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誠眼の彼女 -Seigan no Kanojo-  作者: 南雲 燦
壱の幕
27/58

往時

 彼が初めての稽古に一生懸命取り組めば、それは人気のない神社で素振りをする土方の後ろ姿に重なった。彼が教わった技を成功させて嬉しそうに笑えば、剣術を純粋に楽しむ沖田を連想させた。休憩中には、山南が冷たい茶を持ってきてくれたり、源さんこと井上の毛の薄くなった頭を揶揄ったり。かと思えば、永倉が真剣に素振りの手直しをしてやり、藤堂や斎藤が指導と称して自分達も稽古を始める横で、原田が一人上裸で寝ていたり。まさにあの頃の様だ。


「二人はずっと昔から仲が良いのか。義兄弟の契りを結ぶほどなんて、幼馴染とかか?」

「まあ、幼馴染と言うか、腐れ縁と言うべきか。小さな頃から顔は知ってたさ」


 こく、と酒を飲んだ爽葉を見て何故か近藤はにやつく。空になったお猪口片手に片膝をついたまま、ぐい、と重心を斜め前に持ってきて、爽葉に近寄る。


「歳の昔の話聞くか?」


 え、と爽葉の可愛らしい口が驚きの声をもらしたのが、月明かりの下で近藤の目に映った。彼の素直な身体は若干乗り出し気味だ。やはり土方の話は気になるか、と自分達の生まれ故郷である江戸の町を想い、遠くを見つめるような眼差しになった。


「バラガキって呼ばれてた」

「バラガキ?」


 近藤はくすっ、と小さな笑いを零した。試衛館時代の記憶はどれも、最近のことのように目の裏に鮮烈に蘇る。


「ああ。昔のあいつは手のつけられない暴れん坊だったんだよ。毎日のように拳を血で汚して、飢えるように喧嘩してやがった。滅法強いもんで、歳に挑んだ奴等はまとめて返り討ちさ。ある時、寺で喧嘩してるっつーから駆けつけてみれば、歳以外全員ひっくり返ってる光景は壮観だったよ」


 彼のことを思い出しているのだろうか、自然と近藤の相好は崩れている。


「少しでも触れれば傷つけられるいばらみてぇな少年、そう言う意味さ」


 にへらと口の端をあげた爽葉は、バラガキねぇ、と復唱して満足そうに喉を鳴らす。


「あいつも随分やんちゃしてんだな」

「役者に間違えられるくらい綺麗な顔立ちに似合わねえだろ?地元じゃ、手のつけられない乱暴者って噂の的だった。確かに女達はそんな孤高の狼みてえな美男子を放っておく訳がねえよな」

「へえ」


 しかもよ、と悪戯な表情をした少々赤ら顔の近藤が爽葉にこっそり打ち明けるように、声を小さくした。爽葉も、近藤の方に少し身を寄せる。


「乱暴者に不真面目、飽き性、そんな風に陰口叩かれる奴だったよ。人に指示されることも、自分がそうしたいと思わない人に意味もなく媚びるのも嫌いな性分が仇を成して、衝突しちまうからだ。よく頭が切れるとの評判が掻き消えるほどにな。逆に凄えよな」


 土方の悪口を言っているような内容だったが、童心にかえったかのような近藤の表情や醸す空気は、穏やかで優しいものだ。


「でもそれは、奴の性格上曲がったことを許せなくて、自分の気持ちに素直だったからだって気付いちまえば、ただの面白噺だ」

「昔から変わらないんだな。近藤さんたちとはいつから一緒に稽古していたんだ?」

「あいつが二十五の時だ」


 へ?と素っ頓狂な声を上げた爽葉の反応に満足げに、彼は追加の焼酎を煽る。


「遅いだろう?素質もあって上達は鬼のように早かったぜ。あいつの大胆で気の強い性格と判断力の良さが功を奏して、めきめき強くなったって訳だ。いやー、奴をうちの道場に誘うのには苦労したよ。稽古に誘っては断られるし、見るだけでいいからと引っ張って行ってもいつの間にか姿は無いし」

「あいつ、元々剣道習ってなかったのか」

「ああ。あいつは地元じゃちょいと名の知れた豪商の息子だよ。喧嘩三昧してたと思ったら隣町まで行っては石田散薬っつー糞不味い薬売ってた」

「それ、もしかして怪我した時に飲まされた薬か。この世で最もえげつない苦味と匂いだった。吐き出すところをあいつに無理矢理飲み込まされた」

「ははっ、多分それだ。それもこれも、それまで何回か奉公に出されたんだが結局全部放り投げて帰って来て、薬商売手伝い始めたんだけどよ。まあ、奉公より奴に合ってたと思うぜ。その非凡な頭脳のお陰で少々詐欺紛いの売り方だったがな」


