第60話 見えざる敵
戦況は、確かに好転していた。
「今だ、押し返せ!」
「魔法部隊、重ねろ!」
声が飛び交い、剣と魔法が連なっていく。
崩れかけていた前線は、連携によって持ち直し、ゴーレムの進軍を止め始めていた。
――やれる。
誰もが、そう錯覚するほどに。
ニーアは魔法陣を維持しながら、戦場全体を見渡していた。
(数は多い……けど、流れはこっち)
連携は機能している。
指示は届き、判断も遅れていない。
(……なのに)
胸の奥に、拭えない不安が残る。
(何かを、見落としている)
数値にも、配置にも、戦術にも現れない違和感。
説明できない“影”が、じわじわと広がっていた。
ゲイルは前線で拳を叩き込みながら、荒く息を吐いた。
「……ちっ」
(おかしい)
ゴーレムは強い。
だが、決定的な一撃を打ち込んでこない。
(本気で殺しに来てねえ)
まるで、時間を稼ぐような動き。
(誰かを待ってんのか……?)
嫌な予感が、背中を這い上がる。
シルヴィアは剣を構えたまま、戦場の奥を睨んでいた。
(敵の圧が……薄い?)
数は圧倒的だ。
だが、押し潰そうとする“意志”が感じられない。
その考えが浮かんだ瞬間、背筋が冷えた。
(それに、指揮官が見当たらない)
(ゴーレムは知能が高くない魔族だ。これだけの数を従えるなら、必ず指揮官が必要なはず)
(こちらが消耗し切るのを、じっと待っているとしか思えない動きだ)
そして――
この戦場を、崖の上から見下ろしている人物がひとり。
「いやー、とんでもねえときにマナティスに来ちまったな」
「にしても……だ」
その違和感の正体に、最初に辿り着いたのはレインだった。
視線は、自然とハルへ向く。
(やっぱり、あいつの魔力は異質だな)
人間でも、魔族でもない。
だが、その力にレインは見覚えがあった。
「ははは……馬鹿げてやがるな」
小さく笑う。
「やっぱ、この世界は……」
「こんなもんまで存在してるなんてな」
ハルの魔力の正体を、レインは知っていた。
(あいつの魔力は、クロニクル・ラインで“バグ扱い”されてた力だ)
ある一定の操作を行い、無理やり攻撃を続行すると、ステータス画面に異常が発生する。
その変化によって、本来使えないはずの“魔族の力”を扱えるようになる。
魔族の力を使える仕様は、開発初期に一度検討されたが、正式には削除されたはずだった。
だが、その痕跡が完全に消されていなかったことで、発生したバグ。
「案外、簡単だったな」
「ってことは……」
「――あいつが、マナティスにいる転生者ってわけだ」
(神が、放っておくはずがねえ)
その瞬間だった。
ぞわり、と。
世界そのものが軋むような感覚が、肌を撫でる。
レインは、ゆっくりと視線を上げた。
ゴーレム軍団の、さらに後方。
戦場の喧騒が届かない空間。
そこに“在る”。
魔力ではない。
殺気でもない。
ただ、存在しているだけで、不快な圧。
(……なんだ、これ)
本能が、警鐘を鳴らす。
意識を研ぎ澄ます。
(ひとつ……いや、三つか)
二つは分かる。
(魔族の親玉)
圧倒的な力だが、まだ“生き物”の範疇だ。
(……問題は、残り一つ)
それは、言葉にできない。
(魔族じゃねえ)
(なのに、あいつらは従ってる)
乾いた笑いが漏れた。
「……冗談だろ」
胸の奥で、答えが確信へ変わる。
(これ、神だ)
同じ頃。
ハルは剣を握りながら、理由の分からない胸騒ぎを覚えていた。
(……寒い?)
違う。
(遠いのに……近い)
胸の奥がざわつく。
(あの時と、同じだ)
名前の思い出せない誰か。
温かい声。
繋がる感覚。
「王子、来ます」
シュナクの声にも、緊張が滲んでいた。
「……神の気配」
根拠のない確信が、胸に芽生える。
レインは、戦場全体を見渡した。
(……一体は俺が引き受ける)
(もう一体は、あいつらがやるしかねえ)
だが――
(最後の一体は、神だ)
奥に漂う“それ”から、目を逸らさない。
(今は、どうにもならねえ)
それでも。
(……逃げる気は、ねえな)
剣の柄に、そっと手を添える。
戦いは、終わっていない。
いや――
ようやく、本当の戦いが始まろうとしていた。
そして、マナティスへ向かって猛スピードで接近する影がひとつ――
「さて……迎えにきたよ、レイン」




