤さん……」

「トシ、いいじゃねえか。遥々ここまで来たんだ、少しくらいいいだろう?」


 近藤の頼みに滅法弱い土方は、諦めの溜息を吐いて、反駁はんばくめた。引き摺り回していた松本を片手で無造作に転がし、冷たい目で見下ろす。


「捨助。飯食ったら、即刻江戸に帰れ」

「えぇー」

「てめえに選択肢はねえ」

「はぁい……」


 土方の炯眼に睨まれた松本は、もう頷くことしかできなかった。


 仕方なしに、皆で昼餉を食べることとなった。ぞろぞろと、近くの泥鰌どじょう料理屋に入る。

 松本の向かいで、早速爽葉が泥鰌どじょう鍋を食べ始めた。


「なんで君は包帯を巻いているの?」

「んあ?」


 もぐもぐと頬張る爽葉は、松本が投げ掛ける言葉を聞き流し、胃袋に食べ物を詰め込んでいる。相当腹が減っていたようだ。

 浪士組の仕事は、今日も重労働。泥鰌どじょう鍋は、泥鰌どじょうの骨を抜いて醤油で煮付けた丸煮で、栄養価が高く、精力がつく。朝から働き詰めで、体力勝負の仕事には、もってこいの昼餉である。


「目が見えないの?」

「君、うるさいっすね。ちょっとくらいその汚い口閉じて、黙れないんすか」

「何、浪士組の人達何でこんな口悪いの!」


 先刻から近藤にべったりの捨助の様子に、流石の近藤も、引き攣った笑みを浮かべる。


「で、どうなのさ」

「見えないよ」

「やっぱり? うわぁ、すごいね。なんで盲目なのに剣をやろうと思ったの?」

「捨助」


 近藤も、彼の暴走をやんわりと止めに入る。


「僕が失明したのは、剣を握った後だ」

「へえ、目が見えなくなっても剣を握るなんて、すごいね。でもどうやって戦ってるの?」


 くす、と微笑を洩らし、爽葉が口許を拭った。現れたのは、完全に人をおちょくる表情。隣に座る谷は、最初からその表情かおで、二人から蔑視に似た視線を受けた松本は、椅子の上で後退る。


「僕の師匠は万物だ。風が揺らす葉も、空に舞う鳥も、地を駆ける犬もね。数多の師に囲まれて生活したんだ、お前のような無能に育つ訳がないだろう」

「へ? ねえ、聞いた? 酷くない? 無能だなんて! かっちゃんー」

「その穢らわしい手で、近藤さんにくっつかないでください」


 何処からか姿を現した沖田が、近藤の腕にしがみつく捨助をすかさず引き剥がした。


「やあ、久しぶりだね。捨助くん」

「ひっ……。総司くん……」


 松本は、沖田の顔を見るや否や、目に見えて怯えた。やや蒼白になった面相を、近藤の着物を引っ張って隠す。


「総司、お前まで何してんだ」

「土方さん。そんなことより、なんでこの人がこんな所にいるんですか?」

「こっちも聞きてえよ」


 沖田の大きな掌が、松本の肩を掴み、無理矢理近藤から引き剥がした。そして、汚れでも落とすかのように、これ見よがしに両手をぱんぱんと叩く。厄介な奴がまた増えたと、土方は静かに汁物を啜りながら、成り行きを見守った。