 そう言って回顧する彼は心なしか饒舌だ。


「でもよ、負けん気だけは人一倍で、努力は人の二倍する奴でさ。あいつ、俺の知らない所で、俺等の稽古以上の練習しやがってたんだよ」


 俺等の稽古に刺激受けたらしくてさ、と言うと爽葉は今度はくすくすと笑った。彼の若い笑い声を聞くと、近藤も幾分か若返ったような錯覚がする。


「掌に何度も破れた血豆作って、軋むほどの筋肉痛になって、擦り傷だって作ってた。売られた喧嘩は買う主義だったから喧嘩も相変わらずやってたが、剣の稽古のお陰か恐ろしく強くなっててな。それでやっと俺が気付いたんだ」


 おっと話しすぎた、と頭を掻く近藤に、爽葉は苦笑いするしかない。


「いい話聞いちゃったよ。これ以上に旨い酒の肴なんてない」

「歳には秘密な。爽葉に言ったなんて知れたら怒られる」

「僕限定かよ。大体、こんな話近藤さん以外に誰が知ってるんだ」


 眉根を寄せた一方、なんだか可愛らしい近藤の様子に爽葉は屈託無く笑った。それを見た近藤も朗らかに目を細める。


「じゃあ、明日も稽古あるからな、早々に寝ろよ」


 すく、と立ち上がった彼は夜風を全身で受け止め、大きく一つ深呼吸をして屋根から降りて行った。誰も居ない、静かな時がまた訪れる。くすり、と上機嫌な思い出し笑いが、風に乗って飛んで行った。





 京都某所。

 小さな座敷に男が四人、頭を突き合わせて座っていた。上背のある彼等には少々窮屈に思えたが、慣れた様子で一枚の紙を覗き込んでいる。


「おい、これ不細工に描いてないか?絵師呼んで来い。下手糞な野郎め、描き直させてやる」

「いやあ、似てますって。特にこの目!陰湿で物騒な感じがよく表れてますよ」

「ほーら。ちゃんと鏡見なさいよ、お前の顔はこんなんなの」

「ふざけんじゃねえ。これでも女に抱いてくれって迫られる面だぜ?こいつの腕が悪ぃんだよ」

性格タチの悪い男に引っ掛かる女って、一定数いますからね」

「稔麿ぉ?てめぇまた上手いこと情報収集できたからって調子乗ってんじゃねえぞ」


 羽交い締めにされ、狭い空間でばたばたと腕を振り回すのは、吉田稔麿。童顔をぷくり、と膨らませて人相書きを指差した。


「捕縛の話だって、これだって、俺が貰ってきたんですからねっ」

「正確にはお前が潜り込ませた間者が、だろ?」

「そーですけどー」


 尚もぎりぎりと締め付ける手を止めさせたのは、虫さえ殺せなさそうな面貌の優男だ。しかし、纏うものは隙が全く無く、静かでどこか恐ろしい。


「今回も稔麿の情報収集能力のお陰なんだよ、ねえ?大体、九一は一人だけ名前が載らなかったからって拗ねないで」

「拗ねてねえよ。まあ確かに?なんで俺を差し置いてこいつが名前載ってんだ?気に食わねえ」


 舌打ちした彼が吉田の丸顔の頬を抓る。その隣で長身の男が、すっきりとした明るい笑い声をあげた。彼の名は久坂玄瑞。凛々しくも整った顔立ちで、勤勉さの滲む男である。


「やっぱり、有名どころと言ったら桂さんと以蔵だろ。()()()()()()()()()()()なんて、かっこいい二つ名なんてついちゃって。俺も欲しいな、二枚目玄瑞、とか」

「ざけんな、長州の名が堕ちるわ」


 そういや、と久坂が視線を人相書きから目の前に座る桂に移した。彼は姿勢よく座って袖手しゅうしゅし、その緩やかな弧を描く目尻を更に下げて此方を見ている。漂わせる雰囲気も、緩々として柔い。


「大坂で浪士組に会ったんですって?」

「会ったよー。なかなか面白そうな子達だったよ。ね、以蔵?」


 岡田は静かに首肯した。彼は物静かだ。多くを語らぬ無口で無骨な男で、いつも桂の傍に居る。その静かな性格が現れたかのような彼の剣術は、音がない。刀身は一瞬で鞘から抜き払われ、気付いた時には相手の首を刎ね終えている。その太刀筋の早さは、はやぶさ。今や暗殺の担い手である。


