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誠眼の彼女 -Seigan no Kanojo-  作者: 南雲 燦
壱の幕
2/58

誰何 -Suika-



【一の幕】  人斬り童





 


 一創の傷が刻まれたその時から。醇乎じゅんこたる瞳が、神秘すら感じる清澄な群青で染め上げられたその瞬間から。人生の軌跡は交わる運命さだめへと指針を変えたのだろうか。

 陳腐と揶揄できよう天の啓示か、将又はたまた無意識の影に潜む意思の計らいか。

 前者ならば、神という偶像に酒でも供えてやるべきであろう。後者ならば、己の視覚を奪った者に感謝せねばなるまい。この血塗られた時代に、面白可笑しい、悦なはなしの幕を開けてくれたことを。






 日の本の中心地、みかど御座おわす町、京。

 この町では近頃、人斬り沙汰ざたが頻発していた。

 近年は、天皇を尊崇そんすうし異国人を排斥するという思想を持つ、尊王攘夷派そんのうじょういはによる倒幕運動とうばくうんどうの活発化により、京の治安はかんばしいとは言いがたい。「天誅てんちゅう」と称して、乱闘や暗殺などの犯罪が横行し、情勢は悪化の一途いっと辿たどっていた。その影に隠れ、辻斬つじぎり*の被害者は十にものぼった。

 市井しせいの人々は、夜に出歩くことを控え始めている。道沿いにのきを連ねる店は、早々に店先の掛行灯かけあんどんを消し、そそくさと葦簀よしずを仕舞い込んだ。酒屋の椅子も心なしか寂しい。

 そんな中でも唯一、あいも変わらぬ賑わいをみせていたのは、幕府公許の花の街、島原しまばら遊郭ゆうかくである。徒夢あだゆめに浸る、欲にまみれた男共。その懐で煌めく金子きんすに目がくらむ女共。うつつのことなど知らぬ存ぜぬと、酒を飲み、歌を唄い、彼らは情を交わす。

 しかし遂に、いつまでも変わらぬ慾に溢れた景色にも暗い影が差した。数日前に街の裏手で、また新たな死体が発見されたのである。辻斬りの仕業だ。骸は辻斬りの犯人探しに乗り出していた、長州の侍のものであった。この一件は、所詮は他人事と達観していた者達の目をも醒させた。何はともあれ、被害の数も少なくはなく、日々の話題といえばもっぱらその話である。


「沖田隊長」


 後続する隊士の一人が手にげる、赤い山形をあしらった提灯の仄灯ほのあかりが、振り向いた沖田という男の頬をぼんやりと濡らした。


「今夜の巡察じゅんさつは何処を回りますか」


 男は暫し思案して、


「尾川屋の方かな」


 と答えた。

 尾川屋は木屋町で一、二を争う小間物屋こまものやである。随分と人気をはくしているようで、昼間はいつも道の方まで人で溢れかえっていた。

 白昼の雑然ざつぜんたる様相と打って変わって、人の往来の無い夜の通りは静まり返っている。冷たく澄んだ風が時折びゅんと吹いて、頬が痺れるようであった。ようやく春めいてきたとはいえ、まだ残寒ざんかんは肌に優しくない。

 大通りから一本奥に入った、細い路地を歩く。

 すっかりとばりを下した町は、深い夜闇が一寸先すら隠し、不気味な雰囲気をも漂わせる。


たまには違う道も、景色が変わって良いでしょう」


 夜の街を闊歩する男達は、浪人ろうにん*であった。その集団の先頭を歩く男は、一際ただならぬ気配を放っていた。纏わせる覇気は、紛うことなく強者のそれである。

 男の名は沖田おきた総司そうじ。優しげで、爽やかな青年だ。彼は静かに、甘やかな微笑みを浮かべた。


「今日は、面白そうなことが起きる気がするんだよね」


 月光が雲に沈む。


「では、行こうか」


 一層深みを増した宵闇よいやみの中へと、彼等は紛れるようにその身を投じるのであった。


 同時刻。通りの先には、足早に歩く人影があった。

 速い呼吸音と、踏みしめられた石が騒ぐ音。ただそれだけがそらに響き、静寂に吸い込まれていく。駆けだしたその小さな影は、少年のものであった。

 もうどれほどの時間が経ったのだろうか。上手く回らぬ頭の片隅で、そう考えながら、少年は重い身体を叱咤しったしてまた速度を上げた。

 彼のかたわらを、生暖かく湿った風が嘲笑うように追い越し、通り過ぎて行く。それに追い立てられるように気持ちが急く。焦りが裏目に出たのか、少年は道に張る木の根につまずき、派手に転んだ。膝の皮が擦り剥け、血が滲んだ。ずくりとうずく膝をさすりながら、「畜生」と歯噛みしたその時、微かに人の気配が揺れ動いた。

