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誠眼の彼女 -Seigan no Kanojo-  作者: 南雲 燦
壱の幕
11/58

朋友




 この男が永倉ながくら新八しんぱちか、と爽葉は巨漢きょかんを前にして理解した。

 入隊当初は爽葉を睥睨へいげいし、事あるごとに爽葉をけ者扱いしていた男である。その明白あからさま忌避きひ故に、爽葉も永倉に良い印象が持てず、結局今の今までほとんど言葉を交わした事がなかった。

 とは言え、彼は試衛館の食客しょっかくだったそうで、沖田達とは楽しそうに会話を交わし、藤堂と原田とは三人でよく一緒にいるので、いつまでも水面下の争いを続ける訳にはいかなくなってきていた。そして遂に、危惧していた状況がやって来た。


「永倉新八、二番隊隊長だ。巡察の邪魔だけはするなよ」


 そう。二人の間を取り持ってくれる者がいない、巡察である。

 彼は爽葉にそう釘を刺して、ぞろぞろと少数の隊士を引き連れて巡察を開始した。確かに山南の言う通り、随分とかたい男のようである。義理や人情に堅いと言うより、頭が堅いのだ、と爽葉はつい口走る。


「はじめまして」


列の後方をだらだら歩いていた爽葉に、声が掛かった。


「俺、阿比類あびる鋭三郎えいざぶろうっていうんだ。入隊試験見たよ、君凄いね」


 聞き慣れない苗字だ。爽葉は覚えようと、胸中で何度か繰言くりごとのように名を呼ぶ。阿比類は穏やかだが気さくなたちで、巡察の間、爽葉に様々なことを話して聞かせてくれた。


「阿比類も江戸から来たのか?」

「うん。本当は対馬藩出身なんだけど、千葉殿に弟子入りして、北辰一刀流ほくしんいっとうりゅうを修めててね。それで参加したんだよ」


 北辰一刀流は、山南や藤堂も修めた、この時隆盛(りゅうせい)していた剣術流派の一つである。

 へえ、と爽葉の打った相槌が、冷気に触れて白くなった。今日は、思わず身が震える程寒い。肌が張る感覚がする。


「あの永倉って奴、強いのか」


 爽葉が永倉を指差す。


「強いよ」


 阿比類はそう返しながら、両手に息を吹きかけた。かじかむのを和らげようとしているのか、手の平を擦り合わせている。


「とても強い。神道無念流の免許皆伝めんきょかいでん*で、剣術好きがこうじて松前藩を脱藩してから、心形しんぎょう刀流とうりゅう剣術道場の師範代しはんだいも務めていた人だよ。勿論、浪士組幹部の一人だし」


 爽葉がまた、「へぇ」とこぼしたその時、隊の進行がとどこおった。

 不穏な空気が漂った。にやけた爽葉のあかい唇がめくれ、その下から白い歯が覗く。天然の真珠の粒が並べてあるかのようであった。


「本当に、京の町はいさかいに事欠かないねえ」


 永倉が道を塞いだ男達見て、眉を顰めた。


「貴様等、何者だ」


 男達は双眸そうぼうをぎらつかせ、刀を構える。抜刀された刀身が、ぬらりと鋭い光を反射した。


「俺達の志を邪魔だてするお前等を、始末させてもらう。そして、討ち取るは我等の同朋の仇!」


 斬りかかった男を、永倉は一太刀の下に斬り捨て、後方の隊士達を振り返って声を張り上げた。


「誰一人として逃すな!」


 一触即発の空気が弾け、攘夷志士達と壬生浪士組の隊士達が入り混じって刃を打ち付け合った。砂利の鳴る音、剣の交じる高音、乱れる息遣い、割れる空気。


 嗚呼、やっぱり。背筋を這い上がる緊張と悦楽が堪らない。


 爽葉は左親指でそっと、つばを押し上げた。迫る敵の気配を察知するや否や、目にも留まらぬ速さで脇差を抜き払う。

 ジャリ、と踏み締める僅かな音を残し、瞬転の間に、敵との距離をなくした。

 心臓に刃を差し込めば、血飛沫が高く舞う。肌の下をかよう血が、沸騰するように熱くなる。泡を吹く男から刀を抜いて、振り向き様に横薙ぎ一線。首をひとつ、ね落とした。

 息を吐く間も無く迫った刀を、身体すれすれで弾き返し、突きの要領で襲い来るきっさきを思い切り叩き折る。

 しゃがんで回し蹴りをすれば、容易に崩れる敵の体勢に、「ほれ来た」と、くつり。こぼれたのは冷笑だ。


 立て続けに繰り出される猛撃の狭間に、垣間見えた爽葉の嘲笑は、敵を震撼させるに十分であった。

 背後の敵の肩を脇差で斬ろうとして、反転させた拍子にかじかんだ手の内で剣が滑って、寸分傷がずれる。致命的な一打とならなかった為に、男は反撃とばかりに刀を振り下ろして来た。

