3章 -15- ドロシーさんとクソッタレ
「……おいしい」
何故か、久しぶりに食べ物を食べた気がする。
胸が熱くなった。
メイドとしての生活が始まってから、考えてみればまともな食事は少なかったように思う。
特にここ最近では、あの大貴族の館に入ってからは具の無いスープや干からびた肉などばかりだった。
奴隷商のところではまともなものは出なかった。
何より、人からこのように食べ物を与えてもらったのはいつ以来だろう。
それにしても、主人がメイドに食べ物を買い与えているのだ。不思議な光景だろう。
まして、その中身は奴隷である。しかも犯罪奴隷だ。
ユータ様は、わたしを奴隷のように扱わない。
目の前でおいしそうに肉をかじる少年を見て、確信した。
気を使ったり、服を買い与えたり、食べ物を共にしたり。
特別な魔術師であるだろうこの地味な少年は、特に立場には拘りはないのだろう。
そして、彼の発言の中には裏表を感じない。悪意も感じない。嫌味も感じない。
稀に見る善い人間なのだろう。
口の中に広がる肉の味わいを感じながら、ユータ様の下に来れたことに安堵を覚えた。
あの美女たちには畏怖を感じるが、彼女たちもユータ様を認めている様子だった。
ユータ様がいる限りは大丈夫だろう。
そう思うと少し気が緩んだ。
「本当に、美味しいですね」
思わず口に出していた。
それを聞いたユータ様は一瞬驚いて、嬉しそうな顔になった。
「だよね! もう一本いっとく?」
「い、いえ、そこまでは……」
ユータ様はもう一本買ってくれる気らしい。
本当に気の良い人なのだろう。
この少年のことは信じても良いのかもしれない。
「遠慮しないでいいよ」
「いえ、あまり食べるとお腹が驚きそうなので」
これは本心だ。遠慮もあったが、久しくまともに食べていないので、こんな肉肉しいものをたくさん食べれば下してしまうかもしれない。
空腹が標準になっていて、違和感がないくらいだったのだから。
「んじゃ、俺のだけ買ってくるよ」
そう言って彼は屋台へ向かっていった。
その背中を見ながら思う。
会話をした。
そう。会話をしたのだ。
命令を聞くわけでも、かしこまって応答するのでもなく、相手を警戒しながら探りあいをするでもなく、“会話をした”のだ。
ひどく久しぶりの会話だった。
奴隷という立場になったこのわたしと、普通に会話をしてくれたのだ。彼は。
自分自身にも驚いていた。
あんなに素直に感想を漏らしてしまうとは。
悪意のある言葉であれば、漏らす事は多々あったが、こうも素直な感想を漏らしたのは初めてだ。
彼に引き出されたのだろうか。
彼の人の善さがそうさせたのだろう。
彼の元でなら、安心して生きていくことができるかもしれない。
身体の内側から、何かが溶けるような安心感を感じた。
その時、通りの端で野太い声が響いた。
「馬車を止めろ!」
その声に合わせて、一台の馬車が止まった。
聞き覚えのある声に、思わず振り返ってしまった。
そして振り返ったことをすぐに後悔した。
馬車の中からこちらを見ていた男と目が合ってしまったのだ。
大貴族、バーバル・ドロアールジー。
わたしを犯罪奴隷に落とした男だった。
「やはり、いつぞやのメイドではないか」
バーバルは馬車を下り、付き人を引き連れながら屋台通りに入ってきた。
下卑た笑みを顔に貼り付け、のしのしと歩いてくる。
明らかに貴族であるその風体と、ぞろぞろと付き人を引き連れる異様に、屋台通りを歩く人々が両脇へと避難していく。中には路地裏などへ逃げていく人間も多い。
自分もそうしたい気持ちでいっぱいであったが、明らかにこちらを見つけて近づいてきたのだ。
逃げようがない。
「………………」
このバーバルという男。ただ大貴族という立場に胡坐をかくだけではなく、貴族としての能力も有力な男である。
人を見て人を動かし、自分の利を上げていく。
一度会った人間の顔は必ず覚えているらしい。
まさかこんな一介のメイドをも覚えているとは。
「どうした? ボロ雑巾のように扱われて口もきけんようにでもなったか?」
ねちっこい話し方で絡んでくる。
耳障りな声だ。
「また以前のように文句の一つでも言ってみよ。そうしたらワシがまた可愛がってやるからのう。ひっひっひ」
「………………」
本当にこいつは最悪だ。
わたしをいたぶって楽しんでいたことを思い返しているのだろう。
あの時と同じ笑みをしている。
「ん? なんだ、その肉は」
バーバルは、わたしの持つ串焼きに目を付けた。
「おいおい、お前、安物だろうが泥棒はダメだろう。ふっふっふ。本当に犯罪者となったとは」
本当にカンに触ることを言う。
“本当に”とは、犯罪奴隷にしたお前が言うな。
「これは、買って頂いたものです……」
思わず反論を言ってしまった。
またいらぬ一言だ。
これのせいで犯罪奴隷にされてしまったのに、わたしは成長しないらしい。無言を貫けばよかったのだ。
「んん?」
バーバルの眉が片方、持ち上がった。
視線が下がり、わたしの着ている服を見た。
「その服も盗んだのか?」
「…………」
バーバルも気付いたようだ。
わたしが着ているメイド服の質の良さに。
あの妖艶な美女がどこかから持ってきたこのメイド服。
明らかにその辺の貴族のメイドが着ているようなものより良い品だ。
バーバルの屋敷で着ていたものよりも質は上なのだ。
「………………」
バーバルは少し難しい顔をして、顎に手を当てた。
わたしのこの状況が面白くないのだろう。
もっと無様な状態で下僕として扱われているのがご希望だったようだ。胸糞悪いことに。
「変わった地味な男に買われていったと聞いたが……」
ユータ様は確かに地味ではある。あの奴隷商に聞いたのだろう。
しかし、ユータ様に化けたあの美女が白金貨を数枚持っていた事は聞いていなかったようだ。
あの奴隷商も少しの嫌がらせをしたようだ。情報を伏せるという嫌がらせを。
これによってバーバルが下手を打てばラッキーとでも思ったのか。
バーバルへの鬱憤は溜まっていたようだし。
「つまらんな……」
ボソリとそう言った。
その目は、静かな言葉とは裏腹にギラギラとしている。
背筋がゾクリとした。
やはりわたしには幸せというものは与えられないのだろう。
さっそくの“いいね”ありがとうございます。
ここ数日は更新できてますが、ボチボチ更新ですのでご容赦くださいませ。