起首 -Kishu-
一、士道ニ背キ間敷事
一、局ヲ脱スルヲ不許
一、勝手ニ金策致不可
一、勝手ニ訴訟取扱不可
一、私ノ闘争ヲ不許
右条々相背候者切腹申付ベク候也
「……局中法度?」
「ああ。これを隊規とする」
土方の言葉に、近藤と山南は賛同することを躊躇った。二人は土方の文字が連ねられた紙を揃って覗き込んで、額に皺を寄せて唸る。
「少し、厳し過ぎやしませんかね」
「厳し過ぎぐれぇが丁度いんだよ。浪人集団を律して統率するには、これしかねえ」
土方はきっぱりと断言して、紙を二人の方へと向け、畳の上を滑らせた。
近藤がそれを手に取るが、依然として渋るような表情。それを横から細い目の瞳孔だけ動かすようにして窺う山南は、少々嫌がっているようだ。
「一つ、武士道に恥じる行為をしてはならない。この武士道というのは、どうやって計るのです?」
「んなのは俺等で判断することだ。場合によりけりっつー訳よ」
土方は二人の前で呑気に煙草を燻せ始める。体面上書けないことを都合良く捌けるよう、上手く組み込まれた文面は、彼の持つ法的感覚の成せる技だ。その天賦の才に感服しながらも、山南は土方が吐き出した煙から視線を外し、紙面に戻してまた口を開いた。
「一つ、新選組から抜けてはならない」
「脱走は厳禁だ」
当然の如く、土方は言い放つ。
「一つ、無断で借金をしてはならない。一つ、無断で争い事を裁いてはならない。一つ、個人的な戦闘をしてはならない」
「勝手に面倒事を起こされちゃあ、困るからな」
指先で挟み込んだ煙草を、彼は口許から離した。薄い唇は、灰色の煙か、冷たい言葉しか吐き出さない。
「以上のいずれかに違反した者には」
「切腹を申し渡す」
山南に被せるように、土方は容赦無く断言した。
「歳、切腹は戦力を減らすことにもなるぞ。制裁方法なら他にもあるだろう? ほら、脱退とか……」
「甘えよ、近藤さん」
土方はばっさりと近藤の案を切り捨て、肩を竦めてみせた。彼にはその仕草が堪らなく似合う。部屋には、煙草の靄がかかり始めた。
「隊内の機密情報でも漏らされたらどうすんだ。破滅に繋がりかねない要因は徹底的に排除する」
「ううむ。確かに」
それを聞いて、近藤は幾分か理解を示す姿勢になった。えらの張った特徴的な顎に手をやり、思案する表情を浮かべる。
「これからうちは更に大所帯になってくんだ。それくらいの規則は必要不可欠だぜ? もう試衛館時代の仲間だけでもねえし、江戸からいる奴等だけでもねえ。大体、今までの組織体制じゃ通用しなかったから、俺らの組織が新たに編成された訳だろう?」
「儂も、賛成してやるよ」
芹沢が部屋に入って来る。彼の大きな身体の背後から、細めの体躯に神経質そうな面相の男が付いて来た。新見錦だ。土方、山南と並んで副長の座に座る、芹沢一派の一人である。大抵何処に行くにしても芹沢の傍に付いて回り、同時に彼の右腕的存在でもあった。
土方は新見が芹沢以上に嫌いだった。胸糞の悪い笑い方をしやがる、と自分のことを棚に上げて煙たがっていた。
痩せ型で、目が落ち窪んだ貧相な面構え。陰湿な性格を良く表している。神道無念流の免許皆伝者で、芹沢の陰でこそこそと策を練る面倒な輩であった。
「丁度良い時に来たな」
土方が彼等にも座るよう目配せする。近藤の部屋に来るよう、土方は予め芹沢を呼んでおいたのだ。これも、一気に隊規を制定にまで漕ぎ着けようとの、土方の目論見である。
「近藤さんも山南さんも、良いよな」
結局二人も、土方に押される形で了承した。
「ちょっと待った。金策については再検討してもらいたいですね」
新見が良い流れを止めたので、邪魔しやがって、と土方は内心舌打ちした。少々腹立ち紛れに問い返すと、唇の端をめくって新見が浮かべるは卑下た笑い。虎の威を借る狐、正にこの言葉が表すに相応しい姿だ。
「芹沢先生が資金調達をして下さっているからこそ、組織が成り立っているというのが実情。これを違反として、これからどう運営していくつもりですかな?」
相変わらず嫌なところを突いてくる。
これも、早く隊規を決めてしまいたい理由の一つであった。当然、芹沢等水戸一派から反論が出ることは見越していた。
「だから言ったろ」
と煙草を口に咥えた土方は、隊規を記した紙の上に指先をトン、と置いた。
「勝手に、は駄目だ。話を通してくれればそれで良い。確かに資金調達は今の浪士組にとって必須だからな」
「しかし」
「新見」