 それを感じ取った少年は素早く立ち上がり、砂を払うこともなく辺りを警戒した。慎重に、しかし素早く、彼は半歩後方に下がる。踵に、固いり壁がこつんと当たった。


「ちっ」


 焦燥混じりの舌打ちをする。

 が、時既に遅し。人の気配は、はっきりと人数が数えられるほど、少年の近くに迫っていた。


「君、こんな夜中に何してるの」


 刀の鯉口こいくちを切る音がした。

 やや軽薄にも聞こえる口調と、慇懃(いんぎん)な問いかけ。気配は張り詰めていながらも、どこか余裕があり、さながらピンと張った絹糸のようだ。


「良い子はおねんねの時間だよ。優しいお兄さんが、家まで連れて行ってあげましょう」


 宵闇から姿を現したのは、抜刀した刀を携えた沖田であった。

 少年はすぐに理解した。この男が、危険な男であることを。


「どうしたの? 家がわからないの? それとも……何か、隠しごとでもあるんですか」


 沖田の声は、金物の音さえなければ、夏風にそよぐ青々とした若葉を思わせた。

 

「その口はお飾りなのかな? 黙ってないで、何か言ったらどうですか」


 少年の緘口かんこうに痺れを切らしたのか、沖田が僅かにまとっていた柔らかな空気が、突如消え失せた。存外、堪え性がない。


「後悔しても知りませんよ」


 月光を浴び、妖しく光る刀身が、風を切って振り上げられた。

 鋒が頂点に達するや否や、一気に少年の首許くびもと目掛けて突き出される。

 あわや少年の首と胴体を切り離すかと思われたものの、刹那には刀が交わり、甲高い音がぜた。


「……へぇ」


 突きを受け止められると、沖田は目を輝かせ、嬉々とした様子で追撃を繰り出す。

 しかし、目にも止まらぬ速さの沖田の刀は、少年の脇差によって受け止められていたのである。鞘から半身だけ抜いた状態で受け止めているので、少年自身の腕力は弱くとも、競り合いは拮抗きっこうしている。

 刃毀はこぼれしそうだ、と沖田は飛び退いて距離を取った。少年も同時に、跳ねるように後方に飛ぶ。


「沖田さん! これは何が起こって……?」


 急展開を迎えた状況に置いて行かれていた隊士が、慌てて提灯を掲げるように持つと、少年の姿がはっきりと照らし出された。しかしそれは一瞬の出来事であった。

 灯りの輪の中に浮かび上がった少年の白い手が、横にサッサッと小刻みに動く。次の瞬間、黒いものが一直線に空を切り割いて男達の方に向かって飛んでくる。

 沖田が咄嗟にそれらを刀で弾く。沖田の背後で、提灯のがふっと消えた。どうやら投げられたもののうちの一つが、提灯を切り裂いたようだ。

 沖田がハッと顔を上げると、少年はすぐ横に立て掛けてあった木の板に足をかけ、屋根に飛び移ろうとしているところだった。


「させるか」


 またたきにも満たぬに、沖田は大股で距離を詰め、すかさず刀を横薙ぎに払った。しかし、間に合わず。少年は夜の闇へと紛れて行ってしまった。

 パラパラと、瓦屋根から木屑と共に砂利が落ちる。 沖田は暫く、少年が消えた辺りに目を注いでいた。ふと、刀身に視線を落とすと、そこには少年のものであろう血が付着している。