 爽葉は地を蹴って飛び上がり、攻撃を難なく避けると、その突き出された刀の腹を足で力一杯蹴る。

 背後で逆手に持ち変えた懐刀で、咽喉笛を切っ裂く。んふ。と、爽葉の口許から笑いが溢れ落ちる。


「駄目だぞ。振り下ろしがなってない」


 爽葉は、近くに永倉の剣を感じた。優れた太刀筋は大勢の中でも目立ち、爽葉も察知することができる。

 我武者羅がむしゃらという表現の通り、猪突猛進。思い切りの良い剣筋の割には粘り強く、斬り合いの強弱をわきまえた戦い方だ。


「やるなぁ、お前」


 爽葉が声を掛けるも、永倉はやはり爽葉が気に入らないようである。じろりと剣呑な視線だけが寄越よこされた。


「おい」


 我慢の限界であった。そもそも、爽葉の沸点ふってんは低い方である。

 戦闘中にも関わらず、爽葉は喧嘩腰で永倉に掴み掛かった。いきなり現れた攘夷志士の排斥よりも、永倉を問いただすことの方が、爽葉にとって優先事項のようであった。


「僕、お前に何かした覚えがないんだけど」


 迫る敵を目もくれず斬り伏せ、永倉の真正面に、でん、と爽葉は仁王立ちする。


「邪魔だ、どけ」


 永倉は爽葉の薄い肩を掴み、無理矢理退けると、また一人上段から斬り降ろした。肉を切り裂く耳障りの悪い音をたて、口から血を吐いた男が膝から崩れ落ちる。それを見届けることなく、永倉は爽葉の小さな頭蓋ずがいを見下ろした。


「俺はお前を仲間だなんて認めねえ。弱点を晒したところで疑いが晴れた訳でもねえし、間者と疑うのにお前は十分怪しい」


 確かに、と爽葉も内心頷く。


「これ以上、近藤さん達に近付くのはやめて貰おうか」

「それは嫌だ」

「はあ?」


 嶮岨けんそな顔つきで、永倉は爽葉を見る。


「僕はもう近藤さんの仲間だ。勿論、お前とも。一度決めた誓いを、僕ははずかしめたりはしない」


 そう言い放った刹那に、爽葉の耳は何かが風を切る音を捉えた。永倉も同様に反応するが、一歩反応が遅れる。

 どん、と永倉が突き飛ばされた。見開かれた瞳が映したのは、見慣れた唐紅からくれない。それはゆっくりと、永倉の視界を横切るようにして高く舞った。


「甘いっ!」


 鋭い怒声。白刃が閃いたのは、僅か一秒にも満たぬことであった。瞬く間に、短いやいばが命を吸い取った。

 思わず固まる永倉の前で、爽葉は腕の付け根に敵の脇差を食い込ませたまま、不敵な笑みを浮かべる。右腕を勢い良く振り、懐刀からビュッと血を振り落とした。包帯に隠された眼は、永倉を真っ直ぐに射抜いているかのように思えた。


「僕の口は偽りなど紡がない。絶対、お前が間違っていたことを教えてやる。その時は僕に謝るんだな」


 そして、さも愉快だと言わんばかりに、くくく、と咽喉を鳴らす。永倉を謝らせた時のことでも想像しているのであろう。


「よお、チビ。助太刀してやるで」


 突然降って来た声に、爽葉は肩をびくっと揺らして半歩ほど後ずさり、掠れた声で名を呟く。


「当たりや」


 現れたのは、壬生浪士組監察方の山崎である。彼は、懐から苦無くないを取り出して、次々と投擲とうてきする。苦無は寸分のずれなく、敵の急所を貫いた。見事な腕前である。


「な、何故、大坂の言葉……?」

「こっちが普段の話し方やからな」


 くつくつ、と肩を揺らして笑う彼は、実に愉快そうである。会話の最中も、彼の指先から放たれた手裏剣や苦無は綺麗な直線を描き、鮮やかに敵を仕留めていく。

 鍔競り合いをしていた爽葉は、逆袈裟ぎゃくけさが懸けで敵を倒して、刀を滴る血を懐紙かいしで拭った。辺りが静かになったことを確認して、「あれ?」と首を傾げた。二人ほど人数が足りない。