「一人は一番隊隊長の沖田総司。噂通り手強そうだった。もう一人は、包帯を巻いたおかしな野郎だ」

「それって、有名な子じゃないですか。壬生浪士組には、盲目の狂犬がいる、って話を聞いたことありますよ。目が見えないのに相当の腕前の少年だとか」

「え、見えないのに?そりゃあすげえや」


 吉田の話に久坂は目を丸くする。


「そいつぁ、興味あるなぁ。()()()()の犬かよ。どんだけ地べた這いつくばってんだ。笑えてくるぜ」


 けけけ、と気味の悪い笑い声をあげ、行儀悪く足を投げ出した男は、人相書きにその顔を描かれた男、入江いりえ九一くいちだ。


「おい、稔麿。そいつについてもっと調べるよう、言っといてくれ。ちょいと気になることがある」

「まあ良いですけど。彼、浪士組幹部にべったりのようで、難しいかもしれないです。特に一番嫌な奴……土方の傍につきっきりですよ」

()()()()、土方歳三か」


 桂が、綺麗に尖った顎に手を当て、うーむと唸る。


「今の浪士組は厄介だな。彼が組織を動かしている限り、隙がない。只でさえ京にいる攘夷志士達の排斥が進んでいるのに、手が打てないどころか状況は深刻化している」

「俺らもこーんなちんけな部屋で細々と密会なんぞ、もう飽きたわ。以蔵の刀でさくっと殺してくんねえ?」

「あいつは強敵だぞ。以蔵でも敵うかどうか」


 左目だけ薄く開けた岡田は、入江を見た。余裕綽々と言ったように曲がる眉、険を孕む雰囲気を誇張する尖った鼻、顎に斜めに走る歪な傷。卑下た笑いをのせて、此方を見ている。


「俺は学のない暗殺者だが、意味もなく無謀な暗殺はしない」

「本気にしないでくれよ。これだから堅物は」


 はん、と入江は鼻を鳴らす。


「なんで、狂犬ちゃんが気になるの?九一」

「いや、昔馴染みに、盲目になった玩具おもちゃがいてな……気に入って時折遊んでいたんだが、いつのまにかいなくなっちまってたんだよ」

「昔馴染み?見た限りまだ幼そうだったけど」

「桂さん、狂犬は二十手前ですよ。俺等とそう年齢差ありません」


 あらま、と桂は目を丸くする。


「玩具ってお前なぁ……。なんか悪さしたんだろう」

「あれですよ、久坂さん。入江さんがまだ成人前の極悪人だった頃の被害者ですよ、絶対」


 眉根を寄せて、可哀想に、と呟く久坂に、入江はちっ、と心底嫌そうに舌打ちをする。


「お前も、相変わらず優等生ぶりやがって。反吐が出る」

「そんな事を言ってるのは貴方だけだ。本当、その粗暴な性格、そろそろ直さないと早死にするよ。……兎にも角にも、彼等は私達の捕縛に本腰を入れ始めた、と。捕縛中心とは言えど逆らえば殺されるし、捕まれば京一えげつないと名高い、鬼の副長直々の拷問が待ち構えているからね。慎重に事を進めよう。くれぐれも単独行動は控えてくれよ。今は何よりも、自分の命を大切にする行動を心掛けるように」





「次は?」

「柄を外す。……爽葉、危ないから俺の後ろにいろ」

「うん」

「こうやって柄頭つかがしらを握って、逆の手で拳を作って手首を叩くんだ。そうするとなかが緩んでくるから、はばき部分を持って引き出せる」

「ほー……。無理だ。慣れるにはだいぶ時間が要りそうだ」

「それにしても。ほんっと、この刀でよく斬っていたな。こんなに錆びている刀、そうそう見ない」


 爽葉は斎藤の部屋に訪れていた。刀の手入れをしてもらう為だ。血糊がところどころ拭いきれずに付着し、錆びて刃毀はこぼれしている。刀好きの斎藤は、彼の刀が以前から気になっていたようだ。盲目が故に杜撰ずさんな管理になってしまう刀は、見る間に劣化していき、見るに堪えなくなった斎藤が手入れを名乗り出た次第だ。えへ、と誤魔化す爽葉に溜息を吐きながらも、仕方ないか、とその錆びついた刀身に視線を落とした。ありふれた脇差だ。値打ちもない。彼の腕が良い為に、この数ヶ月でこの程度の損傷で済んでいるのだろう。


「僕基本使い捨てだったから……」

「使い捨て?ものを選ばないお前の技量は凄いが、どこにそんな金が」

「えっと。仏様から、ちょっと拝借?」

「……」


 無言になり、静かに手入れの続きを始める斎藤の腕を、下手な泣き真似をする爽葉が揺さぶる。


「だってぇ。刀も使ってあげた方が嬉しがると思わない?だって僕の刀すぐ拭き損ねた血が固まって鞘から抜けなくなっちゃうしさ!戦ってる間にぼろぼろ玉鋼たまはがねが溢れてくるしさ!」

「おい、危ない」


 爽葉を腕から振るい落とし、今度は鎺を外しにかかる。彼は大人しく斎藤の肩越しにじっと様子を窺っている。


「今度から定期的に俺が手入れしてやる」

「いいの?やった、ありがとう!何度か手入れしてみようと試みたことはあったんだけど、その度に怪我するから諦めてたんだ。だけど浪士組に入ったら仏様からかっぱらう……、頂戴することもできなくて、知らない間にこの通り刃毀れだらけ」

「見えないのだから、仕方ないだろう」


 それに、と斎藤は、歪に変形した刃を見た。

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