3章 -16- ドロシーさんとクソッタレ2
「ついて来い。来んと言うのなら主人ごと連れて行ってもよいのじゃぞ?」
ギラついた目でバーバルはそう言ったのだ。
言っている意味はすぐに分かった。
バーバルの力を持ってすれば、他人を不幸にするのに苦労は無い。
ユータ様たちが、相応の力と財力を持っているとしても、バーバルの権力にはかなわないだろう。
バーバルは現在この王都で最も力のある貴族だ。
王族とも何かしらのつながりがある。
仮にユータ様たちが大貴族であったとしても、迷惑がかかるのは間違いが無い。
ヤツは先ほど少し考えていた。わたしの着ている服を見て、その質から主人の財力まで計算したのだろう。
そして判断したのだ。問題ないと。
ユータ様たちの財力もとんでもないのだろうが、バーバルの財力も相当だ。
その上政治の力も持っている。
つまり、相手にならないのだろう。
ユータ様たちが優れた魔術師であっても、圧倒的な権力には対抗できない。
このままではユータ様も巻き込まれてしまう。
まだ出会ったばかりで、さほど時間も経っていないが、彼が善人だというのは感じられた。
そんな彼を自分の不幸に巻き込むことは本意ではない。
どうせ抵抗しても自分は連れて行かれるのだ。
それなら不幸になるのは一人でいい。
「出せ」
馬車に乗り込むと、バーバルが御者に声をかけすぐに発進させた。
馬車が動き出し、石畳を車輪が転がりガタゴトと音がし始める。
バーバルが他の貴族に見せびらかすように豪勢に作られたこの馬車は、思いの外揺れが少ない。車輪かどこかに工夫がされているのだろう。
内装も凝っていて、黒地に金の装飾が施されている。座席は上質な生地で仕上げられ、腰掛けたバーバルを柔らかく受け止めていた。かなりふかふかだ。わたしが座る事はないだろうが。
「ふむ。その服にしわをつけるのはもったいないのう」
そう言って私にメイド服を脱ぐように命令した。
聞く義理は無いが、逆らっても結果は同じだ。
大きな馬車の中にはバーバルの侍女も乗っている。彼女たちは万が一の際は護衛も出来るように訓練されている特別な侍女だ。
自分で脱がなくとも、彼女たちが力ずくで脱がすだろう。
「はっはっは。女を脱がしたというのに、こうも貧相では少しも欲情せんのう」
何が面白いのかニタニタと笑うバーバル。
まあ、何が面白いのかはわかっている。これからわたしを殴り者にして楽しむからだ。
「一つ確認ですが、わたしの所有者はあなたではありませんが?」
下着姿で揺れる馬車の中で立たされるわたしだが、無駄と知りつつ抵抗を試みる。
「ふん。相変わらず無駄な物言いが多いのう。じゃが、無駄じゃ。お前が売られたのは手違いということになるじゃろう。故にそもそもわしの所有権はなくなっておらぬのじゃ」
無茶苦茶だが、この男がそう言うのならそうなるのだろう。
振り回される奴隷商や役人などは良い迷惑だ。
当然わたしも迷惑だ。
しかし、仕方ない。バーバルはそういう男だ。
「その生意気な口をきけぬようにしてやるわい」
ニヤリと笑って、バーバルは立ち上がった。
「ぐっ!?」
頬を思いっきり殴られた。
揺れる馬車の中、へっぴり腰の一発だが、太った男の拳は重い。
そのままふらついて倒れこんだ。
「次じゃ」
バーバルの一声に、控えていた侍女が動き、わたしを立ちあがらせる。
「うぐっ! ……かはっ!」
腹に思いっきり拳がめり込み、肺の空気が押し出され呼吸が飛んだ。
骨の無い部分を殴られ、身体の内側にダメージが染み込んでくる感覚がした。
ひざを着きそうになるが、横から侍女に支えられ、倒れられない。
「ふっふっふ。やはり腹が一番殴りがいがあるのう」
バーバルはご満悦だ。
次がきた。
次は上から下へ打ち下ろすように、また腹だった。
「ぁあっ!」
のどの奥から何かが滲んできた。
生ぬるいそれは、たぶん血だ。
「しばらく殴られておらんから、もろくなっておるんじゃないか?」
ニタニタと笑うバーバル。
悪意をイヤというほど感じる。
くそったれ。だから人間は嫌いなんだ。
それからしばらく腹を殴られ続けた。
「かはっ」
むせると、喉の奥から血が出てきた。
