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誠眼の彼女 -Seigan no Kanojo-  作者: 南雲 燦
壱の幕
39/58

盛夏

「ちょっと、皆えらく僕の鼻に頼るじゃないか」

「いいじゃない、ほら早く早く」

「んー。これ、なんか覚えが……。あ、あのあいつだ。ええっと」


 名前を思い出せずに頭を抱える爽葉を、横から永倉が応援する。


「ほら、芹沢に胡麻擂りしてる……」

「佐伯か」

「そう!」


 すっきりとした表情で、ぽん、と手を打った爽葉は、直ぐに口を噤むこととなった。

 斎藤が目配せをし、永倉達も黙る。

 闇が揺れた。ハッと爽葉と沖田の面相に同じ表情が巡り、緊張が走る。


「貴様」


 沖田の噛み締めた歯が歪な音を立てて鳴った。ぬらりと黒無地の衣を纏った男が側の竹藪から現れる。彼が揺らした藪からは、不特定多数の残り香を感じた。佐々木を手にかけた相手は、どうやら佐伯だけではなかったようだ。


「岡田以蔵。……何故、お前がここに」

「ハジメ?」


 斎藤が、すっと前に出た。岡田の相手をするつもりなのか。


「俺は争いに来たのではない」

出鱈目でたらめを」

「たまたま通りかかっただけだ」


 彼の凄みのある眼が、獲物でも探るように横にずれた。血の痕跡を舐めるように見ている。野生の獣は僅かに漂う香りに導かれるようにして、ねぐらを離れて、大通りにまで顔を出したというのか。


「到底信じられないね」


 不毛な会話だ。斎藤が永倉に目配せした。


「ここは俺に任せろ。下手人がまだ近くにいないか、探してくれ」

「わかった」


 すぐに二人は刃を交えた。火花散り、放たれた殺気が苛烈にぶつかる。息を飲むほど凄まじい怒涛の戦いが、場を圧した。下手に介入すれば、何かを乱してしまいそうだ。

 戦う二人を横目に、爽葉達は残党を追うべく朱雀通りを手分けして探した。


「どこにもいない……」

「こっちも」

「とりあえず戻ろう」


 朱雀千本通りに戻れば、斎藤と岡田の戦いは終わっていた。


「どうだった」

「もういない。岡田以蔵は?」


 斎藤の袴の裾が五寸ほど綺麗に切れて、足首が覗いている。切れた端の解れた黒の糸を見遣って、沖田が訊ねた。


「奴も去った。どうやら本当に顔をのぞかせただけらしい。ただ、佐伯との関わりがある可能性は十分にある」

「この奥は、長州藩邸のある河原町だからな……。長州と絡みのある岡田が彷徨いていても、不思議じゃねえ」


 目下の問題は片付いてしまった。永倉は佐々木の骸を見て、またひとつ溜息。


「どうしてまた脱走なんか。所帯持ちゃいい話じゃねえのか。女の方、舌噛み切ってるぜ。肝っ玉の座った娘だな」

「彼の事です。所帯を持つだけでは解決出来ない事情があったんじゃ?」

「また監察方が出張って、何か掴んでくれるのを待つか」


 爽葉は佐々木の傍に片膝をついて、骸にそっと手を這わした。敏感な嗅覚では、そんなに時間の経っていない死体からでも、腐敗臭を嗅ぎ取ってしまうことに、今は少しだけ嫌気が差す。二人分のおびただしい血液が掌にこびり付く。捻じ曲がった腕と溢れた臓器、そして。


「なんで微笑んでるんだ? 訳がわからない」


 想い人と死ねたから満足だって言うのか?

 二人で暮らす未来を描けて幸せだったって思ってでもいたのか?

 自身の全てを投げ打って命を散らそうとも、凝固した血で固められた表情は何と呑気な面なのだろう。それ程までの価値が愛とやらにはあると云うのか。心の何処かに伽藍とした空間ができた違和感が、涙腺を刺激する前に、その感情を説明できない事への腹立ちへとたちまち変換されてしまう。ただ、愛嬌たっぷりの柔らかい彼の笑顔が、二度と自分に向けられることがない事は、少しばかり残念であった。

 情けとばかりに瞼をそっと閉じてやる。


 嗚呼。ごめんね愛次郎。

 僕は未だ愛を表現する手段を知らなくて、骸をこんな冷たい目で弔うことしか出来ない。

 嗚呼。ありがとう愛次郎。

 君の命をってして、僕は愛をる。





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