「なんですか、ありゃ」


 今まで固まったように動かなかった隊士達が、緊張から解き放たれてやっと、息を吐き出すように呟いた。

 沖田は辺りを見渡しながら、ゆっくりと道脇の家に近付いた。壁に深々と突き刺さった黒い物体を見つけると、力を込めて引き抜く。


「それは……」

「手裏剣ですね」


 沖田の掌に乗る手裏剣を見て、隊士達がどよめいた。沖田は、まるで宝物でも見つけたかのように、それを空にかざしてみせた。星に姿を重ねている。子供のような仕草だ。


「いいね、面白い」


 沖田は手裏剣を手拭いに包むと、懐に仕舞い込む。


「さぁ、気を取り直して。巡察の続きでもしますか」


 沖田は隊士達の間を縫って歩き出す。声には喜びの感情がれ、上機嫌に弾んでいた。再び彼は、おもむろに空を見上げる。すると、いつの間にか顔を出した月が、雲の狭間はざまから笑っていた。






「おい」

「何ですか」

「貴様、何故俺の部屋でくつろいでいやがる」


 筆を止め、鬼の形相で振り返った男は、部屋で寝そべる沖田を睥睨した。彼は、土方ひじかた歳三としぞう。折角の整った顔立ちが、眉間に皺を刻んで仏頂面である。


「お前、それ」


 土方は続く文句を飲み込んだ。彼は沖田の手元を凝視している。和鉄でできた手裏剣は、黒く鈍い光を反射する。


「昨夜の巡察で、不審な少年を見かけたんです。これは、そいつが投げてきたもの」


 沖田は、包んでいた桔梗色の布から手裏剣を取り出し、土方の前に置いた。黒の着流し姿で机に片肘を乗せ、彼の表情は更に険しいものになった。


「少年、だと」


 土方がいぶかしげに訊ねる。

 強面こわもての土方の眼光が鋭くなると、最早もはや脅しにも近い。その様子に、沖田は殊更嬉しそうに顔を歪めてにやつき、土方の顔色を窺った。


「ええ。十四、五歳くらいの」

「逃したのか」

「いやぁ、案外強いもので驚きましたよ」


 沖田は首をすくめてみせる。


「ふざけるな。もういっぺん、とっ捕まえに行って来い」


 土方は顳顬こめかみに手を遣り、深い溜息を吐いた。


「俺は辻斬りの奴だと思うんですけど」

「はあ? 本当なのか」


 土方が片肘をついた状態で固まり、目を見開く姿を見て、沖田はうっそりと笑う。

 それもそのはず。昨今の京の辻斬りの下手人げしゅにん*は、一度だって姿を目撃されていない。それどころか、厳つい面をした大男だという噂もあれば、案外細身で長身の男だという噂もあり、情報が錯綜さくそうして余計な混乱を招いている。終いには、物の怪の仕業に違いないなんていう馬鹿げた話まで出てきていて、ほとほと呆れていたところであった。捜している土方達としてはやはり、非常にやりにくい状態だ。

 やっと、この膠着こうちゃく状態を打破する糸口を見つけられて喜ぶべきなのに、と沖田は膨れてみせた。


「まだ子供だったんだろ」

あなどっちゃあ駄目ですよ、土方さん。まあ、ただの勘と言っちゃあ終いなんですがね。あの技量は少し気になります」

「どんな奴だ」


 土方が低い声でく。


「変な奴でしたよ」


 先刻の出来事は、思い出すまでもない。沖田の脳内は、くだんの少年の事でいっぱいであった。

 手加減はしていたものの、うちの組でも一級品と自負する剣を受け止めた彼に興味がある。きっと遣り手に違いない。

 ──手合わせを。

 衝動にも似た欲求が、沖田の胸の内で渦を巻いて止められない。


「特徴は?」


 灯りで照らし出された少年の異様な姿は、はっきりと脳裏に焼きついていた。耳にかかる程度の、紺よりも藍に近い珍しい髪。腰に差されていたのは、脇差一本のみ。剣士にしては小柄な体躯。そして何と言っても、名状めいじょうし難い奇態な雰囲気を漂わせていたのは、瞼の上に何重にも巻かれた白妙しろたえの布だ。

 未だ幼さの残る面輪。目元に何重にも巻かれた布は細長く、頭の後ろで結ばれていて、余った部分が夜風になびいていた。月夜の中、その奇怪な姿は神秘的にも思えたほどである。


