5話(準備)
「あ! 琉くーん。ちょうどええところにおったわ」
御神琉が烏丸紫苑から呼び止められたのは、帰宅し、玄関の前で鍵を探している時だった。彼女も、学生鞄を下げ、たった今帰宅したといった感じだ。
「久しぶりです紫苑さん!」
「お、お久しぶりです。紫苑さん」
新兄に続くよう、慌てて挨拶をすると、紫苑さんも御淑やかに微笑み、「二人とも久しぶりやな〜」と京都の柔らかな特徴ある方言で話し始める。
現在の彼女は、昔のおっとりとした雰囲気を残しつつも、キレイに二つでまとめられた黒髪。まさに大和撫子という表現がピッタリ合いそうな、お淑やかな女性になっていた。
「どうしたんですか、紫苑さん。琉になんかようですか?」
ここでもやはり、美女に真っ先に飛びついた新兄は、興味津々といった感じで紫苑さんに一歩、近づいた。流石は女好きな兄。
オレはそう思わずには、いられない。
「渡すもんあってん、たしか今日から、琉くんと新くんお務めに参加するやんか、その前に渡さなあかん思ってたんよ。はい、これ」
そう言うと、紫苑さんは鞄から透明なビニールに包まれ、綺麗に畳まれた和服のようなものをオレに手渡して来る。
しかしオレは、彼女にこんなものを頼んだ記憶がない。新兄にも目線で問いかけてみるが、首を傾げ知らない様子だ。
「紫苑さん、なんですか? これ。オレも兄貴も頼んだ記憶がないんですが……」
オレは困惑していることを素直に紫苑さんに打ち明けると彼女は、くすりと笑い事情を話してくれた。
「うん。頼まれては無いよ。私が勝手に作ったもんやねん。デザインはウチの趣味みたいなもん思っといて〜。とにかくな、これ、お勤めのときの服やねん。魔除けの効果もあるんやでせやから、絶対にこれ着てお勤めには出てな。サイズはおうてるはずやし、何かあったらウチの弟にでも、私にでも言うて、ほんならねぇ」
紫苑は、早口でそう言い終えると、そそくさと退散してしまった。肝心の彼女へは聞きたいことは山ほどあったが、一度、自室へ持ち込み開封して着てみることにした。
ビニールを外し、中の物をシワをつけないよう、序に畳み方も覚えつつ広げる。中身はどうやら、神職用の差袴だった。
「差袴って……新兄、着方って分かるか?」
「……。君のスマホは、なんの為にあるんだい? 兄貴に聞くより、正確な答えが返ってくるよ!」
妙な間のあと、頼りにした兄からの答えは、まさかの遠回しに「ggrks」と言われている様なものでオレは酷くこんなやつを頼ったことを後悔した。兄のプライドが、弟へわからないと答えるのを許さないのか。何なのか。オレは、彼の言う通り、スマホで「差袴 着方」と検索する事にした。
複数のサイトが引っかかり、適当に上位へ出たサイトを展開し、ざっと目を通す。それを何度か繰り返し、一番詳しく書かれていたサイトへ戻り、見様見真似で着ていく。
わからない所は、袴の動画を見てみたり、フィーリングで乗り越え、どうにか着ることができた。
初めて着る差袴にオレは背筋が良くなった気がした。
「……どう、だろう、新兄」
全身を映す鏡が部屋にない事に気づき、仕方なくオレは兄にぐるりと見てもらう。
「うーん。素人目には着れてるように見えるけどぉ……。でもどうだろう、やっぱり誰かにきちんと教えてもらった方がいいんじゃない? ここで悩んでも平行線だし」
新兄は、静止したオレを遠くから見たり近づいてみたり、いろんな角度からチェックしている。しかし、やはり、お互い素人。新兄もどうアドバイスしていいのか悩んだ末の結論だった。
「はぁ、そうだな。仕方ない。たしか今日、オレの引率で治歌さんが付いて来てくれるらしいから、帰ってきたら着方を聞くよ」
早々に白旗を上げた新兄を見習って、オレも考えるのを諦めた。
「おぉ、それがいいよ。治歌さんなら、演劇部だって言ってたし、衣装の着方とか色々知ってそう! あと、お勤めの先輩でもあるしな!」
何処かの学者も言っていた。「その道の専門家は、ミスをいくつか知っていて、回避方法にも熟知している」と。今こそ、この言葉に見習う時なのかもしれない。
そう、こう言うのは専門家に聞くのが手っ取り早いということだ。
諦めると言う決心がついたところでオレは、身軽な部屋着へ着替え、差袴を展開したときとは逆の手順で元に戻し、通学に使っているかばんの上に置いた。