自信ありげな表情で前傾姿勢になり、口論を繰り広げようとする新見を止めたのは芹沢だった。彼は自慢の黒い鉄扇で、その皮の厚そうな面を緩慢な仕草で扇ぐ。
「なかなか良い隊規を作るじゃねえか。破れば即切腹。単純明解だ」
達観したような突き放したような物言いだが、芹沢の目は少しも笑っていなかった。その影のある視線を真っ向から受け止めて、胡座をかいて腕を組んだ、野放図な態度で土方も不敵に笑い返した。顎をグイと上げ、鋭い目を細める。己の本懐も、奴の本懐も、黒暗暗とした闇の中である。
「決まりだな」
煙草を灰吹きに擦り付けて、土方の唇は綺麗な曲線を描くのだった。
「案外、減らなかったなっ!」
小気味良い剣撃音が、清爽なる朝の蒼天に鳴り響く。
「隊士のことですか?」
打ち合いの掛け声に合わせるように、途切れた問いかけに、気の抜けた声で沖田が聞き返した。
原田の槍と藤堂の刀が交わり、撓って悲鳴をあげる。細かい木片が弾けるように散り、双方の重い打撃が、互いの進行方向に向けて強い余波を放っている。
「うん。あの隊規を見て、逃げ出す奴等は、もっといると思ってたけどさっ!」
「所詮うちは、食い詰め浪人の集まりですからねぇ」
庭で力づくの競合いを始める二人を横目に、沖田はだらしなく縁側に寝そべって、金平糖をボリボリと噛み砕いている。着流しをゆるりと着こなし、適当に結ったであろう長い茶髪は、後毛がふわふわと風に靡いていた。癖のない綺麗な顔立ちをした青年であるが、だらだらとした様は年増のそれと変わらない。沖田の手は、忙しなく巾着袋に突っ込まれる。大粒な金平糖をいくつも掴んで、口へ運ぶ。薄青や薄桃色、白や黄色の砂糖菓子は掌に乗っているほんの数秒だけ光を浴びて、愛らしく輝いていた。
「浪士組から出たところで、国元から抜けた居場所のない浪人に、行き場はねぇしな。結局、剣豪の集いは剣術好きにとって居心地がいいのさ」
原田が言う。
「毎日、存分に稽古できるしな!」
藤堂がそう言って、原田の槍を力づくで押し返した。
槍の長柄が唸り声を発した。風を切って、ぐるぐると原田の手の内で回転する槍をぼんやりと眺めながら、永倉も湯呑みから口を離した。
「あの程度隊規を守れねえ輩と、共に戦える気はしないがな。結局、度胸がねえ奴は浪士組にいる資格がねえって話だろ? 正直今までとさして代わりはない」
「切腹って言葉をいざ文書に書かれると、怖気付いちゃったって話ですよね。肝っ玉の小さい男は今のうちに辞めるのが得策でした。自分に見切りをつけられた奴は、それはそれで正解」
こういう場面で、沖田はいつも冷たかった。厳しさはあるが、人情に弱い永倉よりも、冷徹ではあるだろう。
「確かにっ。そのうち徐々に逃げ出す奴も出てくるんじゃねえの? そんで、隊規違反で腹を切る事になる」
藤堂が笑う。そして、木刀を振るった。
「お粗末な最期だな!」
原田がそう言いながら攻撃を避け、槍を薙ぐ。
「真っ先に斬り込んで行く平助には、一番縁遠い死に方だな」
永倉は溜息混じりにそう言って、二人の稽古姿をまた眺めた。
藤堂が、構えの姿勢の原田に向かって突っ込んで行く。その間の詰める技は、俊敏。
風を巻き上げるように振り上げられた竹刀を、原田の槍が弾き返した。
弾かれた反動そのまま、繰り出された突きを槍の反対側が続けざまに打ち返す。身体を反転させ背中合わせになりつつ、力を込めて再び競った。
藤堂が歯を食いしばった。上背のある原田の槍は迫力がある。手足も長いので、少し距離のある上段から攻撃されれば、途轍もなく重い一打となる。それを細やかな体捌きで藤堂は躱し、声を張り上げながら横薙ぎ、そして中段からの連撃。
「へえ」
沖田が金平糖を食べる手を止め、剣筋を見極めようと食い入るように身を乗り出した。目を見開き、頬に微笑を湛えている。
「上達したじゃないですか」
上から口調に若干の苛立ちを感じつつも、藤堂は見せびらかすように身を翻す。
「まだまだ序の口ぃ!」
素足で強く床を蹴って飛び上がり、藤堂は空で体を捻って回転させる。原田の予想を超える角度からの突き出したのは、空気を切り裂く早業の突き。
冴えている。
「あっぶね」
体勢を崩されながらも、原田は槍の先でなんとか竹刀を捉え、押し返した。それによって軌道にずれが生じたのか、藤堂の剣先は原田の脇腹すれすれを通過した。
内心ひやりとしつつも、背後を取りに回る原田は、木刀の柄を足で蹴りつけてから槍で抑え込み、逆足で回し蹴りを放った。同時に槍が唸って、頭、腹、脚を狙った攻撃が流れるように撃ち込まれる。