「浪士組に入りに来たんだってえ」

「貴方は要りません。ほら、そこの新入り達で事足りてますから。家の仕事は? 放っぽって来たんですか?」

「あらやだ。私達、新入りですってよ」

「ほんと、失礼しちゃうわね。腕はピカイチなのにねえ」


 机を挟んだ向かいで、爽葉と谷が耳打ちし合う。


「さっさと帰ってください」

「散々土方さんに言われたよう。でもさ、疲れてるから、数日泊めてくれない?」

「はあ? 今うちは忙しいんです。帰った帰った」

「ひどぉい。かっちゃん、俺もう、くたくただよ。泊めてっ」

「それも、そうだなあ……。数日ならいいぞ。但し、帰る旨を記した手紙を送って、ちゃんと直ぐ江戸に戻りなさい」

「近藤さん!」


 近藤は、沖田の方を向いて静かに首を振る。


「土方さん、いいんですか」

「近藤さんの決めるこった。もう口出しはしねぇよ」

「最悪だ……。よりによって忙しい期間に」


 まだ得心がいかぬといった様子で、沖田が近藤の隣に渋面で腰を下ろす。一件落着のようである。

 その様子を、同じ店内の離れた席から見る者が居た。毎日のように着込んだ小袖は、れて白藍色になっている。縞の紋様の袴に、紺の羽織を着て、うねる総髪を後ろへ流していた。しかしこの男、他とは明らかに様相を異にしていた。それをより克明にしたのは、その履物とその懐に忍ばせた物珍しい飛び道具だろう。


「なんや、騒がしいな」

「あん羽織、壬生浪士組ぜよ。今日の相撲興行、彼等が取り仕切っているやき、警備しているのも全員、浪士組の隊士じゃ」

「ほう」


 目を細め、顎を撫でて愉快そうに笑むこの男こそ、日本の歴史に名を刻む英傑、坂本さかもと龍馬りょうまである。

 天下無二の軍学者と慕うかつ麟太郎りんたろうの門人となったばかりの坂本は、海軍塾の資金依頼の為に訪れていた越前福井藩から帰ったばかりであった。脱藩し、土佐藩から追われる身だった坂本の罪を、土佐藩藩主を取り成して赦免にしてくれたのも、このかつ大先生のお陰である。今は、勝が推し進める海軍操練所設立の為に奔走する日々を過ごしている。


「面白そうな男がおりなさんな。あれは誰じゃ?」

「ああ、ありゃ浪士組の狂犬じゃのう。わしも最近聞いたばかりの話じゃけんど、何でも盲目の剣士と」

「盲目なが? まっこと、面白い奴がおったもんや」


 豪快な一笑を弾けさせ、彼は突如勢い良く立ち上がる。雪駄せったが地面を叩く、軽い音が鳴る。


「何しゆうがで、惣之丞そうのじょう! すっと食べんかね! わしは相撲さ見て、あいつにちょっかいさ出しに行くき」


 そう言い残して、さっさと外へ出て行く相撲好きの坂本を追う為、沢村さわむら惣之丞そうのじょうは慌てて飯をかき込み、勘定を投げるように置いて店を後にした。





「松崎」

「沖田隊長?」


 松崎は、いつの間に背後に立っていた沖田に驚いて、裏返った声で挨拶をした。

 ここ大一番の行事が幕を開け、空に浮かぶ月もやや疲れたように霞む宵であった。


「何か私に御用でしょうか?」

「うん。聞きたいことがあってね」

「何でしょう」


 丁度後片付けも終わるところだ。汚れた掌を手拭いで拭いて、沖田の前に畏まった。

 松崎は頭の中で、今日の出来事を必死に反芻していた。小心者故である。思い当たる節がないと分かると、今度は直近の稽古や見廻り等の勤務態度を顧みてみる。しかしこれでも、呼び出される理由が判然としない。


「……あの? 隊長?」


 絞り出した声は、自分でも驚くほど小声であった。


「此処でする話でもないので、屯所に帰る道すがら、お話ししましょう」


 嫣然と笑む沖田に、松崎は苦し紛れの強張った笑顔を返すのが精一杯であった。

 最初はしょうもない世間話だったが、次第に話題は今の浪士組について、にすり替わっていた。

 沖田も人が悪い。相手を話に乗せるのが上手いのである。ぺらぺらと終いには饒舌なまでに熱弁し出した松崎を、止める者など存在しなかった。

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