馬車の床に赤い雫が飛ぶ。
「汚いのう……」
面白くなさそうな声が聞こえるが、知ったことか。
殴ったのはお前だ。
先ほどから口の中は血の味一色だった。
数刻前に食べた串焼きの肉の味は思い出せなくなっていた。
そのことに気付くと、思わず涙が出てきた。
「ほお……」
バーバルが面白そうに声を上げた。
涙に気付かれたようだ。
「これは新しい反応じゃな。楽しめそうじゃ」
見上げると、いやらしい笑顔がそこにあった。
くそ。
今までバーバルに殴られても泣いた事はなかった。
泣いてもあいつを楽しませるだけだからだ。
それに、苦しいのが当たり前だったから耐えられた。
しかし今回は涙が流れてしまった。
一瞬希望のようなものを見てしまったからだろうか。
「がはっ」
初めて涙を見せたわたしに興が乗ったのか、バーバルの暴力はより力を増した。
「あぐうううううう!」
バキリとイヤな音がして、殴られただけではない激痛が胸を襲った。
一時的な痛みではなく、ズキズキと内側で痛みが続く。
肋骨が折れたのかもしれない。
「バーバル様。それ以上は死にかねません」
さすがに見かねたのか、侍女が口をはさんだ。
まあ、わたしの身を案じてではなく、バーバルの立場を守るため直接殺人をさせないようにだろう。
だがバーバルは意に介さなかった。
「ほう、それも面白いのう」
むしろ殺人という行為を経験してみたいといわんばかりだ。
「しかし……」
侍女がなおも言いかけたが、
「犯罪奴隷が死んだところで何か問題があるのかの? それに、今の所有者はワシじゃないわい」
罪を被る気はそうそうないようだ。さっきと言っていることが違うが、奴には関係ないのだろう。
しかも、その罪を今の所有者―ユータ様になすりつけようとしている。
本当にクソッタレだ。
「はぐぅっ」
その後も無遠慮に殴られた。
直撃を避けるために腕でカバーするが、その腕もひ弱なもので、骨自体も先ほどからミシミシといっている。
口の中は血の味でいっぱいだ。
たぶん内臓がかなりやられたのだろう。
これはもう、本当に死んでしまう。殺されるのだ。
やはりこの世界には神などいない。
いたとしてもソレは悪神だ。
人の不幸を喜ぶ最悪の神だろう。
どうせ不幸になるのなら、希望など見ないほうが良かったかも知れない。
一瞬そう考えそうになったが、ちがうと頭を振った。
今は血の味で思い出せないが、ユータ様に貰ったあの肉は美味しかった。
気を張ることのない会話も出来た。
幸せを感じられたのだ。
死ぬ前にちょうど良かったのかも知れない。
そう思うと酷くすっきりとした。
不幸なままだったら、自ら死ぬ気にもなれなかっただろう。
最後に幸せを感じられたのだ。ちょうど良い。
死ねるかどうか分からないが、舌を噛み切ってみよう。
こんなくそったれな男のお楽しみに付き合って殺されることも無い。
「なんじゃ、その目は」
今度は蹴られた。
「がはっ」
舌を噛もうとしたところで来たので身構えることも出来なかった。
そのまま馬車の床を転がる。
「相変わらず生意気な女じゃ」
転がったところで、足蹴にされた。
「ぐっ」
背中側から体重をかけて踏みつけられ、胸がきしむ。
先ほど折れたと思しき肋骨が、身体の中をずれ動き激痛が駆け抜ける。
やはり神などいないのだ。
今度こそ、噛み切る……。
そう思った瞬間、馬車が急停止した。
「ぬおっ!?」
バランスを崩し、わたしから足を外すバーバル。
「何事じゃ!」
声を張り上げたが、馬車の外からの返答はない。
「…………何事じゃ?」
返事が無いことに、警戒心を高めるバーバル。
この馬車は守りを重視するために窓が小さくなっている。外の状況はあまり見えない。
最初から覗いていたのならともかく、この状況で窓から顔を覗かせるのは不用意だ。
万が一の際は護衛となる侍女たちも、スカートの隙間に手をいれ、暗器を取り出せる体勢となった。
間もなく、馬車のドアは外から開けられた。
「ちわー。ミカワヤでーす」
のんきな謎の挨拶とともに。
あの少年だった。
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