 はっ、と爽葉は不安げな表情をおもてに走らせ、爽葉はしかばね転がる陋巷ろうこうを歩き出した。時折死体につまずきそうにもなりながら、ゆっくりと慎重に足を進める。


「……阿比類」


 道端に潰れている何かに、こん、とつま先が当たる。其処に佇んだまま、爽葉はその名をぽつりと落とした。淋しさなどない。虚しさもない。ただ単に、空が涓滴けんてきを地に落とすのと等しく、名を発しただけであった。


「死んだのか」


 周囲に薄っすら留まる残り香が、真実を告げている。これだから、モノは嫌いなのだ。めくらの爽葉には、もう彼を認識することはかたい。波を生まず、存在を知らせず、密やかに其処に在るだけのモノに、価値など見出せなかろう。

 爽葉は死体の傍らに膝をつき、その骸を撫でた。既に冷たく固くなっている。

 手裏剣と苦無を回収し終えた山崎は、爽葉の背中を眺めた。まだ小さく、未熟で、華奢な背中だ。血塗れの骸の凹凸おうとつをなぞるように、指を這わせている。ただ、その真意は定かではない。


「山崎」


 血で汚れた苦無を拭きつつ、山崎は振り返る。


「お前、何故その喋り方であいつに話しかけた」


 ぼそりと呟くように、永倉がたずねた。答えを知っているようで、でも聞かずにはいられないといった様子である。


「そんなん、決まっとるやろ」


 山崎は苦無を陽に翳し、拭き損ねがないかを確認する。


「俺を知ってる奴しかもうらへんし。それよりも、俺はお前に聞きたいで?」


 否とは言わせへんで、と永倉を射る眼光は、痛みを伴うほどに鋭かった。山崎の諫言かんげんに、永倉は目をらして黙り込んだ。


「俺から見てもあれは咄嗟の反応や。もう少しずれてたら心臓。致命傷やで?」


 武具の束を仕舞いながら、山崎は溜息混じりにそう言った。永倉をたしなめているような、呆れているような、でもどこか適当そうな、そんな口調であった。


「俺が言うのも何やがな、疑うだけが全てやない」


 永倉を残し、山崎は爽葉に近付いて、声を掛けている。

 いつの間に彼等は、あれほど仲を深めていたのだろう。永倉の手から懐紙が滑り抜け、生温い風に乗じて何処かへと飛んで行くのだった。






「痛てぇぇぇ! もう無理っ、もう無理ぃあああっ」


 屯所の一室では、絶叫して暴れまくる爽葉を、沖田と原田が二人ががりで取り押さえていた。


「ちょ、痛! おチビ、落ち着いてくださいよ!」

「落ち着いていられるかぁぁぁ!」

「そな暴れんなや。手元が狂って傷口抉るかもしれへんで」


 手当をする山崎は容赦が無かった。ひーひー悲鳴を上げる爽葉の、ぱっくりと割れた傷口を、彼は井戸から汲み上げたばかりの冷水でいきなりすすぎ、絶叫する姿を笑うのだ。


 山崎に引っ張られるようにして、短刀を腕に突き刺したまま巡察から帰って来た爽葉は、衝撃的なその姿に、土方に何故か怒号を浴びせられた。それを聞いて駆けつけた沖田と原田も、突き刺さった刀を見て唖然としていた。

 手当するからと言って、山崎にすぐ様部屋に突っ込まれたかと思いきや、いきなり短刀を腕から引き抜かれたのだ。屯所に着くまでは平気そうにヘラヘラしていた爽葉も、「ぎゃぁぁぁ!」と咆哮にも似た絶叫をあげて、猛烈な痛みにのたうち回った。