「なんだその変な風体は。異人か?」

「さぁ、どうなんでしょうね。言葉は理解していたようだけど」

「そうか。……引き続き警戒しておいてくれ。次に見つけたときは適当な理由でもつけてしょっ引いてこい。報告、ご苦労」


 土方は沖田にそれだけ言うと、くるりと背を向け、再び筆を走らせ始めた。


「じゃ、俺は失礼しますよ」


 沖田はそう告げて腰をあげつつ、ちらりと木目の天井を見上げた。今や沖田の上官にあたる土方は、また用意周到なことに、有能な部下を使って探りを入れているのであろう。

 沖田は土方の部屋を後にし、外廊下を歩く。ギシリ、と床が鳴いた。


「また。再会を、必ず」


 悪戯に片笑みながら呟かれたその言葉は、誰の耳にも届くことなく、雪のように溶けて、消えていった。

 一方、部屋では。


「山崎」


 完全に足音が遠ざかり、再び静寂が訪れた頃。土方が一言、名を呼んだ。濃紺の忍装束を身に纏った男が、天井から軽やかに降りて来た。

 細身だが、忍びにしては長身の男だ。顔の大部分を覆い隠す黒い布の上からでも分かる、引き締まった表情。そこから覗く、綺麗な形の眉と浅黒い肌、鋭く光るやや狭い幅の艶やかな黒目。見た目もさることながら、彼の欠片も音を立てない様は実に猫のようであった。


「人斬りの、何か掴めたか」

「いえ、はっきりとした事は皆目かいもく


 山崎は静かに首を横に振った。

 土方は、筆をすずりの上に置いた。筆先に染み込んでいた墨汁が、じわりと円を描いて陸に広がる。


「これが、総司が持って来たもんだ」


 山崎の視線が、ゆっくりと土方の持つ手裏剣に移った。


「さっきの話、聞いていたな」


 首肯する山崎に、「何かわかるか」と土方はたずねる。

 山崎は手裏剣を受け取り、二、三度裏返すと、布をずり下げて口を開いた。


「詳しいことは何とも言えませんが」


 そう言って、山崎は手裏剣を片手で軽く振ってみせる。


「平型手裏剣というものです。風車型、とも言えますね。ほら、名前通りの形状でしょう」


 山崎は器用に片眉をあげた。くっきりとした顔立ちだが、その容貌の輪郭は綺麗な線を描き、どこか繊細で鋭さを含む彼の容姿は小粋こいきである。


「比較的扱いやすいので、少年でも多少訓練すれば命中率は低くとも、すぐ使えるようになります。実際、何度か使用したようですね」


 彼が手元の手裏剣を注視するのにつられて視線を移せば、確かに。側面に幾つか傷が走っているのが分かる。


「ですが、この傷の具合を見ると、まだ素人のようです。しのびたぐいではないでしょう。かと言って、太刀筋や総司の話から察するに、武士とも断定しがたい」


 言い終わると同時に、山崎は手首をくいっと折るようにして、手裏剣を投げた。彼の手元を離れたそれは微かな旋風を作り、お手本の様な一直線の軌道を描いて、柱へと刺さる。


「手裏剣はこの様に、使い慣れた者が扱えば、手裏剣の中央部には大きな傷などできない筈です。まあ、この使い様だと、ある程度扱える度合いにはなっているでしょうが」

「小技が使えて、総司と遜色ない技量の剣士。しかも短刀ときた。なかなか厄介な小僧のようだな」


 土方は動揺する訳でもなく相槌を打ってから、ふと山崎を見た。山崎の瞳に、彼同様、鋭い目つきの自分が映っている。


「お前はこの少年、どう見る」


 思案は数秒にも満たず、ゆっくりと山崎はその薄い唇を開く。


「力量は人斬りと考えても問題ないでしょう。しかし、何しろ確証がないものですからね」


 「死人に口なし、とはこの事ですね」と、彼は笑う。魅入ってしまうような、美しい微笑みである。土方はつまらなそうに、思い通りの返答に頷いた。しかし山崎は、「ただ」と言葉をつないだ。


「あの殺し方を、子供が出来るのか。いささか疑問ですね」


 辻斬りには、ある共通点があった。




辻斬り…人斬り

浪人…脱藩したり、主家を退身したりして、仕官していない武士のこと

下手人…犯人

『誠眼の彼女 挿話録』を公開しました。

挿話の入るところ毎にもリンクを貼っておきますので、よければご覧下さい。


 作品リンク貼っておきます。


『誠眼の彼女 挿話録』

 リンク: https://kakuyomu.jp/works/16816927862501120284


       南雲 燦

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