「うおおっ」
そうは言いつつ、軽い身の熟しの藤堂は、それを難なく避けきった。
「左之助の攻撃は破壊力があるのに不規則で怖えな。一度当たると、そのまま勢いを持っていかれそうだ」
永倉が彫りの深い顔を歪めて、嫌そうに言う。
腹這いで頬杖をつく沖田も、同じ顔をしてみせた。
「土方さんとおチビもこういう攻撃してきますよね。不規則っていうか、読めないっていうか」
「実践で叩き上げた部分が多い所為か、型破りなんだよな。やりにくい相手だ」
「それに左之助の肉体はずるい。軽い素振りで骨を断ち切れそうですよ。あれを女を誑し込むのに使わなきゃあ、輝かしく見えたんですが」
「あの顔面と身体がありゃ、そうなるのも必然なのかもな」
「新八も見た目に関しては、左之助と同じ部類ですよ」
沖田の熟視に身動ぎして、永倉は溜息を吐く。
「奴のふしだらな身体と同じにするなよ」
突っ込んでから、あれ、と永倉が沖田を見遣る。
「そういや爽葉は? あいつのことだから、我先に乱入してくると思ったが」
くすくすと沖田が笑った。
永倉が首を傾げる。
「土方さんと二人で買い出し中です」
「ったく、なんで俺まで行かなきゃならねんだよ」
「文句言うな。僕だって昼寝したいんだから」
「昼寝ぐらい我慢しやがれ。そもそもお前の当番だろ」
言い合いをしながら道の真ん中を歩く、人の目を引く二人組がいた。一方は背が高く、男らしい体躯に色気のある顔の男だ。男は切れ長の瞳を鋭くさせて、隣の少年の頭を思いきり叩いている。少年は頭に手をやり、仔犬のようにきゃんきゃんと男に噛み付き返している。可愛らしくも整った美形だが、目元に包帯を巻いた奇怪な様相であった。
互いに散々罵倒しあいながらも、一応肩を並べて何処かへ向かっている。
「トシィ、団子、団子食べたい」
「はあ? てめえさっき飯食ったろうが」
「成長期なんだよ。食わせろ」
頭突きする勢いで飛びかかった爽葉の小さな頭を片手一本で抑えて、土方は余裕の表情を浮かべた。爽葉の腕は虚しくも空を掻く。身長差が大きく、どうやっても爽葉の手は土方の胸元にも届かないその様子を、土方は愉快そうに眺めている。
「チビ助の腹を満たす為の金はねえよ。ああ、一人で買い出しに行ったら考えてやってもいいぜ」
「それは嫌だ」
やっと大人しくなった爽葉を見下ろして、土方は溜息を洩らした。それから、世話の焼ける奴だ、と頭を掻く。
壬生浪士組では給仕は当番制になっている。隊士全員で分担するのだが、まだまだ小所帯の為、二週に一度は当番が回ってくる。買い出しも当然、隊士が行わなければならない。筆頭格の近藤や芹沢も然り。芹沢は嫌がって、全てお梅にやらせているが。
「山南に頼まれなきゃこんなの行かないし。トシはざまあみろ、だ」
丁度爽葉が買い出しを頼まれていたところに、茶を入れに来た土方も捕まってしまった、という次第である。「すまない、爽葉だけじゃ心配だから」という山南の頼みを、土方も断れる筈がない。
確かに、必要なだけの食料を、当番に不慣れな爽葉一人で買って帰ってこれるはずもなく、仕方なしに土方も共に出向いたのであった。
「えっと、米屋が遠藤の婆さんのとこだろ、野菜は円谷の女将に頼んで、魚は……」
顎に手を当てて少し考えから、爽葉はさっさと歩いていく。
爽葉は記憶力がずば抜けて良い。それは何度も、土方を驚かせた事があった。紙に書いても見えないのだから、記憶力の向上は必然的なものなのだろう。
「地図も頭ん中に入ってるんだろ」
「当たり前だろ」
即座に返ってきた返事。しかし、こっそりと着流しの裾を掴んでくる爽葉に、土方は忍び笑いを零すだけで、何も言わなかった。
やはり、昼間の外出はまだ不得手のようだ。本来なら揶揄ってやりたいところだが、目を瞑ってやろうと土方も前を向いた。
「あら、土方はんじゃあおっせんか?」
突然、声がかけられた。鼻にかかる甘ったるい声に、土方は訝しげに振り返った。爽葉も同様に振り返り、あからさまに顔を顰める。
爽葉はきつい匂いが苦手であった。感覚が鈍る上、嗅覚は人並み以上なので脳に響く。土方の名を呼んだ女の、白粉の匂いと焚き付けたのであろう甘い香はひどく濃香で、爽葉の頭の中は乱雑に揺さぶられた。気に食わない猫撫で声、擦り寄る慣れた所作。爽葉の腕に鳥肌が立つ。
「お前、誰だ」
爽葉の問いを無視して、女は土方に近寄って身体を寄り添わせた。その拍子に、爽葉の手が、着流しの裾から離れてしまう。