 獰猛な虎の如く暴れる爽葉に、土方の、「抑えろ!」との一声で、沖田と原田が飛びかかったのだ。流石に男二人に手足を抑え付けられれば、小柄な彼は腕一本も動かせない。


「離せぇ!」

「足をばたつかせるな! 爽葉! 耐えろ!」


 原田のがたいの良い身体に筋肉が盛り上がり、爽葉がどれだけ必死に抵抗しているのか良く分かる。


「土方さん、持って来ましたか?」


 沖田の顳顬こめかみを汗が伝い、顎から滴った。


「ああ。総司、左之、よぉく抑えておけ」


 既に目尻に溜まってしまっていた大粒の雫を零すまいとしていた爽葉は、山崎同様にやにや笑いの土方の持って来たものの匂いを嗅いでしまい、顔を引き攣らせた。そして、譫言うわごとのように、「嫌だ嫌だ」を連呼して必死の抵抗をこころみる。


「うわぁ……」


 土方の握る瓶を見て、思わず原田も顔を顰めた。あの痛さは、嫌という程承知している。


「歯ぁ食いしばれ」

「待ってっ! 本当に待ってくれ!」


 山崎が袴の袖をたくし上げ、傷口が晒される。土方は爽葉に近づき、手にした酒瓶を煽って、中に入っていた焼酎をその口に含んだ。唇を濡らし、笑うその男は最早もはや悪鬼あっきに近い。爽葉は首をぶんぶんと横に振る。


「い、嫌だ嫌だ嫌だ!」


 うわあぁぁぁ! という絶叫が、屯所内に響き渡ったのであった。






 処置の終え、爽葉と原田と沖田は、部屋の畳に突っ伏していた。皆微動だにもしない。


「疲れた……」


 沖田が言った。他の二人もうつ伏せのまま、同意とばかりに首を縦に振って頷いた。

 山崎は「仕事があるから」と、さっさと器具を片して何処かへ行ってしまった。魂を抜かれてしまったかのように放心する爽葉の頭を、「ようやったな」と、去り際に撫でて行ったが、当の爽葉に彼に言葉を返す余裕は微塵もなかった。なんとかピクリと動かした右手を見て、山崎は満足したように笑って、部屋を後にした。


「おいチビ助、着替えろ」


 疲れ果て、寝転がる三人を眺めていた土方が、一人優雅に煙草を吹かせながら、爽葉の返り血に変色し所々破れた袴を指して言った。血は既に乾ききり、固まって、生地が硬くなっている。脱力した全身を動かす気配すらなく、額を畳に付けたまま、無理だとばかりに爽葉はぐりぐりと首を振った。


「お前等も夕餉前に着替えとけよ」


 汗塗れの沖田と原田を残し、土方は爽葉の怪我を負っていない方の腕を引っ張り、ずるずると彼を引き摺って、自室へと続く廊下を戻る。


「おら、着替えろ」


 爽葉は部屋の中にごろんと転がされ、その上に袴を放られる。


「お腹空いた……」

「直ぐ飯の時間だ。飯ん時に血生臭い奴が目の前に居てたまるか」

「着替えられない」

「飯抜きになるぞ」

「食べたい」

「じゃあ大人しく着替えろ」


 外の空気と違って、室内は火鉢のお陰かだいぶ暖かい。もぞもぞと気怠けだるい身体を動かして、爽葉は火鉢の傍で暖をとる土方に近付いた。


「んだよ」


 爽葉には、今日の血の匂いは強過ぎた。鼻がもげそうではあったが、疲れが何をも上回るのだ。全身を包む倦怠感、腕を上げるにも苦労する、着替えすら寒い、兎にも角にも暖を取りたい。

 爽葉は背中を丸めて胡座をかき、火鉢に手をかざして深々と息を吐き出した。敏感な鼻腔には、薄れても尚強烈な血の匂いと、土方の煙草の匂いが混じって届く。


「臭い」

「てめぇの匂いだろが。さっさと着替えろ、ったく何度言わすんだ」


 煙草を咥えているからか、少しくぐもった土方の声が爽葉の鼓膜を優しく揺らす。


「まあ、お手柄だった。奴等の中に丁度、行方を探っていた男がいたからな」

「感謝しろよー」


 ちょっと嬉しくなった爽葉は、にへへ、と得意げに笑う。しかし、次の土方の言葉に、彼は直ぐに笑いを引っ込めることになった。


「なんて」

「感謝はしねえよ」

「何だと!」


 咄嗟に土方に掴みかかろうとした爽葉は、左腕に走った激痛に悲鳴をあげた。そんな爽葉を、「馬鹿」と見下ろしてくる土方の視線が憎たらしい。




免許皆伝… 武芸各流派における奥義の一切を伝授され、それを修得したことをいう

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